原発大転換政策許されない

原発大転換政策許されない

福島第一原発事故の大惨事と80兆円損害想定をもう忘れたのか
警告⇒老朽原発を使い続ければ第2、第3の「原発人災」

    2022年12月2日 山崎久隆(たんぽぽ舎共同代表)

 報道によると「経済産業省は11月28日の有識者会議「原子力小委員会」(第34回総合資源エネルギー調査会電力・ガス事業分科会原子力小委員会)で、岸田文雄首相の指示を受けて検討してきた原発活用策の行動計画案を提示し、大筋で了承された」。(東京新聞11月29日)
 この中で、これまで40年、最長でも規制委の審査を経て60年としてきた原発の運転期間を、規制委の審査や司法により差し止められていた期間(ただし上級審で是正されたものを除く)を運転年数から除外し、実質的に60年を超えることが可能になる制度改正を行う方針が示された。
 また、廃炉が決まった原発(その敷地のことか?)を対象にして、次世代型原発で建て替えを進める方針も明示した。
 福島第一原発事故の教訓として掲げてきた「脱原発依存」「原発依存からの脱却」との方針は、正反対の「原発推進」へと変貌しようとしている。

日本の限られた資金を危険な原子力産業に注ぐべきではない
子や孫に原発の大赤字・大借金を残す気か?

 もはや現代の日本は高度経済成長期ではない。
 日本で原発が盛んに計画された時代は、戦後の高度経済成長真っ盛りの1960~70年代である。その後、バブル崩壊などで低成長時代に入っても、原発は時期遅れの電力開発として作られてきた。
 その最初の世代に当たる東電福島第一原発が事故を起こし、少なくても22兆円、最終的には70兆円とも80兆円とも想定される損害を出した。

 福島第一原発1号機が運転を開始した1970年11月17日から震災で破壊されるまでの期間に発電した電力量は概ね9500億キロワットアワーほど。平均電力単価(利益)をキロワットアワー当たり10円としたら10兆円程度だ。
 もはや発電で作り出した「利益」は消滅し、今後はその何倍もの「負債」を返していかねばならない。これは他の原発も大同小異で、事故が起きなくても高レベル放射性廃棄物を生み出すしか能のない再処理とプルサーマルでは、発電で生み出される「価値」の何倍もの負債を抱えることになる。

 日本国内では、あらゆる社会資本の「資産価値」が急速に減少していく中で、老朽化するインフラの再構築や高齢化社会を支える福祉政策にかかる費用の他に、これら原子力の巨額の負債を抱えることは、現実的に不可能であることは明白ではないのか。
 ウクライナ戦争で顕在化したエネルギー価格の高騰により、今後も電気料金は20から30%も値上げされることになっているという。
 しかも、この規模の値上げでも電力各社は赤字決算になる。ならば、巨額の投資をしても電力もろくにを生み出さない原子力への投資を、まず「損切り」すべきだ。

「原子力小委員会」で決める?(推進のための会議、結論は最初から決まっている)
震災後に自民、公明、民主各党が安全神話により原発事故を招いた反省に基づいて実行した政策を、ことごとく廃止

 東京新聞11月27日の記事によれば、この「原子力小委員会」の構成は次のようなものだという。
 「原子力政策について議論する原子力小委は、委員21人のうち、最近の会合で原発に否定的な発言をしているのは、NPO法人原子力資料情報室の松久保肇事務局長ら2人だけ。運転期間延長の議論では、多数の委員が最長60年とする上限を撤廃するよう求めた。28日の会合では、経産省側が世論の反発に配慮して上限は撤廃せず、再稼働に向けた審査などで停止した期間を運転年数から除外する案を推すとみられる。」

 推進のための会議、結論は最初から決まっている。有識者会議とは名ばかりの、原発推進機関だ。これでは、震災前の体制とどう違うというのか。
 そして岸田文雄首相が8月に検討を指示してから3カ月ほどで60年の制限を突破し、廃炉になった原発の代わりに新増設を進める方針が突如「決定」された。
 震災後に自民、公明、民主各党が安全神話により原発事故を招いた反省に基づいて実行した政策を、ことごとく廃止しようとしているのである。

原発事故リスクを市民に転嫁
自然災害と戦争以外で、人格権を広範に奪われる可能性があるのは、原発事故
 重大事故が起きれば、どのような災害になるかは福島第一原発事故で明確になった。
 しかも国も東電も、この人災に向き合うどころか、賠償もろくに払わず、被災者を切り捨て、裁判を起こして避難住宅から追い出すことまで行っている。
 それは、今の原発立地自治体の将来の姿かも知れない。いや、そのような危機感を持って臨まなければならないのである。
 「ゼロリスクは非現実的」「原発は危ないからを止めろと言うなら、毎年5000人もの事故死者を出す自動車の運転差し止めも、同じように要求すべきじゃないの」これらは原発の危険性を問うて運動をしている人々や、差止訴訟の判決、世論調査で将来的には脱原発を求める意見が報道される度に示される感情的な表現としての「安全神話」の一端だ。

 いうまでもないが、交通事故と原発では、その及ぼす災害規模は桁違いであり、そのようなことは福島第一原発事故で思い知ったはずなのだが、未だにこのような言質がまかり通っている。
 しかし原発裁判でまともな判決を書いた裁判長は、これらの安全神話を一蹴する。
 「自然災害と戦争以外で、人格権を広範に奪われる可能性があるのは、原発事故のほかは想定し難い。(重大事故につながる)具体的な危険性が万が一でもあれば、差し止めが認められるのは当然だ」「多数の人の生存そのものに関わる権利と、電気代の高い低いの問題を並べて論じること自体、法的には許されない」
(大飯差し止め樋口判決文)
 「(原発事故は)国土の広範な地域及び国民全体に対しても、その生命、身体及び財産上の甚大な被害を及ぼし、地域の社会的・経済的コミュニティの崩壊ないし喪失を生じさせ、ひいては我が国そのものの崩壊にもつながりかねない」
(株主代表訴訟朝倉判決文)
 これらは現実に起きたことに真摯に向き合った結果、下された司法判断である。
飲み屋の戯れ言のごとく「ゼロリスク論」など、入り込む余地はない。

老朽原発は事故リスクを高める
第2、第3の「原発人災」は免れない

 老朽原発は、少なくても事故リスクを高めることに何の疑問もない。福島第一原発が運転40年目に連続3基のメルトダウンを引き起こしたのは偶然ではない。
 設計の古さ、施工の悪さ、保守の手抜かり、知識の欠落、想定の甘さ、そして経営陣の怠慢が複雑に絡み合って発生した。
 勝俣恒久元東電会長は、地震と津波は原子力損害賠償法に規定する免責条項「異常に巨大な天災地変」にあたる可能性が高いと考えた。これは想定外の津波で起きた事故だから、東電に賠償責任はないという論理だ。被災者への賠償はおろか、責任さえないと考えていた。

 日本海溝沿いで発生する地震や津波の過去の歴史は、既に専門家による調査研究で明らかにされており、国の地震調査研究推進本部(地震本部)の長期評価でも発生の可能性は指摘されていた。
 当時の原子力規制体制下でも対策すべき自然災害と考えられており、当時の原子力安全・保安院も耐震バックチェックなどで報告することを求めていた。

 ところが東京電力は、2007年に発生した中越沖地震により柏崎刈羽原発が被災して7機全てが長期停止に至り、821,2万キロワットの電源設備を失った。復旧作業にも巨額の費用がかかることで2年連続赤字決算と、厳しい経営状態に陥り、同時進行で進めなければならなかった福島第一原発の地震、津波対策を先延ばしにした。
 それが東日本太平洋沖地震で手の打ちようもないほどの大災害を引き起こす遠因になっていったのだ。

 リスクを国民に転嫁させる姿勢は、震災後もなくなっていない。
 むしろ、国が主導して、再びリスクを国民に転嫁しようとしている。
 東京電力の汚染水海洋放出一つをとっても、自らの廃炉作業に邪魔だと東北地方沿岸から世界中の人々にまでリスクを転嫁した「対処方法」だ。
 国のエネルギー政策は、新しい電力供給システムを構築さえすれば改善され電力ひっ迫も起こらないことは、数多くのシンクタンクやエネルギー会社の公表している資料で明らかであるのに、それらを構築するために投資するリスクを、安易に今ある原発を「使い倒す」ことで発電電力量を増やし、システムの改革を先送りにしている。
 これは東電が地震・津波対策を先送りにし、老朽原発を使い続けて大災害を引き起こした構図と同じである。
 これを止めなければ、第2、第3の「原発人災」は免れない。
(たんぽぽ舎「金曜ビラ」)

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