岩波新書 2024年10月 天野恵一
本書のサブタイトルにある「昭和天皇拝謁記」とは、戦後の初代宮内庁長官となった田島道治の書き残した昭和天皇との対話の記録であり、両者のやりとりが詳細に残されている。それは49年から53年にかけてのものであり、占領期全体をカバーするものである。この「拝謁記」全文は田島日記・関係資料とともに2023年に岩波書店から全7巻で刊行されている。
著者の原武史は「昭和天皇」一族を中心にした「人物」(かつては秘密とタブーのベールにつつまれていた)たちを論じて、ビックリするようなエピソードを含めて、リアルに天皇一族を紹介するという、困難な仕事の第一人者であることは、もはや広く認められている、元ジャーナリストの政治思想史の研究者である。
著者は、この記録について、「天皇とのやりとりが、まるでテープレコーダーに録音されていたのではないかと思われるほど詳細に記録されている」。「『あの』『~だからネー』といった口調まで忠実に再現されています」と語り、それを読むと昭和天皇の「対話のぎこちな」さのイメージが「むしろ饒舌」な人物に一新されると、主張している。
具体的内容の紹介に入る前に田島道治という人物について、紹介しておこう。
大学時代に新渡辺稲造に私淑(書生となる)、後藤新平が鉄道院総裁の時には秘書となり、昭和銀行頭取、金融統制会理事、日本産金振興会社社長、日本銀行参与、大日本育英会会長、ソニー会長、・・・。財界のトップエリートである。宮内府長官就任は1948年6月、任命は芦田均内閣の時代、戦後の宮中改革の中心メンバーとして、民間からの長官が必要とされたのだろう。田島は第二次吉田茂内閣とともに、占領下の宮内庁長官としてほぼ完走することになる。
さて象徴(昭和)天皇の実像」は本書で十の切り口から分析されている。それは「天皇観」、「政治・軍事観」、「戦前・戦中観」、「国土観」、「外国観」、「人物観1―皇太后節子」、「人物観2―他の皇族や天皇」、「人物観3―政治家・学者など」、「神道・宗教観」、「空間認識」である。そこでは、私を含めてかつての左翼の人々がいだいた「絶対主義天皇制」のイメージは、まったく消滅してしまっている。
著者は「あとがき」で、この拝謁記によって、自分の今までの仕事は「ある程度裏付けられたという確信を抱いています」と語っているが、原の仕事をそれなりにフォローしてきた私も、それはそうだろうなという内容(とてつもなくビックリさせられるような点がないという意味で)ではあった。
さて、ひどく神がかっているという点を除けば、どこにでもいるこの直系親族に甘い無責任男の一家が、国家の超特権的地位に立つと、とんでもない量の人々を殺傷させてしまったし、しまうという大問題のナゾは解けない。
やはり天皇制は天皇とその家族という〈人物〉と国家の〈制度〉とを重ねて批判的に検証されなければならない。制度分析ナシの人物論はどこかむなしい。あらためて、そう思った。