新しい学生運動の爆発的出現とアメリカ帝国権力の動揺——パレスチナの復権と〈反ユダヤ主義〉狩りの無力化

新しい学生運動の爆発的出現とアメリカ帝国権力の動揺——パレスチナの復権と〈反ユダヤ主義〉狩りの無力化

武藤一羊     

5月11日の朝、以下のニュースに出会った。

【ワシントン時事 5月11日】 バイデン米政権は10日、パレスチナ自治区ガザで戦闘を続けるイスラエル軍について、米国製武器を国際人道法に違反する形で使用していると「評価することが合理的だ」と指摘する報告書をまとめ、議会に提出した。

朝日新聞デジタル2024年5月11日】バイデン米政権は10日、イスラエルパレスチナ自治区ガザ地区での軍事作戦は、国際法に「矛盾すると評価するのが妥当だ」とする報告書を米議会に提出した。

 本当か?バイデン政権のこの行為は何を意味するのか。ハマスのイスラエル奇襲への桁外れの皆殺し報復として始まるガザ危機において、バイデン政権は、イスラエルのガザ住民へのジェノサイドに加担し、砲弾、爆弾、情報を供給し、国連では拒否権を乱発することで、一貫してイスラエルを擁護、支援し、事実上の参戦国となった。そのバイデン政権にとって、この軍事作戦が「国際法に違反」していると認めることは、全面的な政策破綻の自認にほかならないはずだ。

 だがそれが事態の収拾への一歩となるかと言えば、そうはなりそうもない。この政権はここしばらく、戦争正当化の主張と破綻の自認という両立不能な極に足をかけ、不可能な踊りを踊ってきたのである。ネタニエフはそれを見透かして、バイデンを適当にあしらいつつ、国際法も無視し、パレスチナ人を人間と見なすことを拒否して、ラファでの破壊的作戦の実行に移りつつある。(5.23現在)

 しかし注目すべきは現場の状況がこのような展開を見せる中で、ガザをめぐる環境全体が大きく急速に変わりつつあることだ。なにより、イスラエル・米国のガザ戦争への公式の国際的弾劾が一斉に始まったのである。国際刑事裁判所(ICC)のカーン主任検察官は5月20日、イスラエルのネタニヤフ首相とガラント国防相にたいしてハマスの「壊滅」のためガザ市民を攻撃、殺害し、意図的に飢餓に追い込んだたことで「戦争犯罪と人道に対する罪を犯したとする合理的な根拠がある」として逮捕状を請求したと発表したのである。ハマス側にも指導者のハニヤ氏ほか2名に同じ嫌疑で逮捕状が請求された。

 このICCの措置は、ネタニエフ、バイデンに振り下ろされた鉄槌であった。ネタニエフにとっては、ハマスと同列に扱われたことが最大の侮辱だったようである。バイデン大統領は20日、逮捕状請求について「言語道断。イスラエルとハマスは同じではない」と批判。その上で「我々はイスラエルの安全保障への脅威に対し、常にイスラエルとともに立ち向かう」と強調したという。ジョンソン下院議長は何とICCへの制裁を口にした。(以上は「毎日新聞」5・21)

 しかし世界全体ではICCの権威は急速に高まっている。ICCの逮捕状請求の決定に続き、スペイン、ノルウェー、アイルランドは22日、パレスチナを国家として承認すると発表した。フランスはICC決定の支持を表明した。また原告側の南アを支持する国は、グローバルサウス(新興・途上国)を中心に広がっている。5月までに中南米のニカラグア、コロンビア、北アフリカのリビアが原告支持の立場でICJに参加を申請。5月に入って、エジプトも参加を表明した。トルコやアイルランドも参加の意向を示すと伝えられる。イスラエル・米国枢軸は恐るべき国際的孤立に陥りつつある。

ガザ戦争ささえる国内基盤の分解―新しい学生運動の突破力

 だがここで何より注目すべきは、この国際的孤立の中で、ガザ戦争を支える米国国内の基盤に亀裂が走り、政策遂行に深刻な動揺が始まっていることであろう。戦争は内から崩れつつある。そして、それをもたらした決定的といえる要因が、この4月、ガザ民衆へのジェノサイドの進行のなかで、全米の大学生が雪だるま式に反戦行動に立ち上がったことにあった。学生たちの行動が状況の図柄を塗り替えて、ガザ危機をイスラエル建国に遡る歴史的文脈に置きなおし、無条件のイスラエル支持の基盤を揺るがすことで、本来この問題がはらむ二つの相容れぬ立場を社会の表層に引き出したとさえ言えるのである。だがまず駆け足で経過を概観してみよう。

 発端は、4月17日、数百人のコロンビア大学の学生たちがイスラエル・米国のガザ・ジェノサイドに抗議し、パレスチナ民衆との連帯を掲げて斬新な行動を起こしたことであった。学生たちは、イスラエルによるガザでのジェノサイドの即時停止と、自校が行っているイスラエル軍事企業、軍関係研究所などへの大学の投資の即時引き上げ(divestment)を要求して、キャンパスの庭に「ガザ連帯野営地」のテント村を立ち上げたのだ。一種の学園占拠であるが、建物を占拠するのではなく、広い芝生の庭を占拠したのである。このニューヨークの名門校で始まった運動は、瞬く間に全国的規模に広がり、大学当局と政権側の激しい反応を呼び起こし、ガザをめぐる状況の図柄を変えたのである。学生たちは大学ごとに「ガザ連帯野営地」(Gaza Solidarity Encampment)の組織を立ち上げ、学園内の中庭に一斉に多数のテントを張って、活動拠点をつくり、大学当局に、イスラエルからの投資引揚げの要求を突き付けた。キャンプにはパレスチナの旗が翻っていた。

 コロンビア大学では当局は直ちに反撃に出た。シャフィック学長はキャンパスを閉鎖し、学生にはテントの撤去を要求、参加者は処分すると警告した。そして翌18日、ニューヨ-ク市警に出動を要請、戦闘服の機動隊は学園内に入り、テントを壊し、手あたり次第学生を逮捕し、連行した。学生108名がこの日逮捕、連行された。多くの教員も学生側に立ち、抗議し、警察の暴行受けた。この日の警察の暴力はネットでたちまち共有され、全国のキャンパスでの学生の立ち上がりの引き金となった。

 この後、コロンビア大では学生たちはテント村を再建し、学園占拠を続け、投資引揚について大学当局と交渉を重ねたが、4月29日学長は学生の要求を全面拒否し、学生への処分を発表した。抗議する学生の一部は大学の由緒ある建物であり、1970年ベトナム反戦闘争の中で学生が占拠し、激しい攻防の焦点になったことのあるハミルトン・ホールを占拠した。大学は再び警察の出動を要請、武装警察は深夜から朝にかけて300人をこえる学生を逮捕、テント村を破壊した。

 「野営地」タイプの学園占拠運動は加速度的に全国へ広がった。全国的連携の気運は熟していて、あらかじめ非公式に意思の疎通が図られていたようである。ノースカロライナからカリフォルニアまで、ハーバード、MIT、プリンストン、イエール、UCLAなど主要大学を含む全米のキャンパスで「野営地」が立ち上がった。パレスチナ旗が掲げられ、構内デモ、集会、学内外の知識人のスピーチなどで学園は熱気につつまれた。多くの学園で教授たちもスピーチに加わった。4月末には全米の闘争参加校の一覧表(制作者不明)がネットに流された。それによると、この形態の学園占拠運動は全米120校を超えるキャンパスに広がったとしている。5月初めに参照したWikipediaには、この運動について網羅的報告が掲載されているが、それはこの運動を「親パレスチナの抗議運動」と呼びつつ、米国50州中45州で学生のキャンパス占拠運動が進行中であると述べ、さらに運動は国境を越えてヨーロッパ、オセアニア、アジアに広がったとして、典拠を示しつつ学園ごとの状況を列挙している。5月は卒業シーズンなので多くの大学で卒業式がパレスチナ支持の大規模なデモの場になっていることが特徴的だ。世界各地に広がるイスラエルによるジェノサイドへの抗議運動は学生の行動を通じて国際化し、強い政治的圧力をイスラエル支持の権力にかけつつある。静かだった日本の大学キャンパスにも学内集会やデモがパレスチナ旗とともに戻ってきたようだ。

対峙線 〈反ユダヤ主義〉からイスラエルを守れ!

 ここでは展開過程にあるこの運動全体の現状をフォロウすることは断念して、まず米国においてガザ戦争をめぐってどのような力関係が形成され、展開したかを検討してみよう。

 昨年10月7日のハマスによるイスラエル攻撃以来、それへの報復として実行されているイスラエル・米によるガザ民衆へのジェノサイドにたいして、どのような立場に立つべきか、という問題に世界は直面してきた。そこには三つの立場が成立した。一つは10・7をイスラエル国家と民衆への〈反ユダヤ主義〉による攻撃という側面でとらえ、イスラエルによる無差別報復・反撃を無条件で支持する立場、二つ目は、10・7以降の展開をイスラエルによるパレスチナ抹殺のプロセスへの抵抗の文脈で捉える立場(これはハマスの攻撃方式への無条件支持を必ずしも意味しない)、第三には、ガザでの大量、無差別殺戮、破壊の惨状に人道的立場から抗議し無条件停戦を求める立場である。

 アメリカ合衆国、バイデン民主党政権は、明確に第一の立場に立って政治的・外交的にイスラエルの作戦を支持した。政治的支持ばかりでなく、イスラエルに爆弾、砲弾を供給し、軍事情報を提供し、対ハマス戦に事実上参戦した。米国にとってイスラエル国家は外国ではなく米国の中東支配のための作り付けの装置としての存在である。しかしそれは米国の出店でもなく、頑なに自己の理念で行動する自己中心的主体でもある。戦前日本の陸軍参謀本部と関東軍の関係にいくらか重なるところがあるとも見える。

 ハマスによる奇襲以後の米・イ協力の際立った特徴は、米国が今回の事態を「antisemitism=反ユダヤ主義」によるイスラエル国家への攻撃ととらえたことにある。私はこのことに最大の注意を払いたい。これは米国の事実上の参戦の大義の問題であり、戦争の性格を決定づける要素である。それによって、イスラエル国家を守る戦いは米国内における〈反ユダヤ主義・antisemitism〉との闘いに転換され、そこに国内における対峙の戦線が出現したのである。

 かつて冷戦期には米国は〈共産主義〉を敵として内外政策を組み立てたことを想起しよう。共産独裁主義に対して「自由」の大義を守れというのが半世紀にわたる米帝国の行動正当化原理であった。ところで、その共産主義は米国社会・国家の内部に浸透(infiltrate)してくるので、国内でその脅威と闘わねばならぬ、として1950年代の朝鮮戦争期、共産主義者と密告された知識人や演劇人を次々に下院に設けた非米活動委員会(HUAC)に召喚して吊しあげ、職場から追放した。これは「アカ狩り」(red-baiting)と称され、米国史の汚点として記録された。推進者であったマッカーシー上院議員の名をとって「マッカーシズム」と呼ばれている。

学長たちへの吊るし上げー議会聴聞会

 それから70年。今回は〈共産主義〉ではなく〈反ユダヤ・主義=antisemitism〉が敵と公告されたのである。その上で、共和党を中心に、合衆国議会を場に〈反ユダヤ主義〉狩りが開始された。それが劇的に示されたのが、昨年12月に始まる米国議会による大学学長の聴聞会への召喚と右派議員たちによる吊しあげ的訊問であった。

 12月5日、米国下院の教育・労働力委員会は、〈反ユダヤ主義〉をテーマに聴聞会を開き三つの有力大学の学長、ハーバード大のクローディン・ゲイ、マサチューセッツ工科大学のサリー・コーンブルース、ペンシルバニア大学のエリザベス・マジルを召喚した。学園で〈反ユダヤ主義〉が横行しているのに大学がそれを野放しにしているとして、学長たちの責任を追及する政治ドラマが演じられたのである。多くの大学では、イスラエルの空と陸からのガザ攻撃が、おびただしいガザ住民を無差別に殺し、傷つけ、その生活と住居を破壊していることに、学生たちの抗議の運動が高まっていた。前記、第二と第三の立場がそこでは混ざり合っていたと考えるのが妥当だろう。メディアはこの学生たちの運動を〈親パレスチナ〉運動と呼んでいた。

 米国国家を代弁する右派政治家たちには、この状況は、イスラエルと一体化してガザ戦争に参加しているアメリカ国家にとって許しがたい状況であり、反戦行動は利敵行為であると映った。学生たちの運動は〈反ユダヤ主義〉の運動であり、ユダヤ人を皆殺しにし、イスラエル国家を消滅させる企てであるが、キャンパスではそれが野放しになっている。お前たち学長はいったい何をしているのだ!そう糾弾して、態度が甘いことを認めさせ、責任を取らせる。およそそのような筋書きで右派議員は学長たちを召喚したのである。事実、公聴会は一方的な糾弾会となった。

 ここで押さえておくべきなのは、この聴聞会は〈反ユダヤ主義、antisemitism〉を善悪判断の絶対的基準として行われたことである。(念のため、これは、反ユダヤという主義を指し、ユダヤ主義に反対という意味ではない) この基準は後に検討するように、ベトナム戦争やイラク侵略戦争のさいに争われた普遍的な適応性を主張する価値基準―平和、民族解放、反共、自由など―とは次元を異にするきわめて特殊な強い歴史性を帯びた基準、20世紀前半におけるナチスによるユダヤ人の組織的大量殺害、いわゆる〈ホロコースト〉に由来する基準である。学長たちは、議員たちが理解する限りでのその基準に沿って、訊問された。

 聴聞会のやり取りは、訊問者の質の低さを暴露する点で興味深いものだ。劇の主役はニューヨーク選出の名高い右派政治家、エリーズ・ステファニク議員。質問の焦点は、学長たちが、ユダヤ人絶滅を叫ぶ(とされる)学生たちをなぜ学則に沿ってく処分しないのか、というものだった。

 「ニューヨーク・タイムズ」紙(12・6)は詳しくやり取りを収録しているが、それは50年代のマッカーシズム期の共産主義狩りを思わせる学長への脅迫の図であり、その狙いは大学が、言論の自由の名のもとに、ユダヤ人を皆殺しにする言論を野放しにしているという筋書きに沿って学長たちを追い込むことであった。ハーバード大のゲイ学長とのやりとりのほんの一部を引用してみよう。

ステファニク イエスかノーで答えなさい。こう聞きましょう。ハーバードでは学生が、アフリカ系アメリカ人の集団殺害を唱えてもいいのですね。それが言論の自由を守ることなんですね。

ゲイ われわれの言論の自由に対するコミットメントは・・・

ステファニク イエスかノーで答えられる質問よ。ではこう聞きましょう。あなたはハーバードの学長です。だから「インティファーダ」という言葉はご存じのはずですよね、ちがいますか?

ゲイ 聞いたことはあります。知っています。

ステファニク だとするとあなたは、「インティファーダ」という言葉をイスラエル・アラブ紛争の文脈で用いることは、すなわち、ユダヤ人へのジェノサイドを含むイスラエル国家に対する暴力的な武装闘争を行うことを意味すると理解していることになりますね。分かっている?

 この調子で畳みかけた。周知のように「インティファ―ダ」はイスラエルの占領にたいするパレスチナ人の捨て身の民衆蜂起で、ユダヤ人へのジェノサイドなどではない。しかし訊問者にとってそれはどうでもよいことで、「インティファーダ」という言葉が学生の運動のなかで使われたという情報をもとに、学長は言論の自由の名のもとに、ジェノサイド、すなわちユダヤ人皆殺しの扇動、を許していると認めさせればよいのである。「インティファーダ=ユダヤ人皆殺しの呼びかけ」、としたうえで、大学はそのような主張を野放しにしている。それでいいのか、と迫ったのである。そして学生たちには厳罰をもって臨むといった返答を要求したのである。しかしこの手の問いに、どの学長も、それは「文脈」による」といったあいまいな返事しかしなかった。(逆にその学長たちは本来言うべきことー大学の方針について議会は関係ないーと言い切ることもしなかった)。

 公聴会を閉じるや否や、ステファニクスはじめ委員会の全員がそろって出席学長全員の辞職を要求した。辞職要求の文書がその場で作成され、70人の議員の連署で学長たちに渡された。加えて翌日、委員会は証人召喚権のある正式の調査を開始することを決めた。この件について大統領報道官ビル・ゲイツは「ジェノサイドへの呼びかけは恐ろしいもので、われわれが国家として支持するものすべてに敵対的である」と述べた。バイデン政権としてこの糾弾ドライブに加わったのである。学長たちが言論の自由などと口ごもっているうちに、ユダヤ人皆殺しの叫びが学園で渦巻いているかのような印象が作り出されたのである。そのなかで学外のスポンサーなどの学長非難がたかまり、3人は次々に辞任に追い込まれた。〈反ユダヤ人差別〉をガザ事態への判断基準とする共和党をはじめ政界主流の潮流は、これをもって、勝利をおさめたかに見えたのである。

〈ニュー・ノーマル〉と学生運動

 とはいえ、その威力はそこまでだった。学生たちの運動が状況を、そして力関係を覆したからである。

 それは意外な展開であった。学生たちがなぜこれほど広く立ち上がったのか、またなぜそれが状況を変える引き金になったのか。運動者でもあるジャーナリストのラムジー・バルードは、その答えとして、すでに大きい変化がアメリカ社会に萌していたことを、議会主流もジャーナリズムも気づいていなかったことが理由だと指摘している。「今回の戦争の何年も前から、人びとは、イスラエルへの見方、またアメリカがイスラエルとの間に結んでいる〈特殊関係〉などについて、意見を変え始めていたのだ」。

 社会全般のそうした底流の変化があるので、「コロンビア大で大量逮捕が行われ、全各地での平和的デモが暴力的に襲われても、運動は強まるばかりなのだ」とバルードは書いている。この変化を主導したのは民主党の若い党員たちであるが、いまや無党派層と共和党員のなかにも広がりつつある。「中東について共感できるのはイスラエル人ではなくパレスナ人だ」などという意見表明は、(いまは平気で口に出されているが)、かつては考えることさえできなかった。しかしいまはそれが「ニュー・ノーマル」(新しい、今どきの普通、新常識)になっているのだ」。(American Intifada for Gaza, Ramzy Baroud, Counterpunch, May 2, 2024)

 ちなみに最近アメリカを訪れた斎藤幸平の以下の感想は「ニュー・ノーマル」説を裏書きしている。

アメリカに来て驚いたのは、思ったよりもオープンにシオニズム批判が行われていることだ。実際、ジョージタウン大学でジェノサイドという言葉を使っても、何の問題もなかった。この驚きを話すと「それこそアメリカに民主主義のないことの証だ」という反応がDCの活動家から帰ってきた。アメリカ国民の過半数が即時停戦を望んでいるのに、政府やメディアのメッセージはそこからかけ離れているというのである。(「毎日新聞」2024.5.5)

 「テント村宿営地」(encampment)という新形式の行動を編み出した米国の学生運動は、政治の最上部が、決め手として持ち出した「反ユダヤ主義」のワナを破壊し、どちらかと言えばパレスチナに共感する「ニュー・ノーマル」の流れと結びつき、政権を窮地に追い込んでいる。冒頭に引いた5月10日のバイデンの声明も政権が戦争遂行の正統性の基盤を失いつつあることの反映と見ることができよう。

 いまガザをめぐって展開しているのは、巨大な歴史的不正義への揺れ返しの文脈でとらえるべき展開である。それはグローバルな規模での「ニュー・ノーマル」を出現させるだろうか。嬉々として「台湾有事」などと大声を挙げ、嬉々として米国の手先を演じるこのアジアの一国に「ニュー・ノーマル」は出現しつつあるだろうか。

補論:〈反ユダヤ主義〉のこと

 イスラエルという国家を主軸とするこのガザ戦争は、深く地中に根を下している生きた構造物の地上部分であることが特徴である。戦争が継続している今、その根について触れないわけにはいかない。

 今回米国政権は、ネタニエフの対ハマス戦争参加の理由づけに、米国にとってのイスラエルの戦略的重要性を戦争参加理由としてはあまり表には出さず、国内向けにはもっぱら「反ユダヤ主義」撲滅を掲げたことは面白い。正直に言って、私自身、今回のケースに接するまでは、アメリカ合衆国における反〈反ユダヤ主義〉がかつての〈反共〉に匹敵するほどの大義名分、そして国策となり、動員力と強制力を発揮するとは想像していなかった。今回のガザ・ジェノサイドをめぐっては、この観念は、戦前日本における「国体」観念に比肩しうる作用を振るい、複数の超一流大学の学長たちを辞職させるところまで追いつめる力を発揮したのだ。バーニー・サンダース上院議員が、「政権に批判的などんな発言をしても、反ユダヤ主義だと攻撃される。この国では何にも言えないじゃないか!」と怒りまくる動画がネット上にあったが、政界ではそのような状態が維持されていたに違いない。この観念はいまや上層部のイデオロギーに過ぎず、一般大衆、特にその知識層を捉える力を失いつつあることは、本稿で見てきたとおりである。

 しかし、だが進行中のガザ戦争は最初から、この観念を軸に展開しているのである。

 〈反ユダヤ主義=antisemitism〉とは何か。この分野でまったくのド素人である私も、ガザ戦争の状況下で、それを問うことを余儀なくされている、そうと考えて以下の補論を試みた。

 〈反ユダヤ主義・antisemitism〉 たしかにそれは、アジア人差別、黒人差別などという人種差別の系列に属してもいる。ウエブスターの辞書では、antisemitismは「人種的、もしくは宗教的マイノリティとしてのユダヤ人に向けられる敵意で、しばしば社会的、経済的、政治的差別をともなう」としていて、その限りでは人種、宗教差別の一種とされている。ただこの辞書は第二の意味として「シオニズムに反対すること、イスラエル国家への反対者に共感を持つこと」を挙げている。「反ユダヤ主義」と訳されるantisemitismははっきり政治的概念としても定義されているのだ。

 ではAntisemitismとはどのような政治的概念であるのか。言うまでもなく、〈反ユダヤ主義〉は、ナチス・ドイツによる600万を越えるユダヤ人の組織的殺害との関連で用いられる概念である。「ホロコースト」と呼ばれるこの類例を見ない想像を絶する出来事への反省が、第二次大戦後の世界、とりわけヨーロッパ世界にとって巨大な道義的、思想的、政治的重荷として残された。ホロコーストを忘れてはならない、繰り返してはならない。再び〈反ユダヤ主義〉の出現を許してはならない。そのような共同意思から、ホロコ-ストの記憶を人びとの間に保持し、〈反ユダヤ主義の〉出現を防止、排除、禁止する目的を持つ政府間国際組織、IHRA(International Holocaust Remembrance Alliance)が、スウェーデン首相の提唱で1998年に設立された。この組織の加盟国は31か国、アルゼンチンを除いてすべてヨーロッパの国である。

 この団体は〈反ユダヤ主義〉とホロコーストを記憶し、〈反ユダヤ主義〉と闘うことを旨としている。だが、その〈反ユダヤ主義〉とは何をさすのか。当然ながらこの質問は頻繁に寄せられたようで、IHRAは2016年に〈反ユダヤ主義〉の実用的定義」(working definition)という文書を作成して答えている。原案はEUが作成したとされていて、何度か改定されているようだが、どのような行為が〈反ユダヤ主義〉と見なされるかを列挙したものである。

 その一行目に置かれた例示はこうである。

Manifestations might include the targeting of the state of Israel, conceived as a Jewish collectivity.

こう訳してみた。

各種意見表明には、ユダヤ人の集合体として理解されるイスラエル国家を標的にする内容のものがあるかもしれない。

これが〈反ユダヤ主義〉の該当例だという。たいへんあいまいな、それゆえ、なんでもありの危ない例示だと思う。なんの限定もなくただ”manifestations”とあるので、そこには口頭発言から文章、芸術作品まであらゆる見解・態度表明が含まれよう。そうしたものが〈イスラエル国家〉をtargetにする場合は〈反ユダヤ主義〉になるというのである。Targetとは標的で、動詞では標的にすることだが、その場合、標的は努力目標の場合も攻撃対象の場合もありうる。ここではイスラエルを「ユダヤ人の集合体としての」と限定しているので、到達目標としてのイスラエル国家という解釈は排除され、批判的・敵対的な標的化ということもなる。それはダメ。つまり、イスラエル国をユダヤ人の集合体であると認識した上でイスラエル国家を批判の標的にするなら、それは〈反ユダヤ主義〉の禁を犯すことになりうる、と例示しているのである。

 これは重大な規定である。イスラエル国家を批判すれば、それが〈反ユダヤ主義〉発言として糾弾されることがありうるとすれば、これはイスラエルというある特定の国家にとんでもない特権を与えることになる。なぜそんなことがありえるのか。説明はない。しかし「ユダヤ人の集合体としての国家」としてのイスラエルという限定がその特権を担保しているのである。すなわちそれは〈ホロコースト〉を経験した集団としての特権である。ここでは〈ホロコースト〉は特権の源泉として機能させられている。

 しかしそれにしても批判が許されない国家というものがあっていいのだろうか。ただし、以上の文章に続いて、特権を限定する但し書きがおかれている。曰く:

 「他の国にたいして行われる批判に類似の(similar)イスラエル批判は、反ユダヤと見なすことはできない」

 この但し書きで少し救われるかに見えるが、実はこれが巧妙なワナとなりうる。「他の国にたいして行われる批判」に類似していない批判、つまり許されない批判、とは何か?それはイスラエル国家の成り立ちへの批判以外にありえない、と私には思える。バルフォア宣言、ナクバ、難民キャンプ、占領、封鎖、壁、ガザ、西岸入植・・・それらから成立したイスラエルの「国体」に批判的に手を触れることは許されない。そうするものは〈反ユダヤ〉で〈ホロコースト〉の冒涜者になる。

 これは私の勝手な読みであるが、この手引きは正確な読みを教えてくれない。

 もう一か所、ダメ押しのような一行が置かれている。

今日のイスラエルの政策をナチスの政策に類比すること

Drawing comparisons of contemporary Israel policy to that of the Nazis.

 これは比較ではなく類比のことである。イスラエル国家はパレスチナ人をナチスがユダヤ人を扱っていたように扱っている、という観察は十分ありうるし、現にある。しかしそれは許されない〈反ユダヤ〉言説ということになる。語るに落ちるとはこのことであろう。両者の類比に値する現実があるからこそ、それを語ることを禁止するのではないか。これはイスラエル国家の健康にとって由々しい危険をもたらしうる条項ではないか。

 わたしはこのIHRAというものに根本的な疑念を持つ。試しにIHRAのサイトを開いてみると、その滑らかなホロコーストへの言及は薄気味悪さを感じさせる。ゲットーや収容所の匂はまったくない。そしてパレスチナがないのである。ユダヤ人迫害はヨーロッパで起こった。だがヨーロッパはその償いをパレスチナ人を犠牲にして果たしたことにした。そしてホロコーストも、それをもっぱら追憶(remembrance)の領域に押しこめた。いま起こっているのはこの巨大な不正への暴発的揺れ返しである。

 米国議会は2023年IHRAのこの文書を〈反ユダヤ主義意識〉の活性化のための材料としてそのまま米国の法制度に組み入れた。2023年10月7日以来の米国の行動、イスラエル支持のヨーロッパの姿勢はともにIHRAの集約する〈反ユダヤ主義〉排撃路線の上を進んできた。いまそれは民衆の圧力によって修正を余儀なくされているのだが。

 しかし最もおぞましいのは、これらのことが、ホロコーストを根拠にして、いやむしろ利用して行われていることである。われわれはホロコーストを忘れない。ホロコーストは唯一の、比肩するもののない犠牲であった。巨大な燔祭の羊であった。その犠牲の偉大さを現在において具現するのがイスラエル国家である。そのような存在をヨーロッパはあくまで守り抜くべきである。IHRA文書にはそのようには書かれていないが、紙背に透けて見えるのは、なにかそうしたひとを寄せ付けない傲岸なメッセージである。

 そこに私はヨーロッパ中心主義(Eurocentrism)の臭みを嗅ぎ取る。ユダヤ人迫害はヨーロッパで起こった。だがヨーロッパはユダヤ人への償いを自ら行わず、シオニスト勢力が、パレスチナ人の地に、パレスチナの住民を暴力的に押しのけ、追放し、難民に変えることでユダヤ人国家を立ち上げるそのプロセスを起動し、保証した。こうしてホロコーストを償った。だからイスラエル国家は無条件で支持されなければならない。

 繰り返す。

 パレスチナをめぐり世界でいま起こっているのはある巨大な歴史的不正義への巨大な揺れ返しの一端である。それはようやくグローバルな規模での「ニュー・ノーマル」形成をうながしている。21世紀がすでに4分の1を経過しようとしているなかにおいてである。

2024年5月26日記

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