介護保険の崩壊~~形骸化された「介護の社会化」

介護保険の崩壊~~形骸化された「介護の社会化」

                     白崎朝子(介護福祉士・ライター)

 2024年4月10日。花吹雪を見つめながら、遅かった春の到来を感じていた朝。朝日新聞の一面トップ記事に、絶句した。

「介護保険料6500円以上が半数 74自治体調査 6割超が引き上げ」とあり、なんと大阪市の介護保険料は9249円。「厚労省が集計中だが、全国平均はさらに膨らむとみられる」とあった。コロナ禍で食糧の無料配布の列に並ぶ高齢者が増加したと聴く。低年金の高齢者が払える額ではない…と、愕然とした。

■社会保障基礎構造改革と介護保険制度

 1900年代、保育や介護などが行政の措置制度から契約制度へと変わる「社会保障基礎構造改革」が考案され、その改革案の名のもとに介護保険制度が創設された。2008年に取材した元コムスンユニオンの岡部廉さんは、「小泉純一郎が厚労省大臣のとき、24時間介護サービスを提供していたコムスンを全国展開させるため、グッドウィルに買収させた」と話してくれた。介護保険は最初から経済界の食い物になるシステムだったのだ。

 2000年にスタートした介護保険により、介護労働者は派遣労働者同様、新自由主義経済の究極の犠牲者となった。また介護保険の制度下で不利益を被るのは、介護労働者のみならず、保険料や自己負担額が払えない貧困層、劣悪な労働環境や住環境で働く外国人の介護労働者だ。

 「介護の社会化」が謳われ、多くの「フェミニスト」「リベラルな人々」にも期待されていた介護保険だが、いまや高齢・障がい者だけの問題ではなく、子どもが親や祖父母の介護を担うヤングケアラー、育児と介護を同時に担うダブルケア、働きながら介護をするビジネスケアラーなど、多くの人が当事者となる時代になった。「介護の社会化」という言葉は完全に形骸化した。貧困層からも搾り取っている介護保険料は、人員配置基準の規制緩和(要するに人員削減)のため、国とともに介護現場のIT化の実証実験を行っているSONPOケアなどの大企業に流れ、Ⅿ&AによってSONPOケアが巨大化。小規模事業者の倒産の要因になっている。また人手不足のため、ヘルパーが派遣してもらえず、介護保険は「介護の家族化」に変容した。

 ■訪問介護事業者への弾圧

  2024年1月22日、2024年度の介護報酬改定案が発表されたが、わずか+1.59%のプラス改定だった。訪問介護(ホームヘルパー…以下、ヘルパー)だけが基本報酬が下がり、その引き下げ率は過去最大だった。

私は介護保険が始まる前の1987年(25歳)から足掛け35年、介護現場に身を置いてきた。そのうちの15年以上は訪問介護のヘルパーだった。利用者の地域生活を支えるヘルパーだが、2000年に介護保険がスタートしてから、改悪に次ぐ改悪で、訪問介護は利用者と話もできない短時間労働、かつ移動や待機時間のロスが多い苛酷な低賃金労働になっていった。

2004年頃、私は時給が1700円(交通費込み)の事業所で働こうとした。だが利用者宅までの交通費を引き、移動時間+労働時間で割ると時給は340円。わずか1時間の仕事のために往復2時間もかかる訪問先だったからだ。悪天候でも、けして休めず責任は重い。だが利用者の入院等で仕事がいきなり無くなっても、補償はなく収入は不安定…。私はヘルパーを諦め、施設職員を選ばざるを得なかった。

 施設もけして楽ではない。だが、訪問介護ヘルパーの労働環境は苛酷を極めている。台風や雪の日に自転車や徒歩で転倒、骨折するヘルパーが多い。私の場合は悪天候でなくても、過労から何度も自転車事故を起こし、その後遺症が両脚に残っている。2023年の酷暑では、「心臓が止まるかと思った」という声や、酷暑のときの過労が年末まで響き入院したヘルパーもいた。

 男性が増加傾向にある施設職員とは違い、ヘルパーは圧倒的に高齢の女性が多い。80代のヘルパーが尿漏れパッドをしながら、自分より年下の利用者の生活を支えている例もある。60代は先輩ヘルパーから「まだ若い」と言われる。

 密室での仕事のため、利用者本人や利用者家族からのセクシャルハラスメント、カスタマーハラスメントが一番多いのも訪問介護で、認知症のない元警察官の利用者によるレイプ未遂など、深刻なハラスメントが後を絶たない。

■介護現場のコロナ感染率は医師の4倍、看護師の2倍 

  コロナ禍、施設の介護職員はワクチンの職域接種の対象になった。だが訪問介護ヘルパーは職域接種の対象にならず、「高齢者枠」で接種したと話す友人もいた。マスクが薬局から消えたとき、利用者になけなしマスクをあげたヘルパーもいる。「コロナ感染した介護現場の職員(デイサービスの送迎担当者や調理担当者も含む)は、医師の4倍、看護師の2倍」という調査内容が国会において倉林明子議員から紹介された。

 またコロナ禍では、「利用者さんに感染させたら怖い」という理由や、自らも高齢で重症化リスクがあるため、高齢のヘルパーは次々に離職していった。そのためか2022年のホームヘルパーの有効求人倍は15.53倍になった(施設職員の3~4倍)。

 ハローワーク品川(東京都品川区・港区管轄)に限れば、介護職全般の有効求人倍率は48倍(朝日新聞2021年10月22日)という恐るべき数字を叩き出している。それでも介護職員らによる財務省交渉の際、財務省の職員は、「コロナ禍で失業者がたくさん出てますから、介護に人はきますよ。初任者研修に予算をつけましたから」と言った。「派遣切り」のときと同じく、教育産業が儲かる失業対策事業を繰り返し、現場の仲間たちの怒りを買った。そして1年経ても現場に新しい職員はこず、2022年には離職者が入職者より6万3千人も上回り、就労者が前年より1.6%減少。初めての離職超過となった。「2025年には介護職員が32万人不足する」とコロナ禍になる前から言われているが、有効な対策は取られていない。

 訪問介護ヘルパーの37%が60歳以上という統計もあり、ヘルパーの後継者がいないという事業所も多数ある。国も「このままではサービス提供体制が確保できないおそれがある」と認めてはいるが、訪問介護事業所の「黒字幅」が他のサービスと比べて大きいとの理由から、今回基本報酬を引き下げた。根拠になった事業所調査の回答率は42%。良心的な小規模事業所ほど、常に赤字で調査に回答する時間すらない。

 前年対比で収入(売上)は大きく変わっておらず、ヘルパー不足の影響による人件費減少による利益の押し上げが要因と分析されており、経営が安定している訳ではない。そもそもが訪問介護の報酬があまりにも低く、時間も20分等の細切れのため、利用者を1ヶ所に集め、同系列の訪問介護事業所からヘルパーを派遣する集合住宅併設の訪問介護事業所が増加し、そこが辛うじて「黒字」になっているに過ぎない。

 訪問介護の報酬引き下げに際し、野党が厚労省に要求。利益率の分布状況を集計したところ、2022年度において、訪問介護事業所の36.7%が赤字であることが分かった(共同通信・3月11日)。また2024年1月25日のNHKによれば、2023年の訪問介護事業者の倒産件数は全国で67件。前年の50件から34%増加。2019年の58件を上回り、過去最多だった。原因は大手事業者との競合、ヘルパー不足による「売り上げ不振」で、ヘルパーの高齢化や燃料費高騰も影響している。また廃業、解散した介護事業者は510件でこれも過去最多を更新した(東京商工リサーチ調べ)。

 今回の報酬引き下げで大企業の事業所が「利益にならない」「処遇困難」と見捨てた利用者を支える小規模訪問介護事業所がさらに潰れるだろう。友人が勤務する小規模の事業所では、毎月赤字になるという試算がでているという。国は「介護の市場化」を推進してきた大企業のみを潤し、小規模事業所が潰れるような制度改悪を続け、利用者の地域生活は崩壊していった。今回もまた介護難民・介護離職が増大し、切羽詰まった家族による虐待や介護殺人などが増加するのではないか…。

■介護職員はBC戦犯か? 

  私は2009年に出版した拙著に、介護職員の置かれている状況を「まるで強制連行された朝鮮人のBC戦犯のようだ」と書いた。戦争という究極の構造的暴力下で捕虜を虐待した兵士と、苛酷な労働を強いられるなかで利用者を虐待してしまう介護職員の姿が重なるからだ。そして地獄のようなクラスターを乗り越え、耐え忍んでも、介護現場はほとんど顧みられず、労われることもなかった。コロナ禍の介護職員は食糧の補給もない最前線の兵士のようだった。

 5類になってからも、友人や私の家族が勤務する介護施設では、過去最大のクラスターが起きている。それでも私のかけがえのない仲間たちは、いま、この瞬間も利用者の生存のためにたたかい、ともに生きている。

【参考文献】

『介護労働を生きる』白崎朝子著 現代書館 

『Passion ケアという「しごと」』白崎朝子著 現代書館

「明けない夜はない~クラスターが発生した社会福祉法人あそか会 北砂ホームの『たたかい』の記録」 白崎朝子著  季刊・福祉労働 第168号 2020年9月25日

「介護職員らはいのちによりそっている」 白崎朝子著 論座アーカイブ 2021年7月1日 

   
 

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