アジアに傲岸、米国に追従の安倍晋三元首相――マッチ擦るつかのま海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや

アジアに傲岸、米国に追従の安倍晋三元首相――マッチ擦るつかのま海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや

内田雅敏

■はじめに
反社会的団体旧統一教会絡みで銃撃を受け、殺された安倍晋三元首相が国葬に付されるという。在任中に地球儀を俯瞰する外交を展開した世界的なリーダーだという。確かに8年に亘長期韓御在任中にあちこち飛び回った事実はある。しかし、北方諸島問題、拉致問題にしろ、何らかの成果があったとはとても思えない。プーチンやトランプに「シンゾウはいい奴だ」と言われ、いいようにあしらわれ、武器の爆買いをしただけではないか。
プーチンに「ウラジミール、君と僕とは同じ未来を見ている。ゴールまで、ウラジーミル、二人の力で、駆けて、駆け、駆け抜けようではありませんか」などとお愛想を述べていた不明を恥じなければならない。
 森友・加計・桜を見る会、安倍元首相を巡る疑惑は、何一つ明らかにはなっていない。そして、今回の銃撃殺事件があぶりだした霊感商法の反社会的団体旧統一教会との岸信介・安倍晋太郎・晋三の3代に亘る深い関係。「国葬」によって、これらを疑惑を洗い流してしまってはいけない。

■アジア安全保障会議での発言
安倍晋三元首相が俯瞰したという地球儀には隣国韓国、中国は入っていない。
いま改めて、彼の発言等を振り返ってみると、アジアには傲岸、米国には追従という二重人格性を見る。

「新しい日本人は、どんな日本人か。昔ながらの良さを、ひとつとして失わない、日本人です。貧困を憎み、勤労の喜びに普遍的価値があると信じる日本人は、アジアがまだ貧しさの代名詞であるかのように言われていたころから、自分たちにできたことが、アジアの、ほかの国々で、同じようにできないはずはないと信じ、経済の建設に孜々として協力を続けました。新しい日本人は、こうした、無私・無欲の貢献をおのがじし喜びとする点で、父、祖父たちと、なんら変わるところはないのです」。

2014年5月シンガポールで開催されたアジア安全保障会議(シャングリラ・ダイアローグ)での安倍晋三首相(当時)の基調講演の一節だ。
一体どこの国の話しか。近隣アジア諸国はこの基調講演をどう受け止めたか。想像力の欠如だ。
「《日本人にできたことが、お前たちにもできないはずがない》だと、一体何様のつもりだ。余計なお世話だ」と反発したであろう。
この基調講演には、以下のようなくだりもあった。

国際社会の平和、安定に、多くを負う国ならばこそ、日本は、もっと積極的に世界の平和に力を尽くしたい、“積極的平和主義”のバナーを掲げたい…自由と人権を愛し、法と秩序を重んじて、戦争を憎み、ひたぶるに、ただひたぶるに平和を追求する一本の道を日本は一度としてぶれることなく、何世代にもわたって歩んできました。これからの幾世代、変わらず歩んでいきます。この点、本日はお集まりのすべての皆さまに一点、曇りもなくご理解願いたい。

このくだりは

日本の独立と日本を取り巻くアジアの平和を守っていくためには悲しいことですが、外国との戦いも何度か起こったのです。明治時代には「日清戦争」、「日露戦争」、大正時代には「第1次世界大戦」、昭和になっては「満州事変」、「支那事変」そして「大東亜戦争(第2次世界大戦)」が起こりました。 戦争は本当に悲しい出来事ですが、日本の独立をしっかりと守り、平和な国として、まわりのアジアの国々と共に栄えていくためには、戦わなければならなかったのです(靖國神社発行「やすくに大百科」)。

と述べる靖國神社の歴史認識と完全に重なる。「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることにないやうにすることを決意し」(憲法前文)、およびこれを受けた歴代の日本政府の公式見解にも反する。もちろん世界でも通用しない。もしドイツの首相が、欧州議会に於いて、このような演説をしたら、戦後、欧州に於いてドイツという国の存在は認められたであろうか。

■「昭和殉難者法務死慰霊碑」前での法要に安倍首相がメッセージ
アジア安全保障会議の直前の同年4月29日、安倍首相は、高野山奥の院にある「昭和殉難者法務死慰霊碑」前で行われた法要に自民党総裁安倍晋三の名で、「今日の平和と繁栄のため、自らの魂を賭して祖国の礎となられた昭和殉職者の御霊に謹んで哀悼の誠を捧げ」、「今後とも恒久平和を願い、人類共生の未来を切り開いていくことをお誓い申し上げる」としたメッセージを送った。
「昭和殉難者」とは、前記「やすくに大百科」では、「大東亜戦争が終わった時、戦争の責任を一身に背負って自ら命をたった方々もいます、さらに戦後、日本と戦った連合軍(アメリカ、イギリス、オランダ、中国など)の形ばかりの裁判によって一方的に「戦争犯罪人」とせられ、むざんにも生命(いのち)をたたれた千数十人の方々、・・・靖國神社ではこれらの方々を「昭和殉難者」とお呼びしていますが、すべて神さまとしてお祀りされています。」
と解説している。
「昭和殉難者法務死慰霊碑」は、「法務死者」の慰霊、顕彰、名誉回復のために、関係者らによって1994年建立された。碑文には
「第二次世界大戦終結後、連合軍によって行われた戦争裁判は、勝者連合軍が礼無く、敗者日本を裁く、歴史上 世界に例を見ない過酷で報復的裁判であった。 ましてや故なく戦争犯罪人として処刑された将兵は、戦闘下における帝國軍人として職務上の責任又は受命行為を犯罪として処刑されている」等々と刻まれ、霊標には、靖国神社に合祀されている東条英機元首相らA級戦犯14人及びB・C級戦犯として処刑されたり、収容所内で病死や自殺をしたりした計約1180人の名前が刻まれている。
碑前での法要は、毎年4月29日の「昭和の日」(昭和天皇の誕生日)に行われているようだ。
このような法要に、自民党総裁名義であったとしても、現職の首相が前記のようなメッセージを寄せることは、戦争裁判の結果を受け入れるとしたサンフランシスコ講和条約第11条違反だ。

■米国議会での演説
アジア安全保障会議の翌2015年5月、安倍首相は米国議会で演説し、以下のように述べた。

先刻私は、第2次大戦メモリアルを訪れました。神殿を思わせる、静謐(せいひつ)な場所でした。耳朶(じだ)を打つのは、噴水の、水の砕ける音ばかり。一角にフリーダム・ウォールというものがあって、壁面には金色の、4000個を超す星が埋め込まれている。その星一つ、ひとつが、斃(たお)れた兵士100人分の命を表すと聞いたとき、私を戦慄が襲いました。
金色(こんじき)の星は、自由を守った代償として、誇りのシンボルに違いありません。しかしそこには、さもなければ幸福な人生を送っただろうアメリカの若者の、痛み、悲しみが宿っている。家族への愛も。真珠湾、バターン・コレヒドール、珊瑚海……、メモリアルに刻まれた戦場の名が心をよぎり、私はアメリカの若者の、失われた夢、未来を思いました。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。
私は深い悔悟を胸に、しばしその場に立って、黙とうをささげました。親愛なる、友人の皆さん、日本国と、日本国民を代表し、先の戦争に斃れた米国の人々の魂に、深い一礼をささげます。とこしえの、哀悼をささげます。

 シンガポールでの演説と比べてみるとき、この落差が私には恥ずかしい。「昭和殉難者法務死慰霊碑」前での法要へのメッセージと比べるともっと恥ずかしい。

翌2016年12月、真珠湾を訪問した安倍首相は、米国の寛容さを、和解の力を称え、日米同盟は「希望の同盟」と興奮気味に語った。米軍基地の重圧に呻吟する沖縄県民を思うとき。「真珠湾の和解」は「希望の同盟」ほど遠い。
安倍首相は、アンブローズ・ビアスの詩「勇者は勇者を敬う」を引用し、米軍が真珠湾攻撃で壮烈な戦死をした日本軍の飛行兵の記念碑建立していることに触れた。
戦争をあたかもラグビーの「ノーサイド」精神と勘違いしているかのような演説を聞くとき、米国議会での演説「私はアメリカの若者の、失われた夢、未来を思いました。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。私は深い悔悟を胸に、」が空疎に聞こえてくる。「言葉は形容詞から朽ちる」(開高健)。

■靖國神社が国家機関?
そして、安倍首相の以下のような文章を見るとき、恥ずかしさだけでなく怒りを覚える。

乃木神社や東郷神社という軍神を祀っている神社がありますけれども、(靖國神社は)そことは違って本当に一兵卒あるいは国のために命を捧げた多くの一般の名もなき人々すべてが「亡くなったら神様になる」という極めて素朴な信仰によって祀られています(2018年12月13日発行の『別冊正論』33号 「政治家安倍晋三として靖国神社を考える」)。

餓死した兵士も神様になるというのか。
遺族が靖国を参拝する理由として、以下の様にも語っている。

一つは靖國神社に行くと、もしかしたら魂と触れ合えるかもしれないということだと思うんです。(中略)もう一つは、靖国神社に行くことによって、自分の夫や息子は国のために戦って、この国の繁栄のために命を落としたからこうして祀ってもらっているということを実感する、国から名誉を与えられている、国民から名誉を与えられているということを実感する。これも大きい。

何が「大きい」のか。《命(ぬち)どぅ宝》だ。安倍晋三元首相の頭の中には、戦後、新憲法下で否定されたはずの「名誉の戦死」が住みついている。
「こうして祀ってもらっている」、「国から名誉を与えられている」。彼は、戦前の、国家神道下、陸・海軍省が所管する別格官幣社としての国家機関靖國神社と、戦後新憲法下「信教の自由」の保障の基にかろうじて解体を免れ、一宗教法人として生き延びることのできた靖國神社との区別もついていない。
安部首相は、前記論稿で「国が成り立っていくためには、時には危険を冒しても、あるいは命を落としても守ろうとする人がなければ国は成り立っていきません」とも述べている。
安倍晋三著『美しい国へ』(2006年文春新書 、のち『新しい国へ』と改題)でも、

国のために死ぬことを宿命づけられた特攻隊の若者たちは、敵艦にむかって何を思い、なんといって、散っていったのだろうか。・・・今日の豊かな日本は、彼らがささげた尊い命のうえに成り立っている。だが、戦後生まれのわたしたちは、彼らにどうむきあってきただろうか。国家のためにすすんで身を投じた人たちにたいし、尊崇の念をあらわしてきただろうか。たしかに自分のいのちは大切なものである。しかし、ときにはそれをなげうっても守るべき価値が存在するのだ、ということを考えたことがあるだろうか。……

などと述べている。
私的な世界で親が子を守るために大切な命を投げ出すようなことはあるかもしれない。しかし、公的な世界で政治家が国民に向って言うべき言葉ではない。
それが77年前、アジアで2000万人以上、日本で310万人の死者をもたらしたあの戦争の反省であったはずだ。

■おわりに 寺山修司の悲しみといかり
「私は親族にいわゆる遺族がいないものですから」(前記『別冊正論』33号)という安倍首相には、戦死した父、生活のために「進駐軍」兵士の「オンリーさん」となり、米軍基地を転々とした母と離れ、祖父母と暮らした寺山修司の詠んだ「マッチ擦るつかのま海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや」の哀しみ、怒りは理解できない。寺山修司の母を戦後日本、とりわけ米軍基地の重圧に呻吟する沖縄に重ねてみる想像力は皆無だ。

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