残日<読書>録②「統一教会」と自民党・天皇主義右翼の奇妙なる関係

残日<読書>録②「統一教会」と自民党・天皇主義右翼の奇妙なる関係

――中野昌弘「統一教会・自民党関係史」、櫻井義秀・中野尋子『統一教会』、櫻井義秀「戦後日本における二つの宗教右派運動」、塚田穂高『宗教と政治の転轍点』を読む

天野恵一

2022年7月8日11時半頃、奈良市で参院選の街頭演説中だった自民党の安倍晋三元首相が、山上徹也という男に手製の銃で撃たれ死亡。動機は政治的なものではなく「宗教的なもの」と最初は報道されたが、どういう宗教がらみの話で、何故、という点はふせられていた。少しあって、「統一教会」に入信した母親の多額の献金で家庭が崩壊し、人生をメチャクチャにされた息子の怒りが動機、と具体化された報道が大々的に流されだした。

最初のトーンは、安倍と「教会」の関係は「思い込み」あるいは「逆恨み」といった、まったく不正確な政治操作的なマスコミ報道が主流であったが、すぐ隠しきれなくなり、両者の根深い関係が明らかにされざるを得ない状況が現出し、祖父 岸信介・父 安倍晋太郎と晋三本人の三代にわたる暗黒の歴史に光が当てられはじめた。そして、それは安倍<派>一族だけの問題などではなく、戦後自民党全体に広がり、今日にまでつながる深くて暗い政治的闇(タブー)であった事実が、視ようとする人間にはよく視える状況がうみだされてきたのである。

岸田政権の安倍「国葬」などという愚かの極みの政治儀礼の、日々高まる反対論を押し切っての強行も。「安倍元首相は死んでいますから、調査できません」という、あきれた調査拒否も。真実の隠蔽のための必死の政治であるにすぎない。それ自体が、深い関係にあることの自白以外の何者でもない。

ここでは、「統一教会」(政治団体としては「勝共連合」)と自民党の関係史を調べたジャーナリストの仕事ではなく、研究論文や研究著作を、銃撃に突き動かされて読んできた流れにそくして紹介していきたい。

まず入口で、とっても役に立ったのは、社会思想史学者 中野昌宏の「統一教会・自民党関係史――その外在的・内在的なつながり」(『世界』2022年9月号)である。彼は世耕弘成 経済産業大臣(当時)を統一教会関係者だと2度ツイートした件で名誉棄損と訴えられ係争中で、裁判のためにも両者の関係を調べていた人物として、まずそこで自己紹介している。こう語っている。

「この裁判の中で、私は、私が知り得ている統一教会と自民党の関係史をできるだけ『反訴状』に詰め込んだ。これを書く際に驚いたが、こうしたテーマについてはジャーナリストによる記事はある程度あっても、系統立ててまとめられた学術論文は皆無であった。決定版とも言える櫻井義秀・中野尋子の600ページに近い大著『統一教会――日本宣教の戦略と「韓日祝福」』(北海道大学出版)ですら、「『統一教会の政治・文化的ロビイ活動』については、『情報を入手しても十分な裏づけが取れないために』『論述を割愛せざるを得なかった』としている(561~562頁)」。

韓国での統一教会のスタートは1954年、自民党は1955年結成、そこで著者は、両者の関係史を年表を作り、重要人物名をあげ、団体・プロジェクトを細かく明示してみせている。そこに具体的に関係を持った人物として示されているのは、岸・安倍親子以外では、戦後右翼の大物 笹川良一と児玉誉士夫であり、自民党の政治家としては 福田糾夫(元首相)、自民党の金庫番といわれた 金丸信、中曽根康弘(元首相)、山崎拓、額賀福志郎、中曽根弘文、笹川(たかし)、下田博文、中川秀直、衛藤晟一、山田宏、等々である。

こうした党の大物の名前を集めてみただけでも、自民党そのものがズブズブの関係であったことは明白である。この論文は、こう結ばれている。

「さらに有田芳生によれば、2009年の『新世』事件以来、警察の捜査が『政治の力』によって抑制されてきたという(2022年7月、テレビ朝日『モーニングショー』での発言)。国家公安委員会の人選も、教団に有利なものとなっている可能性が高い。さらに、2021年の安倍元首相のビデオメッセージの件はマスメディアは報道しなかった。つまりこの意味でもやはり、この国の政府やマスメディアは、統一教会を手厚く庇護してきたということである。/もしこれらの不正がなければ、今回の事件も起こらなかったはずである。本邦政治の正常化のためには、事態の徹底的解明と癒着の解消、および責任追及が不可欠であろう」。

私は、この論文が「決定版とも言える」「大著」として紹介している、櫻井・中西の共著『統一教会』(2010年)をすぐ読んでみた。どうしてもキチンと確認しておきたい、気にかかる事があったからである。中野はこの「統一教会・自民党関係史」の中で、「自民党、日本会議、統一教会は、政治思想においてはほとんど合致している」ことを力説し、その「家族主義」「反共主義」「家父長主義」の共通性に力点をおいて、こんなふうに論じている。「当事者個々人の自己決定ではなく、家父長(真のお父様)が一方的に決定する相手と結婚するのが合同結婚式である。文鮮明を頂点とする『家族』システムは、実は天皇を頂点とする『国体』(「天皇の赤子」云々)と並行関係にある。笹川良一の言う『世界は一家、人類は兄弟』なるスローガンは、岸信介と文鮮明をつなぐリングでもあるのである。この文脈においてこそ、女系天皇問題のみならず、選択的夫婦別姓、同性婚の問題等は捉えられなければならない」。

「日本会議」と「統一教会」については、出自(神道系/キリスト教系宗教)と最終目標(天皇中心の日本/文鮮明中心の世界)は異なるが、国策の基本方針と具体的政策は基本的に同じであることが、ここで力説されている。

私は、こうした主張を、一般論として理解しうるが、基本的な点で同意できなかった。出自と最終目標の違いは決定的なものだと思うからである。私は自民党や「日本会議」の主張は、それなりによく知っている。しかし十分な知識のない統一教会の方の日々実践されている教義をキチンと確かめたいと思ったのだ。

この周到な大作である『統一教会』は、2010年に刊行された著作だ。この団体の教義、活動内容を具体的かつ緻密に、そして「顕示的布教から正体を隠した勧誘へ」という歴史的変化を確認しながら調べ上げた(元信者らへの大量な聞き取りの)成果である。中西尋子の方は、国内では不可能な、韓国にいる日本人妻たち中心の現役信者の聞き取りが実行されている。

「はじめに」で櫻井は、「世界基督教統一神霊協会」の「特徴」について、以下のごとく整理しながら、それを「研究する意義」を力説している。

「誤解を恐れずに言えば、戦後の外来宗教の中で統一教会ほど日本社会に深く刺さり込んだ新宗教はない。社会的評価があまりにも低いために社会的影響力が軽視されがちだが、政治家との強い関係や経済組織をもつこと、数十万の日本人を活動に巻き込み、現在も数万人もの篤実な日本人信者を獲得したことなどは特筆に値する。統一教会をキリスト教と捉えれば、他のどの国のミッションよりも教勢を拡大している。しかも韓流ブームなどが起きるはるか前に日本に入った韓国系宗教である。在日韓国・朝鮮人の人権、社会権の確立が長らく政策課題となるような社会において、どのようにして宣教に成功したのか。これは大きな宗教的・社会学的問いになるだろう。/しかしながら、従来この問題を直接問うた研究はなかった。なぜなら、統一教会の布教・教化方法は、かつては洗脳、現在はマインド・コントロールと捉えられ、通常ならざる方法をとって信者を集めていると考えられたからだ。確かに統一教会の勧誘手法は、摂理(教祖の鄭明析は統一教会に2年ほど所属)を除き、他のキリスト教の新宗教のどの教団でも採用されていない特異な方法である。しかし、統一教会宣教方法をより一般的な教団戦略、あるいは外来の土着化の方法と捉えることで見えてくる事柄がある」。

こうした「①宣教に成功した外来宗教」という項目の次に、「②マインド・コントロール疑惑」でこの教団の「青年信者の一定数」の自分の時間や資産全てを教団に提供するすさまじい「献身」をうみだす「教化システム=献金集金システム」のものすごさが語られ、次に「➂教団内婚制をとる巨大教団」という整理が加えられる。

「統一教会に献身したものは祝福を受けることになる。教祖 文鮮明が自身のインスピレーションに従って信者同士を結婚させる。教団外の人とは性関係はもちろんのこと、結婚を禁止し、教祖が信者同士をマッチングさせる」。こんな特殊に「閉鎖的コミュニティ」である教団は、そして「合同結婚式で家族を持った日本人の信者数は1万組を優に超える」、こんな教団は「世界広しといえども統一教会だけだろう」。

最後の「➃宗教調査が難しい新宗教」で、自分たちの研究を除いて「統一教会」に関する研究が「皆無に近い」のは「統一教会が極めて社会問題性の強い教団であり研究者として教団と適切な距離がとれないこと、教団からの研究者に対する強いコントロールも予想されるということもあり、学術的な調査研究は最初から諦められてきた」。ところが「著者の櫻井は脱会した元信者からの資料と証言を集め、中西は韓国で祝福家庭を営む現役信者から証言を得ることができた」とここでレポートされている。

そこでは本著のみが持つユニークな研究者の性格が正確に語られている。

私の、このとてつもない唯一の大作への主要な関心は、この教団の反天皇制・反日本ナショナリズム的性格の具体的な分析の部分であった。

統一教会の独自の用語「役事」、この「天使の助けを借りて体内から悪霊を追い出すという意味で一般的に使われている」言葉の説明のくだりで、こう語られている。

「信者が記憶している金孝南の典型的な語り口は次のようなものだ。『日本人は、かつて韓国を侵略し、植民地支配した。従軍慰安婦や強制連行で、韓国の人々、特に女性達にたくさんの苦しみを与えた。その従軍慰安婦や強制連行された女性の霊が日本人女性に乗り移っている。だから日本にいる悪霊は、他の国の悪霊より恐ろしい』『日本は霊的にと恐ろしい状況にある。本来であれば、日本は悪霊のせいで滅びている運命にある。それが現在まで生き延びているのは、お父様(文鮮明)が必死になって霊界で戦っておられるからだ』。これは金孝南に限らず、韓国から日本の統一教会の教区(あるいはブロック)に派遣されている教区長もまた同じようなことを日本人の信者に対して語る。日本の統一教会が韓国に貢献しなければならないこと、統一教会は財政支援を堕落したエバ国の使命として完遂しなければならないと再三再四述べるのである」。

この実践的教義の下の「統一教会」、政治団体としては1968年に日本にも結成された「勝共連合」と、日本の天皇主義者である自民党あるいは天皇主義右翼グループ(日本の侵略戦争や植民地支配を批判する主張<歴史認識>に「反日左翼」のレッテルを貼り非難してきた人々)が、どうして、どのようにこのグループと共闘できたのかを歴史的に検証すること。このとてつもないインチキの政治的意味をリアルに批判的に分析する必要が、私たちには、ある。

もちろん、反共国家主義・血の共同体(家族共同体)主義イデオロギーの共通性はある。しかし、反天皇主義は決定的な対立点であることは自明であるはずだ。この問題を無視していいわけがない。

櫻井には、この大著では、裏付け不足ゆえに割愛したと語っている統一教会の政治活動(「勝共連合」の活動)については「戦後日本における二つの宗教右派運動――国際勝共連合と日本会議」という論文(『アジアの公共宗教――ポスト社会主義国家の政教関係』<櫻井編・北海道大学出版・2020年>)があることは、中野昌弘が「統一教会・自民党関係史」で紹介してあったので、『統一教会』を読了して、すぐその論文の方にもあたってみた。その論文には、1986年に作られた「勝共連合」の2011年の「東日本大震災でポランティア活動に参加」までの、活動年表も示されている。そこには、「1970年、各地で自主憲法制定国民大会を開催」あるいは「1979年、スパイ防止法制定3000万人署名国民運動」などの、自民党と民間右翼の一体化した改憲運動や、戦争動員立法づくりへの広い参加だけではなく、天皇の即位や在位何十年という天皇を中心に置いた国家儀礼にも右翼団体として参加し続けてきている様がよく読みとれる。どうして、今日まで続くこんな共闘が可能だったのだろう。象徴天皇制のイデオロギーは、内容がスカスカだとはいえ、あまりにもムチャクチャすぎるといえないか。

象徴天皇制と戦後右翼と自民党、そして「勝共連合」の関係史を掘り下げると、何が見えてくるのか。国家のインチキさが丸出しになっている部分に、トコトン光を当てて、私たちは考えてみる必要があるのではないか。

最後に、もう一冊、本を紹介して締めたい。

塚田穂高の『宗教と政治の転轍点――保守合同と政教一致の宗教社会学』(花伝社、2015年)。

私は、この本、実に個々の新宗教グループの主張と活動を詳細に調べ、細かく読み込み、キチンとその活動の歴史を調べ抜き、ハッキリとした方法論で、比較分類した、実によくできた著作。これを読了して、ひどくガッカリした気分におちいった。

新宗教運動(「普遍的救済を唱える近現代の宗教運動」)の、「ナショナリズム=国家意識」という軸、具体的には「自己救済・世界救済と国家の次元」という軸からの分析をテーマとすると語りだされている本書は、「宗教運動による政治活動」を担うグループを、まず大きく2つに区分する。「政治関与」(自民党に外からの協力・プレッシャーを与える方向の)グループと自前の政党を作って「政治参加」するグループである。政治関与グループの中心は「日本会議」(政治家は「神道政治連盟」)。右翼連合ではなく、「保守合同」という言葉が使用されている。神道と天皇主義のイデオロギーで、戦前との連続性がある。ただし、天皇主義ナショナリズムの突出はおさえられ、「保守」で合同しているという整理である。

政治参加――独自のユートピアをかかげている「政教一致」グループ、その代表例はもちろん「創価学会=公明党」である。ここでは他に、「浄霊区術普及会=世界浄霊」、「オウム真理教=真理党」、「アイスター=和豊帯の会=女性党」、「幸福の科学=幸福実現党」が、その教義と選挙活動を軸とした実践について緻密に調べられている。

私がガッカリしたのは、「統一教会--勝共連合」がまったく分析の対象から欠落していたからである。もちろん、まったく言及がないわけではない。塚田はラストの「これからの課題」を論じたところで、こう語っている。

「戦後政治における世界基督教統一教会(統一教会)=国際勝共連合の存在感には、独特のものがある。また、その影響力は現在の自民党・安倍政権に関連しても随所に認められ、山谷えり子、北村経夫をはじめ何人もの議員が取りざたされてきている。霊感商法などの反社会的行為により甚大な宗教的・金銭的被害を国民に与え続けてきた統一教会は、韓国生まれの土着的民衆キリスト教系の新宗教運動である。『再臨主は韓国に現れあらゆる民族は韓国語を使うようになる』として韓国ナショナリズムを中心に据えているが、日本においては『反共』と保守的家族観などの点で、『保守』層との親和性が高くなる。傍観はできない」。

「保守」との親和性のみがクローズアップされているが、著者のいう「保守合同」に収められる団体ではない点(共通性のみでなく決定的な差異)の方が、注目されるべきではないのか。「統一教会=勝共連合」の教義と実践は、著者のいう「政治関与」グループの戦前から連続する天皇主義イデオロギーとは、まったく異なる、というより敵対的であるのだから。

     (2022年12月25日)

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