沖縄選挙運動体験記

沖縄選挙運動体験記

 2022年11月10日
千葉花子

「よかったら沖縄の選挙見にきてよ」何気なく言ったであろう、東京でお世話になっているウチナーンチュの人からのその一言で、選挙期間中の沖縄行きを決めた。でも実は、その前から沖縄の選挙には関心があった。7月の参議院選挙が終わり、相変わらずの投票率の低さや実現しなかった立憲野党の共闘、日本社会の閉塞感などに悶々としていた中で、2018年の沖縄県知事選挙や2019年の沖縄県民投票のことを思い出していた。何となく私の中にある「市民」や「若者」が政治に関わるという沖縄のイメージ。7月から政治団体「ピースアクションネットワーク(PAN)」の事務局を務めることにもなったので、今後、自分自身がどう政治と関わるべきかを考えるという意味でも、沖縄で勉強しようと思った。

私と沖縄の直接の出会いは2019年、恵泉女学園大学の大学院生だった頃に、アジアの8つの大学と2つのNGOが一つの地域に集まり合同で学ぶプログラム、CENA(Civil Society Education Network in Asia)のサマースクールで沖縄を訪れたときであった。2019年のCENAサマースクールのテーマは “Why a State Kills People?” で、アジアから集まった80名を超える参加者と一緒に沖縄/琉球王国の歴史、沖縄戦の歴史、米軍基地の問題を学んだり、各国で行われている/行われた「国家暴力」について議論しあったりした。私にとって「国内」にもある日本の植民地主義の歴史を学ぶ重要な機会だった。

この時、沖縄国際大学で講演をしてくれた徳森りまさんとは、2020年6月にコロナ禍で立ち上げた「梨の木ピースアカデミー(NPA)」(現「新時代アジアピースアカデミー」)で再会し、そのお人柄や経験、社会問題に取り組む姿勢などから、今までたくさんのことを学ばせていただいている。そのりまさんから、冒頭の「よかったら沖縄の選挙見にきてよ」という言葉をかけてもらった。私はすぐに羽田・那覇間の航空券を取り、9月3日から9月13日まで選挙戦中の沖縄に滞在することにした。

台風の影響で9月3日の便が欠航となり、那覇空港には9月5日に到着した。夜21時ごろに空港に着くと、宜野湾市真志喜で「zumzum」という自然野菜を使ったレストランを営み、「宜野湾ちゅら水会」のメンバーである町田直美さんが空港まで迎えに来てくれた。町田さんとはこの時が初対面、沖縄の選挙を見に行くと言うと、宿が必要だろうとりまさんが紹介してくれた。今回の宜野湾市議会議員選挙に立候補した4名(桃原イサオさん、プリティ宮城ちえさん、座間味かずかさん、宮城マサルさん)と宜野湾市長選挙に立候補したナカニシ春雅さんは、同じく「宜野湾ちゅら水会」のメンバーでもある。町田さんは宜野湾市議選に立候補した宮城マサルさんの後援会長を務め、さらにお店zumzumは同じく宜野湾市議選の候補者プリティ宮城ちえさんの「宜野湾ちゅら水会」のメンバーを中心としたサポーターの活動拠点となっていた。私は、昼間はお店を手伝い、夕方からは選挙応援に参加するということで、沖縄滞在中にzumzumにお邪魔することになった。

本土「復帰」50年となった今年、沖縄では県知事選挙と統一地方選挙が同じ日に重なるという県政史上初めてのことが起こった。さらに、私が滞在した宜野湾市では、県知事選挙、宜野湾市長選挙、宜野湾市議会議員選挙の「トリプル選挙」が行われた。県知事選挙の玉城デニー知事の再選も重要であったが、宜野湾市では住民にとって重要な選挙がほかに2つ行われた。

沖縄、私が滞在した宜野湾市では、普天間基地が流しているPFASの汚染問題が近年明らかとなり、住民たちの生活を脅かす深刻な問題となっている。PFASとは、日本では「有機フッ素化合物」といい、化学的に最も結合力の強い炭素-フッ素結合を持つ人工化合物の総称である。環境中で極めて分解されにくいため、「永遠の化学物質(フォーエバーケミカル)」と呼ばれ、人や野生生物の体内で蓄積されやすい、水に溶けやすいなどの性質を持つ。工場からの排水や空港や軍事基地での泡消火剤の使用により、周辺の地下水や水道水が汚染され、汚染された水を飲んだ地域住民に様々な健康被害を及ぼしている。

このPFAS汚染が最も深刻なのが沖縄である。2013年からの調査で、嘉手納基地内と周辺の水道水源の湧水、井戸、河川でPFOS/PFOA(PFASの一種で、生活用品などに最も多く使用されてきた。現在では使用が禁止・制限されている。)の汚染が明らかになった。その後、宜野湾市の湧水も普天間基地からのPFAS汚染水に汚染されていることが分かり、この問題に対応するため「宜野湾ちゅら水会」が設立された。今年8月に行った「宜野湾ちゅら水会」の独自の調査により、普天間第二小学校の土壌から米国が定めた基準値を超えるPFASが検出された。しかし、その後の行政の対応は、地域住民が納得できるものではなかった。

今回の宜野湾市長選、宜野湾市議選では、長年、地域活動や市民運動に携わってきた「宜野湾ちゅら水会」のメンバーが5人立候補することになった。「宜野湾ちゅら水会」のメンバーでもある候補者は、もちろん、PFAS汚染問題を政策の1番に持ってきており、ナカニシ春雅さんのポスターには「宜野湾市に安全な水と安心な空を」と書かれていた。宜野湾市の中心部には世界で最も危険な飛行場と言われる普天間基地があり、空にはオスプレイなどの普天間基地所属の航空機が飛び、そして地面にはPFASの汚染水が流されている。お孫さんや子供たちのことを思い「悔しい」と涙し、行動し続ける町田さんの姿が印象に残った。

約1週間の間、昼間はお店を手伝い、午後は選挙活動の手伝いをした。お店は選挙戦中でも忙しく、町田さんの料理を食べに来る人、町田さんに会いに来る人で溢れかえっていた。営業中は私も慌ただしく動き回りながら、お客さんとの会話や交流も楽しんだ。そしてお店がひと段落すると、「今日は○○さんの応援に行こう」と話し、出掛けるというルーティンだった。重要な選挙が目白押しで応援したい人がたくさんいたので、1日1日がとても貴重だった。私自身は東京では、選挙期間中にはSNSを見たり自分でも少し発信したりするだけで、電話かけも街宣もビラ配りも経験したことがなく今回の沖縄で初めて経験したが、周りを真似しながら、9月10日の23時59分まで私も必死に投票を呼びかけた。

9月11日の投票日当日、私たちはやはりじっとしていられず、棄権防止の呼びかけのために「本日投票日」「家族みんなで投票にいこう」というプラカードを作り、車で宜野湾市中を走った。プラカードを見た人たちからは「行ったよー」とか笑顔で手を振ってくれる人もいて、すごく嬉しかった。夜20時になり、まず那覇市にある教育福祉会館に行って玉城デニーさんの当確を見届けた。その後、再び宜野湾市に戻り、ナカニシ春雅さん→宮城マサルさん→座間味かずかさん→プリティ宮城ちえさんの順番に事務所をまわり(途中で町田さんは桃原イサオさんにも電話を入れていた)、選挙戦を闘い抜いた「宜野湾ちゅら水会」のメンバーを労った。宜野湾市長選の結果は、惜しくもナカニシ春雅さんが、現職の松川正則さんに負けてしまったが、宜野湾市議選では、「宜野湾ちゅら水会」のメンバーは全員当選し、仲間の当選を誰よりも願っていたナカニシ春雅さんの最後の挨拶には胸がジーンとなった。ナカニシ春雅さんは挨拶の中で、今後もPFASの問題についてできることをしていくという風にも語っていた。

今回沖縄では、県知事選挙のほかに24市町村の議会議員選挙と、4市町村の市町村長選挙が同日に行われ、「選挙イヤー」という言葉に相応しい盛り上がりだった。その中で、宜野湾市、名護市、北谷町などでは、これまで地域活動や市民運動に長年携わってきた方々の立候補が見られ、また市民や若者が主体となってSNSなどもうまく活用したイキイキとした選挙活動や選挙応援の様子が印象に残った。9月10日、私が事務局を務める政治団体「ピースアクションネットワーク(PAN)」が7月の参議院議員選挙を振り返るオンラインイベントを行い、各地域から報告を受ける内容であったが、沖縄の登壇者に話してもらった沖縄の選挙の様子から「元気付けられた」という感想が他の地域の参加者から寄せられた。地域のために声を上げ、政治に挑戦する人々、それを応援し支える市民たち。沖縄の選挙を間近で見て、健全な市民社会が持つ重要な意味を学ばせてもらった。

参考

NPO法人ダイオキシン・環境ホルモン対策国民会議(2022年3月)「PFAS(有機フッ素化合物)汚染−環境と人体を蝕む『永遠の化学物質』の規制に向けて」

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