第21回<経済・財政・金融を読む会>活動報告
(2025.7.26)平 忠人
今回の研究会開催の趣旨(白川真澄主催側代表)
2%を超えるインフレが人びとの生活を苦しめているなかで、参院選を通じてすべての野党が食料品の消費税減税を柱にした「減税政策」の主張を競い合い、減税ポピュリズムが吹き荒れました。また、石破政権は物価上昇を上回る賃金の引き上げ、実質賃金の上昇を「骨太の方針」の柱の1つにしようとしていました。
賃上げをめぐっては、生産性の上昇こそが賃金の引き上げの鍵だという言説がまかり通りました。この通説に対して、日本では24年間で生産性が30%上昇したにもかかわらず、実質賃金はまったく上がらなかったという現実を突きつけて反論したのが、今回取り上げる河野龍太郎の「日本経済の死角」です。
この著書では、大企業が膨れ上がる利益を賃上げにも設備投資にも回さず「内部留保」で積み上げる収奪型の経済構造を批判しています。
トランプの高関税政策が、自動車の対米輸出に主導されてきた日本経済を直撃し、その転換が迫られている現在、どのような経済のあり方が求められているのでしょうか?
★テキスト:河野龍太郎「日本経済の死角」(収奪的システムを解き明かす)
2025年 ちくま新書
★報 告 者:千村和司氏
★司 会:長澤淑夫氏
★参 加 者:18名(オンライン)
報告者パワーポイント(抜粋)
(1)ポピュリズム型政党の台頭
①24年10月衆院選・25年6月都議選・25年7月参院選。
②低迷する実質賃金の引き上げが主要な論点。
③日本の経済エリートは、実質賃金を引き上げるために国家レベルでの生産性向上を議論。
④物価高と過去3年の円安インフレで実質賃金が損なわれ、生活困窮が顕在化したことが政策批判を誘発。
⑤高い教育を受けた経済・政治のエリートが推進するグローバリゼーションや移民政策によって、低中所得層が苦しんでいるという物語の受容。
(2)伸びた生産性、低迷する実質賃金
グラフにて解説
(3)日本の実質賃金は横ばい
①1998年~2023年の間に、生産性は累計で30%ほど上昇しているが、実質賃金は横ばいのまま・・
②2021年以降のインフレの影響もあり、1998年対比で2023年の実質賃金は3%程度減少。
③2024年夏頃にようやく実質賃金が下げ止まり、今後は穴埋めのための高い賃上げの継続が必要。
(4)定期昇給が問題を見えにくく
①大企業を中心に、長期雇用制の枠内にいる人は、過去四半世紀の間、ベースアップゼロが継続。
②毎年、2%弱の定期昇給(定昇)が存在するため、属人ベースでは実質賃金は1.7倍程度、膨らんでいる。
③実質賃金の横ばいは、生産性の低い中小企業の話だと受け止める大企業経営者も少なくない。
④現実には、多くの大企業でも、現在の部長職や課長職の実質賃金は、四半世紀前の同じ役職者に比べると、むしろ低下しているのが実態。
(5)非正規雇用の賃金は低水準
①長期雇用制の枠外にいる人も、人手不足で実質賃金が上がっているように見える。
②しかし、元来の賃金水準が極めて低く、経験を積んでも、実質賃金は上がらない。
(6)実質賃金の日米欧比較
グラフにて解説
(7)米国の実質賃金は25%上昇
①米国 1998年~2023年までの間に、時間当たり労働生産性は50%ほど上昇。
②時間当たり実質賃金は、1998年対比で25%程度の上昇。
③スキルの高い人々の実質賃金が大きく増え、一方でスキルの乏しい人々の実質賃金は低迷を続け、所得格差が広がっているという事実が隠されている。
④米国では、イノベーションで生産性が上がっても、一部の人々に恩恵が集中するという、いわば収奪的な動きが政治の不安定につながっている。
(8)欧州でも実質賃金は上昇
①時間当たり生産性 :ドイツ→25%上昇、フランス→20%程度上昇時間当たり実質賃金:ドイツ→20%弱増加、フランス→15%弱増加
●労働者の権利を重視する社会民主主義的な傾向の強いドイツ、フランスでは、生産性が改善すると、実質賃金にも明確に反映される。
(9)日本は収奪的な社会に移行したのか
①衰退する国家と繁栄する国家には、政治経済的な制度に大きな違いがある。
②収奪的制度と包摂的制度(比較表)
(10)単純な米国経済礼賛ではない
●自由競争と技術革新が広く奨励されてきたはずの米国においても、イノベーションの果実である富が一部の人々に集中すると同時に、青天井の企業献金が容認され、金権政治がまかり通るようになっており、収奪的な社会へとシフトしているのではないかという問題が強く意識されている。
(11)営業利益と経常利益の乖離
(売上高経常利益率と売上高営業利益率の各年度に於ける推移表示)
(12)営業外収益の拡大が貢献
(経常利益の要因分解を年度別に表示)
(13)イノベーションとしての非正規雇用
●日本社会は、正社員の長期雇用制を維持するために、正社員の実質賃金を抑え込むとともに、人件費の一部を固定費から変動費に変換するための「ダークイノベーション」として、非正規雇用制を生み出した。
(14)収奪的な雇用制度に政府も関与
①200年代には、高齢化で膨張する社会保障給付の原資を、被用者の社会保険料の引き上げで賄った。
②正規雇用の人件費がさらに割高になり、企業が非正規雇用への依存を強めた。意図せざる政策効果を産み出した。
(15)長期雇用制の制度補完性
①メンバーシップ型を中心とする日本の長期雇用制も、医療制度や公的年金制度などのセーフティーネットをはじめとする税・社会保障制度や就職前の教育制度などの他の社会制度との間に強い制度補完性。
●社会情勢が大きく変化して、家計の直面するリスクが大きく変化したにもかかわらず、それに応じた社会保障制度のアップグレードを政府が怠り、セーフティーネットで包摂されない人が増えている。
(16)バブル崩壊と不良債権問題
①事業会社がバブル期に過剰雇用や過剰設備、過剰債務を抱え、バブル崩壊後に債務を返済するために、コストカットに邁進し、支出を抑制し、膨張していたバランスシートを健全化。
②企業の過剰問題が解消され、不良債権問題が終息した後も、大企業は財政基盤の強化に拘り、賃上げ抑制を含め、支出抑制を続けた。
(17)株主至上主義の弊害
①株主の利益に沿った企業経営を目的としたコーポレートガバナンス改革を推進。
②フリードマン=ジェンセン原則「企業経営者の使命は株主の最大化」
●株主の短期利益追求に応える経営。
(18)新自由主義の受容
①先進各国で経済成長が下方屈折。
②グローバリゼーションの進展で、資本主義が国家(国境)という制約を超える。
③国家の社会的包摂のためのコスト負担を企業が忌避する。
④国家は巨大な財政赤字により社会包摂を維持。
●金融化、コストカットで成長率の維持をめざすイノベーションとして機能。
●先進国の中間層への分配を抑制することで、利益率の回復をめざす。
(19)新自由主義の影響
①ITデジタル技術の発展で、サプライチェーンの細分化と生産工程の海外移転が可能になり、収益性の高い大企業・製造業の事業所が国内から消え去ったが、それを穴埋めし、高い賃金を支払う仕事が国内では生み出されなかった。
●労働市場の二極化構造をもたらし、十分なセーフティーネット(安全網)を持たない非正規雇用を増大させ、日本の長期停滞をより強固にした。
(20)グローバルインフレーション
①2020年 パンデミック危機
2021年 グローバルインフレーション
②ゼロインフレが続いていた日本でも3~4%まで物価上昇が高まった。
③円安インフレの継続で、物価高による生活困難が顕在化。
(21)円安インフレ長期化の原因
①日本では景気拡大局面に正社員が残業することで、業務拡大に対応する柔軟な労働供給の調整が隠れた強み。
②需要が急回復する中で「働き方改革」により残業時間の増加でサービスの追加的な供給ができなくなり、企業は価格引き上げで対応。
(22)完璧な成長戦略は存在しない
①「経済成長を促すメカニズムはまだよく分かっていない。とりわけ(先進国のような)富裕国で再び成長率が上向きになるのか、どうすれば上向くのか、ということは、はっきりいって謎である」(アビジット・バナジー「世界最高峰の経済教室」)
(23)イノベーションは成長を高めるか
①イノベーションには収奪的なものと包摂的なものの二つのタイプがある。
②イノベーションは、本来収奪的であって、それを社会が飼いならす必要がある。
③イノベーションの方向性は社会のビジョンが決める。
④複数の均衡が社会に存在し、市場メカニズムによって均衡が一意に決まるわけではない。
⑤初期条件や偶然の出来事が重要な役割を果たしていて、その後の進展に大きく影響するという「経済依存性」が相当に大きい。
⑥現実の経済を分析する際に、歴史や制度が極めて重要。
<参加者から出された主な意見・交わされた議論内容>
(1)日本の労働生産性に関して
①生産性が向上しても賃金は上がらない。
②生産性算出の分母に加算される労働投入数が日本は下がっているが・・
③労働生産性=賃金なのか?
④本書は物価との関係には触れていないが・・
⑤労働分配率が低い、対象外なのか?
⑥物価上昇率と賃上げ率は5%が目安?物価上昇率を超す賃上げは?
(2)物価高対策給付金と減税に関して
①物価の安定と上がる原因は?
●コスト上昇分を値上げに反映・・
●物価はデフレでは上がらない・・
●現在は「便乗値上げ」かも・・
(3)本書の構成は「成長経済」が根底に伺える
①トリクルダウンの世界が潜むが・・
②日本国内から海外で儲ける・
●日本の海外投資=海外で利益を上げる。
●海外で儲ける日本企業≠貿易収支は赤字。
(4)日本と世界の経済成長
①イノベーションとしての非正規雇用
●「ダークイノベーション」としての非正規雇用制について・・
(5)ケア従事者に関する問いかけ
①金銭を媒介としない助け合い。
②介護・医療等は労働力不足でも賃金を上げないのは?
③一般は5%賃上げ、初任給30万円・・しかし、ホームヘルパーは下げられた!
④本書には、ケア労働者の賃金、不満等の実情(長時間労働)等が逸脱している・・
(6)その他感想意見
①本書は、労働生産性をロジックに構成されている。
②内部留保の課税方法まで掘り下げられたら・・
③貨幣経済の感想。
④労働運動の復活、労働組合の目指すもの・・
⑤大企業と中小企業、正規・非正規と労働組合のあり方・・
<活動報告者所感>
本書32頁「儲かっても溜め込む大企業」1990年代末に130兆円だった利益剰余金は、アベ政策がスタートする直前に330兆円超まで増加していたが、2022年度には550兆円を超え、2023年度は600兆円の大台に乗った・・(以上抜粋)
何故、企業は「内部留保」に拘るのか・・?当時金融業界に携わった小職の所見だが、金融機関が融資(与信業務)に際して、財務分析(格付け)は必須なのだが、なかでも自己資本比率のウエイトは高い。なぜなら、同比率は企業の財務安全性を示す重要な指標の1つで、その数値により企業経営の安全性や健全性を判断できるからだ。
自己資本比率は、総資本(自己資本と負債を合わせた額)に占める自己資本の割合を示す指標で、自己資本は総資本から負債(返済する必要がある資本)を差し引いて算出される。
自己資本比率が高い場合、返済不要な資産の割合が高く、企業の安定性や独立性が期待でき、中長期的な倒産リスクも低いと考えられ、金融機関も積極的に与信業務を推進したのだ。
かたや、賃金(給与手当・賞与・残業・通勤手当・扶養手当・福利厚生等)に対しては、売上高人件費率=人件費/売上高で算出され、事業に対する人件費の負担度合いの把握の対象にすぎず、高い場合は改善を余儀なくされるのだ。
まさに、労働者の生活権を守る賃金(給与)は「企業」の「財務力」優先の「金融システム」=「収奪的システム」を根本的に問いただす「時期」が来たといえないだろうか・・