ナガサワ先生の高校白書39   石巻再訪

ナガサワ先生の高校白書39   石巻再訪

   

  2016年3月以来7年ぶりに宮城県石巻市を訪ねた(23年11月19-20日)。震災後5年の前回の石巻は、瓦礫の撤去がようやく終わり、漁業関係の施設・設備が出来たぐらいの感じだった。海辺には新しい家などはなく、震災を伝える施設もなかった。ただ多くの工事関係者が働く活気を街中で感じた。今回は一通り復興工事が終わり、街は整い、津波でやられた海岸沿いには防潮堤が完成し、その内側の地域に住宅や、石巻南浜津波復興祈念公園内に「みやぎ東日本大震災津波伝承館」が完成し、周辺の道路、寺とその墓地などが整然と並んでいた。

 その一つ内側、高台下の「石巻市震災遺構門脇(かどのわき)小学校」を見学した。この小学校の生徒・職員は、避難計画にそって、訓練どおりにすぐ裏の高台、日和山公園に移動し、全員無事だった。大きな混乱はなかったとのことだった。震災当日、この小学校の3階や屋上にはその後、海岸地区の住民が避難していたが、火災が起き、学校にも燃え移ったため、教壇などを崖に渡し、高台に移り避難することができたという。この小学校はその時の火災や津波の被害をそのまま残し、震災遺構として保存・公開されている。焼けた教室等は外や廊下から見ることができ、内側の教室では当時の写真や証言ビデオを視聴できるようになっていた。証言ビデオは震災直後の内容や、当時の教員や成長し学生になった当時の生徒の回顧談などバラエティに富んで、見応えがあった。本人は無事だったが、父親が亡くなったことが後から分かったと淡々と話す元生徒の様子に胸を打たれた。体育館には大きな写真や被災し押しつぶされた消防自動車などの展示があった。

 当日、大川小学校(海から約4km、海抜約1.1m)で子どもを亡くした父親で語り部となっている鈴木さん(大川伝承の会)の講演を聞くことができた。地震発生から津波(8.6m)まで51分間もあったにも関わらず、結局、子ども74名(全校児童108名)教員10名が亡くなるか、行方不明になった小学校だ。子ども4名と教員1名は津波によって山に上げられ奇跡的に助かったという。学校管理下で、このような犠牲を出したのは大川小学校だけだ。もっと海に近い小学校も遠くの学校も皆逃げていて、無事だった。一体ここで何があったのかが問われて当然である。

 震災直後、自分の娘の遺体を現場で見つけ掘り出す話から講演は始まり、大川小の関係者からの納得できない説明、核心を突かない第三者委員会の調査報告、それに全く納得出来ずに裁判に至る経過が写真や地図を使いながら説得力を持って語られた。さらに震災の伝承すべき記憶としての大川小の位置、語り部となった自分の活動と今の心境で講演は締めくくられた。ポイントは、一方に事故の真相を明らかにし、原因を突き止め、その後の対策に生かして欲しい遺族保護者と、他方そうした要求を学校や教育委員会、行政への責任追及と思い、全て誤魔化そうとする教育委員会の対立にあると感じた。

 事故直後の聞き取り調査と説明会は全く杜撰で、文科省主導の大川小学校事故検証委員会の報告も肝心の事故原因には触れていないので、23名の遺族は宮城県・石巻市の法的責任を問う裁判を起こした。一審では当日の避難行動の過失を認めたが、危機管理マニュアル等の事前体制の義務違反は問わない判決だった。何と大川小では、2010年2月に市内小中学校宛文書(4月30日までに危機管理マニュアルの作成・改訂)[1]にそった避難計画をまともに作らず、教育委員会もチェックしていなかったことが裁判を通じて明らかになった。教委はたとえ白紙でもマニュアルは提出されれば受理すると裁判で答えていたそうだ。

 地震当日、生徒職員は一旦校庭に出た後、普通に考えれば行くはずの裏山に行かずそのまま待機し、そこで教員間で議論になったのは確定した避難マニュアルがないためである。津波到達直前になんと北上川の方へ歩き出したという。その間、証言によれば裏山に行こうと言った教師や生徒もいた。語り部の鈴木さんは、非常時にパニックになるのは当たり前、だからこそ平時にマニュアルをキチンと作るべきだったのです、と語っていた。高裁判決ではこの点を認め、「平時から油断せず、津波の危険性を検討し、適切な避難場所を定め、訓練をしていれば、あの日15時25分の広報車の放送を待たずとも、地震の早い段階で、安全な場所への避難が可能だった。」と判決し、これを不服とした被告の上告は棄却され、この仙台高裁判決が確定した。

 現在の私の勤務校は洪積台地上の標高30m、海からは直線距離7km弱。津波の心配はたぶんない。が、「備えあれば憂いなし」と肝に銘じ、震災で亡くなった全ての人びとのご冥福を祈ります。

 

参考文献 小さな命の意味を考える会/大川伝承の会/一般社団法人Smart Supply Vision編集『小さな命の意味を考える』(第2集 宮城県石巻市立大川小学校から未来へ)


[1] 宮城県地震被害想定調査に関する報告書(2004年H16年3月)は宮城県沖地震(M8.0)が

2003年から30年以内に99%の確率で発生、津波の高さ最大約10m、浸水面積も各市で3km2と予想し、全ての学校に地域の実情に即したマニュアルの作成、見直しを提言していた。

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