G7にNO!ー軍都広島で見たこと、考えたこと

G7にNO!ー軍都広島で見たこと、考えたこと

京極紀子(G7いらない!首都圏ネットワーク
「G7広島サミットを問う市民のつどい」実行委員会)

 今年、日本は7年ぶりのG7議長国で、5月19日から21日の3日間、広島で首脳会合(サミット)が開催された。

 広島現地では、広島のみなさんを中心に「G7広島サミットを問う市民のつどい」が準備され、実行委員会に首都圏からも何人かが関わり私も参加した。G7は議長国がその1年を仕切る。首脳会合以外にも各地で大臣会合が開かれる。と言うことで政治の中心・東京でも反対の声を上げようと「G7いらない!首都圏ネットワーク」を立ち上げ連携しながら運動を作っている。

 広島での「市民のつどい」は、サミット一週間前の13日〜14日。私は12日から広島へ。広島空港も広島駅も全国から集められた警官だらけだ。まずは市電で平和記念公園へ行ってみた。2〜3分に一度警備の警察官とすれ違う。5月の気持ちの良い季節。外国人も含めた観光客がたくさんいてホッとするが、公園の周りは工事現場のように白いシートで覆われていた。サミット期間、一帯を封鎖し首脳らが見えないように準備しているのだ。サミット一週間前だと言うのに歓迎ムードはほとんどない。警官の多さだけが異様だ。原爆ドーム、原民喜の詩碑、韓国人原爆犠牲者慰霊碑、原爆資料館、そして公園からほど近い本川小学校の平和資料館を見て回った。

 期間中、広島の中心企業・マツダが前後5日間の休業を決め、小中高・大学までも休校になった。野球の試合も無し(マツダはカープのスポンサー!)、空港バスも運休。G7の訪れる平和記念公園や宮島が封鎖され、宮島の住民には赤ちゃんにも通行証が配られた。市民生活は麻痺状態だ。国の威信?をかけた24000人の最大級の警備体制ー広島は厳戒態勢になった。

 7カ国のうち3カ国が核の保有国で、日本も含めて他の国も核の傘の下にある。バイデンは「核のスイッチ」とともに広島にやってきた。しかも降り立ったのは米軍基地だ。自らを「山の頂上(サミット)」と呼ぶ傲慢な人々が集まって「核なき世界」の「平和」を語る茶番のステージ。そもそも10年前には、ロシアも含めて「G8」だったのだ。何というご都合主義かと思う。昨年末、軍事費倍増、安保3文書を改訂し、年明けからサミット外交を展開してきた岸田首相は、議長国としてのリーダーシップを示すべく張り切っていたが、サミット本番にウクライナのゼレンスキーが登場し「戦時下のサミット」を内外に示すことになってしまった。

 「市民のつどい」は昼から。プレ企画として、広島の仲間からかつての軍都廣島と現在の軍事基地の状況をレクチャーしてもらう。講師のおひとり岡原美知子さんは「日本軍『慰安婦』」問題にずっと関わってきた方(5/18毎日新聞広島版に紹介記事が出てました〜)で、もうひとり新田秀樹さんは「ピースリンク広島・呉・岩国」のメンバーで首都圏でもお馴染みの人だ。

 「つどい」本番は被爆者の豊永恵三郎さんの特別報告と8人の方から多彩なテーマでの発言を受けた。どれも中身が濃い。豊永さんは「日本の被爆者は自国のことしか言わないと言われる」と在外被爆者支援に関わってのお話をされた。また広島市立大学広島平和研究所元所長の田中利幸さんは、原爆と天皇の関係について言及した。日米両政府とも原爆を戦争終了の理由としているが、それぞれの思惑による「招爆責任」を隠蔽、とりわけ日本は侵略戦争の責任を無視続けている。両政府はその後の様々な戦争にも深く関わり、対抗する民衆の運動・文化の必要性について田中さんは語った。小倉利丸さんはそもそもサミットはなぜダメなのか?「偽旗作戦」だが侮ってはいけないとG7のプロパガンダを暴いた。その他、高里鈴代さん、渡辺美奈さん、鵜飼哲さん、木元茂夫さん、湯浅一郎さん等、私たちの仲間でもあるみなさんから、沖縄、性暴力とジェンダー、核兵器の「現代化」と原発批判、東アジアの軍事化、気候危機等々をテーマに、深い問題提起を受けた。白川真澄さんは対中国包囲網の要としてG7の経済安保戦略について話された。安保3文書の改訂では、実は経済安保も大きな柱だ。今年の広島「8.6」の講師としてもお話しされる白川さん。このテーマじっくり考えていかねば・・・。

 ロビーにはカナダからやってきた巨大なバナーが掲げられた。ビーハイヴ・デザイン・コレクティヴの仲間の作品。細密画のような画法で動物や昆虫が描かれている。グローバル資本主義、植民地主義、気候危機、環境破壊と対抗するものたちの力強い表現だ。13日の参加者は約200人。

 14日午前はフィールドワーク。私は比治山陸軍墓地〜被服廠跡を回るコース(もう一つは平和記念公園)に参加した。スタートは比治山の「日米共同調査機関 放射線影響研究所(放影研)」。戦後設立されたABCC(原爆障害調査委員会)がのちに改組。米軍兵舎を再利用した建物なのだと言う。ABCCは被爆者の調査を目的として設置された。治療ではない。ここにあった陸軍墓地は近くに移転。墓地の碑には「大東亜戦争」「支那事変」等という言葉がそのまま残っている。1900年「北清事変」で戦死したフランス人軍人7人の墓も。被服廠は昨年ようやく保存が決まった。旧日本軍の施設であり巨大な被爆建物だが、その価値が定まるのにこれだけ時間がかかるのか。旧宇品港の陸軍桟橋跡からは対岸のサミット会場がよく見えた。最後に軍の糧秣支廠缶詰工場で現在の郷土資料館へ。ガイドの多賀さんは教員を退職後、平和ツアーの旅行会社を立ち上げたという。そのツアーにもいつか参加してみたい。準備してくれた広島の仲間に深く感謝。

 午後は、晴天の下、原爆ドーム前での集会とデモ。フィリピンのウォルデン・ベローさんからは、岸田首相が言うのとは全く別のグローバルサウスからのアピールを聞く。高里鈴代さんは「沖縄サミットの時にクリントンは平和の礎に行った。23年経ても沖縄は何も変わらない。米軍基地は強化され南西諸島に自衛隊基地ができた。G7広島も同じだ。」と発言。みなさんの話が胸に響く。原爆ドームからのデモは圧巻で、アーケードの商店街で注目度は抜群だった。デモの最後に全国から集まった仲間たちと原爆ドームの前で記念写真を撮ったよ。参加者約170人。

 サミットで発表された「広島ビジョン」は、核廃絶とは真逆の「核の抑止」ー自らの正当化を宣言した文書であり、首脳宣言も対ロ、対中に向け、軍事・経済の両側面でのG7の結束を図るものになった。被爆地広島の怒りと失望は大きい。民主的な意思決定のプロセスを無視してトップダウンで物事を決める場として利用されてきたのもサミットだ。グローバル資本主義の延命ための先進国同士のボス交政治に何の正当性もない。東京生まれ東京育ちの岸田が語る利用主義的な被爆地広島だけでは本当の広島とは言えない。「市民のつどい」のみなさんは、被爆者、歴史家であり、また日米の軍事基地に反対し、日本軍「慰安婦」問題に取り組む等、広島(日本)の加害、侵略戦争の責任を深く考えて来た。サミット会場の宇品はアジア侵略戦争の出撃拠点となった場所。「つどい」の宣言には、軍都広島の加害の歴史、天皇の戦争責任も盛り込んだ。

 問題を資本の側に都合よく解釈することを許してはならない。戦争・貧困・環境・開発・核・ジェンダー、人権・・・、さまざまな課題が「G7」と繋がっていて、彼らに勝手に決めさせない取り組みが必要なのだ。広島の闘いに連帯し、また年末までの1年間、各地で開催される大臣会合等G7に反対する広島、全国、世界の仲間たちとともに G7いらない!の声をあげていく。

*「G7広島サミットを問う市民のつどい」https://www.jca.apc.org/no-g7-hiroshima/

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