長澤淑夫
教科書では東南アジア地域とモンスーンの関わりを強調する構成となっているが、農業、工業、歴史、宗教、など多彩な内容を盛り込んだ単元となっています。今年の授業では、これらに加え、ざっくり東南アジアを四つの特有な地域に区分して理解する視点を紹介しました。先ずは島嶼部を二つに分ける鶴見良行さんの議論を引用し紹介します(「Ⅷ アジア叛徒列伝」『鶴見良行著作集5 マラッカ』みすず書房、2000年、p.402)。
引用①
島嶼東南アジアには、古くから二つの生産体系があり、両者の相剋、相互影響で歴史発展の型が決まった。水田耕作社会と海洋社会である。前者には、人口稠密化、土地所有の発展、王権の発達、寺院などの巨大建造物が見られ、住民は、数は多いが閉鎖的、定着的である。
海洋社会の生産手段は、漁業、交易、掠奪(海賊)であり、特技は海上での移動だ。生産余剰は低く定着性でもないので、巨大建造物は発展しない。水田耕作社会から借用することはあっても、自主的に中央集権的な王制を発展させることはなかった。・・この土地には、インド、ビルマ、シャム、メコン河流、華南に見られるほどの広大な水田は不可能だった。どちらもがほどほどであり、両生産体系の長所を組み合わせる条件があった土地に自立的で安定した社会が発展した。農業の定着と交易の移動という二つの生産様式である。
つまり島嶼部に二つの相補う水田耕作社会と海洋社会があり、半島部には自立的で広大な水田耕作社会を基礎に国家が成立してきたわけです。この半島部の水田耕作社会と対をなす社会がジェイムズ・C.スコットの言う「ゾミア」です。次にスコット『ゾミア』(みすず書房、2013年)の「はじめに」から引用し、その概要を紹介します。
引用②
「ゾミア」とは、ベトナムの中央高原からインドの北東部にかけて広がり、東南アジア大陸部の五カ国(ベトナム、カンボジア、ラオス、タイ、ビルマ)と中国の四省(雲南、貴州、広西、四川)を含む広大な丘陵地帯を指す新名称である。およそ標高300メートル以上にあるこの地域全体は、面積にして250万平方キロメートルにおよぶ。約一億の少数民族の人々が住み、言語的にも民族的にも目もくらむほど多様である。
引用③
私の主張は単純だが挑発的であり、賛否両論を引き起こすだろう。ゾミアは、国民国家に完全に統合されていない人々がいまだ残存する、世界で最も大きな地域である。このさきゾミアが非国家圏であり続けるのもそう長くはないだろう、しかし一昔前まで人類の大多数は、ゾミアの人々のように国家を持たず、政治的に独立して自治をしていた。・・山地民とは、これまで2000年のあいだ、奴隷、徴兵、徴税、強制労働、伝染病、戦争といった平地での国家建設事業に伴う抑圧から逃れてきた逃亡者、避難民、〔奴隷制から逃れた〕マルーン共同体の人々である。
さらに展開されるスコットの議論によると、彼らの生業は焼畑と狩猟採集であり、その作付けはタロイモなどに加え、16世紀以降は低地権力から容易に隠せるジャガイモ、高地に逃げても作付け可能なトウモロコシなど魅力的な根菜類をくわえていたのです。宗教は意図的に仏教などを拒否し多種多様なアニミズムで口承文化を選んできたという。19世紀に入ってからはキリスト教に改宗したカレン人などがおり、彼らは文字を使用するようになりました。社会組織は富の集中を防ぎ、意図的に国家を生まない機能をそこに埋め込んできたのです。
引用④
国家形成については、過去や現代の事例も含めて、すでに膨大な文献が存在しているものの、国家と対をなすものに目を向けたものは極めて少ない。対をなすものとは、国家形成への反応として意図的に作り出された無国家空間である。国家形成から逃れた人々の歴史抜きに、国家形成を理解することはできない。それゆえ本書はアナーキズム史観の提示にもなっている。
この二人の議論を総合すれば、東南アジアの四つの特色ある地域は相互に影響し合いながら形成されてきたと理解できます。こうした隣接する集団が隣の他者を意識しつつ意図的に自らの有り様を選んでいく過程を「分裂生成」schismogenesisという概念で把握したのはグレゴリー・ベイトソンです。この議論は、D・グレーバーとD・ウェングローの『万物の黎明』(光文社、2023年)でも古代スパルタとアテネ、英仏独、カリフォルニアや北西部先住民諸族のアイデンティティや社会の特質形成の説明に援用されています。この議論の利点は例えば、「低地国家」形成を内在的要因から説明するのではなく、外部との関わりから機能的に説明できる点にあります。ある社会や国家の特質は、そこに内在するかに見える「本質的」な原因からだけでなく、その外部に対応するために機能として作られ、選ばれた因子から構成されたものなのです。そしてこの視点を理解すると、ある集団形成のプロセス、あるいは歴史を問題にできる思考の訓練を積むことができるのです。この思考が身につけば、他の社会や国家、地域を学ぶ時も、現在目に映る姿は構成されたものであり、さらにその対になる何かへと考察を深めていくことが期待できます。また低地国家とゾミアの相補関係から国家―無国家、世界宗教―アニミズムの関係を発展段階的ではなく把握することも肝要な点です。ゾミアの人々は主体的に国家や文字を拒否し山に登ったのですから。出来ればアナキズム的な生き方もここから学んで欲しいものです。