書評 今井むつみ 秋田喜美『言語の本質』

書評 今井むつみ 秋田喜美『言語の本質』

中公新書、2023年。1100円

長澤淑夫

 本書は言語の本質を明らかにすることによって、人間のコミュニケーションと動物のそれとのちがい、生成AIと人間の脳との違いを結果的に示す内容となっている。今井さんは認知科学、発達心理学の専門家、秋田さんは言語学者である。

 二人が言語とは何を探る方法は、幼児が言語を習得するプロセスの注意深い観察から、どのような能力が人間に備わっているのかを究明していくやり方である。このプロセスで、オノマトペに注目し、それが言語とどう違うのかを3章までで探り、その後、幼児が言語を習得する上で、オノマトペの果たす役割を明らかにしていく。両者とも何らか身体性、経験と地続きの部分を持っていることを確かめている。つまり両者ともいわゆる「記号接地」している点を確認している。さらにチャールズ・E・ホケットによる「言語の指標」に「経済性」指標を加え、オノマトペは言語であるかどうかを検討している。(p.59)

 当然、私たちの使う多くの言語は必ずしも身体性や経験と関連しない。そこで幼児が言語を習得する上で何らかの飛躍が必要なことを仮定し、どのような人間の能力によって、それが可能になるのかを探っていく部分が4章から6章である。この推論能力を「ブートストラッピング・サイクル」「アブダクション推論」として提示し、AIとの比較へ進む。「ブートストラッピング・サイクル」とは「くつ(ブーツ)の履き口にあるつまみ(ストラップ)を自分の指で引くと、うまく履くことができる。そこから、〈自らの力で、自身をより良くする〉という比喩に派生し、やがて言語習得の分野の学術用語となった。」つまりこの用語は「最初の端緒となる知識が接地されていれば、その知識を雪だるま式に増やしていくことができる。」ことを表現している。

 続いて、観察データを説明するための、仮説を形成する推論であるアブダクション推論を論じている。これは哲学者チャールズ・サンダース・パースが演繹推論、帰納推論に加えて提唱した概念である。「この三つの推論のうち新しい知識を生むのは、帰納推論とアブダクション推論であり、演繹推論は新たな知識を創造しない。」(p.210)、と論じ、「子どもが言語習得の過程で行っていること、つまり知識があらたな知識を創造し、洞察を生み、洞察が知識創造を加速するブートストラッピング・サイクルが、まさに帰納推論とアブダクション推論の混合によるものだからである。」(p.212)とその重要性を指摘している。続いて、ヘレン・ケラーの経験からアブダクション推論を説明している箇所を引用する。「手に水を浴びたときに、サリバン先生が手に綴ったwaterが、この冷たい液体のした。これは単純な洞察と思われるかもしれない。しかし、ヘレンはそこから『すべてのモノには名前があることを理解した』と述べている。」この時、彼女はこれまでの経験がみな「同じだった」ことを理解し、「そこからさらにアブダクションを進め、『すべての対象、モノにも行為にもモノの性質や様子にも名前がある』という洞察を得たのである。」

 また「分数の意味を理解している」時にも「記号接地」していると本書は表現している。暗記でなく本当に理解していると言い換えてもいいかと思う。(p.190 記号接地できずに学べない子どもたち

 「7章 ヒトと動物を分かつもの —推論と思考バイアス」では主にチンパンジーの実験を紹介している。チンパンジー「アイは訓練を受けて、異なる色の積み木にそれぞれ対応する記号(絵文字)を選ぶことができる。」しかしアイには、逆はできない。つまり「つまり異なる記号にそれぞれ対応する積み木の色を選ぶことが、まったくできなかったのである。」「AならばX」を「XならばA」と過剰一般化することは人間には頻繁にみられ、それゆえ誤った一般化もするが、動物はこの推論しない。この推論能力により、ヒトだけが言語を持つことを可能にした著者はいう。

 「終章 言語の本質」で本書の探求を振り返り、AIとヒトとの違いを論じた後、「ホケットの向こうを張って」「言語の本質的特徴」として①から⑦までをあげている。これは実際、書を手に取って確かめていただきたい。

 本書は、先行研究の適切な批判的理解と引用、保育園に通いデータを集め、また幼児の言い間違いのデータベースを活用し、人間特有の推論能力の探り当て、新たな工夫された実験の成果を活用している。これらの「ピースを組み合わせ、収まるべき場所に収めて『言語の本質』というタイトルのジグソー絵を完成させた。」(p.266)その結果が本書を説得力あるものにしている。

 

 付録 「記号接地」と「本当に分かる」ことの理解を助ける新聞記事を紹介する。

 「『わかっていない』生成AI」『毎日新聞』(2025年7月16日夕刊)のインタビュー記事から今井さんの記号接地についての発言を紹介する。

 今井「まず情報イコール知識、と捉えるのは誤解です。情報が知識になるには、その情報が分類され、整理され、抽象化され、ネットワークに収まるプロセスが不可欠です。」「その答えにたどりつくプロセス、そして答えが導かれた意味を理解できないと、生きた知識、すなわち『わかる』とはいえないのです。」記号接地とは、記事によれば「言語という記号と、五感などの身体感覚に基づく経験が結びついていること。そしてその言葉の意味する概念や本質を自分で推論して理解することなのだという」

 今井「実は生成AIは、確率に基づいて言葉をつなぎ合わせているにすぎません。意味を理解していないある記号を、意味を理解していない別の記号に置き換えているだけなのです。」

 生成AIが即座に「正解」を出すことについては「一つの正しい答えなんて、この社会にはありえません。答えが明快そうみえる科学の世界でさえ『現時点で、この理論が最も現象を説明しうる』ことがあるだけ」「私たちは効率を重視するのではなく、何度も間違え、修正し、という身体感覚を伴う修練を繰り返し、新たな答えを見いだしていくほかありません。」ナルホド。

 次に大学で四則計算を教えるなら、私学助成を見直すという財務省の指摘に、反論した芳沢光雄元桜美林大学教授の反論記事(『毎日新聞』2025年8月19日)を紹介する。教授は苦手の原因は小中学校での教え方にあるとみる。「答えを出す『解き方』だけ教えて『考え方』を教えない。だから『解き方』を忘れると解けなくなる」と指摘。この芳沢さんのつまずき理解を今井むつみさん流にいえば、「記号接地していない、本当に理解していない」となるだろう。暗記教育の犠牲者に「本当に理解することの喜びを教えて社会に送り出すのが大学の責務だ」と芳沢さんはいう。

 最後は養老孟司さんのインタビューから(「 身体感覚を排除した予測と統御の世界 AI化する人間」『朝日新聞』2024/1/13)「・・でも結局のところ、(AIは)精巧な道具に過ぎない。」「認知科学の専門家が『記号接地問題』として説明・・AIの内部では、一つ一つの単語(記号)は経験や感覚に対応(接地)しているわけではない。要するに、人間の問いの意味と意図を理解していない」「質量のある物質的世界に、まさしく『接地』していない。身体感覚に裏打ちされてない、宙に浮いた、僕がよく言う『脳化社会』の典型的な技術・・見えているのは、論理や計算で予測可能な世界のみ。逆にコントロールできないものは排除する。それが脳化です。都市がまさにそれ」「AIが自律的にものを考え判断するには、ヒトの五感に相当する『外受容』と、空腹感などに相当する『内受容』を伴う必要がある・・AIは持ってない」「一方、ヒトにも感覚という入力系と、運動系という出力系がある。出力とはつまり筋肉の動き。この運動系の働きを、感覚系は理解も解説もできないんです。」「『自然知能』の脳と人工知能は、ハナから違うもの。どうして比べるのかな」「意識とは何ぞや、を問わずに意識を扱うのは危うい。」

 今、今井さんと広島県教委は協力して生徒の学習上の「つまずき」を研究し、それを乗り越える教材を開発しているという、ようやく科学的な「分かる」とは何かが分かる時が来つつあるようだ。

 

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