天野恵一
6月21日の『東京新聞』、「大川原冤罪警視庁地検幹部が謝罪」の見出し記事は、こう書き出されている。
「機械製造会社『大川原化工機』(横浜市)の社長ら3人が逮捕・起訴され、その後に起訴が取り消された冤罪事件で、違法捜査を認めた東京高裁判が確定したことを受け警視庁の鎌田徹郎副総監と東京地検の森博英公安部長が20日、同社を訪れ、社長らに謝罪した。勾留中に見つかった胃がんで亡くなった同社元顧問の相嶋静夫さん=当時(72)の遺族は、『真相が説明されていない』と謝罪を拒否し欠席した」。
軍事転用できる機械の不正輸出容疑をでっちあげた、この事件は、21年7月には東京が起訴とりけしに追い込まれ、9月に会社側が国家賠償を求めて提訴。地裁は逮捕・起訴は違法(事件は捏造)と判断し、国と都に16億円の賠償を命じ(23年12月)、高裁もそれを支持し、16億円の賠償を命じた。この前例なきプロセスがうみだした、明白となった違法捜査・起訴への防止策などなき言葉だけの「謝罪」のパフォーマンスである。
この恐るべき事件については、私は毎日新聞記者遠藤浩二の詳細にかつ緻密な追跡調査のレポート集である『追跡公安捜査』(毎日新聞出版)で知らされていた。
この著作は、「大川原工機」の事件だけでなく、1995年東京都荒川区で起きた「警察庁長官狙撃事件」についてもオウムの犯行という独断でのみストーリーをつくり、その線でのみ事件を組み立て、別の可能性(犯人を自認する人間の存在の浮上した事態すら)もまったく無視し、「未解決」(犯人わからず)という結果に終わっている。この二つの事件を素材に秘匿性が高いがゆえに、ほとんど明らかにされることがない公安警察のまったくハレンチな実態を、すこぶる具体的かつリアルに明らかにしている。
読んでいて、私は、公安警察の実態は、思想検察や警察が事件をほしいままに「国体」(天皇制)破壊、私有財産制の否定とレッテルをはって、デッチ上げることを可能にしたあの悪法、治安維持法の精神が検察・警察の中にまだ生きていることを強く実感した。
遠藤は、第6章(「正義のありか」)で以下のように書いている。
「『逮捕すれば会社が潰れるんだから認めるに決まっている』/大川原化工機の捜査を指揮した宮園警部は平然とした顔で、このような発言をくりかえしていたという。この宮園警部の考え方は典型的な『人質司法』の考え方だ。刑事裁判には『無罪推定の原則』というものがある。犯罪をしたと疑われ捜査対象となった人(容疑者)や、刑事裁判を受けている人(被告)に対し、裁判で有罪が確定するまでは、罪を犯していない人として扱わなければならないというルールだ。しかし、現実は、容疑者や被告が無罪を主張したり、黙秘したりすると、自白を引き出すための身体的拘束は長期間にわたる。家族や知人との面会が禁じられる「接見禁止」の措置もとられる。日本の刑事司法制度は、かねてから『人質司法』と批判されている」。
考えてみれば、留置場に入れたまま、長く取り調べる、いわゆる「人質司法」なども、あの悪法の伝統がそのままであることをよく示しているのではないか。死刑確定者の「再審」のトビラがまったく開かれることが少ないことも、獄中者の処置や入館行政がまったく人権無視であることも、治安維持体制の伝統が生きていることと大いに関係あることだと思う。
今、政府やマスメディアは敗戦80年の今年、「昭和百年」のキャンペーンを開始しており、式典をも準備しているようである。
この天皇元号で歴史を括る歴史観。象徴へモデルチェンジして戦後へ延命した天皇制(国体)の時間の連続性は〈治安維持法〉文化・制度の延命と連綿と重なるものであることに私たちは十分に自覚的でなければなるまい。
『追跡公安捜査』は私たちにそうした思いを強く持たせるベテラン調査記者ならではの力作である。