菅野芳秀(山形在住、百姓)
<コカ・コーラの瓶の中の・・>
俺は最近、寺山修司の「言葉」を思い出す。
「中学生の頃、公園でトカゲの子を拾ってきたことがあった。コカ・コーラのビンに入れて育てていたら、だんだん大きくなって出られなくなっちまった。コカ・コーラの瓶の中のトカゲ、おまえにゃ、瓶を割って出てくる力なんかあるまい、そうだろう?日本 海峡にしぶく屈辱の繰り返し、身を捨てるに値するだろうか、祖国よ」(「書を捨てよ町へ出よう」より)
敗戦後80年にもなるのに・・国の外交政策も、国内政治の舵取りも、その予算編成も、当然ながら沖縄も、その他の基地問題も、原発も、農業政策でさえもコカ・コーラのビンの中だ。こんな国は世界に例がないのではなかろうか?誇りを失った国、「植民地」ニッポン。
「イイじゃないか、その方が、軍事費が掛からないし、安上がりだから」
バカタレ!損得の話でない!国としての自立、自尊心と、そこにすむ我々の尊厳にかかわることだ。
今のままの政治が続くならば、日本全土から農民が消え、村が消え、農民が作る作物が消え、文化が消えてしまうだろう。このことは今までも言い続けてきたことだが、もうすでに間に合わないかも知れない。日本のコメ農家の平均年齢は71.1歳。65歳以上の農業従事者は全体の72%。農家の年齢層として一番多い世代は団塊の世代で76~78歳(2026年現在)。この層が日本農業を支えていると言っていい。あと長くて4~5年もすれば羊羹を切ったように後継者が消える。農民が消える。村が消える。おそらく、我々は今、その結果としてもたらされるであろう、未曽有の食料危機からくる社会の大混乱を前にしているのではないか。
〈農が消えていく〉
日本のコメの年間総消費量670~680万トン。現在の減反4割のもと、総生産量は年間670万トン。一方で輸入される小麦は550万トン、大麦200万トン。あわせて食糧穀物は750万トンだ。そのほとんどがアメリカからだ。それが毎年増加している。その分、そう、ここが重要だが、その分の日本のコメを減らすのだ。足りないから輸入するのではない。その逆だ。輸入したいから(するから)その分の生産を抑えて、減反を強要して帳尻を合わせようとするのだ。今年も変わらずの4割の減反。今年度(2026年度)も同じ量の減反だという。鈴木農水大臣はこれを「需給調整」だと言った。自国の農民を殺し、アメリカに奉仕する相変わらずの植民地農政ではないか!
他方、牛、豚、鶏など家畜に与えるトーモロコシ、大豆などの濃厚飼料と呼ばれるものの自給率はわずかに13%。毎年1300万トンほどの穀物を輸入している。これもほとんどがアメリカからだ。我々は豚や牛、鶏、卵に姿を変えたアメリカの穀物を食わされているのだ。そんな植民地農政下の食生活。これが現実だ。だからこそコメの4割減反を即時やめて、すべての田んぼにコメを作付けすべきだ。そしてその余りを減反強化ではなく、家畜のエサ米に回せばいい。そうすることで、日本の自給率を高め、アメリカの鎖につながれた植民地農業の比率を下げ、自国の圃場を守り、国民の食生活の自立的安定を図ろうとする。これがやるべき政治の基本だろう。
1971年の減反政策を皮切りに、政府は一貫して日本農業の主軸であった自作農を切り捨て、放逐し、規模拡大を進め、農業の再生産構造を破壊してきた。最近ではIT技術を駆使して、環境に負荷をかける、いわば「工業的農業」を進めようとしている。しかし、大規模化と「工業的農業」が可能なのは、耕地の3割程度だ。7割の耕地は中山間地にあり、特にその内の5割は、それこそ効率の悪い山沿いに広がっている。それらを丁寧に耕してきたのは自作農たちだ。その自作農の離農が止まらない。まさに日本農業の背骨が崩壊しようとしている。改めていうまでもないだろうが、それは始めから意図してきた政策の結果だ。戦後自作農(小農、家族農業)の壊滅的危機。それと連動して国民の食料危機も深まっていく。
過日、鹿児島の知覧に行って来た。若くして、特攻隊の一員となって死んでいったたくさんの青年たちの手記に出会うためだ。18歳で、19歳で、20歳・・で。自分たちの死から教訓をくみ取ってくれるなら、俺達の死も決して無駄ではないはずだ。無駄にして欲しくない・・・。未来に希望を託し、そう信じて飛び立って行った多くの青年たち。そんな彼らの、たくさんの手記に出会えた。俺は昭和24年生まれの戦後世代だ。彼らが託した「未来」の中に生まれ、育ち、生きている。
そして、悔しいが、いまだにビンの中だ。何とかして・・何とかして・・と思っているうちに俺も76歳になってしまった。
<今年も令和の百姓一揆>
いま、我々の足元では「農と食の危機」が一体的、構造的に進んでいるが、多くの人々はこの事の持つ深刻さを理解できてない。知ろうともしていない。俺にはそう見える。
「当面の食が手に入ればそれでいい」「安ければどこの国が提供しようが構わない」
かいつまんで言えば、こんなところか。
マスコミも含め、表に出てくるのは、コメが高いの、安いの、まずいの、まずくないのと、そこだけだ。広く国民に問わなければならないのはそこではない。「日本の国づくりの中に、農をどう位置づけるのか」「このまま農家をつぶし、農民を切り捨てていいのか?」「それが日本列島に生きる人々の安全、安心につながるのか?」進行する日本農業の崩壊を前に、国民にはからなければならないのはそこだろうが!
日本農業の崩壊と食の危機。そんな事態が進んでいるにもかかわらず、相変わらず食べ物を粗末にするおバカな番組が横行して、食の危機を改善する民意が育たない。政治も国民のいのちを守る、最低限の役割を果たしていない。
2025年、国の軍事予算は8兆7000億円に対し農業関係予算は2兆2700億円でしかない。国の予算配分の中にどんな国造りを目指しているのかが如実に示されている。明るい未来が感じられない。戦前、戦後を通して「いのちを軽んずる国」日本、算盤しか頭にない国、「日本というシステム」。
農家が完全に離農する前に、安心して作付けできる環境を作り、他国の農業への依存ではなく、自国の農を守り、育てる道こそ肝心であり、それが、消費者が安定して食べ物を確保できる唯一の道でもあるのだが、農政の方向はそうなってはいない。国民の意識もそうなっていない。
そんな情勢を受けて昨年の3月30日。東京・青山の公園を主会場に「令和の百姓一揆」が行われた。4500人の農民・消費者・市民と30台の農耕用トラクターによるデモが行われ、全国の人々に農業、農村の危機的現状を知らしめると同時に、国民に身近に迫る食料危機への早急なる対応の必要性を訴えた。
その日に連動して決起したのは沖縄、奈良などの25の都道府県。
「農民に所得補償を!」「市民が生活できる食の補償を」「食料自給率の向上を」と訴えた。
小農・家族農業潰しの政策はいよいよ勢いを増し、仕上げ段階に入ろうとしている。果たしてそこに日本の食と農の未来があるのか? 俺には、どうしてもそうは思えない。思えないのは俺だけではあるまい。だからこその野火のような一揆の広がりであり、思いを共にする消費者、市民との連携の拡大なのだ。経済効率の名のもと、暮らしと共にある農業、家族農業を切り捨てようとする君たちよ! どんな社会(国)を創りたいのだ? それはどこに向かう社会(国)づくりなのだ? 食糧自給率が38%。実際は、アメリカに依存している種の自給率を含めれば、わずか9%しかないという学者もいる。世界的な気候変動と政治不安が深まる中、国民の食といのちがますます危機にさらされる。求められているのは「農と食」を基軸にしたこの国の大胆な軌道修正。作り直し。令和の百姓一揆はこれを求めてやってきた。この矛を収めるわけにはいかない。
そして今年、2026年3月29日には、再び「令和の百姓一揆」の全国展開が準備されている。日本の農と食と農村を守ろうとする一揆はいよいよ正念場を迎える。
場所は東京都港区六本木「青山公園南地区・多目的広場」(昨年と同じ場所だ)。
トラクターと軽トラック、提灯を持った人々のデモ行進。
東京だけでなく、それに連携して全国各地でもデモやシンポジュームなど多様な「一揆」を行う。
この日を皮切りに令和の百姓一揆は農家と消費者の連携のもと、再び全国に広がるだろう。小農・家族農の隣にはたたくさんの兼業農家、日曜農業、多様な市民参加の農業が続いている。それは、人々と農、土との結びつき、土を基礎としたいのちの世界の構築、循環型社会の可能性へとつながっている。
だからこそ負けるわけにはいかないのだ。潰れるわけにはいかないのだ。
「すべての国民が安心して地元産の食料を手にできるために」
「すべての農民に所得補償を」
「未来の子どもたちにも国産の食料を食べてもらえるように」
「日本の食と農を守ろう」
つながろう! 希望が小さな時代に!
3月29日、東京青山公園午後2;30~令和の百姓一揆第二弾に結集を強く呼びかけたい。