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オルタ提言の会(仮称)

第3回 労働と雇用の問題をめぐって 
2009年8月30日

討論
※この討論は、第2回の3名の発言および討論に続くものです。当日、たたき台資料として提出された「労働と雇用の問題をめぐって」(白川真澄)もご参照ください。

1.「同一価値労働・同一賃金」をめぐって

◆なぜ白川さんは「同一価値労働・同一賃金」ではなく、「同一労働・同一賃金」という言葉を使っているのか。

→「同一価値労働」という場合には、職務を明確に定めることが前提になるのではないか。

→同一「価値」を論じる前提として、「同一労働・同一賃金」を言わねばならない。労働の中にある身分差別(例:おなじ職務内容なのに、派遣社員というだけで低い取り扱い)をひっくり返すために、「同一労働・同一賃金」をまず主張する必要がある。

→しかし、女性が主に担う職務内容への賃金差別が「同一労働・同一賃金」の論理によって認められてきた歴史が日本にはある。たとえば、介護労働は同一賃金ではあるが、同一に低い。調理師=男は「シェフ」ともてはやされ、女は「給食のおばさん」として低賃金に抑え込まれている。この現状への対抗として、女性運動では「同一価値労働・同一賃金」をあえて主張してきた。

→企業が女性を差別するために、「同一労働・同一賃金」使ってきた歴史を見るべき。

→日本では、労働組合すら生活給の論理で反対して、職務給が導入されなかった。そこから、二重賃金が生まれた。しかし、共産党は職務評価を成果主義と同じものだとみなし、「同一価値労働・同一賃金」に反対している。

→では、多様な仕事があるなかで、職務を評価するどんなものさしがあるのか。市場で評価するのか、使用価値をみて社会的な合意によって評価するのか。たとえば、自衛隊は有用労働か。

→企業側は、職務を細かく分けて同じ仕事をしていないと言い張るのに対して、労働者側は仕事を大括りにし、しかも企業の枠を越えた職務の同一性を主張する。だから、「同一価値労働」の中身をめぐって企業と争うことになるのではないか。

→60年代後半の高度経済成長期に、自分の職場の(専門紙)労働組合で賃金体系をつくった。ストライキで全面的に変えさせた。すべての職場で同じ賃金。学歴も問わず、年齢で決めた。

→倒産企業で自主管理をした組合は、すべて賃金は同じにしていた。子どもがいるかいないかといった事情で違いを設けるときは、職場のみんなの議論で決めていた。

→それぞれの現場で決めるのは危険ではないか。社会的な基準がないと。

2.官製ワーキングプア

◆「公務員バッシング」がある一方で「官製ワーキングプア」が生まれている状況をどう見るか。

→労働の価値を守りきれなかった弱さがあるのではないか。公務員は「社会的に有用性のあることをやっている」という論理で闘ってきたが、負けてきた。民間との比較の中で、たとえば、「バスの運転手に1000万円?」などと批判されて、説得力のある反論ができなかった。

→組合が負けたのは、年齢が高いだけで給料が高いという批判に負けたから。現実的なところで、公務員の高い賃金をそのままでいいとするかどうか。

→正規労働者は自分の待遇を下げず、非常勤を増やしてきたが、非常勤の管理が大変となると、彼らを切って民間に業務を委託してきた。

→公務員の数を増やし非正規職員の均等待遇を実現するためには、正規職員の高い賃金を下げることが避けられない。それを正規職員が言い出させるか。

→どういう論理で賃金を下げるかが問題だ。「民間にあわせろ」といえば、限りなく下げられる。

→公務員を増やす必要があるのではないか? それは簡単で、税金を増やせばいい。欧州に比べたら、人数はすごく少ない。労働運動の論理だけではだめ。

3.労働者の正規化をめざすべきなのか

◆派遣労働法の抜本改正問題。共産党はすべての労働者の正規化を言っている。全労協でも派遣労働法の改正は過渡的で、撤廃が基本。白川さんは「正社員当たり前」論に批判的。そこをどう考えるか自分は結論していない。

→雇用形態による労働者身分差別の禁止を強力に提起し、法律でも禁止すべき。

→非正規を正規へ、とは言わない?

→違う。まずは、雇用形態による差別を禁止せよ、ということ。

→望めば無期にできることも大切。

4.労働と地域社会の崩壊

◆地域社会からみた労働問題という問題の立て方が必要。地域社会が崩壊してしまっているが、せめて子どもを高校ぐらいにはやれるような、自分の食う野菜くらいは作れるような地域社会をどう作るか。

→現状を分析する場合に所得だけで測ることから離れてみる必要がある。一つには所得以外の社会保障や資産の問題、もう一つは社会的排除まで視野に入れた課題である。たとえば、住居費が高いとなれば、公的な保障の必要が出てくる。あわせて、財源論と、相続税などストックの部分もみていかねばならない。

→農業中心の社会の中から労働者になって出てきた都市下層民の問題を、労働力移動問題とつなげて見なくてはならない。

→かつては出稼ぎ農民組合運動があったが、今は人も組合もなくなって、地域の崩壊、最底辺化が起こった。そこへ外国人労働者が入ってきて、外国人労働者が同じ問題を抱えている。

5.グローバルな貧困との関係

◆「反貧困」運動はグローバルな動きとどう関わっているのか?

→GCAPと反貧困が連携している。「反貧困」の方も、選挙権がない仲間を代弁する立場もとっており、移住労働者との関係をつくっているので今後の展開は期待できる。そもそも、産業の空洞化、アウトソーシング、サービス業における格差などは日本の労働に深刻な影響を及ぼしているが、グローバルな動きを無視しては解決しえない。

◆グローバルな規制を作らないとしかたない。

→OECD多国籍企業ガイドラインはグローバルな規制のなかで、現在、もっとも効力のあるものだ。フィリピントヨタ労組とフィリピントヨタ労組を支援する会は、一緒に、トヨタをガイドライン違反で申し立てをしているが、窓口の日本政府は真剣に解決に動いてくれていない。

→ILO111号条約を批准させる必要がある。労働協約がヨーロッパでは強いというが、なぜ日本の企業は労働協約を結びたがらないのか。

→たとえばトヨタでも、世界で労働協約を統一して結ばせなければならない。全世界に「同一価値労働・同一労働」を、と言うべき。

→フィリピントヨタなどの運動が主流派の運動も巻き込んだ形になるとよい。

→WTOプロセスの中でEUから社会権条項の提起があったときに、第三世界ではそれをヨーロッパの保護主義と批判した。その議論はどうなったか?

→インドは組合ですらWTOに社会権を入れることに反対した。理由は、社会権とバーターでネオリベを押し付けるものだ、というもの。ILO条約で充分だ、という考え。

→同一価値労働・同一賃金とともに第三世界の生活賃金を要求する必要がある。アジアの労働者の生活保障が結局、日本の労働者のためになる、という議論をしていかないといけない。

→従来ごく一握りの人たちが経済分析の対象とならなかった、つまり補償の要らない収奪の対象となる女性、「植民地/第三世界」、環境などを利用した新国際分業を有利に使ってきたことから、世界的に公正に目を向けるべきであるし、そうしないと、ごく一握りの人たち以外は結局そのシステムのしわ寄せを被ることになる。その解決策の一つとして移住労働者にも年金や社会保障を。

→再生産労働、無償労働の問題をどう評価するか。第3世界から入ってくる女性などを念頭において。

→底辺への競争の背後には小農経済の破壊や土地の剥ぎ取りがあり、新たな難民も発生している。その上での労働者の条件議論をしないと、生存権や再生産に結びつかない。地域問題・農業問題として労働をみていかないと。

◆多国籍企業からきちんと税金を取りたい。

→「租税競争」という言葉があるが、工場移転をさせないために税金を低くしていく。そうした動きに対してグローバルな再配分を行うための税制を構想する必要があるのではないか。国境を越えた課税機関をつくらなければ、グローバルな経済活動への課税は困難になっていく。

→多国籍企業は税金の安いところへとお金を動かしている。タックスへイヴンの規制が必要だ。

6.家族、親密権、新しい共同性

◆ライフスタイルに対する議論も必要なのでは。具体的には家族。家族は崩壊した方がいいのではないかといえるところもある。一人一人の単位でものごとを考える必要があると思う。マイノリティにとっても平等な社会にしていきたい。

→ひとりでは生きていけない。「個」と「個」がつながるような新しい共同性がでてきている実態もある。それが新しいオルタナティブじゃないか。

→「共同性」とか「親密圏」とかそういうものの作り方は多様。そういうものをこの議論でつくっていきたい。

→「主体をどう作るか」という議論が足りない。政策論と同時に、組織論もやっていく必要。

7.新しい政権との関係

◆民主党なりに運動側と話せる癖をつけさせる、民主党右派に発言できないぞ、と思わせる必要。民主党に同意できない部分もあるだろうが、相手方を動かすために相手方の論理や言葉に乗っていく動き方も検討されても良いのでは。鳩山の「友愛」概念をつかって結び付けていこうとするNGOもある。

→ロビー活動は大切。普通の人が押しかけていくようにしたい。

→貧困問題は運動が争点を設定して、民主党も要求を取り上げざるを得なかった。

→きちんとこちらの立ち位置を議論した方がいいのでは。村山政権のとき、中に入っていってよかったかどうか、その後議論もしていない。

→個別問題の主張・要求だけでなく、それを支えている我々運動の側の原則をどうするかの問題。

→国家とどう対峙するかが大事。たんなる受益者関係ではだめ。「この辺なら飲んでもらえるだろう」という関係では嫌だ。

→政治力の問題だ。言葉だけならいくらでも取られていってしまうから、別の政治勢力を立てるしかない。

→情報のないところで「all or nothing」で観念的に政権との距離を論じてはダメ。ただし、村山政権は現場と離れすぎていた。
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