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『季刊ピープルズ・プラン』57号(2012年3月31日号)
【リレー連載】『根本(もと)から変えよう!』を読む 2

根本から変える

野澤信一


ぼくの考えるオルタナティブ

 福島第一原発事故をついに引き起こしてしまったこの社会。福島県双葉郡大熊町・双葉町から自分が暮らす横浜までの二五〇キロメートル余の距離とその間の地名を手元の地図で追ってみる。茨城に住む知人の不安がフト身を襲う。しかし思いを寄せるとはいえ、ぜひもなく同情の域を出ないぼくと、地元で被災され故郷を追われた方々の悲しみと怒りの強さは、いやでもこの距離に反比例してしまう。それは承知で、この事故が暴力と差別と利己主義が沁みついた敗戦後の日本社会構造と無関係ではないこと、そして紛れもなくその社会の一員として、口先で批判はしても現実的変革に無力であった自分の行動を責めざるをえない。ましてやその社会の行きついた先が、自らが放射能の加害者であり被害者でもある、そう、自滅の道に向かっているのだ。不屈の正義感と地を這うような不断の行動で、孤立に耐え闘いつづけてきた市民運動の仲間に加わり、遅きに失したとはいえ、この社会の動きに急ブレーキをかけ、軌道を一刻も早く変えなくてはいけない。そんなときに読んだオルタナティブ提言の会編著『根本から変えよう!』は、まさにわれわれが目指し実現すべき社会像に正面から取り組んだ市民からの挑戦である。

 本書は「この状況を覆すには、これまでの日本社会が立脚してきた公式・非公式の前提や常識を根本から問い直すことが必要だ」と述べている。しかしそれは、今日の事態を招いてしまった私たちの運動自体も根本からの問い直しを迫られているということだろう。自分の非力と無作為を棚に上げて何をいうかと言われそうだが、表層的な対立や憎しみだけからは何も生まれない。異なった様々な意見を束ね前進するための方向性を指し示す具体的で創造的な構想力と、その新しい社会に向かってひとを動かすための多様で魅力に富んだ知恵を織り込んだロードマップ、それこそがぼくの考えるオルタナティブである。

対立の根底にあるもの

 「国を守るためには軍隊をもつのは当然」と信じる人に「戦争反対」だけを何回説いても彼我の溝は埋まらない。本気かウソか北朝鮮からのミサイル攻撃の脅威を論じ、「尖閣列島」とか「北方領土」とか聞いた途端にナショナリズムに火がつく人たち。かつての「敵国」の米国をいまは無邪気に「味方」と信じ、北朝鮮や中国に対しては警戒感を抱く根っこにあるもの。彼らの敵は彼ら自身の心の中にいることに気づかせ、彼らの頑なな不信感や警戒心を解かせるにはどうしたら良いだろうか、とぼくは考える。

 「天皇制の存続」に固執し「外国人の排斥」を唱える人たちは、自分のアイデンティティを探しあぐねている人なのかもしれない。万世一系の天皇家が君臨統治する日本国民というフィクションに自分の居場所を求め、荒涼とした孤独と貧困が排他的差別論者を生んでいるのかも知れない。自分の求めるアイデンティティを実現できるような社会、互いの存在を認め合う社会を実現することが、血統主義に基づく諸々の差別を解消し、外国人への偏見や恐れを拭い去り、アイヌや沖縄の先住民族の尊厳の回復に通じる道なのかもしれない、とぼくは思う。男社会に疑問を抱かず、ぬくぬくと生活をしている男たちにとって、性差なき機会の絶対的平等の主張は譲歩を迫る外圧としか映らないだろう。ジェンダー平等を男女対立の問題として立てるのではなく、社会の多様性実現がもたらすもっと積極的な価値にかかわる問題としてとらえたらどうだろうか。

 視点を変えるだけで解決するとはむろん思っていない。闘いの中では声高に反対することも、体を張って不服従を貫くことも必要だ。しかし目指すべき社会の実現が、「敵」に勝つか負けるかにかかっている、というのではなかなか前には進まないと思うのだ。

ベストセラー小説を世に送り出そう

 本書が提案するオルタナティブな社会をどのような道筋を辿って実現するか。目前の現実からのスタートも大切だが、将来の目標から現実に至る逆算シナリオの中で考えるアプローチもありだ。とくに目には見えない来たるべき社会をより多くの人に理解し、納得し、確信してもらうためには、想像力を最大限に膨らましてもらう必要がある。その想像を助ける手段として、例えばわれわれが提案する社会を日常的な具体的事例に即して描いて見せるというのはどうだろうか。このあるべき社会は、現在の諸問題をどのように解決できる社会なのか。本書を展開する次のステップとして近未来の社会像を描写し、われわれの主張を血の通った現実として可視化させるのはどうだろうか、というのがぼくの提案である。

 数年後の日本。繰り返される政権交代にも拘らず日本の米国追随型政治は変わらず、基地問題で日本政府に対する沖縄の不信は一触即発の状態に達している。TPPにより、日本の有機栽培の果実や米は高級品として海外の富裕層向けに輸出される一方、安いカリフォルニア米の輸入が急増、日本の農地の大半は山林と同様に荒れ放題になり、遺伝子組換え種子の汚染が静かに拡大。強欲的グローバリズムが国内を席巻し、国際化とは縁のない地場産業は一気に衰退、所得格差と貧困層はますます拡大し、米国から廃止を提訴されていた国民皆保険制度は裁定を待つまでもなくすでに崩壊。強いメッセージを発して次々と誕生する首長は政治の混乱を招いては飽きられ、外国人を受け入れられず引きこもる日本は世界から異質な国と見られ、ついには中国と相互防衛条約を締結した米国にも見放されて、誰にも相手にされない世界の孤児となっていく。仕事と希望を求めて海外に出る国民の流出が止まらず、少子高齢化に加えて人口の減少に拍車がかかる。大政党は国民の信任を失い、シングルイッシューの小政党が離合集散し、政治の混迷の度が極まる中、最後の手段として政界長老の「裁定」で自然保護派闘士の美しい女性と実務調整型のくたびれた中年男のコンビが連立政権運営を託され、中年男の愛読書だった『吉里吉里人』の故事に倣って本書の12の提言実現に向けて動き始めることからストーリーの幕が上がる。

 政府はまず「社会実験」として関西特区でベーシック・インカム制度の導入に踏み切る。月七万円の現金を手にして一泊三〇〇〇円のねぐらをようやく確保した路上生活者のAさんは、これを契機に次第に働く意欲と機会を取り戻し、生活と人間関係を立て直していく。生活保護を受け家に引きこもっていた母子家庭のB子さんは、安心感と誇りを取り戻して地域活動に参加するようになる。社会企業家が各地で起業し、福祉の分野ではボランティアの参加が急増するなど、失業者が労働市場に復帰し、社会の支え合いの中で生活保護や社会福祉の経費増加が抑制され、財政の再建と地域社会の活性化が劇的に進む。

 職場でセクハラ親爺だったCさんは、就労機会均等法の強化で自分の上司となった女性と、新たに入社した障がい者と何を話したらよいのか、途方に暮れている。当初は彼女と話をするのを避けていたCさんだが、彼女の仕事の仕方やものの考え方を見聞し、社会で共生する多様な生き方と価値観を知る。足手まといと思っていた障がい者から実は自分が得ることのほうが大きいことを実感し、生まれてはじめて働き甲斐を感じ始める。

 ベーシック・インカムの全国導入にあわせて政府は大幅な増税に踏み切る。増税は所得累進性を高め、国民の平均所得の一〇倍を越える高所得者に対してはほぼ一〇〇パーセントに近い懲罰的累進課税を設定、金融取引にも課税される。この結果、投機的取引が激減、億を越える天井知らずの企業役員報酬体系は是正され、高報酬を動機に配当と内部留保という企業利益の最大化を図っていた経営者の行動理念までもが変化する。企業の価値基準も収益率や資産額ではなく、中立機関が社会や自然への企業の貢献度を数値化して発表、企業の価値や信用として市場で評価されて株価にも反映、社会的存在価値がないと見なされた企業は淘汰されるようになる。

 地域中心の循環型社会へ向け、税制を地方税に一本化した結果、市町村単位の自治体が自ら必要な経費を優先的に確保した上、自治体連合が決めたルールにのっとり国の運営と地域格差是正に必要な資金だけを分担することとなる。国に対する地方の発言権が格段に高まるとともに、地域住民の自治意識も大きく変化する。お金やエネルギーが地域内で循環するよう、地元立地の事業所収入の地域外移転を制限し、域内の小型分散型エネルギーの利用を高めた結果、地方の特徴を生かした地域経済が活性化する。国全体としても土地や労働力など資本配分の最適化が進み、各地の自然も復活する。地方大学を中心に教育の権利を住民が取り戻した結果、子どもたちは無意味な相対評価制度から逃れ、個性と創造性を伸ばすにふさわしい教育を自ら選択できるようになる。

 日米安保条約の一年後の終了を米国政府に通告すると、米国は狼狽しなぜか沈黙を守る。日本を守るためとされていた日米安保が、実は米国世界戦略のためのものであることが誰の目にも明らかになる。そんな日本の姿勢の変化を見た中国から、東シナ海油田の共同開発や領土問題にかかわる紛争抑止の枠組み作り、東アジア地域の非核化と経済協力圏構想などが提案される。すると米国は慌てて基地の大幅縮小と思いやり予算の返上を日本に申し入れてくる。

 あくまで本書提案の可視化が目的なので、各自で合理的で客観的なストーリーを考えてほしい。社会的影響力がなければ意味がないので、多くの読者を惹きつけ楽しませるロマンスやサスペンスや冒険が横糸として編みこまれても良い。読者には「こんな社会、ありかも」と思って欲しい。決して理想社会を描くのではない。今よりほんの少し違った対応の積み重ねが、社会を根本から変える力になり得るというリアリティと希望を伝えたいのだ。

(のざわ しんいち/市民の意見30の会・東京 事務局)
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