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オルタナティブ提言の会

第7回 ジェンダー視点からオルタナティブを構想する 
2010年2月6日

討論
(1月26日「WSF2010首都圏」分科会での鈴木ふみさん青山 薫さん船橋邦子さんの発言を受けて)

◆1.社会保障のポータブル化とは?

・ 年金制度などの社会保障を、国境を超えて持ち運ぶことができるという意味。
・ 貨幣価値がだいたい同じでないとうまくいかない。
・ 制度をつくるのはとてもむずかしいだろう。ベーシックインカムも本当にやろうとしたら、そこがネックでは。

◆2.ネオリベと保守主義の接合

・ 日本では86年に男女雇用機会均等法、労働者派遣法が制定され、第三号被保険者制度ができた。この3つが同時に作られたことで、少数の男並みに働く女性の社会進出が促され、一方で大多数の女性たちは非正規労働者として低賃金で働かされることになった。そこでは女性たちは分断されていった。このように女性の社会進出を促すことと、専業主婦優遇の社会政策を同時に導入したこととは、どういう関係だったのか。新自由主義で家族まで解体してしまってはまずい、無償で家事労働をやらせなければいけないということか。

・ そのとおりだろう。女性をすべて自由主義で競争に駆り出してしまったら、低賃金どころか無償で経済に貢献している家事労働・再生産労働をする人が足りなくなってしまう。

・ 新自由主義では個人単位の社会保障サービスはカットしてその部分は家族に無償でやらせたい、という考え方。そうすると家族解体には進まず、保守主義的な家族温存の面も出てくることになる。

・ リベラリズムはその部分で保守主義に密接にくっつかざるを得ない。そこは“ねじれ”で、論理的整合性はないのではないか。

・ 日本では外圧の影響がひじょうに大きく、75年から10年で法律をつくらなくてはならない状況だった。当時は日米摩擦の時代で、日本だけ競争条件を有利にするということはできなかった。機会均等法については、財界は猛烈に反対して「こんなものを導入したら日本は滅びる」とまで言っていたが、やらざるを得ない。一方で主婦をやめられたら困る。そういう構造だったのではないか。日本はいつも外圧で動く側面があって、そこには日本流のこなしかたがある。

・ 当時の非正規労働者の大多数は、主婦のパート労働だった。第三号被保険者制度は主婦の所得制限が有利にはたらく仕組みで、そこではうまく折り合いがついたということだろう。その点ではうまくできた仕組みだった。

・ 矛盾しているものが結びついているというのはその通り。向こう側は自由主義的なものに家族や宗教を取り入れたりして、本来理論的には結びつかないようなものを結びつける。道徳主義的なものが結びつくこともある。私たちはそこを分析して、どう対応していくかを考えなくてはいけないのではないか。

・ そもそも「保守主義的なイデオロギーを利用しながら経済的最大効果を追求する」考え方と実践を「ネオ(新)リベラリズム(自由主義)」と呼ぶのだから、それを「リベラリズム」そのものと混同して「矛盾がある」と議論するのは向うの手中にハマるだけで、何の足しにもならない。もともとネオリベはリベラリズムとは違うもの。

◆3.運動の歴史――制度化と分裂

・ 当時の日本はまだ全面的ネオリベの段階ではなかった。その頃は急進左翼の絶頂期。85年のプラザ合意で円高に誘導され、放っておけば競争力がなくなるから、鉄鋼や電気では現状では考えられないような上からの動員が繰り広げられた。それで完全に組合はつぶされる。他方では外圧に屈するような格好で女性労働は取り組みを変えていった。イデオロギー的にはその頃はフェミニズムが花盛り。筑紫さんが朝日ジャーナルの編集長で、毎号小倉千賀子さんが執筆していた。全国の自治体で女性センターが作られ、リブの女性たちはそこで雇われる。そのあたりの社会的な雰囲気と、労働力としての実体的な使われ方、産業としては女性は競争力上のものすごい危機があって、それを乗り切るための上からの動員と一体になった変な時代だった。

・ 国連からの外圧などに対して、女性運動の側、フェミニズムの側はいつも一枚岩ではない。個人の人権を尊重する観点から良いものも必ずあるし、でも男女同権ならば、抑圧から解放されれば、男性との競争に好んで乗ってく人も必ず出てくる。そういう意味では「リベラリズム自体」の矛盾は、常にフェミニズムとともにあったし、今もある。
 そこが、リブとフェミニズムの一番の違いだろう。「リブ」に代わって「フェミニスト」が出てきたのはこの時代。女性学もブームだった。

・ 制度のなかに入り込まれていく時代。

・ 制度化はすべての人を包摂することは不可能だから、どうしても分断を引き起こす。だからと言って制度化に一切反対するわけにはいかない。法律をつくれば必ずそこからこぼれる人が出るから、その人たちを救えという要求をする。そのいたちごっこをずっとやっていくしかないだろう。その意味で、運動の側は雇用平等法を対置したけれども、結局そういうものにはならなくて、最初の均等法は、本当にひどいざる法だった。

・ あのとき女性の側は分裂した。労働運動側は深夜勤務禁止などのこれまでに獲得した権利を主張して反対した。積極的に賛成したのは自分たちの均等をつくろうとしたプロフェッショナルな人たちなど一部の人たちだけ。ところが、出てきた法案があまりにもお粗末なものだったので、逆に「反対」で団結して足並みがそろった。

◆4.99年改正均等法――セクハラ

・ 99年の改正均等法でセクハラへの対応が多少厳しくなったが、改正均等法の一番の問題はコース別管理が定着して、その分断ががっちり入ってしまったことだろう。一方で、日常茶飯事だったセクハラが、社会的規範としてだめだと定着させることに貢献した点もある。この改正均等法は本質的には変わらないのか、それとも少しはましになったと見ていいのか。

・ 多くの場合は評価されるものはあるけれども、根本は変らなかった。

・ いま各学校にはセクハラ防止委員会が必ずある。これができてから、男性教員が部活動関係の問題で解雇になるという事例が毎年2、3件ある。これは学校としては大きく変ったところだ。委員会は機能していると言えるだろう。

・ 法律と社会通念の両方が変化をもたらしたのだろう。

・ 86年の最初の均等法で、まがりなりにも女性が正規雇用で大勢働くようになった。それでセクハラが問題化した側面もあるだろう。

・ 「セクハラ」は三多摩の働く女性たちのアンケート調査で作った言葉。そのとき初めてこの「セクハラ」という言葉を使って問題化した。

・ ハラスメントを受けたことを言葉にし、社会的に訴える道具として、概念があるとないとでは全然違う。

・ 企業では、セクハラにたいして経営者が非常に敏感になっている。セクハラが起これば企業イメージを悪くするという実態がある。

・ 会社はセクハラに対して事なかれ主義的。そうではなくて、もっと文化が変るようなものが必要。たとえばアメリカやカナダでは、労働組合は七〇年代に組織解体に近いことまでやって、ものすごく苦労して変わっていった。日本はジェンダー問題についてそういったプロセスを経ていない。社会の文化を変えていくということがいまだに素通りされているように思う。そこはきちんと提起する必要があるのではないか。
 
・ 大きな組織は変ってないけれども、小さなところでは変ってきている。

・ たしかに地域の運動は変ってきている。地域は、80年代から女性がいろいろな運動で中心的な役割を果たすようになって、会議の持ち方にしても非常に変っていった。大きな労働組合がいちばん変っていないが、ユニオンなどと一緒にやるようになって、ちょっとずつ変る契機をもってきているのではないか。また若い世代は、感覚としてすんなり受け入れられるのかもしれない。

◆5.社会法保障を世帯単位から個人単位へ

・ コミュニティの復権とリベラルな個人主義のせめぎあいの論点については、新しい家族と親密圏をどう築いていくかという問いがある。まずは、世帯単位の経済社会制度をやめる、婚姻制度とそれに基づく家族を少なくとも制度的に特権的なものでなくす必要がある。しかしそれだけでは済まない。それだけでは、男女のジェンダー規範と経済的な搾取の問題に集中しがちだが、セクシュアリティの問題が残る。セクシュアリティの問題は、性的に搾取されるとか暴力を振るわれるとかだけではなくて、人間関係全体にまたがる変革の話。いろいろなところで話をしづらいテーマで、フェミニズム全体の目標であったことも日本ではないと思う。

・ それは制度で言えば、個人が誰とパートナー関係を組むのか、あるいは組まないかという関係性のつくり方は自由であって、これまでの社会保障を含めた家族や世帯のしばりをなくして、個人の生存権を補償すべき、ということか。

・ そうだ。人がどんな親密な関係をもっても、もたなくても生き難くならない自由や権利(親密権)を保障するには、制度として、異性愛の夫婦とその家族だけを優遇する制度ではダメということ。家族の機能を否定するものにはならない。どう実現するかは別にして、一人一人の個人の生存を保障するには、関係性の自由の保障も欠かせない。

・ 制度化されているものでしか保障がない。制度的にそこだけが保障されているところに問題がある。家族の組み換えとか地域のなかでのつながりとか、そういったことも保障される必要がある。

・ 生活保護が典型的。世帯の一人だけが受給するということはできない。

・ 戸籍とか財産権なども含めて議論する必要があるだろう。

・ 戸籍は普段あまり使うものではないからなかなか問題にならないが、個人の権利保障の制度的証明は住民票さえあればできる。婚姻関係の必要もない。EU諸国では親密な関係に関する権利がどんどん拡大して、市民パートナーシップのようにいろいろな市民権が出てきている。政治的権利、法律的権利、社会的権利の次に、個々人を基本にして、どんな人間関係をもって親密な関係を結んでも公的に承認され平等に保障されるべき、というのが「親密権」の考え方。

◆6.どうする、憲法24条

・ そこから、日本だったら憲法24条は改正しなければならない、という議論も出てくる。

・ 改正しないと、法律婚に対する特権性の付与はなくならないのか。

・ 専門家のなかには、24条の理念が個人主義・平等主義・差異に寛容であることから、改正しなくても非異性愛者差別には当たらない、という議論はある。しかし異性愛中心主義の問題は明らか。同性婚もダメとは言っていないが、両性の間での平等しか規定していない。これに基づく民法も婚姻は「夫」と「妻」のものとしている。24条には、家から独立した個人としての男女の平等な婚姻を追求する目的があって、その歴史的価値はもちろん評価する。けれども、異性愛中心主義が女性だけでなく性的少数者全体を含む広い意味での性差別の大きな原因とすれば、この価値は考え直されるべきだ。

・ 24条改正にこだわるよりも、異性婚の法律婚の優遇性をばらしていく、個人の生存権を保障して、自由なつながりを、というイメージを出した方がいいのではないか。

・ 24条を改正しなくてもできるとは思う。24条自体は異性愛に限っている文言ではあるけれども、その関係自体に他の関係よりも優遇するということは書いていないから矛盾はしない。

・ 憲法のせいで差別されているわけではない。社会的な問題。

・ 同性婚を前提にしない時代につくられているから、原理として差別的であるのは当然だろう。しかしそういうふうに機械的に解釈しなくてもいい文言もいろいろあるから、そこだけ解釈の仕方で運用の形態を考えることはできる。

・ 理想としては、現実を変えていって、最後に「24条はもう古い」となるといい。24条改正を言うのは、24条を守ると言っている人たちが自分たちの異性愛中心主義にあまりにも鈍感だからだ。女性の人権を守ろうと言っている人たちの多くが、他の少数者を憲法原理的に差別している、少なくとも無視していることは間違っている、ということは言っておいた方がいい。

◆7.コミュニティ・家族・親密圏

・ オルタナティブな提言をしようとしたときに、社会保障制度を個人主義に戻すことは必要だと思うが、家族ではなくとも、親密圏をベースとして成立しているコミュニティというのはあると思う。農村コミュニティなどはそこが壊れるとコミュニティ自体も壊れるということがある。最小単位の親密権を守るという問題との整合性をどう考えるか。ただ社会保障を個人単位に、というだけでは不十分ではないか。

・ コミュニティの問題と親密圏の問題はイコールではない。農村の場合には、生産の単位としての家族ということが現実にあった。だから、家族が解体すれば日本の農が解体されるということになる。農業の問題は、部落単位で行動しなければ成り立たないものがあるわけだから。

・ 親密圏は性的なことを媒介にして固定化されているイメージがまずある。地域の共同体との強力な関係がもつ問題と家族問題とは違って、親密圏は両方にかぶっているようだが、そこがどうのように整理されているのか、よくわからない。

・ 理論的には整理されていないが、親密圏は性的なものが媒介する場合だけとは限らない、というのは原則だろう。親密な関係であれば友人同士でもやくざさん同士でも入る。そこには危険な関係もある。コミュニティとも家族とも重なっている場合もあれば、違う領域を含む場合もある。

・ いまの家族の問題からくるものは別に定義しなくてはいけない。「家族」という言葉を解体するべきかどうか。「家族」という概念を使いながらその中身を解体していくのか。

・ 家族といったときに、常に裏側につきまとってくるのは財産権の問題。例えば、農業では、家族での土地の継承ということがあるから、家族農業が前提になってつくられてきている。それと、家族の関係性の問題としての親密権の問題は、別の問題なのでは。

・ 日本で言えば、婚外子差別に典型なように、特定の家族形態に特権性を与えている。それはダメということはできる。
農村では家族の問題は最後までひっかかるだろう。しかし現実として家族農業は成り立たなくなってきている。農業を継ぎたくないという若者が一方で、農業を始めたいという若者が増えていることをみれば、考え直さなければならないだろう。

◆8.子どもの権利

・ これまでの議論に子どもの問題が抜け落ちているがどう考えるか。

・ 家族単位から個人単位に変えることは子どものメリットにもつながると思う。依存性が高い関係をもたざるを得ない人ほど、ベーシックインカムのような生活保障はされるべきだし、そのなかでも今親権者への所属が当然とされている子どもの権利はもっと優先されるべき。しかし、独立した個人の権利は、子どもの場合「保護される権利」と一緒に保障されなくてはいけない。
 家族単位でやってきたことは悪いことばかりではなくて、「親近感」といったメリットはある。私も「家族」以外の言葉を編み出したいと思っているが、とりあえず、子どもが育つにはある意味での「家族」は必要。その場合の「家族」は血がつながっていなくてもいいし、お母さん二人でもいい、というような自由な枠組みであることが理想。

・ ベーシックインカムは性別とか仕事をしているいないを問わず、一人ひとりの生存権を保障するもの。そうすると家族としてのしばりは弱くなるが、そのとき親子関係はどうなるか。経済的なことを抜きにしても必要ではないか、という問いは残る。

・ 一つの原則として、法律は特定の人間関係を優遇しない、ということはある。しかし、誰かに依存して生活せざるをえないような関係の場合は、そこは保護するべきで、例外を設けるべきだと思う。

・ 子どもが育つときには、依存し、育てられる関係は保障されなければいけない。それは血縁である必要はないし、二人いなくてはいけないということもないが、絶対的に愛情を注いでくれる存在は必要。家族なら愛情を注げるかといえばそんなことはないので、別のところででそういう関係を保障する必要がある。親子の場合だけでなく、障がい者や老人の場合も同様で、依存関係が必要な場合にはそれを選択できるような仕組みを社会として作って行くべき。

・ 家族のなかにいれば守られるとも限らないから、子ども自身に保障を付属させるようにした方がいい。

◆9.差別禁止法

・ 日本の場合、差別禁止法を言わなければいけないのではないか。それと、政策決定への女性の参加促進をどう考えたらいいか。

・ 差別禁止法を導入する場合の大きな論点は刑事罰をつけるかどうか。ヨーロッパでは、刑事罰の対象になる。

・ そこはいま在特会などが出現してきている状況のなかで、かなりシビアな問題。立法化要求をするべきかどうか。

・ 人種差別撤廃条約というのはあって、それを批准すれば、とにかく法律を作らなければいけない。それを日本は全然やっていない。おそらく調印もしていないのでは。鳩山内閣は人権問題でどういう立場なのか。差別禁止が国の公的な基準になってないということが問題。

・ 権力の力を使って取り締まるというのと、社会運動の力で押し返していって、人びとの意識を変えるということと、両方でいく必要があるのだろう。

・ ドイツのネオナチ問題では、取り締まる法律があったために逆にネオナチなどが出てきた、社会的に不平等な扱いを受けているという意識が彼らの構造を支えていた、と整理をする人もいる。ただ、反天皇制の運動との関係では、警備から「危ないですから僕たちが付きます」といわれたりする。警察はそういう論理を利用するから、それを合法化するというのはとても怖い気がする。

・ 刑事罰についてはどうか。刑事罰をつけなかったらどういうものになるか。

・ 刑事罰をつけなくてもいろいろあるだろう。会場を貸さないとか。

・ だが石原都知事の三国人発言のときには、処罰は必要と思ったが。法制化に一番近いところにいるのは障がい者。差別禁止規定を含む法律ができるだろう。   

・ 石原都知事のような公的な立場にいる人間とそうでない人間とは区別して考えた方がいいだろう。

◆10.「同一労働同一賃金」か、「同一価値労働同一賃金」か

・ ワークシェアリングについては、何を念頭において提言を考えるか。全体の賃金水準がこれだけ下がっているときに、ワークシェアと言ってもだめではないか。

・ ワークシェアリングで時間が減って賃金が下がることへの抵抗感は、ローンと教育費の強い負担感によるところが大きい。だが、それはそもそも賃金として払うべきものか。住まいも教育も公共サービスとして提供する形にすれば正社員もそれほど高額な収入は必要なくなるはず。社会的なサービスの問題とセットで考えなければいけないだろう。非正社員の賃金も、生活できるだけの賃金にあげるか、それができなければ社会サービスを考える必要がある。日本の場合のワークシェアリングは、まず派遣を切って正社員のなかだけでワークシェアをやって雇用助成金をもらうという、まったく間違ったやり方だ。

・ もう一つの問題として男女の賃金格差が非常に大きい。やはり雇用形態による身分格差の撤廃は絶対に必要。だから「同一価値労働同一賃金」と同時に「同一労働同一賃金」を主張しなければいけない。

・ たしかに異種労働の場合と、身分とか雇用形態の問題とは区別する必要があるだろう。

・ 同一価値労働同一賃金のなかに同一労働同一賃金は含まれないのか。

・ 含まれない。同一価値労働はもとは公民権運動のセグリゲーション(隔離)という概念からきているもので、社会的評価による比較のプロセスが含まれる。だが同一労働の場合はそうではない。一つの職場に異なる身分が存在して、同じ仕事であるのに賃金が違う。身分格差については、同一価値労働の概念ではカバーできない。

・ 同一価値労働の問題が言われるのは異種の場合。ケア労働は家事労働の延長だからというような理由で賃金が低く押さえ込まれたことに対する反撃として言われてきた。同一価値労働については誰が何をもって同一価値とみなすかが大きな問題。経営者は企業の論理で決めるが、我々はもっと社会的に考える。

・ 誰が価値を決めるのかは大きな問題。誰が何を有用というか。

・ 同一労働同一賃金はもともと経団連が言っていたという経緯があって、それを運動側は使いたくないということがあったのではないか。

・ 裁判で使われたのでは。その裁判で勝てるのが同一価値だったということ。

・ 日本の戦後は生活給か職務給か、という問題のなかで、同じ仕事に対しては同じ賃金をということで職務給を入れてきた。賃金による生活保障はしないということ。そのときに経営側が「同一労働同一賃金」という言い方をした。それに対して生活保障を求めて労働組合が同一価値労働を使ったのではなかったか。

・ 両方必要だということだろう。ワークシェアリングということでは同じ職種で一方が1000万、一方が200万という現状で、1000万のほうに200万か300万下げろというのは、まっとうだと思うが。

・ オランダの場合だと、不景気に耐えるために一人当たりの労働時間を減らして全体の雇用を守り、社会保障も維持している。一方でジェンダー差の点では、パートの女性割合がヨーロッパのなかで一番高く、女性が家事育児介助とペイドワークを両立させる方向も強い。家族中心主義という点でも変っていないようだ。それでも、社会保障があるならよしとするか。

・ 身分格差などの問題領域と、全体の労働時間を短縮するということは両方を言う必要があるが、立て方としては分ける必要があるだろう。

・ ワークシェアの問題はワークシェアとして出して欲しいし、同一価値労働同一賃金は別個に出す。もうひとつ、身分差別撤廃も別個に出す。

◆11.グローバルな視点からみたジェンダー問題

・ 国際連帯税も、もう少し公正な税率でと言いたい。また、個人単位を主張するのであれば、教育費や住宅の問題とか、家族制度解体とか、そこから離脱する自由とか、そういうことを合わせて言っていかないと、家族のなかでの暴力の問題などと辻褄があわなくなる。財産権では「遺言」ということを言っていく。これは制度としてはすでにあるが、これをもっと利用する文化を作っていくことが必要。当事者のことや生活保障を契約として、この人とはこういう関係で、というようなことをいれていかなければいけない。

・ 世界的な再分配制度を進める必要についてはどう考えるか。

・ 国際連帯税やトービン税に関しては、誰が分配するのかということが議論されているが、そこが決定的なのでは。国連にその機能をまかせていいのか。

・ 国連にその機能はない。具体的にあがっているのはIMFくらい。

・ UNCTADという案も以前はあった。独自の機関をつくるべきという考えたかもある。

・ 提言は一国だけで何か完成した形を作ることはできないが、一国がどうでもいいわけではない。グローバルな展望を持ちながら、ここから始めようという位置づけがいいのではないか。グローバルに世界的に動いていることとどこかで合流するというパースペクティブが必要。

・ 一国のシステムをポータブルなものにした場合、途上国から来た人たちはどうするのかという問題は残る、ということをあわせて議論することはできる。課題提起だけになるかもしれないが、この点は忘れてはいけない。これからこれらの問題に直面する、ということが整理できるような形にする必要がある。

・ FTAなどの国際的なシステム対して日本はこうあるべきだ、こういうふうな対応を取るべきだという意見が一定程度入っていたほうがいい。
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