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福島原発危機に対するドイツの反応――福島は警告する

梶川ゆう(ドイツ在住)
2011年3月28日

 3月11日の地震・津波のニュースに相次ぎ、福島原発の冷却システムが作動しなくなったという報道が入ったとき、悪夢が本当になったと思った。でももっとびっくりしたのは、日本の報道をインターネットで見ているより、ドイツの報道を追っているほうが、原発の今後の予想、分析が具体的に、そして詳しく説明されていることだった。ドイツにおける反原発運動は単に歴史が長く、日本のように地域で点在せずに全国レベルでの連帯が可能なだけではない。チェルノブイリ原発事故があってから、「原発撤退」を創立理由に掲げてきた緑の党がすでに政権にも加わってきたし、環境問題を重要課題として政治レベルで取り上げる土台をつくり上げてきた。

 社会党(SPD)と緑の党(Gruenen)は、連合政権を組んでいた間、電気会社との交渉でかなり批判に値する妥協はあったものの、とにかく「原発から撤退」する法律を2002年に成立させていた。それによれば、新しい原発の建設禁止、既存の原発に関しては、運転開始から平均32年しか操業してはいけないことなどが決まり、その後、実際にいくつかの古い原発が操業を停止した。この原発からの撤退法律が成立したとき、キリスト教民主党(CDU)は、「政権を握り返したらこの法律を覆してやる」と言っていたが、実際に2009年にCDUと自由民主党(FDP)の連合が政権を握ると、さっそくその法律を覆す「原発撤退からの撤退」法律を2010年に議決してしまったのである。この法律により、今にも操業を停止させられるはずだった1980年以前に建設された原発2基がさらに8年操業を許されることとなった。そのほかの原発も、平均で12年稼動年数延長が許された。この2基のうちの1つ、ネッカースヴェストハイムは、私の住んでいるシュベービッシュハルからたったの65キロくらいのところにあり、今福島で水素爆発してしまった原発よりもさらに古い型のものだそうだ。

 3月11日に悪夢のニュースがドイツで流れてから、翌12日の土曜日にはすでに、そのネッカースヴェストハイムの原発停止を訴えて、原発施設からシュツットガルトまで45キロに及ぶ「人間の鎖」ができた。この行動に参加した人は約6万人。前から準備し計画していたデモではなく、11日に福島のニュースが入ってから急に起こした行動なのに、これだけの人間が集まったということは、それだけ「日本で起こっていることは他人事ではない」という自覚をたくさんの人が持ったということである。

 私はテレビがないので、インターネットだけでありとあらゆるニュースや情報を選択しながら見ているが、13日の日曜からはドイツでは、あらゆる原子力の専門家(電気会社お抱えの、ではなくグリーンピースの原子力専門家や、チェルノブイリの事故を詳しく分析した学者など)が、福島で今なにが起きているのか、最悪の場合なにが起こり得るのか、それを防ぐにはどういうことができるのか、という推測と分析を詳しく読むことができたし、友人に聞くと同様の番組がテレビでも多かったと聞いた。私が、こんなに遠くにいて、原発に関する情報が日本の報道より詳しいように見えるのはどうしたことか、と嘆いたのはそれゆえだ。

 週末が終わり月曜になると、さっそくどの政治家も「原発に対する懸念」を表明しないわけには行かなくなった。原発撤退法律を成立させたSPDと緑の党がこれをきっかけに「原発撤退からの撤退」を覆すよう求めたのは当然といえば当然だが、それまで原発推進派で、古い原発をどうにかしてあと何年も運転させようと躍起になっていたCDUの連中まで、これはまずい、と思い始めたのは明らかだった。ことに、ドイツ国内でも影響力の強いシュツットガルトが州都であるバーデンビュルテンベルク州(私の住む場所でもあり、ネッカースヴェストハイム原発もある)は州選挙を27日に控え、このままでは選挙に悪影響だ、と思ったに違いない。ただでさえ評判を落としているCDUの州政府首相マップスは、筋金入りの原発推進派だったのだ。メルケル首相はさっそく原発稼動延長計画を凍結する、と発表したが、この凍結は実はたったの3ヶ月だけのことだとわかり、3ヵ月後、つまり選挙が終わってからはまたこれまでの原発稼動延長コースを続けるに決まっていると見た野党からは、「選挙のためだけのポーズだ」と非難が集中した。

 予想をはるかに超える地震・津波で原発の冷却システムが作動しなくなった11日から1週間後の18日金曜日、私の町のシュベービッシュハル(人口約37000人)の文化活動に携わる関係者(たとえば野外劇場などが率先して)の呼びかけでMahnwacheが行われた。このMahnwacheというのは英語で言うキャンドルライト・ビジルで、まだ日が暮れる前に行われたのでろうそくこそなかったが、災害などの惨劇で失われた命を追悼し、またはある集団が受ける苦痛などを抗議するための、デモのように行進はしないで、広場などで集会するだけの行動である。このような行動が、その前後全国各地でも行われたが、私の小さい町でも、夕方の5時という時間に約300人近くは集まったようだ。代表者が即刻の「原発停止」を呼びかけ、15分近くの黙祷を捧げ、「Fukushima ist ueberall」(福島はどこにでもある)と警告した。

 バーデン・ビュルテンベルク州とラインランド・プファルツ州の選挙を翌日に控えた26日の土曜日には、ベルリン、ハンブルク、ケルン、ミュンヘンの4都市で大規模なデモが行われたが、これには予想をさらに上回る人が集まり、チェルノブイリ事故当時以上といえる最大級の反原発運動が、この福島をきっかけにドイツで起こったことがあらためて明らかになった。この4都市を合わせて、なんと約25万人がデモに参加した。小春日和の暖かい天気も幸いして、小さな子供を連れた家族から年金生活者、パンク風の若者から一見保守的な容貌の中年の男性、10代の若者から老人まで、ありとあらゆる社会層から人が道路に繰り出して、大きな都市の中心を埋め尽くしていった。もちろん緑の党や社会党などの政党も参加していたが、そのほかに労働組合や様々な環境保護団体も集まって、これだけの人間を動員したのである。どの都市でも陽気な、パーティ気分のデモで、それぞれの格好で、それぞれの手作りの横断幕やシンボルを掲げて街を練り歩き、踊ったり歌ったり、シュプレヒコールに声を合わせたりしながら行進した。そして抗議声明で「もう電気会社の嘘はこりごりだ、ドイツの原子力ロビーは福島でこれだけのことが起きているのに、まだごまかそうとしている、今こそ原発からすぐにも撤廃を」と呼びかけた。

 福島で起きたのは、想定以上の地震・津波という「信じがたい」偶然が重なって、最高技術に守られた「安全なはず」の原子力発電に起きた、想像を絶する惨事である。こうした事故はほかのどこかであり得ないという保証は、一切ないのだ。ドイツではあれほどの地震や津波はありえない、といくらいっても、起こり得る災害は地震・津波だけではないし、そもそも放射性廃棄物の最終処分さえ、安全な方法が見つからずに、どうしてあれだけ恐ろしいものを扱う原子力発電に依存した社会を作ろうという発想がでるのか、普通に考えても理解ができない。

 ドイツも日本と同じで使用済み核燃料の再処理をラ・アーグに依頼しているが、再処理後、再処理不能な放射能廃棄物はドライキャスクに入れられて、使用国に返還される。フランスからはドイツには鉄道で運ばれ、それから特別輸送車で、ゴアレーベンにある排気処分施設に送られる。その送られる日にちを極秘にしていても、原発反対の運動家たちはその日にちを探り当て、ありとあらゆる反対行動を起こす。輸送の鉄道が通る線路に自分の体を鎖で繋ぐ人たち(警察官などがその鎖を切らねばならなくなるので、鉄道が実際に通る時間が大幅に遅れる)、鉄道が通りにくいように線路脇の石をくずしていく人、または鉄道での輸送が終わって道路に出れば、道路に寝転がって車が通れないようにする、などである。また、北ドイツにあるゴアレーベンは、廃棄物輸送用キャスクの収納施設があるのだが、もともとゴアレーベンには岩塩岩株があり、その岩塩坑が放射能廃棄物の最終貯蔵にふさわしいのではないかと、1986年からその適性が調査されてきたが、前に触れたSPDと緑の党の連立政権の際、その適性調査を原発撤退法律の一環で凍結していた。そして、去年それを覆す「原発延長」が決まった時、レットゲン環境相が、その凍結をまた解いてしまった。

 ドイツは日本やフランスほどではないとはいえ、17基の原発を国内に抱えている。そして、いまだに、クリーンな電気(太陽や風力、水力、地熱等の発電)で十分な電気がまかなえるまでの間、原発を稼動させなければ電気が足りなくなる、といった原子力ロビー、電力会社の嘘を信じている人たちもたくさんいるのは、日本と同じである。1998年の4月から、ドイツでは電気会社が自由に選択できるようになった。つまり、電話と同じで、「この会社は原子力発電だからいやだ」と解約し、コジェネレーションや再生可能エネルギーを最大限に利用している電気会社と契約を結ぶことができる。表向きは「自由経済」原則で、電気の値段も会社によってまちまちである。ただ、これは、そうはいうものの、同じコンセントにコードをつなげて電気を得る以上、完全に「選べる」とは言い難いのが、この自由選択ではある。それでも、たとえば東電の客であることをやめることができない関東の消費者に比べたら、その選択の余地があることはやはりすばらしいことだと思う。

 さて、この文章を書いている間に、選挙の結果が出た。58年にわたってCDUが支配してきた保守的なベンツの州、バーデン・ビュルテンブルク州で、初めてCDUが落ちただけではない。なんと、ドイツ史上初めて、緑の党の州首相がでることになった。保守的な州だからまだまだCDUは38%と第1党であることは変わりないが、FDPは今回地すべり的に落ちて、とてもCDUと連立を組めるどころではない。緑の党は5年前の州選挙と比べて倍に票を増やして25%と第2の政党となり、DDUやFDPと同じく苦戦したSPDと連立が組めることがほぼ確実となった。投票率も、今回は5年前よりはずっと高くなっている。CDUの誰かが、「今度の選挙は福島で決まった」とこぼしているそうだ。この州選挙では、各地区で出馬した候補者を選び、住民の数に比例して州議会に送り込むわけだが、私の住む選挙地区は、田舎の保守層がもっと集まっていて、緑の党の候補を州議会に送り込むことができなかった。残念無念。

 地震・津波が起きて原発の事故に繋がってから2週間の間に、ドイツではありとあらゆる報道が行われた。新聞や雑誌でも、これだけのことがあって、こんなに落ち着いていられる日本人のメンタリティや社会構造をあらゆる角度から説明しようとする日本学者や日本人との関係が長い人物などの論評も出たし、最悪の事態としてなにが今想定できるのか、また東電や政府が出している数字や状況説明から、なにが起きているのかを分析する声、その政府や東電の対応の甘さを批判する意見など、ありとあらゆるものがあった。9000キロ離れたこのドイツですら、福島の事故はただ事ではなく、チェルノブイリ以降、ほとんど買われることのなかったヨウ素材の錠剤が薬屋で売り切られるほどだとか、ガイガー測定器が飛ぶように売れている、とかの話も聞く。

 異国に住む日本人として私は、こんな非常事態にあってもいつもの日本の構造や社会序列が変えられないことがもどかしい。例えば、福島みずほや、共産党の人など、それなりに国会でいい指摘も質問もしているが、それでも「この期に及んで、これだけ敬語を使わなければ話もできない」、つまり直接批判したり、要望したりするのでなく、「大変でございますが、このところを是非」みたいな言い方で言わなければならないのか、そこに議論が成り立ちにくい日本人と日本語の構造がはっきり出ている。ジャーナリズムというのは記者会見などで述べられたステートメントをそのままコピーするのではなくて、そこからしっかり理由を問いただし、曖昧なところは突っ込み、矛盾する内容は指摘しなければいけないのに、また、自分自身で取材し、分析し、報道する義務があるはずなのに、表面にでてくるマスメディアには、真のジャーナリズムの欠片もないようにしか見えない。これだけ「教育水準」が高いはずの日本で、どうしてこんなに放射能、原発に対する知識(意識だけではない)が低いのかも、とても不安である。どうして、放射能の測定値を、たった1度のレントゲンと比較する政府の説明に対して、「馬鹿にするな」とすぐ反応できないのか。放射能は風向きによってこれだけ影響の仕方が変わるのに、どうして花粉情報や気象情報のこれほど多い日本で、放射能の行方を天気予報で出さないのか、どうしてこれだけのことがあって、まだ「原発は必要だ」という原子力ロビーの撒いた嘘を信じ、自分たちの生命に対する危機感をもたずに「しょうがない」と今までどおり生活していけるのか、あるいはこれ以上いやな話は聞きたくないから、耳をふさごうとしているのか。そしてまわりとは違うかもしれぬ自分だけの意見を持ち、それを主張する能力が身に付かない、あるいはそれが育ちにくい日本語と社会の構造が、今こそ恨めしい。ここでこそ、一人一人がはっきり意識を持って、「これはいやだ」「反対しよう、原発を安全だなどという嘘にごまかされてはいけない」と表明していかなければならないのに、と私は怒りをぶつけるあてもなく、遠い異国から毎日、故郷のニュースを追っているのである。大勢が「出る杭」になれば、打たれなくなるだろう。

 ドイツでもこれからは原子力発電に依存した社会からの脱出をめざそう、とはっきり意識を固めた人がこれだけいる。でも、日本は今、自分たちが直接、恐ろしい状況にさらされているのだ。健全な危機感を取り戻してほしい。どんなに遠く離れていても、日本は私のふるさとで、このような地獄図が現実になってしまったということは、身を切られるほどの痛みである。
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ゲスト   投稿日時 2011/4/7 19:54
こういう海外におられる方からの
記事を読むたび、
海外各国に在住の人に、多くの日本人が
してほしいと思っている支援は
英語やドイツ語等外国語で今回の事について書かれている
できるだけ多くの記事を
日本語に翻訳し、
ネットに載せていただくことだと伝えたいです。

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