メニュー  >  「『要石:沖縄と憲法9条』読書メモ(つるたまさひで)」への応答/C. ダグラス ラミス
※以下の文章は、PP研の会員向け「ニュースレターNo.37」(2012年4月発行)に掲載された鶴田雅英さんの『要石:沖縄と憲法9条』読書メモに応答して、著者のダグラス・ラミスさんからPP研へ寄せられた文章である。お二人のやりとりは、その後、鶴田さんから「ラミスさんへの返信」が送られるという形で、現在も続けられている。読者のみなさんからのご意見も、お待ちしています。(編集部)

「『要石:沖縄と憲法9条』読書メモ(つるたまさひで)」への応答
C. ダグラス ラミス

2012年6月22日記

 鶴田雅英さんの『要石:沖縄と憲法9条』の書評(People’s Plan Newsletter No. 37, 2012/3/31)を読んでうれしかった。きついことが書いてあるが、「やっと真面目な返事がきた」と思った。普通、沖縄から米軍基地の県外移設を提案すると、無視されるか、問題外にされるか、話のテーマをずらされるか、とにかく議論を避けられることが多い。鶴田さんの書評は、その問題提起を直接取り上げて反論しようとしているので、これは議論の始まりだ。

 ちなみに、鶴田さんは「ラミスさんが喧嘩を売っている」か、と書いたが、そのつもりではない。あまりにも返事がこないので、ちょっと声を上げて叫んでみたということだ。それで返事がきたので、成功。喧嘩を売るように聞こえたなら、それは私の文書力のヘタさだ。怒らせてごめんなさい。

 中身に入ろう。鶴田さんは以下の文を引用する。

(?前略?)本土日本でほとんど存在しない反安保運動が、もうちょっとで実現できそうなふりをし、沖縄を騙そうとするやりかた[がある]。

 鶴田さんはまず、ラミスは自身が東京に住み反安保運動に参加していたとき、沖縄を騙そうとしていたのか、と質問をする。その批判は当たっている。その本土日本の反安保運動の考え方は私にとって他人事ではなく、長い間自分の考え方でもあったことを、本ではもっとはっきりと触れるべきだった。そして以下の分析は自分の自己批判でもあることを認めなければならない。

 鶴田さんにそう聞かれたおかげで、十二年前の自分の考え方を思い出そうとした。思い出したのは、東京で初めて在沖米軍基地を本土日本に移転すべきという提案を聞いたときのことだ。

 多分1999年だったと思うが、PP研主催のシンポジウムだった。鶴田さんもその場にいただろう。上原成信さんが、「もうこれ以上待てないから、普天間基地を本土に移転するべきだ」というような発言をした。PPのパネルはそれを問題外にし、すぐに片付けた。パネリストの一人は「沖縄の人が言っているからって、すべて正しいとは思いません」と言った。司会者は「僕たちは反基地運動をしているので、基地誘致運動をすることはできません」との一語で反論した。私は客席に座っていて、司会者と大体同じことを考えていた。そして確かに「えへへ、沖縄を騙そうじゃないか」という気持ちはなかった。だから鶴田さんの「少なくともぼくには騙す意図はなかった」というのは、そのとおりだろう。「騙す」ということには「騙す意図」を意識することが必要であるなら、「騙す」という言葉は適切ではないかもしれない。

 では、その言葉が適切ではないなら、その現象を正しく示す、代わりの言葉をさがさなければならない。なぜなら、騙す意図がなくても、騙される人がいるからだ。いくつかの候補を考えた。

 ちょっと社会学くさいが、「構造的騙し」はどうだろう。「構造的差別」とは、その差別が社会構造に組み込まれているので、個人には積極的な差別の意思がなくても、その社会構造に疑問なしに参加すれば、自分の行為は差別的な結果を生む、ということだろう。それに似たように働く「構造的騙し」があるかもしれない。つまり、「移設という中途半端な大義名分ではなく、安保を廃止し、すべての米軍基地を日本から追い出すことを目的にしなくちゃ」と真剣に信じれば、その結果として米軍基地が沖縄に固定化されることは、自分が意図したことではなく、社会構造のせいだ、という論理になるだろう。この分析はある程度当たっているかもしれないが、まだ問題がのこる。

 鶴田さんは次のように書く:

 (?前略―)「反安保」という課題に限っていえば(?中略―)「もうちょっとで実現できそう」なんて思っていたり、そんなふりをしている人はいないはずだ。

 なるほど、そのとおりだろうね。12年前のPP研主催のシンポジウムで上原さんの普天間基地の本土への移転の提案を問題外にし、「反安保」の立場を考え直そうとしなかったみなさんには、安保条約をなくすことが実現できそうな目的だと思っていた人は一人もいなかっただろう。そして「移設ではなく、廃止」というような文章を書く人、「県外移設」を言うなら連帯できないと脅かす人、「県外移設」という言葉をビラやニュースレターから削除する人、もそうだろう。だって、日米安保条約の日本での支持率は七十%以上だし、護憲運動でさえ、安保も憲法も両方欲しい人の支持が欲しいので、なるべく安保のことに触れないようにしているだろう。安保がなんだがわからない大学生もいるし、PP研も含む反安保派が企画した「2010安保闘争」には300人ぐらいしか来なかったと聞いている。そういう中で、「もうちょっとで実現できそう」と思っている人はいないだろう。

 ところが、先月「沖縄の日本復帰40周年」をきっかけに、沖縄タイムスと琉球新報に全面意見広告が載っていた。連絡先の電話番号は03と06で始まるものだけだった。「沖縄と連帯する」という雰囲気だったが、県庁と宜野湾市役所の政策となっている「県外移設」はどこにも書いていない。ど真ん中に「基地のない沖縄、そして日本を」と書いてある。「(米軍)基地のない日本」はもちろん、安保廃止が実現した後の話だろう(自衛隊基地をも意味したことなら、さらにすごいが)。賛同者の数は5001件だったと書いてある。沖縄のもあったが、圧倒的にヤマト日本のものだった(さすがに、PP研の名前は書いていなかった)。

 その5001の賛同者(内215団体)は2010年の反安保デモには来なかったようだ。安保廃止が実現できそうもないのを、鶴田さんと同じようにわかっているだろう。しかし沖縄に向かっては、「基地のない日本を」を言うのだ。その言葉の使い方は言語行為として、どの範疇に入るのだろうか。単純な「騙し」ではないと、鶴田さんに説得された。では、何だろう。「私の理念のほうが、あなたの理念よりレベルが高い」という自己満足の側面もあるだろう。停戦条約より平和条約のほうがレベルが高い。平和条約より不戦条約のほうがレベルが高い。不戦条約より世界平和のほうがレベルが高い。しかし、例えば米国とベトナムがパリで停戦条約を交渉しているとき、その部屋に入り込んで、「戦争を原則として認めているから、停戦条約はだめだ。目的は世界平和だ!」と叫んだら、それは確かにレベルは高いが、役に立たないどころか、大きな邪魔だろう。

 最近わかったことだが、最もラディカルな路線は最も極端な路線とはかぎりない、ということだ。「世界平和」と言うと、誰も不安にならない。「安保廃止」、「基地のない日本」と言っても、怒る人はほとんどいない。「県外移設」をいうと、人は不安になり、怒ったり、場合によってパニックに陥ることもある。理由の一つに、それは実現可能だから、ということがある。しかし、それだけではないだろう。

 繰り返しに問題提起をすると、できるわけがないとわかりながら、これをやろう、これ以外の路線を認めない、という言い方の中身は何だろうか。

 構造的騙しの部分、自己満足の部分、(できるわけがないという安心感の部分)もあるが、自分を騙している部分もあるだろう。ここでオーウェルの二重思考という概念が役に立つ。 二重思考とは、自分の考えの構造に非常にまずい事実があった場合、その事実を自分から隠すが、しかし、それを隠すためには、何を隠すかを知らなければできない。したがって、その事実を同時に「知らない」と「知っている」という状態となることを言う。ヤマト日本の人は沖縄の人に、「県外移設ではなく、基地のない日本が目的だ」と言うとき、その二重思考状態に近づいているのではないだろうか。つまり、そのことを話している、あるいは書いている最中、自分が「できるわけのない」解決を提案しているということを、どのように意識しているだろうか。結果として、その言い方が米軍基地の沖縄への固定化に貢献していることをどの程度、あるいはどのように、意識しているのだろうか。「普天間基地は本土に来て欲しくない。しかし『宜野湾市に置けばいい』とも言えない。したがって『安保反対』という。それは実現できるわけがないので『宜野湾市に置けばいい』と同じ結果を生む、という事実をなるべく考えないことにする。そしてその実現不可能な運動を沖縄の人たちに進めていることを『騙し』だと思いたくないので、それを『運動の理念をより優れたものにレベルアップしている』と考える」。これは二重思考か何重思考なのか、よくわからないが、騙す意図を意識しなくても、相手も自分も騙されることになる。

 二年前、私は北海道で沖縄の県外移設思想を説明する講演をしたが、フロアーから反論がきた。実は、それはその10年前のPP研主催の集まりで、上原さんの提案に対して「沖縄の人が言っているからって、すべて正しいとは思いません」と言った人だった。彼の私への反論は、「軍基地はどこにもいらない」だった。私は、「それはそうだが、それが日本で実現するのに、あと何年かかると思いますか」と聞いた。答えは、「それ、考えたことない」。
 
 上原さんの提案を聞いてから10年間も考えなかったというのがお見事だ。

 でも、それは考えなければならないことだ。今の日本の政治状況を出発点とすると、安保廃止までの考えられる最も早い過程で進めば何年ぐらいになるだろう。まず七十%の安保支持率を四十数%の支持率まで減らさなければならない。そして、安保廃止を大義名分と(本気で)する政党を作らなければならない。そしてその政党に選挙で過半数をとらさなければならない。それから安保廃止と公約した内閣を作らなければならない。内閣だけではなく、安保廃止を認める官僚もつくらなければならない。つまり、日本の政治の思想と文化を抜本的に作り直さなければならない。それはすべて可能だと私は信じる。しかし、奇跡的に早く進んでも、何十年もかかるだろう。

 問題は、その何十年の間、米海兵隊の今普天間基地にある軍団は、どこに置けばいいのだろうか、ということだ。

C. ダグラス ラミス
プリンタ用画面