2015年2月18日(水曜日)

ことばの魔法と漢字の書き取りー大和田清香

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- 事務局 @ 22時03分46秒

最近字を書くとき、うっかり線を一本多く書いてしまうことがある。「毛」とか「手」とかがそうで、書いてしまってから、何かが変なことに気づく。二本あるべきところが、三本になっている。それで困って、間隔の狭い方の二本の間をむりやりぐりぐり埋めて太い一本と細い一本に見せかけて誤魔化そうとする。誤魔化せていないとは思うけど。

この年齢になって無意識にこんな間違いをするのも、わたしが字を「正規」の教育をつうじてというより、まったくの我流で覚えたことに関係しているのかもしれない。わたしは3歳のとき読み書きを覚えはじめて、読める限りの本を読みあさり、小学校の入学式には当時とくにお気に入りだった本をしっかりと抱いて参列した。ちなみにそれはモーツァルトとベートーベンと瀧廉太郎の伝記で、なぜその本にそんなに夢中だったのかはのちの私にとっては謎である。
両親が字を教えるのに熱心だったわけではない。水俣病との出会いから70年代に有機農業運動の道を歩みはじめていた若い両親は、あまり人為的なことを好まず、母などは、3歳年長の姉がわたしに字を教えようとすることにやんわり疑念を呈していたほどだった。しかし他人の思惑など関係なく、わたしは読み書きの喜びに没頭した。読むだけでなく、自分の創作を新聞に挟んであるチラシの裏に次から次へと書き綴り、「ノート」は長いこと、思い描きうる最高のご褒美だった。白いノートをもらうと、ページをくってもくっても中身が白くて、そこにどれだけたくさん物語をくりひろげられるかと思うと嬉しくてたまらなかった。
姉は、ことばが怖かったという。自分の感じていることとことばがうまくリンクせず、ことばが自分をゆがめ、裏切ることが姉を苦しめた。妹にとっても、ことばはある時期「敵」であったようである。わたしのきょうだいたちはみな、ことばと自己の間で葛藤し、十代の一時期、ことばを極力封印することで自分の身を守ろうとすらした。
しかしわたしにとって、ことばは魔法であり、翼だった。弱く、重たく、地面にぺしゃりとはりついた泥のような小さな肉体に較べ、ことばは変幻自在に空と大地を駆けめぐり、地上のあらゆるものを、あるいは地上にまだ生まれ出ていないものすら、わたしのもとに連れて来てくれるように思われた。ことばはわたしをきつねにし、石ころにし、風で飛んでいく落ち葉にした。ことばがわたしを棄てるのは、ずっとずっと後になってからのこと、たぶん二十歳をいくらか越えたころのことだ。
話を戻すと、そのようにことばへの愛情に満ちあふれ、ことばと親しくかたく結びついていたわたしには、小学校の国語教育がまったく我慢がならなかった。教科書には(論旨に納得いかないものも含め)面白い文章がいろいろ載っていたが、わたされたその日にあらかた読んでしまっていたし、先生がひとつやふたつの文章をいじりまわして「それ」は何を指すか、など聞きたがるのは、良く言ってもつまらなかった。中でも一番いやなのが、漢字の練習など、文脈から切り離して持ってきた字を機械的に何度も書かされることで、わたしはこれは完全にことばへの冒涜であると考えた。
当時のわたしにとって、字は生き生きと意味を持つ物語――前後の文脈――の中にあってこそ意味をもつのであり、単体の字を反復練習するなんて、生きものを剝製にして陳列するようなことであり、子どもたちがそのように文字とふれあい、結果ことばを面倒な厄介事のように遇していることはまったく道理にあわないことだった。
そこでわたしは、漢字の書き取りの宿題は頑として行わないことにした。クラスでは班ごとに、宿題をやってきたか、忘れ物をしていないかなど連帯責任にしてグラフ化し、競い合うシステムがとられていたので、同じ班の子たちは口々に私をなじった。教師は放課後、クラス全員の前で数時間にわたってわたしに説教し、「あなたたちがいつまでも下校できないのは、この子のせいなんですよ」と同級生たちに言い聞かせた。
さまざまな圧力があったが、わたしは基本的に、最後まで宿題をやらなかった。
だけど何回か――まだ書き取りに対する自分の立場を明確に見出す前だったのだろう――書き取りをしていたときの記憶もある。字は意味を失っていてただの形だったが、形としてはかわいらしくて、それぞれに特徴があって、一個一個きれいに書こうとすることは、人参のふくろ詰めのように単調で楽しかった。
わたしは「ほ」や「は」を最初、左右逆に覚えていて、また「きみょう」ということばと「きょうみ」ということばをそれぞれ逆の意味で思い込んでいたので、世間の(正しい)字や用法に慣れるまでしばらくかかり、自分が覚えている方がしっくりくるのになあと、みんながこぞって間違えているんじゃないかと、長いこと内心疑っていた。

そんなわけで、わたしの「ことば」は今もどこか少時の自己流をひきずったままなのだと思う。大学院の先生には、「我流の日本語」で論文を書くのはやめなさいと何度も叱責された。
文字やことばが、「自由」を意味しなくなって久しいが、ことばは今でも、わたしにとって最大で最後の希望である。
ところで字を間違ってもいい、と思っているわけではないということを、ここに一応ことわっておく。とくに人の名前は、……PP事務局から郵便物を送るとき、間違って引いた三本線を二本線にぐりぐり誤魔化して送った方、本当に失礼いたしました。


2014年12月27日(土曜日)

アパシーにさようならクリスマス宣言!—青山薫

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- 事務局 @ 16時53分32秒

12月24日はクリスマスイヴ! と浮かれた人はラッキー。でもこのウェブを訪れる人のほとんどは、第3次安倍内閣発足の日、としてお通夜気分を過ごされたことでしょう。

私もです――いや、クリスマスにかこつけた飲み食いは別途しっかりエンジョイしましたけれども。なにしろ心の準備もなくテレビをつけたら安倍さんの会見。顔見ただけで「げ。」となり、「内閣の面子がほとんど変わっていないが?」の質問に、「9月に組閣したばかり。3か月程度で変えるのもおかしい」と答えたところで「だったらなんで解散したんじゃい、ドアホ!」となり、「憲法改正は自民党結党いらいの目標」と言ってわざとらしく左手を挙げたところで「ぞぞぞぞぞぞぞぞ」となって、消しました。

こんなふうで、ここのところ政治的な関心が今までに増して低くなってしまっていることが困りものです。「誰かの」、ではなくて「自分の」です。

と言っても、投票率が低いことを嘆いたり、日本人の政治的関心が低いことを世界と比べて貶めたり、学生や子どもらに「投票は権利ではない。義務じゃ。行け!」とはっぱをかけたり、ろくな野党がおらんのが悪いと愚痴ったり、は、常にやっています。人さまを批判することはたやすく、気分いいですから。

けれども、自分には自分の(子にはプレッシャーをかけつつ)一票を入れるくらいしか、そして、準公務員としていつ「刺される」か、と、まだ本気では怖れずに、特定政党と特定政治家の批判を授業で行うことくらいしかできずにいます。なんらかの組織的な政治行動をきちんと続けている各方面の友人知人に後ろめたさを感じながら。

何よりも、アパシー。プラス、仕事が忙しすぎるのです。

これではほとんど敵の術中にハマっている。「ジェンダー社会論」の授業中ならば理路整然と学問的に批判させていただけるのも、安倍さんが名だたるバックラッシャーで、そのくせ「女性の活用」とか「Shine(シネ?)」とか言い出して、ネオリベ経済と新保守が相乗りした一見支離滅裂な女性観の典型を示されているおかげさま、の点までは、先方の術ではないと信じたいですが。

いずれにせよ、大上段に構えず、「客観的」な装いを常に疑い、つまり、自分だけは権力関係の外側に立てるつもり、人さまを批判すれば何かしたつもりになるような錯覚に注意し、自分の知覚・感覚・触覚に正直かつ批判的な、身の丈に合った課題について、できるだけ顔の見える範囲で実行する、というのが、「個人的なことは政治的」を糧にしたポストモダン以降のフェミニスト的政治だ、ということで、これらを肯定的に考えてきたのですが、そして、これら自体は今でも間違っているとは思えないのですが、ただ、負けが込みすぎています。

誰かがどこかで、「この政権が続けば不利になる人たち(たとえば若年フリーター層)が投票に行かないということは、政治が生活実感と離れているということ。それに加えて、言論文化人の仕事不足」という意味のことを書いていました。私の世代(1960年代生まれ)では、「言論文化人」の自覚あるもの書きや大学教員はすでに過去の遺物。そこには、こうやって誰でもブログなどでものが書ける、ツイッターなどで双方向的反応がわかる、大学教員の教員職としての役割が強まっている、高等教育を受けるのが庶民でも珍しくなくなった、など、好ましい要素も含めていろいろな理由があるでしょう。でも、フリーターでも教員でもおしなべて生活実感と離れた政治を見切っているだけでは、この雪崩に飲み込まれるばかり… そして誰もいなくなっちゃいますよね…。

そもそもフェミ史的ポストモダンの騎手たちは、バトラーでも、ハラウェイでも、男性中心に創られ語られ教えられ繰り返され、現存する差異をつくりだしてきた歴史と科学を、その創世記からひっくり返そうという超根本的大上段プロジェクトの起草者たち。プロジェクトの実践過程で、フェミニズムにとっての「女性」もふくめて、一枚岩的な変革の主体が存在するかのような幻想を打ち破ってしまった、これが政治的でなくして何が政治的?と言える存在。

そこまでの背伸びはまさか今更いたしませんが、ここはひとつ、根本的に反省はしようと思います。

日本ではとくに――とまた言ってみたくなる――ポストモダンの良いところは理解されずに、「唯一の正しい道はない」ということが、「何も正しい道はない」のだから「何をやっても同じこと」のように曲解され、何もかもなぎ倒して己の利潤追求の道だけを行く、ネオリべグローバル経済主義者たちに体よく取り込まれてしまった。それはもちろん全面的には私(たち)のせいじゃないけれども、この期におよんで「何をやっても同じこと」とは言いますまい。

「唯一の正しい道はない」のなら、「正しい道は今の道じゃない」だろうし、「正しい道は何本かある」のだろう。

として、フェミ的にはやはりオトコ中心はだめ。とすれば、「仕事が忙しすぎる」の言い訳もだめ――「仕事が…」と言えば許され、同情され、どこか尊敬さえされる、そして、そうやっていっしょうけんめい職務をまっとうすればするほど、その仕事の根本的大上段な存在理由が見失われ、崩れていく… 根本的には知性を養う場であるはずの大学が好例です――すでに「うっそ?… 大学に『知性』ってぜんぜん合わな?い…」みたいな感じ。

こんな「仕事」ほど、男性中心主義価値観にさらわれちゃった分野はないですよね。ご同業・ご同輩のみなさん。

まず自分の生活実感――ちゃんと残ってるかな?――と政治をつなげる努力しよう。忙しいことを誇りにするのをやめよう――祖母の代から「働かざる者食うべからず」の身にはけっこう厳しい。仕事は適当にきりあげて、住処に帰って、オシメを洗いながら次世代の健康を考えよう――やってるつもり。石油燃料と原発由来電気をなるべく使わないようにしながら、本を読もう――寒いのツライ…。研究もしよう。研究をするにも、やっぱだめなものはだめ、と、それでお金が取れない恐れがあっても、人に嫌われる恐れがあっても、協力者にも同僚にも上司にも学生にも少しずつ、言っていこう――クビにはならない、よ、ね?

リブなんかの運動をよくご存じの方々には、あたりまえのことばかりかもしれません。生来怠け者かつ人の評価がたいへん気になる私には、これは黙々とかっこつけて仕事するよりよっぽどしんどいです。。。

青山薫(運営委員)


2014年12月14日(日曜日)

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- 事務局 @ 23時35分04秒

このブログは、ピープルズ・プラン研究所にかかわる様々な人たちが、個人的なことも含めて書きたい放題に書いていくコーナーです。不定期ですが、どうぞお楽しみに!


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