メニュー  >  極右による「国家改造」の性格:耳栓・目隠しで「日本を取り戻す」  インターミッション/武藤一羊
【連載論文】極右による「国家改造」の性格:耳栓・目隠しで「日本を取り戻す」
 インターミッション


武藤一羊

2012年12月20日記

総選挙での極右のバカ勝ち、安倍政権の登場――これは何か、どう迎え撃つのか

「上中下」と続くはずの当連載論文「極右による「国家改造」の性格―耳栓・目隠しで「日本を取り戻す」」の「下」を執筆途中に、12・16総選挙で自民党圧勝、維新進出という結果になりました。そして安倍政権が登場することになりました。選挙結果のあまりのひどさ、極端さに、切歯扼腕する仲間、落ち込む仲間も多い(私もその一人)ばかりでなく、自民党に投票した人たちのなかにも自民党が増えすぎたとする人が多数だという世論調査もあるようです。それほど今回の選挙結果は衝撃的でした。
ともあれ、この選挙結果によって、この連載のタイトルに掲げた極右による「国家改造」のプロセスが本格段階に入ったことは疑いありません。原発、対米、憲法、沖縄など戦略的な政策分野での右への舵の切り替えが一斉に起こるばかりでなく、それら全体を貫いて、戦後国家という歴史的構造を壊し、別のものに置き換える過程が進行を始めました。このプロセスに対抗する社会的・政治的な力の出現をどう可能にするか、個別の抵抗における対峙線をつなげつつ、この「国家改造」過程全体にどのように向き合うかが、正面から問われる時期に入ったと思います。

右翼的国家改造の環境と基盤

 確かに、12月総選挙で右翼は権力を握りました。それに立ち向かうには、この状況についていくつかの特徴を取り出し、確認しておく必要があるでしょう。

 同じ国家改造といっても、今日の日本におけるプロセスは、1930年代のドイツにおけるワイマール共和国の崩壊と第三帝国の出現のそれとは大きく違っています。ヒトラーが議会と選挙を利用して独裁者の地位についたことがこのごろよく語られますが、それは大事な指摘ではあっても、両者はにわかに対比はできません。当時ドイツは社会経済的危機の中で激しい階級闘争、共産党とナチ党の衝突に揺すぶられていて、その中でナチ党は大衆の多数を獲得して議会の多数派となり、さらに自分で国会に放火し、それを共産党の仕業とでっちあげて、共産党を非合法化し、一気にヒトラーの総統独裁をつくりあげました。ワイマール国家が死に、ドイツ第三帝国が登場したのは、巨大な大衆参加をともなう革命か反革命かを賭けた全社会を巻き込む過程を通じてでした。今日の日本では諸社会勢力間の衝突がそのような剥き出しの形をとっていません。ドイツに話を飛ばさなくても、戦前日本における総力戦国家体制への国家の変態は、天皇の統帥権を後ろ盾にした軍の暴力を有無を言わせぬ突破力として成し遂げられました。

 いま進行中の右翼による「国家改造」の企ては、日本社会全体の関心や雰囲気とはかなり遊離し、脆弱な支持基礎の上に進められようとしています。議席数での自民の圧勝、維新の進出は、すでに詳しく分析されているように、民主政権への失望が広がる中で、小選挙区制の手品で獲得されたものにすぎず、その上に作られる政権は選挙民の多数を代表したものではありません。4割、1000万の有権者が棄権し、200万が無効票を投じ、自民党は大敗した2009年から200万票も減らしています。それでいて、公明党と合わせて衆議院議席の3分の2を支配するという極めて不正常な形で権力を握ったのですね。さらに自民党に投票した人びとの多くは、安倍本人も認めているように、民主党政権への不満と不安からそうしたのであって、自民党の選挙公約を読んで改憲や国防軍創設などなどを支持して票を投じた人はそれほど多くはなかったに違いありません。ですから、極右の「国家改造」計画がたいへん脆弱な基礎の上に置かれていることは明白です。そして何より日本における極右政権の出現は、近隣諸国ばかりでなく、国際関係全体の不安定要因として、国際社会の対日警戒感を強めています。安倍晋三本人もそれは知っています。そこで彼はこの企てを迂回的術策と強圧を組み合わせて進めようとすることでしょう。

主流化と異端化

 極右勢力とその背後にある支配集団が訴えるもっとも有効な手段は、「主流」と「異端」の間の区分線を彼らの有利なように引き直すことにあるでしょう。311以前は、原発推進はまぎれもない主流で、原発批判は異端でした。異端はマス・メディアからの排除の対象でした。フクシマ後、この線引きは維持しえず、民主党政権の下で、主流と異端は完全に逆転とはいかないまでも、脱原発は異端ではなくなりました。極右権力と支配集団の狙いはこの状況を再逆転し、もう一度脱原発推進を主流に、脱原発を異端に追い込むことにあるでしょう。せめぎ合いはその一線をめぐって起こるし、すでに始まっています。このせめぎ合いの特徴は、それが正統と異端の間の争いではないことです。主流は正統ではありません。正統はみずからを首尾一貫説明できます。できて初めて正統なのです。「主流」は有無を言わせず主流なのです。自己を力で、既成事実で、こじつけで、だんまりで、暴力で維持し、従わぬもの、疑問を口にするものを異端に追い込み、無力化します。原発を始めTPP、沖縄基地、オスプレイ、生活保護――あらゆる主要な分野で、問答無用で彼らの立場を主流化しようと極右権力は企てるでしょう。主流の先端部であることで生き残ってきた巨大メディア(の大部分)は、その企ての先兵となるでしょう。この種の排除の脅迫を断固跳ね返す伝統的な力が、戦後国家の解体とともに、日本社会には失われてきました。フクシマ以後、そのような脅迫を無視し、主流の権威など認めない新しい力が生まれつつありと見えます。しかし主流の製造と異端の排除のための権力による境界線の移動の効果は無視できないでしょう。しかし決定的なことは、こうして捏ねあげられる主流には正統性が欠けていることです。主流ではあっても正統ではないのです。正統性が主流の力を突き崩すことができるか、正統性を備えた主流を形成できるかどうか。311以後のマスコミの姿勢の脱原発への変化は下からの民衆力がそれをもたらす能力をもつことを示しました。極右権力の成立によってそれへの巻き返し、原発復権を主流化する動きが全面化するに違いありません。問題を定義(枠取り)する力、正統性を欠く主流を逆に異端化する力がますます必要になってきたと私は感じています。

もう一つの政治へのステップ

 極右勢力の見通しはみみっちく視野狭窄で独りよがりのもので、とうてい今日の世界で通用するものではないことを、連載(上中)で見てきました。しかし日本列島社会はそんな狭い枠に封じられるような自閉的存在でなくて、もっと広がりと厚みとをもち、無数の通路でアジアに世界に開かれている多元的・多層的な民衆世界であると私は信じています。311以来の脱原発の運動の広がりや、米日軍事植民地支配に粘り強く抵抗する沖縄の人びとの闘いのなかにもそのことは部分的に示されています。しかし列島社会のその潜在力はどのように全面的に顕在する力になるのか。

 まずここでは「戦後国家」がまだ健在であるかのような幻想を棄ててかかることが必要です。戦後国家のなかの継承すべき原則や制度――それは「平和と民主主義」と一括できるでしょう――を守り、鍛え直すことは、極右国家との闘いの出発点です。しかしそれらが育まれた戦後国家という枠組みはすでに壊れています。どのように壊れたかを私は過去20年ずっと追跡してきました。それは「自民党国家」とも言いかえることのできる構造で、20世紀後半の歴史的条件の中で敗戦後の日本国家がアメリカの覇権の下につくりあげてきた強みと弱点を兼ね備えた構造でした。その構造は「構造改革」で「自民党をぶっ壊す」と豪語した小泉首相のもとでほんとうにぶっ壊されました。ですから、2009年の政権交代で民主党が相続したのは、戦後国家の廃墟だったのです。そのため、民主党は過渡的政党であり民主党政権は過渡的政権であるだろうと私はずっと述べてきました。民主党政権は、この戦後国家に代わる新しい政治原理と政策体系を打ち出すことに失敗し、人びとの信頼を失い、その空白に、国家の極右化に生き残りを賭けた自民党や維新が、ジコチュウ国家の神輿を担いでどっとなだれ込んだのが今回の衆議院選挙でした。

 私たちは、彼らの「国家改造」にたいして、壊れてしまった戦後国家を復活されるという幻想にとらわれることなく、(その最良の部分を擁護しながら)私たちの日本列島社会・国家のあるべき形を対置するべきです。しかし、この対峙関係は、本当は対称的ではなく、向こうが国家改造なら、こちらは、国家の在り方を左右し、規定してしまうだけの実質を備え、世界に開かれた日本列島住民の社会をつくるとなるでしょう。しかしその見通しの中で、やはり私たちは国家について、国政について、介入することが必要だし不可欠です。モラルでも実質でも極右のプランを圧倒するわれわれのオルタナティブな国家の原理、在り方、政策体系を対置することが必要でしょう。その中で、さらにその手前に、あと数カ月後に迫った参院選で、極右化に危機感をもつ有権者が、死票化を前提にせずに票を投じられるようにいくつかの重要分野で全体的、部分的合意に基づく、ゆるいが正体のはっきりした政治連合を形成するための精力的な活動が求められていることも明らかです。こうした何層かのダイナミックに仕組みによって、現状に抵抗しようとする人びとの活動と意志とが拡散されず、貯められ、交流されてゆき、そのなかで個別課題を越えた議論が活性化され、外に向かって働きかける力となることが期待されます。いま政治の力というものがあるとすれば、それはこのような仕組みを作り上げることに関心を注ぎ、実行に移す力のことではないかと思うのです。

 さてそろそろ幕間の休憩時間が終わったようです。本題に戻って、自民党改憲草案で戦後日本独特の柱であった憲法平和主義がどうなったかを検討しましょう。
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