メニュー  >  「お金がない」からという脅しにどう立ち向かうか  ――松尾 匡さんの議論の危うさ:再論/白川真澄
「お金がない」からという脅しにどう立ち向かうか
 ――松尾 匡さんの議論の危うさ:再論


白川真澄(雑誌『ピープルズ・プラン』編集委員)

            2018年9月         
 
◆「お金がない」からという脅しに屈するな――岸 政彦さんの提起
 社会学者の岸 政彦さんが「財政緊縮で得をするのは誰か 『お金がない』に騙されるな」という論評(「朝日新聞」2018年8月22日夕刊)を書いています。なかなか刺激的な提起がされています。
 岸さんは、「お金がない」こと、つまり「財政赤字」を理由に、政府が社会保障や教育への支出を削ってくる脅しや動きに強い危機感を表明しています。
「この国には、お金がないそうだ。財政が赤字なのだそうだ。そのため国債というもので借金をしている。その返済が大変なのだ、という」。「財政が赤字だからもう政府はお金を出しませんよ、という考え方によって、誰か得をするひとがいるのだろうか」。「大学でもいろんなことがある。……。もう国には科学や学問のために出せるお金がないので、いちばん『生産性』が高そうなところを選択してそこに集中しますよ、ということである」。「みんな気をつけよう。私たちは騙されているだけかもしれないのだ。ほんとは財政を緊縮させなくてもいいのに、そっちのほうが都合がいいから、そう思わされてるだけなのかもしれないよ」。
「お金がない」から社会サービスを削るという脅しに対して、岸さんが反論の拠り所にするのは“財政赤字など怖れるな”という論理です。「最近の経済学などで、財政が赤字でも緊縮しなくても良い、あるいは、景気の悪いときはむしろ緊縮してはならない、という考え方もちゃんとあるらしい」。明記されてはいませんが、これは、アベノミクスの擁護者である高橋洋一さんや「左派」の松尾 匡さんの考え方です。こうした議論が、社会サービスの削減に抵抗する人びとに受け入れられるとすれば、それは大きな問題です。
そこで、「お金がない」からという脅しに対して、どういう論理で立ち向かえばよいかを考えてみます。

◆アベノミクスは「緊縮政策」路線なのか
 岸さんは大学を例に挙げていますが、国立大学への運営費交付金は、法人化された2004年から連続して削られてきました(12年間で1470億円、12%削減)。また、生活保護の給付は、生活扶助(生活費)基準が2013年8月から段階的に約6%引き下げられ、さらに18年10月から5%の引き下げが決められました。これは、直接の当事者を苦しめるだけではなく、連動する就学援助の対象を縮小するといった影響をもたらします。あるいは、介護の重要性が叫ばれながら、要介護度の低い人たち向けのサービスを介護保険の適用範囲から除外してきました(要支援の人向けの訪問・通所介護サービスを地域支援事業に移すなど)。
それだけではありません。将来的には、社会保障費(給付費)が高齢化の進行とともにいっそう膨張することは避けられません(現在120兆円、25年度には140兆円、40年度には190兆円)。そのため、社会保障費の効率化(削減)が謳われ、医療や介護サービスの自己負担額の引き上げ、さらに年金の支給年齢の引き上げなどが検討されています。
大学や生活保護や介護の場で進む財政支出削減の動きから見ると、アベノミクスは「財政再建」を最優先し社会サービスを切り捨てる「緊縮政策」をとってきたと言いたくなります。「緊縮政策」は新自由主義(ネオリベ)の立場に立つ路線であり、ヨーロッパではEUがギリシャに押しつけた債務返済策やイギリスのキャメロン政権の政策が典型的です。
しかし、アベノミクスを新自由主義に立って「財政再建」を最優先する「緊縮政策」路線と見立てるのは、一面的で不正確です。安倍政権は極右・ネオリベの顔だけではなく、状況に応じて違った顔を見せる巧妙さが身上です。アベノミクスも政権維持のためには「何でもあり」の経済政策です。それは、リフレ派理論(金融緩和の万能視)、ケインズ主義(財政出動重視)、新自由主義(規制緩和の万能視)のごった煮です。
安倍政権は5年間で4回も国政選挙を行いましたが、支持獲得のために財政支出を拡大し、社会保障関係費も増やしてきました(13年度から18年度にかけて一般歳出は92.6兆円から97.7兆円へ、社会保障関係費は29.12兆円から32.97兆円へ、歳出全体のなかでのその割合も31.4%から33.7%へ)。さらに来年度の一般歳出は、初めて100兆円を突破すると予想されています。
また、「財政再建」の看板は下ろさないが、これに縛られず先延ばしを繰り返しています。消費税率の10%への引き上げ延期を2度も行い、「財政再建」目標(プライマリーバランス=基礎的財政収支の黒字化)の達成時期を20年度から25年度(実際には27年度)にあっさりと先延ばしました。その点で、安倍政権は「プライマリーバランス黒字化に向けて、消費税増税と財政削減の緊縮政策方針を打ち出す見込みです。……ある意味ではチャンスだ」(松尾他『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう』)という見立ては、見当違いです。
さらに、アベノミクスは2016年以降、「成長と分配の好循環」を掲げてリベラル・左派の政策主張を次々に取り込んできました。ひとり親世帯への児童扶養手当の増額、保育士や介護士の報酬引き上げ、給付型奨学金の導入、幼児教育や大学教育の無償化の着手など。むろん、これらは財源の本格的な確保なしに打ち出されましたから、多くは中途半端で見かけだけの部分的施策にとどまっています。とはいえ、政策メニューとしてはリベラル・左派との対抗線を見えなくさせる効果を発揮したことは間違いありあません。安倍首相自身が「私のやっていることはかなりリベラルなんだよ」と語っています(朝日新聞17年12月26日)。
したがって、アベノミクスを「財政再建」優先で社会保障を削る「緊縮財政」路線と捉えて、これに「反緊縮」、社会サービスを拡充せよという主張を対置するだけでは有効に対抗できません。社会サービスの拡充のための財源をどう確保するのかという争点をあわせて提示して争う必要があります。というのは、アベノミクスは、増え続ける社会保障の財源を経済成長(実質2%以上)の復活による税収の自然増に求めているからです。その目論見は間違いなく破綻するでしょう。その時こそ、「お金がない」から社会サービスを全面的に削る本格的な「緊縮政策」に反転してくる危険性がある、と予測しておくべきです。

◆「お金がない」のなら、公正な増税でお金をつくれ
 アベノミクスは「緊縮政策」路線とは言えませんが、抵抗が弱いと見れば財政支出削減の攻撃をかけてきていますし、社会保障の効率化の名による自己負担額引き上げのプランも目白押しです。
 「お金がない」から社会サービスを削るという脅しや策動に対して、私たちはどのように対抗すればよいでしょうか。
 社会保障や教育といった社会サービスの提供は、政府の第一の責務です。それは人びとに生存権を、さらに自由で選択肢のある多様な生き方や働き方ができる共通基盤を提供するものです。ところが、そもそも日本の社会サービスは、あまりにも貧弱です。
だから、私たちは、まず医療・介護・子育て・教育の社会サービスを無条件に拡充せよ、「お金がない」のなら「お金」=財源をつくれ、と主張しなければなりません。
では、どうやって「お金」、つまり社会サービスのための財源をつくることができるのでしょうか。答えは、シンプルです。公正な増税をただちに実行することです。具体的には、金融所得への累進課税など所得税の累進性を強化する、法人税率を40%に戻す、資産課税(相続税など)と環境税を強化する、タクスヘイブンを利用した租税回避を規制する※1。
そして、消費税率の引き上げは最後の手段であり、それも逆進性を緩和する措置の導入が前提条件です。株高で大儲けしたお金持ちへの金融所得課税を軽い(20%の比例課税の)ままにしておいて、また法人税率を5年間で10%も引き下げておいて、その代わりに消費税率を引き上げることは、決して認められません。

◆増税を怖れて、借金を増やせばよいと主張する「緩和マネー」論
 ところが、公正な増税ではなく、「日銀の作った緩和マネー」を社会サービスの財源にすればよい、と主張する人がいます。松尾さんがそうです。財政赤字を怖れずに政府が国債発行をさらに増やし、それを日銀がすべて買い取ることによって資金を供給する、という方法です。松尾さんは、「日銀の作った緩和マネーをつぎ込んで、福祉・医療・教育・子育て支援などへ大規模に政府支出します」(「普通のひとびとが豊かになる景気拡大政策」17年8月)と提言しています。
これは、すでに「異次元金融緩和」政策として行われてきたもので、民間金融機関をいったん経由するとはいえ事実上は日銀による国債の直接引き受けになっています。「緩和マネー」論は、金融緩和を引き続き行って、低金利で借金(国債発行)をして財源にせよ、という主張です。
 では、なぜ、増税を避けて「緩和マネー」、つまり「借金」(金融緩和に支えられた国債発行)に頼ろうとするのでしょうか。
松尾さんは、デフレ=不況のときに増税すれば必ず景気を悪化させ、雇用も税収も減る、と考えているからです。いいかえれば、インフレ=好況のときしか増税してはいけない、という思いこみです。
ここでいう増税は、消費税増税だけではなく、大企業や富裕層への課税強化も含みます。松尾さんも法人税増税や所得税の累進性強化の必要性を認めますが、しかし「デフレを抜け出さないうちはそれが景気回復の足を引っ張らないように、日銀が作ったお金(緩和マネー)で設備投資補助金とか雇用助成金などの名目で企業セクターに戻す」べきだ、と言います。つまり、税で吸い上げたお金を民間部門(企業と家計)に還元すべきだ、というわけです。そして「景気が良くなって完全雇用の状態に」なれば補助金や給付金を縮小・停止して、企業や富裕層への課税を本格化すればよい(松尾、『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう』)、と主張します。
仮に現在がまだデフレ=不況の局面にあるとしても、企業への課税強化が景気を悪化させる、つまり設備投資を控えさせたり、雇用を縮小させるでしょうか。
企業の利益は史上最高を更新し続けていますが、設備投資と人件費の増え方は緩やかなものにとどまっています(17年度の経常利益は83.5兆円、前年度比11.4%増に対して、設備投資は5.8%、人件費は2.8%の増加)。内部留保が446兆円にまで積み上がったことが示すように、企業の手元にお金が余り、実体経済に積極的に投じられていないのです。巨額の利益は、株主への配当や海外企業の買収・合併(M&A)に回されているのです。ですから、この企業利益に対して課税を強化しても、設備投資や雇用を(促進する効果はありえても)控えさせるような作用は起こらないと言えます。
また、雇用がいちじるしく改善されている最大の要因は、労働力不足の顕在化という構造的な要因にあります。サービス・介護・建設などの分野をはじめ人手不足の解消は、事業の存続にとって死活問題になっています。課税を強化しても、企業が雇用を減らすようなことはできず、躍起になって労働力を確保することを優先するでしょう。
さらに、株高の恩恵を受けて株の取引で大儲けしている富裕層が、増えています(年所得1億円以上の人は、2016年で2万5千人、5年間で6割増)。その巨額の金融資産も、実体経済とは無縁です。富裕層への課税強化が、雇用の縮小を招くことなど考えられません。
ついでに言うと、松尾さんは、消費増税が個人消費に及ぼしたマイナス作用を過大評価しています。たしかに、2014年4月の消費税率引き上げは、個人消費を大きくダウンさせました。しかし、その作用は短期的なものであり、消費税率引き上げから4年を経た現在に至るまで個人消費が足踏みしているのは、別の要因によるのです。
その1つは、人手不足にもかかわらず賃金の上昇が鈍いことと社会保険料負担が引き上げられてきたことが相まって、世帯の可処分所得が下がっていることです。もう1つは、安定した財源の見通しが立たない社会保障の先行きへの不安が大きく、その不安が人びとに消費支出を控えさせていることです。この不安をなくすためには、社会保障のための安定した財源を確保する道を明確に提示し、合意することが必要不可欠です。その道は、公正な増税を怖れるな、ということです。
私も19年10月の消費増税に反対しますが、その理由は個人消費を落ち込ませるからといったことではありません。先にも述べたように、消費増税を先行させるやり方は、取るべきところから取らず、低所得層に負担を負わせる不公正な増税だからです。

◆財政赤字の半分は消えている?
 松尾さんが公正な増税ではなく「緩和マネー」に頼ろうと主張する根拠は、2つあります。1つは、財政危機は存在しないという見方です。もう1つは、日本経済はいまだにデフレ=不況を脱却していない、という現状認識です。
 財政危機が存在しないのなら、さらに借金を増やし続けても、つまり国債残高が増え日銀による国債買い入れが増えても問題ない、というわけです。財政危機ではない、ということはどういうことでしょうか。
高橋洋一さんや松尾さんは、政府の債務残高がGDPの2倍の1000兆円を超えると大げさに語られているが、実質的な債務、つまり政府の持つ金融資産を差し引いた純債務はその半分にすぎない、と主張します。1000兆円超もの債務があると騒ぎ立てるのは、増税や社会保障費の削減を狙う財務省の陰謀だ、と。
 また、いまでは日銀が国債をどんどん買い入れ、400兆円を超える国債を保有しています。高橋さんや松尾さんは、日銀は政府の子会社なのだから、政府と日銀を1つの政府として見るべきだ(これを「統合政府」論と呼ぶ)、と言います。そうすると、政府の債務としての国債は、日銀が資産として保有する国債によって勘定(バランスシート)の上では相殺され、実質の債務(500兆円)はゼロになる、というわけです。高橋さんは、次のように言っています。「統合政府のバランスシートで見れば、政府の債務である国債残高は、日本銀行が保有する国債資産で相殺されるから、今の日本の財政問題はほぼなくなった」(「DIAMOND online」17年5月12日)。
 しかし、この手品のような話には、すぐに穴が見つかります。実際の債務は1000兆円の半分にすぎず大したことはないと言われますが、純債務自体が増え続けています(2013年度末の597兆円から16年年度末の669兆円に増大)。債務が増え続けていることには変わりはありません。
また、「統合政府」の見方に立てば政府の債務は消えたはずなのに、国債の利払いと償還が続けられ、その額(国債費)は財政支出を圧迫しています。日銀の異次元金融緩和による超低金利(ゼロに近い金利)のおかげで、国債費の増え方は緩やかですが、それでも約23兆円と、歳出全体の24%(2018年度予算)を占めています。社会保障関係費の約33兆円、歳出全体の34%に次ぐ支出項目となっています。過去の借金の返済が、社会保障や教育などへの支出を切り縮めさせているのです。
実は、これだけ政府の債務が膨れ上がっているにもかかわらず、財政危機が表面化していない最大の要因は、ゼロ水準に近い超低金利にあります。これから長期金利が1?2%に上がっただけでも、国債の利払いは急増します。また国債の4割を保有する日銀に大きな損失が発生するでしょう。松尾さんたちは、異例の超低金利が続くことによって覆い隠されている財政危機のリスクを無視している、と言わねばなりません。

◆低インフレの景気拡大という現実
 ところが、松尾さんによれば、「緩和マネー」に財源を依存する政策は持続的なものではなく、経済がデフレ=不況のときにだけ有効な、いわば期限付きの政策なのです。デフレから脱却し「完全雇用」状態になっても「緩和マネー」をつくり続ければインフレを引き起こす、というのがその理由です。松尾さんは、次のように言います。
「景気が良くなって完全雇用の状態になり、これ以上ものを買う力が強くなるとインフレがひどくなるという段階になった……時には金融緩和で『無からつくったお金』を財政出動で注ぎ込むということがもうこれ以上できなくなって、経常的な収支でまかなわなければいけなくなる」、すなわち「今度は増税をして、富裕層や大企業から税金を多くとるという方向に転換しなければいけません」(前掲)。
松尾さんの議論は、ひじょうに単純化された抽象的な経済モデルで展開されています。そのモデルとは、デフレ=不況、インフレ=好況(景気拡大)の2つの局面から成り立つ経済です。“デフレの時は増税してはならず、緩和マネーを使って政府が福祉や医療に支出する → 労働力が不足して「完全雇用」になりインフレになれば、増税したり日銀が国債を売ったりしてマネーを回収する”、という図式です。
そして、松尾さんは、現在はまだ「完全雇用」が達成されずデフレ(総需要<総供給)の局面にある、と言い張ります。
しかし、失業率は3%を切って2.4%(18年6月)と「完全雇用」状態になり、GDPギャップ(需要不足)は解消されています。すでにデフレではない状態になっているのです。何が足りないかといえば、8割の人が「景気回復を実感していない」ことに加えて、物価上昇率がゆるやかなペースにとどまり(18年前半期で0.8%)2%の「インフレ目標」に届いていないということだけなのです。
 いま生じているのは、低インフレの景気拡大(好況)という新しい現実です。これは、雇用のいちじるしい改善(深刻な人手不足、「完全雇用」)にもかかわらず、賃金の上昇が鈍い、という事態から来ています。いいかえると、“失業率の低下 → 完全雇用 → 賃金上昇 →物価上昇”という経済学の常識(フィリップス曲線)が、グローバル化のなかで有効性を失っているのです。賃金上昇の鈍さは、リーマン・ショックの後、先進国に共通する現象として低インフレを招いています註2。
 松尾さんは、低インフレの景気拡大という現実を直視せず、2%の物価上昇率の未達成だけを根拠にまだデフレだと言い張り、金融緩和の継続を主張しています。それは、「もはやデフレではない」と言いながら「デフレ脱却」宣言をしない安倍政権と同じです。しかし、大規模な金融緩和を5年以上続けても「インフレ目標」は達成されず、挙句の果てに日銀はその達成時期を棚上げしてしまいました。それでも、松尾さんはまだ「インフレ目標」にこだわるのでしょうか。

◆負担を免れる楽な方策はない
 松尾さんの議論が、それなりに受け入れられる理由は明白です。誰しも、わざわざ増税をしなくても財源が確保できれば、その方が良いと思うからです。
 増税は、まず富裕層や大企業により重い負担を負わせますが、中所得層を含む多数者の負担も増えます(配偶者控除など不要な所得控除の廃止による所得税の負担の上昇、長期的には逆進性の緩和を前提にした消費税率の引き上げなど)。
 まして日本は、税の負担に対する拒否感(「租税抵抗感」)がきわめて強い社会です。それには理由があります。所得税の負担額は軽いのですが、社会保険料が上がり続け重くのしかかっているからです。また世代や職業の違いによる負担の差や富裕層の低い負担など、税負担の不公平感もあります。何よりも、税の使われ方の不透明さを含めて、政治や政府に対する不信がますます強まっていることが大きな理由です。
 では、人びとは社会保障の拡充のために必要な増税を嫌っているのかというと、必ずしもそうではありません。朝日新聞の世論調査では、「税金の負担が重くても社会保障が充実したほう(高福祉・高負担)がよいと思いますか、それとも、社会保障は充実していなくても税金の負担が軽いほう(低福祉・低負担)がよいと思いますか」という問いに対して、「高福祉・高負担」が66%、「低福祉・低負担」が27%という回答でした(朝日新聞18年5月2日)。
 にもかかわらず、増税への抵抗感が強い空気のなかで、どの政党も「増税」を真正面から主張しません。選挙で負けることを怖れるからです。リベラル・左派も、「高負担・高福祉」を言わず、経済成長を前提にした「低負担・高福祉」の主張に流れがちです。
 こうして、「公正な増税」ではなく、負担感が小さい別の財源確保の提案が飛び交うことになります。いわく、行政や財政支出のムダを削ればよい。いわく、経済を成長させれば、自ずと税収は増える。いわく、財政赤字を怖れず、国債を発行すればよい、と。松尾さんの主張も、増税を嫌う人びとに受け入れられやすい楽な方法の1つです。
 公正な増税の方策は、公正さを強調していても「増税」というだけで、少なくなからぬ人びとの反発を受けます。「増税」と言えば「消費増税」を思い浮かべる人が多いことも一因です。しかし、人口減少と低成長の日本の将来を考えると、社会保障や教育の拡充のための安定した財源は、公正な増税によってしか確保できません。この「不都合な真実」を怖れず提起し、熟議を通じた合意形成の努力を試みるべきです。

◆安倍政権とたたかうために何が必要か
 松尾さんの考え方には、経済成長主義、つまり経済成長がなければ雇用の拡大も税収の増大も不可能だという発想が色濃く現われています。松尾さんは言います。
「弱肉強食のイス取りゲームになってしまうのは、いまの日本のような、むしろ適切な経済成長がない長期停滞の時代なんですよ。適切な経済成長があれば、誰かのイスを奪うことなく誰もが仕事を得て豊かになれるはずなので、格差や貧困の問題を解決しようとしたら、まずはデフレを脱して景気を良くすることを考えなければなりません」。「経済成長することは将来の税収の増加にもつながるので、やはり一番効率がいいのです」(松尾、前掲)。
ただし、松尾さんが強調する「経済成長」は、長期というよりも「短期の成長」、つまり需要不足の解消による景気回復を指しているようです。松尾さんが一番言いたいことは、景気回復が何よりも大事だということだと思います。
だから、アベノミクスの2本の矢(金融緩和と財政出動)を評価し、2つともまだ「『足りないぞ』という批判をしなければならない」(前掲)と言います。いいかえると、野党は“アベノミクスを上回るアベノミクスをやる”と提案すれば、安倍政権に選挙で勝てるはずだ、と主張しているわけです。
安倍首相は、これだけ悪政を重ね主要な政策では世論の反対が多いにもかかわらず、6年近くにわたって強大な権力を維持してきました。「なぜ、安倍政権は倒れないのか」と、心ある人びとのなかで苛立ちが強まっています。そこへ、こういう上手い手があるよ、と言われると、すがりたくなる気持ちも分からなくもありません。
しかし、安倍政権を倒す上手い手や妙策などありません。安倍政権は、異なる多くの顔を使い分け、そのときどきの政策課題では巧妙に立ちまわってきました。とはいえ、人びとが抱いている人口減少の日本社会の先行きに対する根本的な不安に真正面から応えることはできていません。激動する世界のなかでの日本社会の長期的な将来構想をめぐって、安倍政権とたたかう態勢(社会ビジョン、政策、運動と政党)を再構築することが求められていると思います。

※1:詳しくは白川「公正な税制で増税をめざせ」(「テオリア」2017年10月10日号)。
※2:「デフレとインフレ」という現象や概念を、「不況と好況(景気拡大)」という現象や概念と区別しないで論じる人が多い(とくに、デフレが諸悪の根源と考える人の場合)。この2つは密接に関連するが、きちんと区別されなければならない。とくに、低インフレの景気拡大という新しい現実が登場している現在では、そうである。
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