メニュー  >  回顧と展望 非武装原理の実現へ向けてー既知の枠組みから一歩踏み出す
                      武藤一羊

(本稿は私が、2020年11月に君島東彦、纐纈厚、前田哲男諸氏などによる平和問題研究会で行った報告です。この研究会では、他の報告と合わせて書籍として出版する予定だったが、その企画が不調に終わったとの連絡を君島さんから頂きましたが、その際、PP研のサイトに出してはどうかというお勧めがあり、それに従うことにしました。これまで「季刊ピープルズ・プラン」誌に私が書いてきたこととかなり重複しますが、季刊誌は終刊となったので、目を通してくだされば嬉しいです。筆者)


 人類が文明的カオスのなかで足場を作り直す必要に迫られていることは、私が言うまでもありません。それはこのコロナ禍のなかでも切実に感じられていますし、毎年の気候の変化も本当に身近にせまっていると感じられます。巨大な文明的危機というものが、日常の感覚のなかで感じられる、そういう時代に入っていることは間違いないと言えます。
 最近「人新世」と言う言葉が聞かれるようになりました。これは、地質学の概念ですが、哲学的な概念でもある。人類が誕生以来、知恵の実を食べてしまった生物、ホモ・サピエンスとして、万物の霊長として、地上に独特の展開をとげてきた。その極みに、近代になってから自然を急速に破壊して文明を作り始め、その結果自然環境それ自身を変えてしまって、地球に地質学的な「世」を導き入れるところにまで来てしまった。その中に今の我々は生きている。人間文明というものが、近代文明という姿をとることで、人類の生存すら危なくなる、そういうところに来ている。
 しかしそういう議論が説得力をもって出てくる一方、それと我々日常感覚とのギャップは著しい。気候温暖化で海水面が上昇して、国土がなくなっていく、といった場合になれば、危機が日常的に感じられるでしょうけど、しかし我々の生活はいまのところは、その巨大台風や四季の変化などのなかで、何かおかしいと感じるところはあっても、何に直面しているかについて、危機感は薄い。われわれの日常はあまり変わらずに、この文明は続いて行くという前提で、日常生活も社会も政治も進んでいく、という意識が支配しているのじゃないでしょうか。とくにグローバル北の社会は、グローバル南に矛盾をしわ寄せしていける限り、しばらくは現状維持できるかもしれない。この中で、グローバルな文明を、社会を、根本から作り直すというのは、不可能じゃないか。この状況を維持し、加速しているのが今日の資本主義であることは明白だけれど、SDGsに共鳴して、プラスチックを減らしたり、CO2を地下に埋めたりしても、この資本主義を廃棄し、コモンの世界を作り出すのは無理じゃないか、といったニヒリズムが生まれてきます。  
 私なんかも心のどこかにダメじゃないかという感覚がないわけではない。ところが、最近、たまたまマルセル・モースの本を読んでいましたら、ハッと思う表現に出合ったんですね。モースはこう言っているんです。

 社会というのは、すべての自然の事物と同じく、それを取り巻く環境が変化する時にしか本当の意味では変化しないものだということ、自らの内部においては相対的な変化能力しか持ち合わせないものだということ。このことを覚えておくことが必要である。

 モースは別のテーマを論じているなかでの言葉で、今日のテーマと関係ないといえば関係ないですけども、さすがモース、ここには、普遍的な洞察力が働いていると感じました。外圧のないときに、本当の変化、根本的な変化は起こらない、と言っているわけです。純粋な内発的展開というのは、内部の約束に制約されるから相対的変化しかもたらさない。ところで、いまは人類文明に猛烈な外圧がかかっているわけです。人新世への変化は、人類文明に猛烈な外圧をかけている。逆に考えれば、これが人類文明を根本的に変化させるチャンスであるというふうに捉えることができます。人類社会のなかにはすでにいろんな変化が起こっててるけれど、それは相対的な変化であった。近代文明の枠内での相対的な変化だった。人新世は、そうした変化以上の変化を起こす可能性をわれわれに与えているとなります。しかし、それは、われわれが、相対的な変化だけではなくて、根本的変化を求めているという前提があって初めて働く。そのときはじめて外圧は助けになる。目下のことでいえば、コロナという外圧をプラスに転化するのは、われわれがどれほど根本的変化を求めるか、に掛かっている、とも言えるでしょう。
つまりわれわれは、社会の現状に変化を求めて、ずっとやってきているわけですけが、それが果たして根本的な変化につながる要求であったか、今根本的な変化を求めるとすれば、それはどういうことか。それが今の僕の考えの基本にあるわけです。

 わたしたちは日本のなかで平和運動、反戦運動、原水爆禁止を旗印にした反核運動などに参加してきましたし、さらに国際連帯の運動もすすめてきました。そのなかで憲法9条問題というのは、好むと好まざるとに拘らず、戦後の日本でとても重要な政治的・思想的なテーマでした。9条は、前文と相まってどう理屈をつけてみても、非武装の規定、絶対的平和主義、パシフィズムの規定です。
ところが、そういう9条が今どうなっているかというと、ほとんどが忘れられている、手を触れられていない。
 ここしばらく市民運動がすすめてきた改憲問題のスローガンは、<安倍改憲反対>ということだったですよね。これは当面のスローガンとしていいし、必要だと思います。しかしそれだけでいいのか。
 九条の会という9条に特化した全国的な運動もあって、これは共産党が強いといわれてますが、全国におびただしい数がある。どの地域に行ってもあります。けれども、そこでどういう未来が語られるかというと、よくわからないんです。身近な9条の会のメンバーに聞いてみますと、政府の当面の政策への反対の行動とか、講演会の開催とか、いろいろ活動を広げようと活動している。しかしそれらを通して、何を獲得するかというのがはっきりしない。特にはっきりしないのは、9条を守るといいながら、本当に9条を実現するのか、非武装日本というものをつくろうとするのかどうか、それがあいまい、非常にあいまいなようです。東京近郊のある9条の会知り合いに聞いてみると、運動の中で9条非武装という話題はタブーになっている。それを持ち出すと組織が割れるので持ち出さないという。そうすると、9条を守れ、というのは、9条の文言を維持する、ということに切り縮められていく。そこでは、9条の文言がある中で、米国戦略の下で現に猛烈な勢いで進められている自衛隊の戦争体制の構築は、事実上容認されていく。そういう現状が続いてきたと思うのです。これは展望のない、気の滅入るような状況です。ずるずると押されるままに後退していく。そして気分も落ち込んでいく。

 しかし本当は、9条・非武装にとっての、いまは、チャンスだと思うんです。「人新世」の途方もない外圧、人類の運命がかかっているような外圧、それに対して非武装は十分に太刀打ちできる根本的な内部変革の資格があると思われるからです。そう非武装をつかみ直す。非武装というものを「人新世」において文明が自己変革を通して変身し、生き残る真剣なチャレンジと位置付ける。日本国憲法9条は、日本帝国の敗戦の産物として、政治・社会・思想的に移り変わる位置づけ、扱いを受けてきたとおもいますが、いまここへきて、思いがけない形で、大きい生命力を受け取った、とみなすべきではないでしょうか。ぼくはそう考えます。

 しばらく前、ピープルズ・プラン研究所のシンポジウムでぼくはちょっと乱暴なこと、いまはやらないレーニンを呼び出すということをやってみました。最近、リベラル左派の歴史家の世界史の書物でも、レーニンが数行しか出てこない本があって、驚いたことがありますけれど、時代を変えるという点でレーニンというのは、やはりすごい人だったと思うんですね。ロシア革命とそこから生まれた社会主義体制の評価の議論から少し離れて、第1次大戦のときにレーニンが出した「帝国主義戦争を内乱へ、自国政府の敗北」というスローガン、こんなスローガンを本気で実行に移そうとするのはすごいことですね。巨大な「外圧」は帝国主義戦争だった。それにどう立ち向かうか。インターナショナルのなかで帝国主義戦争に国際主義を対置するという原則は確認されてはいたけれど、多くの党は本気で実行に移す覚悟などなかった。ドイツ社会民主党は、インターの中の最大、最有力な党だったけれど、いざとなったら「危機に際しては祖国を見捨てず」として軍事予算に賛成し、戦争に参加してしまう。しかしレーニンは、これは労働者・農民同士がブルジョアジーのために殺し合いをさせられることであるという原則を貫いた。そしてそれを実践に移し、ロシア10月革命に導いた。そしてそれが<現に存在する社会主義>体制として、時代の最大の規定要因の一つとなり、ホブズボウムの言う短い20世紀という新時代を導き入れた。むろんこの時代の評価は、これからの世界社会変革の見通しの中で、厳しく行う必要があるわけですが、ここでは、時代を大きく、質的に変えるイニシャチブとはどういうものか、という点から見ておきます。つまり、歴史を大きく変える外圧が生まれている時に、変化を現実化するための立ち位置はなにか、実践はなにか、それが、非常に大事になると思うのです。モースの外圧は、レーニンにとっては迫りくる、不可避な帝国主義戦争だった。21世紀のわれわれにとっての外圧は、われわれ自身が生み出した人新世の圧力である。そう枠取りして話を進めたいと思います。

 そこでわが日本の憲法9条に飛びます。この憲法の成り立ちなどについての膨大な議論はちょっとカッコに入れて、前文・9条に宣明されている国家非武装というものを取り出して、それを原理的立脚点としてどこまで実践に展開し、実現できるのか、と考えてみたいのです。前文・9条の原理的立脚点はそうとうきついものです。非武装の原理はパシフィズム¬=絶対平和主義です。われわれはその実現を追求してきたのか。それをちょっと振り返ってみます。
今日いただいた演題は「回顧と展望」。ちょっとトロツキーの「結果と展望」みたいですが、トロツキーはあの本で1905年革命を振り返ったわけですが、われわれは、戦後日本、あるいは戦後日本国家というものを振り返って見る必要があると思うのです。というのは、戦後日本の民衆運動、とくに平和運動が、戦後日本国家というものと切り離せないものとして成立したと思うからです。戦後日本国家の性格については、90年代頃から加藤典洋さんの「ねじれ」の論が評判になり論争がおこるなど、わりと議論が起こったのですけれど、どうもぼくはピンと来なくて、80年代くらいからですが、自分なりに国家というものを歴史的に形成された固有の正統化原理でとらえる、その観点で、戦後国家を把握したらどうか、そうすると戦後日本というものがかなりはっきり捕えられるというと考えるようになりました。そのうえで、戦後日本の構成原理を考えてみると、そこには、なんとお互いに矛盾して並び立たない三つの原理が働いている、日本国はその三つを機会主義的に束ねる形で存在してと見えてきました。明治憲法の下での戦前国家は、天皇制の原理で一貫していた。ところが戦後国家はそうはいかない。
日本国憲法自体は、一貫した国家原理に立っています。第一条に天皇制があるという点を一時カッコに入れれば、日本国憲法は、一応筋の通った民主主義的憲法、社会条項もそれなりに備えている憲法であるわけですね。人民主権(「国民」をピープルと解すればですが)、基本的人権、平和主義。それらを貫くものが戦後日本国家の正統化原理であるということになります。そこに異質なものとして天皇制が入っているので、前天皇夫妻は、たいへん苦労して、「主権の存する国民の総意にもとづく」という空虚な建前を、「国民に内在」するという在り方の導入で実質化しようとした。
 しかしこの憲法原理が、現実の戦後日本国家の唯一の構成原理として機能したわけではない。もうひとつの原理が戦後国家には内在してきました。アメリカ合衆国のグローバルな覇権原理というのがそれですね。日米安保というものが、戦後国家に作り付けになり、事実上日本国の主権を越えて運用される。アメリカ合衆国が当然のように世界を取り仕切るというのが覇権原理ですが、戦50年ほど、それは、反共原理でしたから、朝鮮、ベトナムなどでは本格戦争、そして核対決を根底とする冷戦という軍事的対決構造を作り上げた。世界化した資本の領域を全体として、米国の利益を中心に守り、それに従わないものは軍事的・経済的・政治的に抑圧する。まあそういう原理ですね。
 この原理は、占領期を通じて戦後日本国家に埋め込まれ、内部化されてきたと見るべきだと思うんですね。日米関係というのは外交関係ではない、と見るべきでしょう。一応形式は外交関係だけど、日本国家の内実のところにアメリカの支配が組み込まれている。米国の朝鮮内戦への軍事介入であった朝鮮戦争、その後方を固めるため、米国は、憲法非武装原理を無視して、警察予備隊という軍をつくらせ、それが戦後日本国家の宿痾である憲法問題を生み出した。そして日米安保という軍事条約で、非武装憲法とはまったく矛盾した原理が国の原理的領域に居座って、今日に及んでいる。条約が上か、憲法が上かという議論があるわけですけども、条約が上となっている。日本国憲法の上に安保条約に基づく関係があって、それが国と国の関係を律するだけでなく、国家のなかに入り込んでいる。これはもういくらも例はあるわけです。日米関係というものが直接の内政になるわけです。
 鳩山首相が普天間基地の「移設」の問題で「県外、できれば国外、最低でも県外に移設」というスローガンを出して、徳之島はどうか、など言い出したら、外務省がニセの極秘印入り文書をつくって、それでは海兵隊による抑止力が失われるからダメだ、として、鳩山を翻意させた。そういうというとんでもないいきさつがありましたね。鳩山という人は軍事に無知なのか、県外移出を引っ込めて、辞任し、鳩山内閣は瓦解しました。日本国外務省が、米国と米国と結ぶ勢力のために、日本国首相をだます、偽造文書を作り、使う。これは、笑いごとではすまされない出来事でした。こんなことは、日本国外務省のなかにアメリカ原理が働いていなければ、起こるはずがない。これは深く広がる鉱脈の露頭みたいなものですね。
アメリカの覇権原理は、日本の国家機構だけでなく、財界、マスコミ、学会、文化の世界、など社会全体に内在している。そしてそれは、覇権原理なので、軍事的関係を要にしているので、日本国憲法原理とは並び立たない。原理というものは自己主張する。原理は自己を貫徹するので原理なのです。都合のいい時に使い、都合の悪いときは忘れるなら原理ではなくなります。戦争放棄を謳った日本国憲法とアメリカの世界軍事に直結した安保原理は最初から原理的矛盾のなかに置かれていた。それが戦後日本国家というものであった、と一先ず押さえておくことが必要です。
 戦後の日本の革新勢力の運動は、憲法と安保の矛盾はとらえていました。しかしそれを国家構成原理の次元で捉えていたとは言えなかったとぼくは考えています。しかしそれを論じる前に、ぼくは、戦後日本国家には第三の原理、前二者と矛盾する原理があったと考えています。
 その第三の原理というのは、大日本帝国は正しかったとし、その事績を正当化し、継承する原理です。日本国憲法は、前文で、また全体を通じて、大日本帝国の事績と大日本帝国の制度をはっきり否定しています。ですから、「帝国継承」原理が戦後国家に生き残る余地はないはずです。
 それなのに、帝国継承原理は、戦後国家の中に、なかば密かに、なかば公然と保持されていました。なかば密かに、というのは、「大東亜戦争はアジア解放の戦争であった」などと公然と言えば、中国ばかりでなく、アジア諸国との付き合いはできなくなるからです。それでも自民党政治家からは、そうした「妄言」がしばしば飛び出しました。それは、この「原理」が支配政党であった自民党のなかに改憲の主張として脈々と保存されていたからです。
 しかしこの原理は、公然と戦後日本国家のなかで実践されてもきたのですね。。1952年、占領終結の翌日、日本政府は処刑された戦犯を、「刑死」ではなく「法務死」、公務執行中の死として名誉回復を図りました。そうして国会では戦犯釈放決議をする。戦犯であった人々を英雄とはしないまでも、国のために戦った犠牲者であるという位置付ける。
 戦後何十年もなぜ文部省が、右翼とともに、しつこく日教組攻撃をつづけたのか。それは日教組の平和教育、帝国日本への批判姿勢の一点ですね。教科書検定での戦争記述をめぐる家永訴訟は実に32年に及んだ。そして80年代になって、「進出」か「侵略」かといういわゆる教科書問題になる。サンフランシスコ平和条約で東京裁判の結果を受け入れた日本政府が、かつての戦争は正しかったとは言えないけれど、できるところはどこでもこの原理を仕込んでいく。この原理は、戦後国家を導く原理の一つとしてずっと生きていたわけです。
 ただ朝鮮併合については、「継承原理」で公然と開き直ります。1928年以前は東京裁判があえて触れなかったので、朝鮮併合は正しかったと今でも主張しうる、65年の日韓条約でも、「もはや無効」という言い方で、併合は当時は正当であったと主張しているわけです。それが今も尾をひいてる。帝国継承原理は日韓関係でもっとも公然と適用されているわけです。
 さて戦後日本国家の話が長くなってしまいましたが、今は、「戦後日本国家」解体の最終局面を迎えているとぼくは認識しています。安倍政権の7年は、「戦後レジーム」における三原理の均衡が、アメリカ帝国覇権原理に癒着した帝国継承原理の優位によって破壊され、憲法平和主義原理が原理として自己主張することが困難になっている状況だと見えます。安倍政権はこの破壊を徹底して行おうとし、かなりそれに成功しました。
 これは戦後革新勢力の敗北と見なければなりません。しかしこれは、たまたまそうなってしまったと言うものでなく、戦後日本の70年に及ぶ権力と民衆との対峙の条件、特に民衆運動側の主観の形成に根差していると思えるのです。これは長い話になるので、端折りますが、たとえて言えば、戦後日本国家は、巨大なマジックミラーのドームのように(沖縄を除く)列島を覆い、その下で上や外を眺めると自分の姿しか見えない。しかし外からはこのドーム内の人間の振る舞いはすべて見通しである、そういうものであった。そしてこの平和なドームは、アメリカの戦争機械に接続されていたのです。
 さて「総括」の話ですが、戦後日本の平和運動は、この三原理の矛盾的拮抗の中で形成された舞台の上で、あるいは平和日本というドームの中で、九条非武装という芝居を演じていたのではないか、そういう疑問を提起しなければなりません。
 民衆運動の最大の政治的表現としての日本社会党は、「非武装中立」を掲げていました。1980年代当時、社会党委員長として非武装中立論を展開した石橋政嗣が典型的ですが、彼の関心の中心はいかにして自衛隊を解体するかに置かれていて、実に詳細に自衛隊の非武装化のステップを論じている。しかし、日米安保については、安保条約10条によって、一年の事前通告で米国に破棄を通告すると片付けている。日米安保関係の終了が単なる手続きで済むかのように述べられています。しかしこのような楽天主義は石橋さんだけではなくて、多くの非武装論に共有されているかに見えます。最近では、私が尊敬する水島朝穂さんが、憲法による非武装化を自衛隊の平和憲法的「改編」によって行うことを提唱されていますが、そこでも、日米軍事関係=安保は「改編構想の原則的視点」の4点目にやっとでてきます。「第4に、自衛隊の改編は、日米安保体制の根本的転換との関りで論じられる必要がある。将来的には、安保条約第10条に基づく条約終了の手続きを行ったのち、新たに「日米平和友好条約」を結ぶことが必要だろう」。(水島「平和の憲法政策論」、30頁)
 ここでも、日本国家は憲法原理によって構成される軍事的主権の保持者であると前提にされ、憲法平和主義に沿った自衛隊の改編は、日本国がまず実行し、それに沿って、安保条約を破棄して、平和友好条約を結ぶという見通しが語られています。非武装化=自衛隊問題はここでも国内問題とされている。
 「平和基本法」という提案が、2008年にも、有力な知識人たちによって行われてきましたが、それらも自衛隊の非軍事組織への再編について同様な認識に立っているようです。(「9条で政治を変える 平和基本法」高文研、2008)この提案は、「日米安保条約を即時廃止するのはリスクとデメリットが大きいので、日米安全保障体制を、軍事同盟としての性格から段階的に非軍事的な包括的友好条約へと変えていく」としている。(同書、90ページ)日米安保が軍事同盟であり、それが明白に非対称な相互関係であることは明白ではないでしょうか。だいいち日本国は、沖縄の現状を前にしてさえ、地位協定の改訂を言い出すことすらできないでいるのです。そんな日米安保を非軍事的友好条約に変えていくなどということは、ライオンを段階的に猫に変えていく、みたいな話ではありませんか。
 何が問題か。問題は、米国の覇権が日本国家に内部化されてしまっていること、かつては冷戦、現在は対中覇権闘争のシステムが、日本国家のシステムの一部として日本国に有機的に一体化してしまっているのに、それに目をつむって、「9条で政治を変える」ことが提案されていることにあります。
 私は、戦後国家というものが、自己の正統化原理の一つとして米国覇権原理を内部化していると言いました。こんにちの「日米同盟」というものの実態をみれば、南西諸島に急速に展開されている日本自衛隊は、多国籍米軍の日本人部隊として米国の対中覇権争奪戦の最前線に任務を与えられた存在にほかならない。この関係を根本的に変えることを抜きにして「9条で政治を変える」ことなどできるはずはありません。つまりこれは、戦後日本国家の三原理の一つ、米国覇権原理をわれわれの手で抜き去り、廃棄することにほかなりません。
 憲法9条をめぐる運動、闘いとはそういう性格のものだとはっきり掴み直す必要があると私は考えています。これは、安倍など日本会議勢力のレジーム改変とは逆の方向に、また米国覇権原理を排除する方向に、国家の性格を変えること、つまり憲法前文・九条を国家編成の単一の原理の位置に据えなおす運動・闘いですね。

 そこで、もう一つ重要なのは、事柄の歴史性という問題です。九条問題というのは安保とならんで、自衛隊の合憲性の問題にほかならないのですけれど、その自衛隊というのは言うまでもなく朝鮮戦争のときにマッカーサー命令、朝鮮に出払った米軍の後方を固める予備として、警察予備隊という形で産み出された。当時すでに「再軍備」として認識された。それが、憲法9条問題というもののそもそもの始まりなんですね。ですから憲法9条問題というのは、朝鮮戦争に遡ってでなければ解決できないんです。そして日本国家の問題としては、近代日本の朝鮮侵略・併合に始まる歴史問題を解決する、という問題領域を含んでいる。そのことに蓋をして九条原理による日本国家というわけにはいかない。憲法問題の議論の中に、例えば新版「平和基本法」提案のなかにさえ、近代日本の歴史はまったく登場していません。
 日本の平和運動が盛んだった頃、57から3年ほどぼくは日本原水協の事務局員でしたが、当時を振り返っても、運動の中で、なぜ原爆が落とされたのか、ということが追求されることはありませんでした。長い凄惨な戦争の最後の帰結が原爆だったわけですね、それはそもそも日本が仕掛けた戦争、東京裁判史観からいっても、1928年以来の日本の満州・中国侵略の帰結ですよね。その間に日本帝国はものすごいこと、破壊と殺戮、収奪を行った。1000万で数えられるようなアジアの人たちを殺し、三百万を超える日本の人たちの死をまねいた。そういうものすごいことを日本国家がやり、民衆の多数はそれに加担した。
 それなのに、近代日本の隣国への加害というものは日本の伝統的平和運動では意識されなかった。60年代後半になって、日本の加害への反省が運動のなかで意識されてきます。ベ平連の運動などもそうですね。ベ平連の小田実は、被害者、加害者のメカニズムという捉え方をした。日本の国民は確かに戦争の被害者になったけれど、しかしそれは膨大なアジアの加害者を作り出したゆえに被害者になった。それは昔のことではなく、今の日本は弾も飛んでこないし、爆撃もされてない、平和な状態であるけれど、その平和な状態がそのままアメリカに基地を提供し、アメリカに戦争物資を提供し、お金をばらまいて戦争機械の一部になっている。そこを変えなきゃいけない。それがベ平連の立場でした。日本の民主主義平和運動の主流は、共産党が典型ですが、「ベトナム支援」という立場でした。ベトナム支援というのは応援団の立場です。自分の試合はしていないですね。
 村山内閣のころ、小田実が社会党の土井さんに、社会党の言っていることは、平和憲法主義で、憲法平和主義じゃない。憲法九条の文言を守ることを目的にするのが平和憲法主義。必要なのは、憲法平和主義ではないか。憲法九条平和主義はパシフィズム原理ですね。それを実行することが必要ではないか。この指摘は的を射ていたと思います。

 さて、どうすればいいのか。わたしは、憲法平法主義で、現状を突破することを初めて本気で考えるべきときだと思うのです。一方的非武装を目指すことを選択すべきである。それが今日の地球社会規模の変動に先取り的に立ち向かうための最も現実的選択だと思うのです。むろん目標を達するための経過的な手立てが必要ですし、何より日本のピープル、近隣諸国のピープル、アメリカのピープルの共感が必要です。しかし、このプランの哲学と目標が明確でなければ何事も始まらないことは明らかです。哲学とは人新世におけるグーバル社会の非軍事化の提唱を含むものであるでしょう。
 それは一方的非武装化構想(unilateral disarmament)である必要があります。昔から、一国的イニシャティブをつぶすのに、それテーマを多国間に広げるという手法があるので、一方的である必要があります。50年代のイギリスの核軍縮のためのキャンペーン(CND)はイギリスの一方的核非武装を要求しました。
 私は一方的非武装が空想的でないことを、現在進行中の米中関係下での日本の安全保障政策が非現実的であることとの見合いで弁証すべきだと思っています。米中覇権抗争が険しくなっているなかで、アメリカ側に立って、「敵地攻撃能力」を備えて敵を「抑止」する、そのため南西諸島を最前線化するする。こんなことが日本の安全とまったく関係ないことは自明なことですね。このことについては、すでにかなり論じられているので、今日は省略することにします。

 日本を非武装国家に作りかえていくとはどういうことか。そのためには何より日米関係を変えなければならない、と自明のことを申しました。しかしその米帝国は、すでに日本の国家のなかに深く入り込んで、日本国家と癒着している。自衛隊はもはや事実上の指揮権がアメリカにあるアメリカ軍の一部ですが、自衛隊ばかりでなく、国家機構や政治世界、メディア、日本財界にも米国の利害が浸透している。アメリカ帝国にへつらい、アメリカ帝国と利害を共にする勢力が政治と社会を支配している現状ですね。そして極右の日本会議潮流は、ナショナリストかというと、この親米主流の核にある大日本帝国肯定・天皇尊崇・反共の思想的立ち位置のところで結合して、同一の陣営を形成するという奇妙な図柄がずっと成立しているのです。安倍政権はこの図柄をはっきりと示しました。
 ですから米国との臣従関係を大日本帝国継承主義とともに串刺しで解体できるのは憲法平和主義=パシフィズムしかないということになります。パシフィズムは大抵の場合、アメリカのフレンド派のように、原則的少数派の立場です。しかし戦後日本の場合、それは憲法の原則として存在し、存在し続けています。この違いは大きいです。私たちは、戦後70数年の歴史、そのなかでも運動史を踏まえ、踏み越える必要があるでしょう。「踏まえ」というのは、原水禁運動や、60年安保闘争、ベトナム反戦運動などの経験を肯定的にとらえ直すこと、「踏み越え」というのは、戦後の非武装論が戦後国家の掌の上のふるまいであったことを認識し、グローバルな大地に足を下ろし、あらたな取り組みを始めることです。

 わたしは、それは革命だと言っていいと思います。憲法革命でしょうか。戦後国家を解体して作り直すという政治的・社会的プロセスです。それはレーニン的革命じゃない。非武装ということが核だからです。非武装というのはただ軍隊がないということではないんですね。非武装に見合う社会関係をつくっていく、非武装平和主義というのはたんに軍隊がないというだけじゃなくて、非武装・非暴力の原則は、ジェンダー関係も、都市と農村の関係も、資本と労働の関係も、すべてに関連してくるわけですね。そういう社会的なプロセス、思想的なプロセス、文化的なプロセス、非武装を実現するということは、それらすべてにつながる、抑圧的な権力関係を減らし、なくす方向に変えていくプロセスにつながる、あるいはつながらないと実現できないというものだと思うのです。これは理想論で、そんなこと出来っこないと思われるかもしれない。しかし目標を立てなければ何事も始まらないのも事実でしょう。

 このような変革はむろん一国の孤立した行動として完結するわけではありませんね。必要なのはグローバルな変革です。そのためにはグローバルな変革主体が必要です。私はそれを越境する参加民主主義のための民衆連合と呼んでいます。いかしそれを形成するためには、国家の枠組みには入らない領域に国家が踏み入っていく必要があると考えています。非武装というのは国家として枠を超える選択です。

 初めに、モースを引き合いに出して、地球環境変動の外圧は、人間社会の根本的内部的変革のチャンスであると言いましたが、その外圧を内部変革に変換するためには、内部に外圧に見合う根本性を有する変革の推進力が存在しなければならないのです。私は、非武装国家とそれを推進する主体がそういう推進力の一つではないかと思っています。わたしは、いまの大変革の時代、既成の枠組みから、片脚を未知の外側に踏み出す必要があると思っています。両脚を踏み出すと、現実と噛み合えないので、片脚です。憲法九条非武装はそうした片脚であるとぼくは考えています。

 ご清聴ありがとうございました。

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