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戦後日本国家の対米関係と対米交渉力についてのメモ

武藤一羊

2012年5月15日記

冷戦期の戦後国家の対米交渉力

 戦後日本国家が一貫して対米従属の下にあったことは明らかであり、それは日本政府の外交政策の選択というより、米国覇権の日本国家への内部化から生じていたことは基本であるが、それは単純な一方的関係ではなく、日本支配集団の意志や選択による自発的側面もあり、対米交渉の場面を含むものであったことに注目する必要がある。(占領下でも交渉の場面と余地はあった)。戦後日本支配集団は、戦後米国覇権の下で、米国の世界支配への従属的内接関係を日本資本主義の復興と膨張のために利用するため選び取りもしたので、そこに交渉の成立する空間が生じたのである。

 しかし戦後期を通じてこの交渉力はいつも同じ水準にはなく、米国側、日本側の政治要素によってかなりの幅で変動したとみるべきである。その際、変動を支配する背景的要素として、(1)米国にとっての日本の戦略的重要度、(2)経済における力関係、(3)日本国内の民衆との力関係から生じる交渉力の三要素がある。それらが組み合わさって時々の現実の交渉力を形成してきた。

 冷戦期、とくにベトナム戦争(1965?72、佐藤政権)、新冷戦(80年代、中曽根政権)期に、米国にとっての日本の戦略的価値は高く、それが日本の対米交渉力を、今日に比べて高い水準に支える要素であった。80年代は、日本の経済力の絶頂期であり、米国は交渉を余儀なくされた。国土中心の資本蓄積様式は戦後日本国家の4本目の柱であり、繊維、鉄鋼、自動車など対米輸出をめぐる交渉は対等に近い交渉であった。80年代米国は「国際化」への圧力をかけたが、日本企業は輸出代替型企業移転とQCドライブによる労働者の極限までの動員によって、この蓄積様式をかろうじて維持した。他方、70年代までは、戦後革新勢力が50―60年代に社会的原理に高めた平和主義が下からの政治的規制力としてかなり強く働いていて、それが日本政府の対米交渉力を構成する一要素となっていた。(64年ライシャワー電報は率直)60年代の沖縄の民衆的圧力が日本政府に対米交渉力を付与したことは明らかだ。

冷戦終結と日米安保関係の相転移

 三要素の組み合わせのダイナミックな変化による戦後国家の対米交渉力の変動を辿る必要があろう。冷戦後、1990年代半ばに組み合わせはドラスティックに変わる。

 (1)米国にとって日本の反共軍事戦略的価値は下がり、日本の重要性の中身が変質する。イデオロギー的大義を失ったむきだしの米国国益―没落期の帝国の世界支配、アメリカとアメリカ資本の全方位的優位の確保―にとっての利用価値という私的観点への移行である。米国にとっての日米関係の判断を測る座標は、冷戦時のイデオロギー的座標から、米国とその企業の世界支配にとっての利用価値という座標に移し替えられる。ナイ・イニシャチブ、1966年の東アジア戦略はその表れであり、1996年の安保再定義はこの「相移転」の発生を告げる転換点だった。

 (2)政府財界のネオリベラルへのシフトによる国土中心的な資本蓄積様式の放棄は経済ナショナリズムによる対米交渉スタンスをとる根拠そのものを消滅させた。米国は米国国益とそれにかなうルールへの全面降伏を迫るようになり、多国籍化した資本はそこに統合された。

 (3)戦後革新勢力の解体―総評・社会党ブロックの解体―により、平和主義原理の中核的担い手が消滅し、憲法9条が存続しているにもかかわらず、国内世論を理由に米国の要求を値切る国家側の力は大きく失われた。

 ここにおいて戦後日本国家の対米交渉力の基盤は大きく損なわれた。

 いまのところ(3)の文脈で客観的に交渉力の基礎となりうるのは沖縄の抵抗とTPPで励起された新自由主義への抵抗力の二つであろう。しかし、米国依存をほとんど唯一の政権基盤とするにいたったヤマト国家にとって、沖縄民衆の抵抗を対米交渉の圧力として使うことはできない。それどころか今日の事態の展開の中で、米国の支えを取り付けるよすがとして、沖縄における米軍のプレゼンスを必要としているのは、ヤマト権力だからである。そのような目的のために米軍に差し出しうる領土は沖縄しかないとヤマト権力は考える。すなわち沖縄を処分可能な領土―国内植民地―とみなしていることの歴然たる証拠である。それゆえ沖縄の民衆は、その抵抗をますますヤマトの植民地主義支配に向けつつある。TPPをめぐる抵抗については、政権がそれを利用して対米交渉で条件を値切る客観的可能性はあるが、米国は今日の日本の権力の足元を見ているので、条件交渉を頭から拒否する姿勢である。
 
 こうして、没落期米国の「核心的利益」に触れるこれらのテーマをめぐる国内の抵抗を、今日の日本国家が対米交渉力の支えとして利用する状況は存在していない。

米国の前方展開の再編

 米国は、中国との間に覇権レベルの独特の競合・協調関係をつくりつつあり(America’s Pacific Century)国益を正面に掲げて、軍事・政治・経済的前方展開を、オーストラリア、グアムを新拠点に、大きく変更しようとしている。日米安保も沖縄基地もそれに沿って再編に晒されつつある。その中で日本支配集団は、米国が日本を一方的に利用はするが、重視せず、核安保の傘を外すのではないか(もともと傘は差し掛けられてはいず、腕にすがって傘の端にいさせてもらっているに過ぎなかったのだが)という危惧をこれまでより強く抱いているかに見える。日米安保関係の非対称性(我部)が可視化し、関心の共有部分が縮小する事態が出現しつつあるのではないか。アメリカが迷惑するほどの日本政府の辺野古執着は、その事態への危惧からきていると考えられないか。米国の沖縄における軍事プレゼンスは、日本支配集団にとっての人質という側面を備え始めていると見える。あるいは米軍引き止め用の饗応として沖縄を今一度差し出しているともいえる。それはヤマト国家の沖縄への植民地支配の姿をいっそう剥き出しにする。

交渉力の放棄

 米国の対外的展開―軍事、政治、経済をつらぬく再編―は、日本側に原則的スタンスとかち取るべき目標があれば、対米自主をかちとるための交渉のチャンスである。だが、原則的スタンスを欠いている場合は、同じ展開は国家の存立基盤への危険と受け止められる。それが今日の崩壊期戦後国家の場合である。対米自主の条件をかちとる交渉どころか、無条件の忠誠を差し出して旧現状維持のための懇願に走る。交渉力の自発的放棄である。それは政権交代以来の民主党政権の振舞いに表れている。

 沖縄については、沖縄が米国の軍事植民地であることに別の角度から注目する必要がある。軍事植民地は、領土と人民と資源などの支配が目的の通常の植民地とは違って、軍事戦略の変化によって放棄されうるのである。したがって、日本は沖縄を米国戦略のカナメに据え続けなければならない。米国の対中国覇権戦略における日本の重要性―沖縄についてはもっぱら米国にとっての軍事的重要性―を強調し、印象付け、確認させなければならない。日本政府の異常な辺野古固執は、このような文脈の変化―sea change―の反映であろうか。だがそうだとすれば、戦後国家は終わったのである。半世紀にわたって保持してきたおのがじしの根拠が失われたいまそれは一個の巨大な寄生体に転化しつつある。

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