メニュー  >  代案は存在し、すでに提起されている(?章)/武藤一羊
ここに掲載する「戦後日本における憲法平和主義の原理としての生成」および「代案は存在し、すでに提起されている」は、武藤一羊氏がれんが書房新社から近く公刊予定の論文集のために書き下ろした前書きの後半部の一部(?章および?章)です。

※先に本サイトで5回に分けてアップした武藤の「敗戦70年を越えて:安倍極右政権を倒すとは何を意味するか、その先に何が開けるのか――国家の正統化原理の角度からの考察」は、この文章の最初の部分の初期バージョンで、この部分は書物用にはかなり書き直した新バージョンが使われるとのことです。

代案は存在し、すでに提起されている(?章)

武藤一羊

2015年10月8日

基点としての「フクシマ」

二〇一一年三月一一日の東日本大震災とフクシマ原発破局は、第二の敗戦とみなされるべき巨大な破壊と衝撃を日本社会に与え、その後のすべての政治的プロセスを公然・隠然に規定する要因となっている。安倍政権へのたたかいも「フクシマ」の影の下で始まっている。フクシマ原発破局は、放射能によって、夥しい人々、階層、コミュニティの生活そのものを、多様なかたちで、持続的に侵していくものであるので、それに対応する運動・活動は、日常生活のレベルで、社会に有機的に組み込まれている。それは、権力と民衆とのあいだにかつてない規模のかつてない持続性をもつ新しい対峙関係を生みだしている。

この対峙は一体何を表しているのか。

戦後国家において、原発産業はエネルギー産業である以前に潜在的核兵器保有の保証として「国家安全保障」のカナメと位置付けられてきた。「フクシマ」破局が、原発は廃止するしかないことをはっきり実証したにもかかわらず、原発なしでエネルギー危機などおこらないことが明白になったにもかかわらず、そしてどの世論調査でも人びとが圧倒的に反対を表明しているにもかかわらず、原発再稼働が強引に推し進められているのは、国家が核武装能力を絶対手放したくないからである。

原子炉導入が一九五四年の最初の原子力予算の提案、採択時から軍事的文脈でなされ、安倍首相の祖父岸信介首相が、一九五七年、核兵器保有もかならずしも違憲ではないと国会で発言したことについては比較的知られている。しかし核武装が政府によって現実に検討、追求されたのは、一九六〇年代、佐藤栄作内閣のときである。一九六五年、佐藤首相は、就任直後に訪米し、自分は中国の核武装に対して日本は核武装すべしという意見であるが、あえて核武装はしない、とラスク国務長官に告げた。佐藤はこのとき、沖縄「返還」交渉を有利に進めるため日本の首相として初めて「核カード」を切って見せたのである。(藤田祐幸「戦後日本の核政策史」、槌田敦他「隠して核武装する日本」、影書房、pp99)ベトナム戦争真っ盛りの一九六五年から七〇年にかけて、佐藤内閣の下で、内閣、外務省、防衛庁、海上自衛隊、私的シンクタンクなどによる日本核武装についての研究、検討が一斉に行われた。外務省は、一九七〇年、秘密裏に「わが国外交方針の大綱」という文書を採択したが、そこでは、それまでの検討の結果を受けるかたちで、核武装についてこう述べていた。

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核兵器については、NPTに参加すると否とにかかわらず、当面核兵器は保有しない政策をとるが、核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャルは常に保持するとともに、これに対する掣肘はうけないよう配慮する。又、核兵器一般についての政策は国際政治・経済的な利害得失の計算に基づくものであるとの趣旨を国民に啓発する。
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これは今日に至るまで、そしてフクイチ以後も、日本政府が堅持している立場である。この路線が今日に忠実に引き継がれていることをもっとも率直に、またもっともしばしば語っている政治家は石破茂だろう。こう言っている。

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私は核兵器を持つべきだとは思っていませんが、原発を維持するということは、核兵器を作ろうと思えば一定期間のうちに作れるという「核の潜在的抑止力」になっていると思っています。逆に言えば、原発をなくすということはその潜在的抑止力をも放棄することになる、という点を問いたい。・・・私は日本の原発が世界に果たすべき役割からも、核の潜在的抑止力を持ち続けるためにも、原発を止めるべきとは思いません。・・・核の基礎研究から始めれば、実際に核を持つまで五年や一〇年かかる。しかし、原発の技術があることで、数ヶ月から一年といった比較的短期間で核をもちうる。加えて我が国は世界有数のロケット技術を持っている。この二つを組み合わせれば、かなり短い期間で効果的な核保有を現実化できる。・・・(SAPIO、二〇一一年一〇月五日号)
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列島住民の多数がノーと叫んでいる原発は権力によってこのように位置付けられているのである。

二〇一四年五月、福井地裁の樋口英明裁判長によって、大飯原発三、号機の再稼働を禁じる画期的な、歴史的判決が言い渡された。原発への原理的な立場が明快に宣言されたのである。それは人格権の原理である。一九五八年の東京地裁伊達秋雄裁判長による日米安保違憲の砂川判決以来、初めて、裁判所が憲法の原理的立場に依拠して「国策」の要求を正面から退けたのである。この判決は「個人の生命、身体、精神及び生活に関する利益は、各人の人格に本質的なものであって、その総体が人格権」であるとしたうえで、「人格権は憲法上の権利であり(13条、25条)、また人の生命を基礎とするものであるがゆえに、我が国の法制下においてはこれを超える価値を他に見出すことはできない」とし、「この人格権とりわけ生命を守り生活を維持するという人格権の根幹部分に対する具体的侵害のおそれがあるときは、人格権そのものに基づいて侵害行為の差止めを請求できることになる」と述べ、原告の請求どおり、再稼働を差し止めたのである。(傍点引用者)重要なのはこの判決が、「原子力発電所の稼動は法的には電気を生み出すための一手段たる経済活動の自由(憲法22条1項)に属するものであって、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきもの」と明確に優先順位を規定したことである。こうして、この判決は、反原発のたたかいの原理的な根拠、そして憲法上の根拠を、明快に示したのである。

大飯原発再稼働は、二〇一二年、六月、民主党野田政権が再稼働を決定して以来、抗議行動の大波を呼び起こし、首相官邸を数万人のデモが取り囲んだ。現地では再稼働予定日七月一日を控えた六月三〇日から体を張った非暴力座り込み、道路封鎖による作業員の入構阻止行動が行われた。樋口判決は真空の中ではなく、下からの運動の空前の盛り上がりを背景に出されたのである。

こうして獲得されつつある反原発の原理的な立場は、原子力産業の二重の性格を串刺しにする。脱原発の運動は、原発の運転がもたらす危険だけではなく、「核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャル」を除去するたたかいなのである。人格権の立場からするなら、結果としてそうなるというだけではない。核兵器は、人格権の基礎そのものである生命を破壊するための手段であるから、その製造や使用は許されるはずはない。原発も原爆も許されない。樋口判決が示したこの起点は、他の基点に自然に接続する回路を備えている。

民衆の自立圏への展望―いくつかの基点から

沖縄をめぐっては原理的立場はすでにはっきりと示されている。一九九五年以来、米日の軍事植民地支配に対抗する圧倒的な草の根からの力を築きあげ、ピープルとしての自己決定の権利を要求し、行使し始めている。翁長知事の辺野古埋め立て承認の取り消しは、ただの行政手続きではなくて、原理的な次元での行動である。「オールおきなわ」に支えられた翁長知事の二〇一五年九月二二日の国連人権理事会総会でのスピーチは、米国政府と日本政府が沖縄の自己決定権を「ないがしろ」にしてきたことへの告発であった。辺野古基地阻止のたたかいは、一九九七年以来驚異的な持続力で続けられてきた。米軍基地だけが問題ではなかった。二〇〇七年には、第一次安倍政権下、一一万人のウチナンチュが集団自決への日本軍の関与をめぐる教科書検定に抗議する大抗議集会に結集した。この経緯に示された沖縄の意志は明確である。沖縄は自己決定の主体として、米日の結託による植民地支配を拒否しつつ、日本(ヤマト)政府と資格において対等な主体として対峙しているのだ。原理の次元はここではきわめて明瞭である。私は沖縄の自己決定の原理とヤマトの平和主義の原理とが生産的な相互作用にはいることは可能であり、必要であると信じている。それを可能にするのは、ヤマトが、憲法平和主義によってアメリカ覇権原理から離脱するプロセスを始動し、帝国継承原理を根元から完全に引き抜き、廃棄することである。

第四の基点、戦後責任については、本稿のテーマそのものなので、また本書収録の脱植民地化についての論考の中で取り上げているので、改めて論じない。だが戦後責任の追及が、安倍政権の信奉する帝国継承原理との激しい正面衝突を日々引起こしていることを、いつもの出来事とやり過ごすわけにはいかないだろう。軍「慰安婦」問題は、最近UNESCOをめぐって再浮上した南京虐殺問題と共に、第一級の国際政治問題であり続けている。帝国継承原理がそこに裸のまま露出しているのだ。

そしてそれに対抗する基点を記す杭は日本列島社会に深く打ち込まれている。一九九〇年代以降、戦後補償に取り組む運動が、綿密な調査・研究にも支えられて、粘り強く続けられてきた。とりわけ「慰安婦」問題をめぐる日本内外の運動は、帝国による戦争と植民地化のジェンダー化された核心部分を明るみに引出し、その深さから正義を確定し清算を迫るという射程をもつ。二〇〇〇年にアジア各地からの被害者女性とともに東京で開かれ、翌年ハーグで判決を下した民衆法廷としての女性国際戦犯法廷は、「日本軍と政府当局は、『慰安婦』制度の一環として日本軍への性的隷属を強要された数万人の女性と少女に対して、人道に対する罪としての強かんと性奴隷制を実行した」とし、法廷によって訴追された軍、政府関係者―昭和天皇も含まれるー全員を有罪とした。その上で、国家間条約によって被害者個人への補償は解決済みとする国家側の主張を認めず、日本国家による謝罪、補償のほか、記憶にとどめ、「二度と繰り返さない」ために、「記念館、博物館、図書館を設立することで、犠牲者とサバイバーたちを認知し、名誉を称えること、「あらゆるレベルでの教科書に意味のある記述」を行うこと要請した。

ちなみに「慰安婦」について日本軍の「関与」を認めた「河野談話」は「われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい」とし「われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意」を表明している。「歴史教育を通じて」という文言が日本政府の対外的・対内的コミットメントであることは再確認される必要がある。(安倍首相は「村山談話」とともに「河野談話」も「踏襲する」らしい。ならば文科省は、検定制度があるかぎり、教科書に「慰安婦」問題についての記述を入れるよう指導する義務がある)。

第四の基点からの原理的規制力の場は国家を縛るところまで及んでいる。さらにそれは事実国家を突き抜けてグローバルな規範に直接に?がっているのである。

日本列島社会には、実践を通じて獲得されたさらに多くの原理的立脚点=基点が特定できよう。これらの基点を結び、面に形成するーすなわち運動圏を形成するーことができるはずである。それをもって安倍権力を倒し、その残滓の大方を片付けるなら、そこに開けるのは「現状マイナス安倍」ではないはずである。安倍以前の社会になかった何か、何者かが社会の中に生成し、生き始めているにちがいないからである。すなわち、別の日本列島社会の骨組みが可視的になってくるはずである。基点を結ぶ働きとして求められるのは、それぞれに拠る運動間の生産的な交流と討論であろう。それがいまほど求められているときはない。必要なのは勝敗を争うディベートではなく、開かれた想像力を駆使する熟議であろう。そこから一枚岩でも野合でもない合意が生まれ、それが絶えず更新されていくプロセスが生まれれば、戦後日本国の九条平和主義は中身のつまった生きた原理として再獲得され、その基礎の上にもう一つの日本列島社会の下からの設計プロセスが動き出すだろう。

原理としての平和主義によって、私たちは安倍政権を倒す。それによって戦後国家に作り付けだった他の二つの国家構成原理の排除に向かう。それは、醜悪な野合をとげている帝国継承原理とアメリカの覇権原理を癒着のまま処分し、平和主義原理によって日本列島社会を組織しなおすことに踏み出すことである。そこから初めて未来への展望が開ける。

反対するなら代案を出せ、というのが昔から体制側の言い方、むしろ脅迫であった。代案はある。そしてもっとも大事なのは原理上の代案である。

私は、社会の中の基点に根を張った憲法九条原理はそのような原理上の代案となりうるし、なるべきだと考えている。この原理は、かなりの射程をもって、今日の現実の中に展開可能である。具体的な国家の内外政策に展開することができるし、そればかりではなく私たちの行動の手引き、運動の方針に展開することができる。民衆と民衆の結びつきを、国境を越えて、中国、朝鮮・韓国含む東アジア、環太平洋、さらにその外にまで、を国家に対する民衆の自立圏として、そう言いたければ民衆による戦争「抑止力」として出現させるという目標を立てる。

大日本帝国復権原理を平和原理で倒すということは、まず第一のバリアーである自己免責の壁を壊して、その背後に開ける光景に目をこらすことを意味する。そこにパノラマのごとく展開するのは、大日本帝国=近代日本の事績全体であろう。一九三一年以降にとどまらず、大日本帝国の行いと思想をその発端から調べなおすこと、その上に日本国のこれからの進路を定めていくことである。

安倍政権はもはやその歴史修正主義を公然と世界に通用させることはできない。そこで国内を囲い込み、日本〈国民〉を歴史と外部世界から遮断し、閉じた日本意識と自画自賛―素晴らしい日本文化、アジアにおける近代化のモデル、世界が賞賛する日本食、おもてなしの国ニッポン等々―のなかに囲い込み、普遍的な規範から遮断することに生き残る道を見出そうとしている。この誘導はかなり成功していると言える。テレビのバラエティ番組から安倍の演説まで、いたるところに「日本はすばらしい」という自画自賛のメッセージが組み込まれている。普遍的な規範からの遮断は人権の普遍性を退けた自民党の憲法草案にもっとも露骨に表れている。米国へのかぎりない忠誠の誓と引き換えに、国内統治における修正主義的歴史教育を含めた行動の自由を黙認させるという暗黙の取引が日米間に存在するのではないかと私は疑っている。しかしそれもある程度であろう。首相の靖国参拝は黙認されないだろう。

時間=歴史認識と空間=世界認識において、この囲い込みを突破することで安倍政権を倒す。それも憲法平和原理で倒す。私は、秘密法反対から新戦争立法反対への運動プロセスはこの囲い込みにかなり大きい裂け目を開けたと考えている。

グローバルな脱植民地化プロセスへの合流

最後に、日本国家に即しての脱植民地化プロセスー帝国継承原理の廃棄は、下からの「ダーバン・プロセス」の一部として展開できるし、すべきだという私の考えを提出しておこう。二〇〇一年、八月三一から九月八日まで、南アフリカのダーバンで国連主催で開かれた「反人種主義・差別撤廃世界会議」は、「人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容の源泉、原因、形態、現代的現象」に迫ることを掲げた大会議だった。ここで採択されたダーバン宣言は、国際社会として初めて、歴史に踏み込んで植民地主義を批判する立場をこう明らかにした。

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我々は、奴隷制、奴隷貿易、大西洋横断奴隷貿易、アパルトヘイト、植民地主義、およびジェノサイドによってもたらされた幾百万もの男、女、子供たちの甚大な人的被害と悲劇的惨状を認めて、深く遺憾とし、関係各国に、過去の悲劇の犠牲者たちの記憶を尊び、それらがいつどこで生じようとも非難され再来が予防されなくてはならないことを確認するよう求める。

植民地主義が人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容をもたらし、アフリカ人とアフリカ系人民、アジア人とアジア系人民、および先住民族は植民地主義の被害者であったし、いまなおその帰結の被害者であり続けていることを認める。植民地主義によって苦痛がもたらされ、植民地主義が起きたところはどこであれ、いつであれ、非難され、その再発は防止されねばならないことを確認する。この制度と慣行の影響と存続が、今日の世界各地における社会的経済的不平等を続けさせる要因であることは遺憾である。
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ダーバン会議は大荒れに荒れた会議で、旧植民地宗主国である欧米と第三世界諸国の間の対立、パレスチナ政策についてのイスラエル批判に抗議してブッシュ政権のアメリカの退場、その後、二〇〇九年のフォロウ・アップ会議でのイスラエル問題をめぐる西欧数か国の会議不参加など、波乱に見舞われたけれど、ダーバン宣言と行動計画は生きている。そしてそれは「従来の国際社会の常識を破るもの」だったと帝国主義史の研究者永原陽子は位置付けている。「この宣言が破った「従来の国際社会の常識」とは、植民地主義の責任追及を回避することで成り立ってきた第二次大戦後の世界秩序である。ナチズムを経験し、「人道に対する罪」概念を生み出した欧米諸国が、同じ基準を自らの行った植民地支配やそれと不可分の奴隷貿易・奴隷制の歴史に当てはめて論じることは少なくとも公の場面では、二〇世紀の間にはいちどたりともなかった」。(永原陽子編「植民地責任論―脱植民地化の比較史」、青木書店、p10)そのタブーが破られ、植民地主義の出発からの責任がいま公に問われ始めたのだ。この事業は、植民地主義について後ろめたさをもつ国家の枠の中だけでなく、民衆の下からの歴史再構築・際把握のプロセスー南北・東西の境を越えて気脈をつうじあう民衆のプロセスーを通じてこそ進められなければなるまい。

ダーバン・プロセスはグローバル政治において主流であることからは程遠い。国連プロセスにおいて、植民地主義の来歴をもつ欧米が支配的な力を持っているからである。しかし、植民地主義の歴史的清算への回路を遮断して、欧米の自己免責の上に世界をいつまでも管理しようとすれば、それはそのことへの懲罰として「イスラム国」のような破壊的反動を引き起こす。二〇〇一年、米国が席を立ったダーバン会議が閉会した三日後に九・一一「同時多発テロ」が起こったことは、偶然ではあろうが、象徴的であった。そしてブッシュはそれにたいして今日に至っても拡大するばかりの終わりなき戦争に点火した。二〇世紀はそのように終わり、二一世紀はそのように始まった。

下からのダーバン・プロセスを起動させ、一六世紀以来の病を名指しにし、その病を治して、いまや一つに結び付いているグローバル社会に健康をとりもどす時なのだ。二一世紀とはそのための世紀である。

安倍政権を論じるこの文章で、なぜダーバン・プロセスを持ち出したか。安倍政権はじめ日本の右翼潮流は、日本国家の戦争責任・戦後責任が問われるたびに、欧米諸国は、植民地化について自己批判も謝罪もしていないではないか、なぜ日本だけ謝罪しなければならないのか、と開き直る。安倍首相の戦後七〇年声明もその論理でいわば包装されている。親分が謝っていないのになぜ子分の俺が謝らなけりゃならないんだ!というわけで、殴られた被害者への責任を回避し、自責の念もごまかそうとするもっとも卑怯・未練な態度である。ダーバン・プロセスはこの退路を断つ。いまや親分が責任を問われているのだ。九条平和主義原理で、日本帝国とアメリカ帝国を串刺しするための視点がそこにある。

この文章の冒頭に私は「いま私たちが日本列島で展開している運動が孤立したものでなく、下からのグローバルな多数者の活動世界に接続し、交流し、影響し合い、その中でそこに合流する性格のものである」と述べた。この合流のために切り開くべき水路は一本ではないが、安倍の帝国継承原理を抜き捨てるという大仕事に即して言えば、ダーバン・プロセスは本筋の一つであろう。それは九条平和主義原理の展開の自然な道筋であろう。原理としての九条平和主義は、民衆レベルでの運動戦略だけでなく、国家の外交方針として、安全保障政策として、また経済政策としても、展開可能である。本書に収めた文章の中でも私は、米中による「複合覇権」化にたいして、太平洋における非覇権化の提案をしているが、それもその試みの一つである。むろん原理を政策や方針に全面的に展開する力は私にはない。それはいまさまざまなたたかいに取り組んでいる人々の共同作業を通じて形を備えていくだろう。

ただ私が確信しているのは、二一世紀一〇年代以降が、二〇世紀の常識を越えた規模と深さでの地球社会の再組織が必要な局面に入ったということであり、そして、そのことは、同時に、過去五〇〇年余の歴史に照らして二〇世紀をどのように遺産化し、相続可能にするかという課題を私たちに突き付けているということである。(2015.10.8)
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