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極右政権は暴走を始め状況は流動化する
―安倍改憲の核を砕く「言論ブロック」の形成へ

武藤一羊
(ピープルズ・プラン研究所運営委員)
出典:『市民の意見』No.138(2013/6/1発行)

帝国継承原理への一元化の冒険

状況は動き始めたと感じられる。民主党政権の自壊につけこんで生まれた安倍極右政権は、しばらくは改憲による「戦後レジーム」の廃棄の企てを派手に表に出さず、七月参院選までバブル誘導による経済回復期待で人気をつなぐいわゆる「安全運転」で進むと見られてきた。だが、四月に入って、マスコミ人気に舞い上がった安倍政権は「安全運転」を打ち切り、アクセルを踏み込んで暴走を開始した。参院選の目玉に、「日本国憲法」を否定する「新憲法」制定への道筋として、憲法九六条の「改正」を立ててたたかうという決定が暴走開始の合図であった。安倍政権のこの決定は状況のダイナミックな流動を呼び起こしつつある。安倍政権の個々の政策だけではなく、それが推進する国家改造の企て全体が、多くの人びとの眼前に浮き彫りになり、疑問に付され、賛否両論に晒される局面が生み出されつつあると見える。

 政権の暴走の口火は、四月二一から始まる副総理を含む閣僚の靖国参拝で切られた。安倍自身も「供物」を捧げた。二三日には議員一六八名の靖国集団参拝が華々しいデモンストレーションとして行われ、同日の国会答弁では安倍は「侵略」には学術的定義がないという奇妙なレトリックを弄して、日本帝国の過去の反省を盛った「村山談話」を事実上否定してみせた。これらの挑発的行為は、当然ながら、韓国、中国からの強い抗議に出会った。韓国は予定の外相訪日をキャンセルし、韓国国会は四月二九日、麻生太郎副総理らによる靖国神社参拝や安倍晋三首相の侵略を巡る発言を批判する決議を採択した。それにたいして安倍は「どんな脅しにも屈しない」と開き直った。安倍政権はこうして両国との関係を平然とぶち壊した。

 ほぼ半世紀戦にわったって存続した「戦後日本国家」という体制は、相互に排除しあう三つの正統化原理を内部に組みこんで成立していた、と私はかねてから指摘してきた。日本は日本国憲法に基づいて組織されている国家であるから、その平和主義と主権在民の原理は働いていた。同時に、安保条約、沖縄の米国支配、米軍の事実上の指揮下にある自衛隊の性格などが示すように、戦後日本は、米国の世界支配=覇権原理を内部に組み込んだ国家であった。この二つの原理は並び立たないものであったが、戦後国家はそれに加えて戦前日本帝国の振舞いを正当化し讃える「帝国継承原理」を一貫して、しかしふだんは表に出さずに保持してきた。戦争や植民地主義について「村山談話」のような声明を出しても、靖国、教科書問題、慰安婦などの問題が決して解決されず、隣国との真の関係構築を妨げてきたのはこの原理が放棄されなかったからである。この原理は他の二つの原理のどれとも並び立たないものであった。

 安倍政権はこの原理を公然と国の基礎に据えることを使命として出現した。米国覇権原理には手をつけず、平和主義・主権在民原理を排除してである。

 しかしそれは容易ではない。アジアからの孤立だけでなく、柱とたのむアメリカとも摩擦を生みだすからである。「アメリカ製憲法」を排撃し、大東亜戦争はアジア解放の聖戦だったとする帝国継承原理が米国の覇権原理と相いれないことは明らかだ。靖国や「村山談話」をめぐる安倍と閣僚たちの発言は米国に深い危惧と不信を呼び起こし、有力紙は一斉に対日警戒の論説を掲げ、安倍の国家主義、歴史認識を真っ向から批判した。

 安倍極右政権はどちらを見ても怒りと不信の眼差しに会うなかで出発したのである。

立憲主義・主権在民否定への警鐘

 状況は動き始めたかに見えると冒頭に書いた。どのようにか。

 四月二八日に企画された「主権回復の日」が政治的地殻に亀裂が入り始めるきっかけだった。確かに一九五二年のこの日、サンフランシスコ講和条約が発効し、占領が終わった。しかしなぜ祝うのか。自民党はまともな説明を与えられなかった。「主権回復」を言いつつ、サンフランシスコ講和条約と安保条約の評価には触れようとしなかった。この日が日本国から米国支配下に遺棄された屈辱の日に他ならない沖縄は全島挙げての抗議に立ちあがり、知事は政府行事への出席を拒否した。本土の主要メディアのいくつかも、かなりきびしい論評を掲げた。

 実は、自民党の「主権回復」はアメリカからの主権の回復のことではなかったのである。「主権回復」とは、日本支配集団が「占領憲法」を改定・廃止する自由の「回復」を意味したのである。「占領憲法」が規定する国民=人民主権を廃止し、主権を人民の手から国家の手に「回復」する、それが自民党語での「主権の回復」の意味であった。

 この文脈で安倍自民党は、「主権回復の日」行事を改憲ドライブの理念的出発点に位置づけた。だが失敗した。政権は左右中道すべてから浮き上がり、言葉を失った。政府式典での安倍のあいさつはまったく無内容、改憲への号砲など発することはできなかった。
 
 しかし現実に憲法問題は、五月三日憲法記念日にかけて、走り出した。安倍側とすれば号砲ミスによるフライイングのようにである。そして必ずしも政権の望むコースに沿ってではなくである。憲法記念日の全国紙は「毎日」が社説で「九六条改憲に反対する」と最も明確な主張をかかげ、「朝日」社説は九六条改憲には触れずに「変えていいこと、ならぬこと」として、自民党憲法草案が否定する立憲主義は変えてはならぬことだとし、一応の立場を明らかにした。丹念にチェックしたわけではないが、明確な改憲メディアを除くと、大方のメディアは安倍の改憲暴走には距離を置こうとしたと言えるのではないだろうか。
 
 その中で二つの点に注目したい。一つは、九六条改定を先行させ、全面改憲への扉を開くという自民党の術策が思った効果をあげなかったことだ。「選手がルールを書きかえるのか」という揶揄が飛び、自民党の中からさえ「裏口入学」という批判の声が挙った。何より、「改憲手続き改憲」の狙いはあまりにも見え見えだったので、批判的議論は九六条改憲を串刺しに自民党改憲案自体に迫って行ったのである。
 
 そして何より、憲法記念日を境として、その自民党憲法草案が、個々の条文だけではなく、全体として立憲主義を否定するー主権在民を否定するー恐るべき代物であることが、一気に焦点化したのである。憲法は本来人民が権力を縛るためのものであるのに、自民党権力は逆に国家が人民になすべきことを命じるものに変えようとしている。個々の条文だけではなく、安倍自民党が国家の性格そのものを変えようとしていると指摘するこの批判は、多くの評者から発信され、今後の改憲論議の軸として受け入れられたかに見える。「立憲主義」はメディアで市民権を得たようである。

 これは事態の認識における突破口、ブレークスルーであると私は思う。憲法をめぐって国家主権か人民主権かが争われているという把握は、極右自民党の「自主憲法」国家の核心を衝くための足場となりうるだろう。

対抗的言論ブロックー野合でもなく一枚岩でもなく

 そうだとしても、それが憲法論の次元にとどまるなら、今日の日本社会の現実の問題から遠ざかり、人びとの関心から乖離していくだろう。極右勢力の国家改造は、それ自身の制度・政策・思想を備えた体系的プロセスだからである。プロセスはすでに主要な分野で進行しており、改憲はその総仕上げと位置付けられている。立憲主義の破棄は、沖縄、原発、安保、歴史認識、教育、ジェンダー、TPPなどをめぐる政権の全面的攻勢を通じて具体化されつつある。極右国家を挫折させるためには、その具体的な展開を阻止することが必要だ。

 重要なのは、これらすべての国家改造プロセスにたいして、下からの民衆の拒否力が、拡大する多様な運動、活動として存在し発展していることである。沖縄の基地撤去・日本支配の拒否の運動は、近代日本国家の根本に迫りつつあるし、原発を拒否する動きは下からの対抗力を形成している。総体として下からの民衆の活動は活発化し、多様となり、横に広がりつつある。

 とはいえ状況は深刻だ。これらの下からの運動、そして極右に危機感を抱く人びとが自らの政治表現を奪われているからである。自民党vs社会党という議会政治における対抗軸が失われてからもう二〇年近くになり、疑似対抗軸であった自民・民主の対抗は、ガセであったことが判明し、惟新のようなキワモノも出現した。人民主権剥奪をめざす国家再編そのものを視野の中心に捉え、その立場から政治に介入する横断的な連合、政治ブロックを民衆運動は形成しえていない。確かに、七月参院選に向けて共産党、社民党は存在するし、候補者を持つ市民政党も名乗りを挙げている。脱原発、TPPなどの課題での政党横断的結集をはかる努力も行われている。私はこれらの努力に敬意を払い、支持するけれど、それで十分でないことは誰の目にも明らかだ。

 七月を越えて、そして安倍トンデモ政権のトンデモ国家改造のプロセスに抗して、どうやってどのような対抗主体、政治ブロックを出現させることができるか、というところに問題はしぼられてくる。この小論でそれを主題的に論じるのは無理であるが、私は、政治ブロックの形成に並行して、あるいはそれに先だって、対抗的言論圏、言論ブロックとでもいうべきものが形成される必要を提起したい。すなわち、支配的言論にたいして、それを掘り崩し、その意図を暴き、人びとの考えと噛み合い、相互作用しつつ、一枚岩ではなく複合的で活発な社会的言論圏を形成する必要である。

 これはかつて「国論二分」と言われた状況に近い。ただ「二分」されるだけでなく、道徳的、文化的、論理的優位性をもつのが民衆の言論ブロックであるような国論二分である。その形成の推進者は、今日それぞれのテーマを追求する社会運動であろう。人の交流や共闘、会議や相互訪問、ネット上でのコミュニケーションなど、多様な形で、お互いの言論を意識的に重ね合わせて行く。獲得目標、歴史はそれぞれの運動に固有のものである。しかし相互に孤立したものではない。運動の根拠や焦点目標の周囲には広がりがあり、隣接領域との重なりがある。意識的にこの重なりそうな部分を重ね合わせ、重ならぬ部分はそのままにしながら、重なりを増やしていくなら、そのなかでいくつかの山と広いすそ野のある合意圏の光景が現れるだろう。それは右翼国家の言論ブロックに非対称に対抗する、野合でもなく一枚岩でもない政治ブロックの形成とほぼ同義であるだろう。それなしで闘われる七月参院選をその形成のためのステップとしうるかどうか。

 紙数が尽きた。この乱暴な素描から先に進むのは他日を期すほかない。
(五月五日記)


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