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TPP参加は破滅への道、脱成長の循環型経済への転換をめざす時だ
     

白川真澄

2011年1月3日

 菅政権は、TPP(環太平洋経済連携協定)への参加に前のめりになっている。マスメディアも、TPPに参加せよという大合唱を始めている。「朝日」は、「税制と社会保障の一体改革、それに自由貿易を進めるTPPへの参加。この二つを進められるかどうか。日本の命運はその点にかかっている」と、TPP参加以外の道はないと煽り立てている(2011年元旦社説)。「日経」は、農民から反対の声が上がると「『貿易自由化には反対』とパブロフの犬よろしく、農業関係者は早速、抵抗している」と罵り、「農家を守るだけの農政は競争力を弱め、担い手を減らし、耕作放棄を促して破綻した。自由化に耐えられる強い農業を作らなければ、日本人は永遠に後悔する」と脅している(2010年11月1日「核心」)。

 TPPに参加しなければ「悲惨」(同)なことになるのか。逆であろう。TPP参加ではない、もうひとつの脱成長の循環型経済をめざすべき時である。

TPP参加は自動車・電機部門のグローバル企業の利益を膨らませるだけ

 TPPは、シンガポールなど4カ国から出発し、現在はアメリカやオーストラリアなどが加わって交渉が行われている9カ国の広域的な自由貿易協定である。その特徴は、二国間のFTA(自由貿易協定)やEPA(経済連携協定)に比べて、「例外なき関税撤廃」を原則としていることにある。農産物を含めた全品目について10年以内に関税を完全撤廃することが求められる。さらに、輸入牛肉の安全性規制など非関税障壁の撤廃が求められる可能性が高い。

 菅政権は、TPP参加の目的が次のことにあると言う。「国を開き、日本経済を活性化する起爆剤。アジア太平洋の成長を取り込み、新成長戦略を実現」(内閣府、2010年10月27日)する。「我が国の貿易・投資環境が他国に劣後してしまうと、将来の雇用機会が喪失してしまうおそれがある。……『国を開き』、『未来を拓く』ための固い決意を固め、これまでの姿勢から大きく踏み込み、世界の主要貿易国との間で、世界の潮流から見て遜色のない高いレベルの経済連携を進める」(EPAに関する基本方針、11月6日)。具体的には、TPP参加によって実質GDPを0.48?0.65%(2.4?3.2兆円)押し上げることができるとしている。TPP参加は事実上の日米FTAの締結であり、アメリカが関税を撤廃すれば、日本の輸出額は自動車で年2.4%、電機製品で年1.6%伸びるという試算(「日経」11月10日)も出されている。

 菅政権がTPP参加を急ぐ大きな理由として持ち出すのが、国際競争の場で韓国に遅れをとってはならないということである。韓国はFTAの推進で先行していて、「韓米FTAが発効すれば、日本企業は米国市場で韓国企業より不利に」(内閣府)なる。経産省は、日本がTPP、EUおよび中国とのEPAをいずれも結ばず、韓国がアメリカ・EU・中国とFTAを締結した場合、自動車・電機・機械の3業種について2020年に市場を失うことによる影響は、実質GDP1.53%(10.5兆円)の減少、雇用81.2万人の減少になると試算している。

 したがって、TPPに参加すれば、対日輸入関税(自動車2.5%、テレビ5%など)が撤廃されるアメリカ市場で巻き返すことができるというわけである。民主党の2009年総選挙マニフェストには「日米FTAを締結し〔交渉を促進 に事後修正〕、貿易・投資の自由化を進める」という一項があったが、TPP参加の狙いは、韓国との競争に勝ち抜いて自動車・電機製品などの対米輸出を促進することにある。それは、輸出部門のグローバル企業の利益をいっそう膨らませる。だが、対米・対中輸出が急増した2002?06年期の経験からすれば、輸出による大企業の利益の増大は、国内での雇用(生活を保障できるだけの)の拡大と労働者の所得向上につながらず、せいぜい不安定で低賃金の非正規雇用の拡大をもたらすだけであろう。

農業が壊滅的な打撃を受けることの意味

 TPP参加が自動車や電機製品の輸出を伸ばすとしても、それと引き換えに農業が壊滅的な打撃を受けることは確実である。アメリカやオーストラリアといった農産物輸出大国に対して例外なく関税を撤廃するのだから、安い農産物がどっと流れこんでくる。米作や畜産・乳製品の農家はほとんど経営が成り立たなくなるだろう。すでに日本の食料自給率は40%(カロリーベース)にまで低下しているが、農水省の試算ではTPP参加によって14%にまで下がると予測されている。

 農業を単なる1つの産業と見なす人間(たとえば前原外相)は、GDPのわずか1.5%、就業者260万人のうち65歳以上が6割を占めて後継者もおらず国際競争力のない農業が、日本全体の経済成長のために犠牲になっても仕方がないと主張している。しかし、農業は、人間の生命に直結する安全な食を提供する役割をもっている。農産物の加工・流通と一体になって、地域経済を支える基盤となっている。そして、森林とならんで自然環境を保全する重要な機能を果たしている。そもそも、工業製品を作るのと同じ生産性というモノサシを農業に当てはめること自体に、根本的な錯誤がある。

 人びとの生活と社会にとって農業が果たしている特別の役割を無視して、関税をなくして安い農産物を輸入すればよいという発想には、もっぱらコストだけを問題にする経済効率性の視点しかない。しかも、投機マネーの動きもあって食料価格の暴騰が起こっている現在、輸入への過剰な依存は食生活の安定を脅かす。さらに、大量の食料を輸入に頼る日本のフードマイレージは、9002億トン・キロメートル(2001年)と韓国の2.8倍にもなり、世界一である。それだけCO2を大量に排出し、地球温暖化を加速しているのである。
 
 菅政権は、関税撤廃によって農業が壊滅的な打撃を受けることについて、農業改革と戸別所得補償によって対応するという方針を打ち出している。貿易自由化と農業の再生を両立させる「尊農開国」(大河ドラマの観すぎ?)をめざすというわけである。

 農業改革の柱は、農地の大規模集約の促進と同時に、高品質のコメなど輸出競争力をもつ農業への支援である。しかし、相も変わらず規模拡大による生産性上昇の方針を持ち出すのは、従来の農政の失敗を何も反省していないと言うほかない。米価の下落で最も苦境に立たされているのは、大規模農家なのである。戸別所得補償についても、生産性の低い零細な農家を温存する非効率な政策だという非難が強まり、規模拡大への加算交付金が導入されることになった。コメの価格がどんどん低下すれば税の投入額が膨らむ一方だから、対象となる農家を限定する政策に逆戻りすることも予想される。

 「攻めの農業」と称してブランド品の農産物を輸出する農家と企業の農場だけが生き残り、生産性の低い大多数の農家は消滅するという日本農業の将来像は、耕作放棄地が中山間地だけではなく至るところに広がる荒涼たる光景を想像させる。

脱成長の循環型経済と公正な貿易へ

 これまでの日本経済は、自動車や電機製品の輸出で稼いで大量の食料や資源を安く輸入するという道をひた走り、輸出依存率は15%にまで高まった。しかし、こうした経済のあり方が2008年のリーマンショックによる対米輸出の激減によって根本的な脆弱性をさらけ出し、大量の「派遣切り」を生んだことは記憶に新しい。外需=輸出主導型の経済からの転換が問われたのである。

 にもかかわらず、経済成長のためには海外市場=外需に依存するしかない、そのために貿易の自由化を急ぐべきだといった言説が、ここにきて息を吹き返している。「自由貿易の強化は貿易立国で生きる日本にとって要である」(「朝日」元旦社説)。TPP参加は、自動車や電機製品の輸出で稼ぎ大量の食料や資源を輸入するという従来型の経済構造のあり方を拡大再生産し固定化するものにほかならない。

 菅政権は、TPP参加の必要性を説くための見本として韓国を挙げる。その韓国は、1997年の通貨危機を転機にして、自由化推進による輸出主導型の経済に転換してきた。輸出依存率は日本をはるかに上回る4割にまで高まり、サムスンやLGなど韓国企業は高い競争力をもつに至っている。しかし、農産物の輸入が激増し、養豚農家は10年間で7割も減った(「朝日」11月10日)。輸出部門のグローバル企業はその巨額の利益を働く人びとに還元せず、貧困層の割合はここ20年で倍増し、13%にまでなっている。これが望ましい経済のあり方だとはとても言えまい。

 今こそ、経済成長主義と訣別し、自由化が経済資源の効率的配分を可能にするという神話から解放されなければならない。めざすべきは、モノやお金ができるだけ地域内で循環する経済である。自動車や電機部門の輸出で成長するという経済から、医療・介護・子育て・教育や環境保全や農業の分野で新しく雇用を創出する経済への転換である。大量の食料を長距離輸送で輸入する経済から脱却し、“地産地消”型の地域農業の再生を支援しなければならない。伊東光晴は、農業再生のために「国内フェアトレード」を提唱している(毎日新聞12月10日)。自由化の原則を廃止し、貿易は公正(フェア)という原則に立脚するものに変わらなければならない。
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