『季刊ピープルズ・プラン』48号(2009年秋号)
【特 集】生存権

特集にあたって

白川真澄

 生存権といえば、日本では憲法二五条のことを、またセーフティネット、なかでも生活保護制度のことを思い浮かべる人が多いだろう。このことはけっして間違いではないし、憲法二五条や生活保護制度の役割がいっそう重要性を増していることもたしかである。しかし、生存を保障する、あるいは生存権という問題はいま、まったく新しい文脈において光を当てられ、論じられる必要があるだろう。

 いうまでもなく、新自由主義のグローバリゼーションが全世界を席巻したここ数一〇年の間に、人びとの生活と雇用は悲惨なまでに破壊され、人間として尊厳をもった生き方が脅かされてきたからである。もちろん、南の世界ではずっと前から、多くの人びと、とくに子どもたちが飢えや感染病によって生存を脅かされ、命を落とす状況が常態となってきた。だが、食料・燃料価格を急騰させた一昨年の投機マネーの動き、そして昨年来の世界的な経済危機は、発展途上国を直撃し、貧困層と飢餓人口を劇的に増大させた。同時に、先進諸国でも大量解雇の嵐が吹き荒れ、失業率が急激に上昇し、貧困に陥る人が急増してきた。日本では、新自由主義「改革」の時代に格差が急速に拡大し、ワーキングプアの急増や女性の貧困化が進行してきたが、昨年来の経済危機は「派遣切り」という姿で仕事も住まいも奪われ、生存の危機に瀕した人びとを大量に生み出した。

 こうして、人間の生存を脅かす失業と貧困の問題が世界的に新たな社会的イシューとして浮上してきた。この日本でも、反貧困の運動は社会的な影響力をもつ典型的な運動として成功してきたが、それは生存権の保障を真正面から掲げている。生存の保障、あるいは生存権ということが、現在の社会にとって代わるオルタナティブの重要な原理のひとつになる、と私たちは考えている。

 そこで、本号では、生存の保障、あるいは生存権という問題を、さまざまの分野や問題とのつながりにおいて、広い視野から捉え直し、位置づける作業を試みた。グローバルな視点から、人びとの生存がもっとも脅かされている南の世界での生存のためのたたかいと新たな貧困の問題が浮上している北の世界での生存権保障をめざす運動とは、どのように異なり、またつながるのか。戦争や軍事力によって脅かされることなく安全に生きる権利としての平和的生存権は、生活の場から主張される社会権としての生存権とどのように有機的に関連づけられるのか。ジェンダー視点からは、貧困と生存や生存権の問題はどのように見えてくるのか。人間らしい生き方や生存を支える連帯のさまざまのレベル、「顔の見える」連帯と「制度化された」社会的連帯との関係をどのように設定するのか。大橋論文、古関インタビュー、栗田論文、齋藤・高谷・青山鼎談の問題提起を受けて、生存権をめぐるこうした論点が思想・理論的にも運動論としても広く議論され深められていくことを期待する。

 同時に、生存権を保障する制度の問題を、従来の労働中心主義の発想や福祉国家とは別の視点から新しく構想することが求められている。働いているかいないかに関わりなくすべての人に無条件に基本所得が保障されるベーシック・インカムの構想は、その代表的なものである。それは、人びとに生き方や働き方の多様な選択を可能にする制度という点で、ひじょうに魅力的である。また、高い経済成長を前提にした福祉国家への回帰がありえないとすれば、脱経済成長・定常型経済を前提にした社会保障の制度が構想されなければならない。本号では、山森論文と広井論文がこうしたテーマで提起を行なっているが、「世の中」的には、経済成長の復活による税収の増大がなければ生存権を社会的に保障することなど絵に描いた餅だと主張するイデオロギーがいぜんとして強い。猛烈に働いてGDPを増やし続けようというわけである。

 生存権保障の制度の新たな構想は、グローバル市場競争に勝ち抜く経済や「成長戦略」の構築とはっきり対決する脱成長の経済の構想と不可分一体であろう。そのことはまた、一国的な枠組みを越えた国際的な生存権保障の仕組みを構想することにつながっていくだろう。

 本号はかなり欲張った企画であったが、執筆者のみなさんの積極的なご協力を得て読み応えのある問題提起になっていると思う。鳩山新政権が出発し、政治が大きく変わりつつある現在、日本社会のあり方についての民衆運動の側の原則やビジョンを明確に打ち出すことが喫緊の課題となっている。本号が、そのための一助となれば幸いである。
(しらかわ ますみ/本誌編集長)

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