『季刊ピープルズ・プラン』50号(2010年春号)
【特 集】抑止力という神話を解体する――沖縄とともに日米安保の構造を問い直す

特集にあたって

白川真澄

 ついにというべきか、やはりというべきか、鳩山首相は、首相就任後初めて沖縄を訪れた五月四日、普天間基地の「最低でも県外移設」という約束をあっさり反故にし、辺野古の新基地建設というプランを再び持ち出した。鳩山は、その理由を次のように説明した。

 「海外(移設)という話もなかったわけではないが、日米同盟関係を考えた時、抑止力という観点から難しいという思いになった」(仲井真知事との会談)。「(政権交代前の)当時、海兵隊の存在そのものを取り上げれば、必ずしも抑止力として沖縄に存在しなければならない理由にはならないと思っていた。ただ、学べば学ぶにつけて、沖縄に存在している米軍全体の中での海兵隊の役割を考えたとき、それがすべて連携をしている、その中で抑止力が維持できるという思いに至った」(記者会見)。

 ここには、逆説的だが、何が、普天間基地問題をめぐって鳩山政権の迷走と転倒を生んできたのかという問題の核心が率直に表現されている。それは、「抑止力」というマジックワードである。沖縄の海兵隊の存在が抑止力になっているという命題を鳩山がもし本当に信じていなかったとすれば、それは高く評価されるべきことであった。神話化されたこの命題に疑問を投げかけ再検証することが、普天間基地の閉鎖を求めてアメリカと本気で交渉する出発点になるからである。だが、岡田外相や北沢防衛相は、最初から抑止力を信奉して対米交渉を放棄してきたし、マスメディアも同じ立場をとってきた。そして、鳩山も、神話化されたこの命題に立ち帰ったのである。

 本号は、在沖海兵隊が中国や北朝鮮の脅威に対する抑止力となっているという神話化された命題を解体する作業に力を入れた。それはまた、日米安保なしには日本の安全は守られないというヤマトの多数派のなかに深く浸透している神話を覆す作業でもある。だが、本号では、日米安保は日米両国家が沖縄の米軍による軍事占領と基地の集中を合意してきたという構造の上に成り立っているという視点から、改定からちょうど五〇年目を迎えた日米安保を問いなおした。

 沖縄に新しい基地を作らせないという沖縄の人びとの意思と声は、ますます強固になっている。そこには、沖縄が「国内植民地」であるがゆえに基地を押しつけられるという認識の広がりがある。「沖縄差別」という声が噴き上がっている。日米両政府の思惑どおりに事を運ぶことはもはや困難である。
 しかし、抑止力の神話に異議を唱え、「国内植民地」であることを拒んで自己決定権を行使しようとする沖縄の問いかけに、ヤマトの私たちがどう答えるのか。最大の問題はここにある。

(しらかわ ますみ)

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