『季刊ピープルズ・プラン』56号(2011年12月25日発行)
【特 集】抵抗線を引きなおす

交流 10月29日
吉川勇一さん・武藤一羊さんの80+80 =160歳 を祝う会

 原田隆二さんから、「市民の意見30の会・東京」の吉川勇一さんとPP研の武藤一羊さんの誕生パーティーをしようと思うが、と相談があったのがたしか七月頃。三月に吉川さんの誕生祝いとして開く予定だったのだが、大震災、原発事故でできなくなってしまったから仕切り直しということのようだった。九月に入り、時期もずれ込んだことだしお二人の出版記念パーティーにしようと思う、と再び連絡があった。そんな流れで私も、天野恵一さん、野澤信一さんとともに「お世話役」として若干のお手伝いをすることになった。

 なんだかとにかく常識はずれの企画だった。最初は七〇?八〇人規模の話だったはずが、いつのまにか五〇〇人だか六〇〇人だかに案内を出すという。もう少し減らしたほうがいいのでは?と提案したら、吉川さんから「どれだけ案内状を送るかは、僕と武藤さんが決めることだ」とピシャリ。一方で参加費は破格の二〇〇〇円。料理はすべて原田家の手作りとなった。

 こんな型破りの企画が受けたのだろうか? いやいや、やはりお二人の魅力だろう。

 一〇月二九日、会場の文京区民センターには一五〇人もの人たちが、名古屋から、九州から、北海道から、海を渡って香港からも集まった。そこには、かつて共に六〇歳を祝った花崎皋平さんの姿もあり、会は急遽もう80プラスして、「二四〇歳を祝う会」としてスタートした。

 前半は主役三名の交流史のやりとりから始まった。私にとってそのやりとりは、単なる思い出話のようでありながら、戦後の歴史の一端、一場面に映像つきで触れているような、なんとも表現しがたい印象深いものだった(話の内容が一部『市民の意見』No.129号(2011/12/1)と同会のホームページに掲載されています。ぜひお読みください)。

 続いて六名の参加者からお祝いのメッセージ。この日わざわざ同僚とともに香港からかけつけたラオ・キンチさんからは、お二人に中国の掛軸がプレゼントされた。「これは秘密文書じゃないから帰りにタクシーに忘れても大丈夫」という粋なコメントつき。前段の交流史のなかで吉川さんが「かつて武藤さんは大事な書類をタクシーに置き忘れ、そのおかげで僕がひどい目にあった」という話を暴露したばかりだったから、会場は大いに湧いた。

 後半、乾杯して以降は参加者どうし、料理やアルコールを片手に懐かしい話に花が咲いたことは言うまでもない。帰り際、武藤さんが私に「なんだかちょっと変だけどまあまあおもしろい会だったんじゃない」と嬉しそうに言ってくれたので、思わず「“なんだかちょっと変だけどおもしろい”お二人のおかげですね」と返した。お世話役の一人としては、会場に集まった大先輩のみなさん方が、懐かしく楽しい時間を過ごしてくれたのが嬉しかった。
(海棠ひろ)
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