『季刊ピープルズ・プラン』49号(2010年冬号)

OPEN報告
第1回 「民衆の安全保障」と軍隊-日米安保と東アジアの平和


 このたび、ピープルズ・プラン研究所のオルタキャンパス「OPEN」に初めて参加させていただきました。私自身の研究テーマとも関連があり、とくに、今回の民衆の安全保障に関して興味を持ち、第一回の講座に参加しました。

 越田清和さんは、「民衆の安全保障」に関して述べられました。まず、民衆の安全保障の成り立ちと、その後の展開として運動としては盛り上がりに欠けていった、ということです。2000年の沖縄での集まりから、民衆の安全保障という考え方は広がりを見せました。沖縄の反基地、平和、自立の闘いに学び、普遍化していくという試みでした。それは、軍隊は民衆を守らず、国家を守るものである、という沖縄戦での教訓からきています。しかし、民衆の安全保障の運動は、運動としては必ずしも成功したとは言えませんでした。それとは対照的に、「人間の安全保障」の概念が、本来の意味とは異なる使われ方で広く展開していき、日本における外交戦略の一つにもなっています。民衆の安全保障をこれから、もう一度考え直すために、新たなる視点を持つ必要がある、と越田さんはおっしゃいます。その視点としては、先住民族からの視点や、軍人としての視点、そして軍に依存せざるを得ない地域からの視点などが挙げられました。こうした視点を元に、いま民衆の安全保障を考え直すときに来ている、ということでした。

 武藤さんは、おもに日米同盟に関してのお話をしてくださいました。今年、日米安全保障条約締結50年を迎えることになりますが、それはあくまでも1960年に結ばれた、いわゆる第二次安保であって、その根底には一九五二年のサンフランシスコ講和条約と第一次安保の存在があります。そして、現在の日米同盟の歪みを紐解くには、第二次安保だけをみて論じるのではなく、第一次安保からみていかなければその本質は見えてこない、ということでした。自衛隊と成り立ちと、その性質もこの安保条約を抜きにしては語れず、現在の自衛隊が、米軍抜きでは行動できず、むしろ米軍を補完する役割を担っている要因がそこにはあります。また、アメリカの覇権についても触れられ、没落期にあるアメリカに対し、覇権安定論によるような覇権の交替が起こりうるかという問題に対し、たとえば中国の軍事的台頭があっても、それは軍事的覇権の交替ではなく、あくまでも軍事的覇権の対抗にすぎない、とのことでした。これからの国際関係において日本としては9条と日米安保とを捉えなおしていく必要があるとおっしゃっていました。

 今回の講座で、民衆の安全保障や日米安保などについての新たな知見を得ることができました。こうした問題について、今すぐに何かしらの行動を、ということは難しいのかもしれません。しかし、どういった問題があるのか、その背景には何があって、どういったことが障害となっているのか、などといった現状を少なくとも知っておくこと、自分なりの理念を持って行動することが重要だと考えさせられました。また、今回の講座を単発のものとせず、そこから生まれるもの、考え方や人間関係などのつながり、というものを大切にしていきたいと思いました。この度は、こうした貴重な場を設けていただき、感謝しております。

岩間健太郎(茨城大学大学院人文科学研究科地域政策専攻)

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