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[『ピープルズ・プラン』46号・研究会/プロジェクト報告]

社会運動研究会 「私」と戦後日本の社会運動 第?章

 社運研第?章の5回目は「『日本人』を問う――在日との連帯運動」。80年代の指紋押捺拒否闘争について話を聞いた。発言者の一人の徐翠珍さんは、在日中国人二世。外国人登録法の指紋押捺を拒否したために86年に逮捕された。徐さんは、指紋の押捺を拒否した背景について、日本が満州国で中国人や朝鮮人の統制・管理を目的に行っていた指紋採取制度について触れた。資料で配布された彼女の指紋裁判の意見陳述には、こうある??「在日している二世の中国人である私が、この『指紋』を拒否しているのは『在日』だけを問題にするのではなく、私たちの歴史の中から、『指紋』に対する中国人の『民族的痛み』の中からの必然。……何の歴史的総括もされないまま、この指紋を認めることは、日本の侵略、大東亜共栄圏なる妄想を認めることであり、私自身にとっては中国人として人間として誇りを持って生きるということを根底から否定することに他ならない」。徐さんの視線は、また、生活のなかで出会ってきた在日コリアン、「障害」を持った子どもたち、それから、1983年に顔写真と指紋を強制採取された釜ヶ先の日雇い労働者たちにも注がれている。日本社会で「ちょっと変わっている」とか「何をしでかすか分からない」と勝手に決め付けられて治安管理の対象になっていく、この動きの片棒は担がないという彼女の硬い意志が、指紋押捺拒否に繋がっていったのだと感じた。もうひとりの発言者木元茂夫さんは、この闘争は、「『在日との連帯』というよりは、在日朝鮮人、中国人を管理の対象としてのみとらえ、弾圧を繰り返す日本政府・日本国家との闘いだった」と話し、当時取り組まれた法務省への抗議行動、自治体の外国人登録窓口への働きかけ、裁判闘争などさまざまな活動について話した。木元さんの配布資料に紹介されている、指紋押捺を拒否したカナダ人宣教師のマッキントッシュさんの言葉は、私に重く響いた。??「在日韓国・朝鮮人の存在は日本の宣教にどのように位置付けて生かすべきかという疑問である。責任逃れのような『彼らの運命だからほおっておけ』というのでは、答えにならない。『日本人と同じですから帰化すればいい』というのでは、人の歴史と心の痛みを無視する無知な解決である。『指紋の強制規定がいやなら国に帰ればいい』という考えはあまりに幼稚で恥ずかしい。相手を人間としてはっきり見て、人間として尊敬するということができなければ、どうして自分自身を人間として見れるのか」。

 第?章の最終回は、「暮らしの中から社会を変える??『生活者』の運動」。郡司真弓さんと向田映子さんが話をしてくれ、私は、二人が、とくに、女性としてエンパワメントされていく過程を興味深く聞いた。亭主関白の父を持ち、「婦女子の弁一切聞くべからず」という家訓を持つ家で育った郡司さん。大学を出て就職をしようとしたら、自宅通勤者のほうが好まれ、田舎から仕送りをもらって一人でやっている自分が就職できず、海外協力隊を受けようと思ったら女性は看護婦しか行くことができない……。「思うように生きられない社会のなかでもがいていた」という彼女は、結婚後に生活クラブ生協に出会う。生協でどんどん自己主張する女性たちや、「○○さんの妻」とか「○○さんの母親」でなくて「郡司真弓」という固有名詞で活動することで自分を見つめなおすようになった、と話した。その後の、合成洗剤を使わない条例制定運動や、「神奈川ネットワーク運動」で女性の政治参加や市民政治を進める運動、リサイクルショップでアジアの女性たちの自立を支援する「WE21ジャパン」、DV被害者の自立支援施設の運営など、しなやかに活動を広げていくエネルギーは、自分が過去に経験した社会との葛藤から出てくるものなのだろう。

 向田さんは、子どもが生まれたのをきっかけに、食や環境問題に目覚め生活クラブ生協に入ったのだと言う。生協の活動は、「『自分がこういう社会をつくりたい』という人たちが物を購入するという実践的な力」と話す。その後、横浜市議、神奈川県議をつとめた向田さんは、現在「女性市民信用組合設立準備会」の代表として、民間金融機関から融資を受けづらい、担保を持たない女性の企業を支援する融資活動をしている。既存のシステムが使えないなら、自分たちの手で新しいシステムをつくってしまえ、という姿勢には刺激を受けた。
(笠原光)
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