[『季刊ピープルズ・プラン』59号・研究会/プロジェクト報告]

戦後研究会

松井隆志

 七月は『呪縛からの解放』(こぶし書房・一九七六年)より、前半部の吉本隆明・斉藤一郎・対馬忠行・関根弘・黒田寛一が参加する三本の鼎談を取り上げた。研究会での関心は、安保闘争の渦中から六一年前半までの時期の「新左翼」側のイデオローグ、特に吉本隆明の発言を確認することにあった。鼎談の中で吉本は、安保闘争自体のプロセスにそれほど深い理解も持たず、政治運動やマルクス主義理解について黒田寛一に寄り添っていた。その後の罵倒関係を考えると、この当時の仲良しぶりは印象的であった。
 
 そもそもこの文献を読むことになったのは、構造改革派の潮流を追いかける過程で、一九六〇年時点での共産党対ブントという対立図式が単純すぎることが明らかになったからだった。「市民」派は除いた左翼枠に限定しても、共産党/共産党反中央派( 構改派)/「新左翼」(ブント・革共同)の三潮流で捉える必要がある。そうした理解を踏まえて再度「新左翼」側の文献に戻ると何が見えるだろうか。こうした関心から、ブント側の「知識人」として、吉本隆明と清水幾太郎を読み直すことにした。

 八月は刊行されたばかりの、竹内洋『メディアと知識人:清水幾太郎の覇権と忘却』(中央公論新社・二〇一二年)を読んだ。還元主義に見える「社会学的」な外在的分析に面白い点がないわけではないが、あまりに思想に対する内在的分析が欠けていて、清水理解として失敗しているという評価であった。たとえば安保闘争時期の記述で、全学連主流派と反主流派の行動を混同して論じており、それでは清水の行動原理は見失われてしまうことになろう。

 飛んで一〇月は、清水自身の書いたものとして、『現代の経験』(現代思潮社・一九六三年)などに収録された、六〇年安保闘争総括の論文を読んだ。研究会での議論は、安保問題に限らず、その後の激しい「転向」を含めた清水の全体的な言動の特徴について意見が交わされた。すなわち、自身のそれまでの活動を棚上げにした「総括」や、一次ブントのリーダーたちを率いての「転向」劇、しかし一方で結局は「大知識人」であり、平和運動時代も含め出版社の後ろ盾がなければ運動的に集団を組織することはできなかっただろうといったことが指摘された。また清水が持っていた「ナショナリズム」についての議論から、江藤淳の評価についてまで話が広がった。

 この後の一一月は、吉本隆明『擬制の終焉』(現代思潮社・一九六二年)などをとりあげる。これでいったん安保闘争のミニシリーズは終了。その次には構改派/論のシリーズに戻り、棚橋泰助『戦後労働運動史』(大月書店・一九五九年)を読む予定だ。興味ある方の参加をお待ちしています。

松井隆志