【つるたまさひで読書メモ】
『社会を変えるには』小熊英二著
第2回


第2章は「社会運動の変遷」がテーマ

工業化初期の社会運動の特徴としての倫理主義と前衛党。後期の新しい社会運動。それぞれが社会的背景と結びついて、必然性があったというように書かれていた(と思う)。それはそうとも言えると思う。

3章で小熊さんは戦後日本の社会運動の特徴として、以下の3点をあげる。

1、強烈な絶対平和志向(9条精神・抑止としての軍事力を認めない)
2、マルクス主義の影響の強さ。(社会民主主義の弱さ、開発独裁型国家によくある。日本もそれに近かった。)
3、倫理主義(この説明はあとで)87-88p

それらの特徴が持つ弱点として、個別課題への取り組みの弱さ。運動の中で党の勢力が伸張すればいいというような考え方があげられている。92p

倫理主義については96pからの節で項目をわざわざたてて説明している。
西欧の68年では制度改革などの結果も残しているが、日本ではそうなっていない。99ー100p

全共闘運動が「改良主義」を嫌ったことをどう見るか。そもそも、この本には改良主義という言葉もあまり使われていない。革命志向への批判は書かれている。では、改良主義という言葉をどうみるかという観点はあっていいと思う。彼が志向している社会変革の方向を改良主義と呼ぶかどうか。また、そのことと武者小路さんが紹介していた改良主義をつきつめると根本的な社会変革にならざるをえなくなるような試み、みたいなことを重ねて考えるのも面白いかもしれない。

*「非改良主義的改良」は、訪日講演(アソシエ、2002年4月21日)の際にNancy Frazerが強調した論点による。改良主義は、体制の枠内での問題解決のみに政策を限定する主義であるが、「改良」政策の中には、これを推進すれば、必ず体制自体の変革につながらざるを得ないものもある。非改良主義的改良とは、初めから体制変革を打ち出さないけれども、その推進する改良が、必ず体制そのものの変革を導き出す「改良」をいう。(武者小路『人間安全保障論序説―グローバル・ファシズムに抗して』114pの注から)

小熊さんは10年代の運動(まだ2年だけど)では倫理主義を感じたことはほとんどなかったと書く。そして、2011年にいちばん倫理主義を感じたのは「被災地が大変なのにデモなんてしてていいのか」とか「電気を使っているくせに原発を批判するな」という運動批判のものだったと。100p

ぼくは倫理主義といえば、やはり社会運動内部のそれを思い出す。例えば、「瓦礫をどこで処分すべきか」という議論。あるいは、多少汚染されていても、それを生み出してしまった責任の一端を担う老人や大人は食うべきという小出さんの議論。後者については、そのような表示のあるものをわざわざ購入する人がいるとも思えないので、現実的ではないし、そう意志表示することの「自己満足」的な意味しか見いだせないので、68年の全共闘的だとは思うが、言及するまでもないと思っていた。ちなみに知り合いが経営する八百屋、調布のみさと屋では、同じ建物の中にある高木仁三郎記念ちょうふ市民放射能測定室で検出した政府の基準(100ベクレル/kg)は軽々とクリアしている果物に関して、5.6ベクレルが検出されたことを表示したという。買った人は一人しかいなかったとのこと。

で、前者の「瓦礫をどこで処分すべきか」について。これを考えていくと、やはり「倫理主義」のようなものは大事な場面もあるんじゃないかと思う。受益権・受苦圏、という考え方にもつながるが、NIMBY的なものをどう考えるか、という問いにも重なる。そこに「倫理」をおくかどうかという議論もありえるとは思うが、ただ否定するのではないとらえかたが必要だと思う。それをどこに位置づけるか。

つぎに60年代から現在までの社会運動について、それと社会構造の変遷との関係で描かれる。
1、「どういう人が参加していたのか」
2、「どのような運動のやりかたをしていたのか」
3、「どういうテーマが人びとを動かしたのか」

1と2について60年安保は共同体での参加。2012年の官邸前はほぼすべてが個人参加(101ー3p)。54年の原水禁署名も共同体単位での署名だったということが紹介される(104p)。

120pから始まる節ではセクトについて書かれている。ぼくが知らなかったのは日本共産党が2000年の規約改定で正式に前衛党をやめていたという話。とはいうものの、根付いてしまっている自分たちが大衆を指導するというような前衛党意識は簡単には消えていない、と思う。

で、この節の結語では以下のように書かれている。概要

内ゲバや不正も辞さないから、過激で暴力的で宗教みたいというイメージが形成され、幅広い支持は得られなかった。いまの日本の社会運動に対する悪いイメージはここから派生しているともいえる。122p

まあ、ほとんどの人がセクトなんかには興味がなくて、イメージを抱くことさえ まれなのではないかと思うけれども、外からみたら、こんな風に見えるのかなぁとも思う。

139pには全共闘運動に参加した人の割合が記載されている。大学進学率が2割で1度でもデモに参加したものはその2割だから0.2*0.2=0.04というのが小熊さんの推計。その後、デモの参加者人数などを比較して、2011年からの反原発デモは68年を超えたのではないかという。139ー140p

ぼくは田舎で9歳の小学生だった68年については、前の世代の活動家の話や本や映像でしか知らないが、2011年以降の反原発はもちろん、80年代の社会以降の日本の社会運動は見てきた。あれで1968年を超えているのか、というのが率直な感想。もしかしたら、68年のそれも小さかったってことなのかなぁ。小熊さんが書いてるみたいに。

140pから始まる「全共闘運動の特徴」という節にある、全共闘運動が軍隊か体育会みたいだったという話は80年代のはじめにその流れを汲んだ運動に参加したぼくにもわかる。自分のことを書けば、ぼくがそこから遠いところにいたことが、その中にいながら浮いていた部分といえるかもしれない。

そして、141pでは当時のレジャーについての調査が引用されていて、小熊さんはだから豊かではなかったと書くのだが、3ヶ月以内のレジャー趣味で1、読書 2、一泊以上の旅行、 3、手芸・裁縫 だとか。今だってそんなもんじゃないかと思う。とりわけ、一泊以上の旅行なんて、そんなにできないような。あと、せいぜい映画を見るくらいじゃないか、

171pでは、3・11後の反原発運動について、政府の情報提供や対応のあり方が怒りを呼んだのだが、もともと20年にわたる経済停滞のなか、行政のあり方に不満が高まり、「改革」の必要性が意識されるようになっていたところへ、この事態が訪れたという。にもかかわらず、ちゃんと対応できない政府を見て、放射能への恐怖もさることながら、この政府は自分たちの安全を守る気もなければ、意志を反映する気もない、内輪で全部決める気だ、と思われ不満が高まったと。

それはあるのだが、昨年の選挙で制度の関係もあり、自民党の圧倒的多数という状況が生まれた。そのような中で、デモの規模は縮小している。こんな状況を受けて、具体的に制度を変えていくために、何をどうしていけばいいのか、声を出す方向と制度の転換の結節点をさがすことが必要になっているのではないかと思う。

また、178pでは3・11から始まる反原発運動は一過性のブームの時期を越えたと書かれている。ピークは超えたが、1000人規模の人がほぼ毎週金曜日、官邸前に集まり続けている。この動き、何かきっかけがなければ自然に小さくなるような気もするが、どうなのだろう。逆に、この声を維持し、拡大するために何が必要なのか、という問いの立て方もできるだろう、というか時間の経過とともに関心が薄れていくのは必然でもある。問題は次の局面に何をどのように準備するかだ。安倍政権が求める再稼動と規制委員会の弱体化という動きに対して、何をどう対置していけばいいのか。

3章の結語は、「原発問題をきっかけに自分で考えて行動する経験した人が増えれば、ほかの問題にも波及するかもしれません」というような感じ。(186p) 確かそれはそうだと思うけれども、どの程度の人が、どんな実感を持つことが日本社会を変えるきっかけになりえるのか。ほかの問題に波及するとすれば、それはどうのように起こるのか、というようなことは書かれていない。

読み返して、前に書いてることをいかに忘れてるか、っていうような話に気がついたのだが、これって、57pあたりで書いてることの繰り返しで、同じようなことはこの後にも書いてあったはず。

そして、どうしたら、社会を変えられるか、それを考えるために以下の章では民主主義や政治というものの原点から考える、としてこの3章は閉じられている。