二国家解決策の「最終的解決」とユダヤ人国家の終焉

永倉哲郎
2011年1月9日記

 先送りされてきた二国家解決策の「最終的解決」が目前となった。イスラエルは建国以来「ユダヤ人問題」ならぬ「アラブ人問題」を抱えてきた。その「最終的解決」には大きく2つの方法があった。追放と分離である。元々建国時のアラブ人放逐が不徹底で、さらなるアラブ人追放計画をベングリオンらユダヤ建国指導部は検討し戦争をその好機と見ていた。その後第3次中東戦争でヨルダン川西岸、ガザ、東エルサレム等の占領地を抱え込み、問題はいっそう深刻化する。後年、超正統派ユダヤ教徒以外は少子化が進むユダヤ系イスラエル人に比べ、占領地アラブ人と現在イスラエル人口の2割を占めるアラブ系イスラエル人は多産なため、両者を合わせたアラブ人口は近くユダヤ系イスラエル人口を越えると予測され始めた。アラブ人口を抱えたままではユダヤ人は早晩少数派に転落する。そこでアラブ人口の効率的「分離」を占領政策上の主要課題としたのがイスラエル左派である。右派はもちろんのこと、PLOとオスロ合意を纒めた左派の労働党でさえ、オスロ「秘密」交渉以前はPLOを交渉相手と認めず、エジプトにガザの、ヨルダンに西岸のアラブ人を引取らせ、パレスチナ国家建設を回避するのが目標だった。だが迫り来る人口動態上の危機に、左派は占領地アラブ人に国家建設させることでアラブ人分離を成し遂げる政策に転換する。これが現在欧米ドナー国も支持する二国家解決策である。

 だがオスロ合意後、第1次ネタニヤフ政権こそ米国の圧力でオスロプロセスを継続しワイ合意を結んだものの、バラク労働党政権によるオスロプロセス完成と国家創設失敗後、シャロン政権はネオコン製ユニラテラリズム教義を渡りに船と終止交渉を拒否。逆にネオコンを通じて米政権にガザの「一方的」分離撤退を認めさせた。ふたたび交渉に転じたのは、オルメルト政権がレバノン戦争でヒズボラに敗れた後のことに過ぎない。今交渉が最終的に失敗すれば、交渉による二国家解決路線は最終的破局を迎え、今回が最後の交渉ともなるだろう。その意味で以下に見るような従来の交渉経緯の検討と今後の展望予測は今やいっそうの緊急性を帯びてきたと思われる。

<米国の仲介失敗とイラン同盟側の反応>

 昨年12月米国は、交渉第一ラウンドの失敗を公式に宣言した。米国の仲介で9月に始まった直接交渉は入植地建設凍結期限が過ぎた9月末以降停止していたが、11月の米国の建設凍結90日延長案にイスラエルはいったんは乗りかけた。だが、PLO側が、建設凍結は東エルサレムも含み、90日間の交渉議題は国境線画定が先決としたのに対し、イスラエルはヨルダン川への軍の駐留等治安問題抜きに国境画定は不可能で、建設凍結は西岸のみと主張。また難民問題やユダヤ人国家としての承認交渉が優先とした。米国も90日以内に双方の溝が埋まらない場合の交渉の最終的破局の予想に慄き、自ら凍結延長案を撤回。交渉失敗を公式に認めた。

 オスロ合意以降の17年間交渉中に入植地建設が止むことなどなかったし、直近のオルメルト政権との交渉時にもハー・ホマ入植地が東エルサレムに建設されても交渉を継続していることを考えれば、建設凍結を交渉の大前提とし続けるアッバスの姿勢は前代未聞と言える。EUとは異なり、カーター政権を除けば「入植地は国際法上違反」との表現を控えてきた米歴代政権にあって、二国家解決策の焦点を入植地建設全面停止とする前例のないオバマの姿勢が交渉当事者以上に「パレスチナ寄り」なため、アッバスも従来より強硬な姿勢を見せざるを得なくなったためだ。オバマ政権に煽られ建設全面停止を交渉の前提に据えてはみたものの、9月末に建設再開されてしまったアッバスは、直接交渉参加の決定をアラブ連盟外相会議に委ねた5月に続き、10月にも再度連盟に交渉継続の是非を諮る破目となった。連盟はアッバスの交渉姿勢を全面支持したが、アッバスとしてはこれも占領地内の強い交渉反対論に対し大義名分を得るための苦肉の策。2000年の交渉時には「アラファト一人で聖地エルサレムを分割するのは許されない」とムバラクが横槍を入れたため、アラファトはクリントン案での合意に踏み込めなかった、とされる。アッバスが交渉再開の決定をアラブ連盟に委譲したのも、全ての決定をアラブ連盟諸国との共同責任で下しアラファトの二の舞を避けためでもあった。

 昨9月の直接交渉再開表明前夜、へブロン近隣入植地近くで走行車両からの銃撃でイスラエル人4人が死亡した。この襲撃はハマスやイランからの直接交渉再開反対の明瞭なメッセージだった。ガザ侵攻以来2年間西岸での攻撃を控えてきたハマスだが、交渉再開を機に攻撃再開に踏切りイスラエル側の治安懸念を高め、軍撤退・西岸引渡し時期尚早論や交渉反対世論を煽るのが狙いだ。だが西岸のハマスには、アッバスと会見したり、ファタハと共に分離壁反対デモに参加するなどダマスカスのハマス指導部の指令に反する動きも見られ、各地のハマスの間に和平交渉やファタハへの対応をめぐり意見の齟齬も窺える。ガザ封鎖でハマスがガザ復興できずにいるのを尻目に、西岸は治安も安定しドナー国からの大量の資金で好景気に沸いている。挽回策と路線選択を各地のハマス間で討議中だ。

 とはいえ背後のイラン、シリアの意向を無視してハマス独自の路線選択など不可能。現在西岸のみの統治で正統性を欠く上、09年1月で自治政府大統領任期も切れているアッバスによる交渉再開を非難する声明が、さっそくイラン、シリア、ヒズボラ等イラン同盟側から出された。さらに交渉再開後イランとシリアはダマスカスで、PFLP、DFLP他パレスチナ13派にパレスチナ代表としてのアッバスの正統性をこぞって拒否させた。元ガザ予防治安部隊長官ダハランらファタハ内部からも交渉反対論が強い中、他派の支持獲得も困難にしてアッバスを締上げている。

 またシリアはイスラエルからゴラン高原を取戻す交渉圧力をイスラムジハードやハマス、ヒズボラの攻撃に全面依存してきた。シリアがイスラエルと和平合意に至らない限り今後も武力闘争をハマスに求めるのが道理。そこでミッチェル米中東特使も交渉再開直後アサドと会談し、シリア交渉再開を含めた包括交渉を呼び掛けた。湾岸戦争時に米国接近を果したシリアは、以降イスラエルとの和平合意を模索。バラク首相が国内のゴラン返還反対世論に弱気にならなければ2000年には和平合意していたはずだった。イスラエルでは、レバノン戦敗北後ヒズボラの牙を抜くには補給線を握るシリアとの和平が不可欠との認識が広がり、現首相も間接交渉再開に異存はない。しかし、トルコのガザ救援NGOとイスラエル軍との衝突事件などもあって、シリア間接交渉の仲介役だったトルコとの相次ぐ関係悪化のため、新たにフランスを新仲介役に据えたい魂胆だ。シリアも対イスラエル防衛上イラン・ヒズボラとの軍事同盟を迫られた以上、イスラエルとの和平でイラン同盟からの離脱も起こり得る理屈ではある。

 このイラン・シリア・ヒズボラ側と米・サウジ・イスラエル側の相関関係の中でこそ、ハマス他パレスチナ・レバノン諸派に許される位置や役割も決まるのであってその逆ではない。その位置取り役ダマスカスのハマス最高幹部メシャールにも独自の選択の余地はない。かくのごとくネオコン製中東分断線は依然中東和平を見事に阻害しており、シリアのイラン同盟離脱が起こらなければ分断線は今後も有効だ。ただイスラエルのイラン攻撃要請に対しまず入植地建設凍結が先決としてきたオバマ政権が中東政策の焦点を入植地全面停止から転換した以上、今後イラン核問題に重点を移す可能性も高い。サウジ、エジプト、チュニジア、ヨルダンのアラブ穏健派諸国も米国に和平交渉とイラン核問題をリンクさせずにイラン攻撃に踏切るよう米国に嘆願していたことが、ウィキリークスにより暴露されており、アラブ穏健派の動きも影響しそうだ。

<オスロ体制下の入植地拡大>

 交渉再開以来アッバスは合意断念の場合の自治政府解体を示唆してきた。後継者不在の今交渉失敗の挙句アッバスが退けば自治政府の存続も困難になる所だが、昨12月にダハランとアッバスの権力闘争が勃発。アッバス退陣後も自治政府の存続を目論む欧米に嗾走されたダハランとの自治政府存続をめぐる争いの疑いもある。自治政府解体は、西岸のみで無理矢理延命を強いられてきたオスロ体制の臨終を意味するからだ。

 67年の占領以来、イスラエルは占領地住民に対する行政財政負担に悩まされてきた。この占領経費の軽減放棄のために考案されたのが、占領に協力的なパレスチナ人に「一定の自治」を認めて行政サービスを担当させ、「一定の自治」という「大幅な譲歩」と引換えに占領経費を欧米ドナー国に肩代りさせる方策だった。すでに79年の交渉時にリクードのベギン首相がサダトを誘ってパレスチナ「自治」を目論んでいる。この時は交渉で蚊帳の外のPLOが猛反発し、交渉相手のサダトにもガザ引受けを断られ実現しなかったものの、後に労働党の手でオスロ合意として日の目を見る。この意味でオスロ構想とは、第一次インティファーダ鎮圧に当たりこれに懲りたラビン参謀総長(後首相)ら労働党中枢が、占領経費節減と占領行政への直接関与から手を引くことを狙い、PLOが88年に宣言した独立国家建設を餌に、あらたにPLOを交渉相手と認めて「自治」の担い手に据えたもの、ともいえる。

 転機は湾岸戦争と91年のマドリッド和平会議だった。この会議でPLO指導部は歴史的パレスチナ地域の22%にミニ国家樹立で同意という歴史的妥協をしており、この時点でイスラエルは現在のハマスのような全土回復要求に晒される心配もなくなり、交渉すれば22%からさらに譲歩させ得る見通しができたからだ。PLOの「歴史的妥協」の原因は直前の湾岸戦争にあった。PLOにとり湾岸戦争とはサダムと湾岸産油国という云わばパトロン同士の喧嘩。金蔓共倒れの惨事を避けようと喧嘩の仲裁に奔走したが叶わず、逆にPLO情報局長アブ・イヤドをサダムに飼われていたアブ・ニダルに暗殺される。当時最大の金蔓サダムを支持したのが祟り、湾岸産油国はPLOへの資金援助を停止。クエート等から排斥された出稼ぎ者からの送金も失せ、経済封鎖されたサダムからも資金の来なくなったPLOは、早急に新たな金蔓を見つける必要に迫られていた。そこで金欠のアラファト指導部は欧米からの資金獲得とイスラエルが提供する自治政府内での特権と引換えに労働党の甘い誘いに乗ったのである。

 オスロ体制のおかげで治安・軍事・国境管理に専心出来るイスラエルは、従来とは桁違いに格安の占領コストで自国の治安を確保できた。また入植地建設をさらに推進すれば既成事実は拡大し交渉を有利に運べ、たとえ交渉が失敗しても国家建設自体を潰せる。しかも入植地建設の資金は米国政府や在米ユダヤ人、キリスト教シオニスト等が大金を提供してくれた。オスロプロセスが延びるほど、ドナー国からの資金がイスラエルと自治政府、ファタハ幹部らに流れ込む一方、入植地建設は拡大して行く寸法で、時はイスラエルに味方する仕掛けだった。こうして交渉失敗の度に占領地の土地接収と入植地は拡大、ユダヤ人専用バイパス道の建設は進み、既成事実の追認と拡張により占領体制は強化された。かくしてオスロ合意から10年後、入植地人口はオスロ合意以前の約12万人から約25万人に倍増していた……。

 2000年交渉時にアラファトが合意できなかった理由としては、先のムバラクの横槍よりも、国内政治状況から合意を急いだイスラエルのバラク首相がクリントンに頼み、渋るアラファトを米国での交渉に呼出した時、すでに占領地にはオスロ体制に対する怨嗟の声が満ち満ちていたことがより根本的だ。だからアラファトは米国に行くのを嫌がった。この民衆感情の下でオスロ体制の完成に合意すれば、政治的自殺となりかねなかったからだ。

 民衆の憤懣はイスラエルにだけでなく、占領地に凱旋後、要職に就いて権力を恣意的に行使するファタハ幹部たちにも向けられていた。法を無視しコネを優先させ、PLOが国外で資金源にしていたカジノをジェリコにも開き、外国暮らしで飲酒の風に染まって支払いやツケを踏倒すファタハ幹部連中は、ファタハにコネを持たずその利権にも与れない一般の占領地住民にとり、不信心者にしてイスラエルに劣らぬ抑圧者と見えた。分離壁建設用セメントの供給をイスラエル当局から受注したのが、オスロ合意の立役者で後に首相のアフマド・クレアの親族会社だったことは語り草だ。イスラエルに特権を与えられた幹部たちへの嫉みは大きい。道路を寸断する検問所に遮られ占領地住民が収穫物を隣町に売買にも行けない時に、幹部たちは占領地内の移動はもちろん、国外に出るのも思いのまま。彼らの多くは外国に家を持ち家族を住まわせ、師弟は外国の学校に通う。ファタハにコネが無く分け前に与れない者はハマスを頼り、ファタハにおこぼれを頂戴しているファタハ支持者と対立していった。ハマスが貧困層への生活必需品の提供等で支持者を拡大するのに対し、ファタハは自治政府警官への採用を通じて支持者を増やすのが常套手段。一家の稼ぎ手が軍やシン・ベト(国内治安警察)に逮捕されれば一家の他の男を警官に採用し、選挙が近づくと票目当てに警官の採用数は急増した。こうした対立がPLOとファタハに対抗させるために長年ハマスを育てたイスラエルの成果とすれば、オスロ体制により対立がいっそう加速させられ、果ては07年のハマスのガザ占拠による大分裂にまで至ったことになる。オスロ体制をイスラエル、ファタハ幹部、欧米ドナー国三者の共同利権体制と糾弾してきたハマスが、06年国会(PLC)選挙でも直前の自治体選挙でも圧勝したのは、民衆がオスロ体制の利権構造に呆れ妬んだためもあることは間違いない。

<二国家解決策の後に来る代替策>

 今交渉も米国の失敗宣言で、早晩二国家解決策の代替案が浮上しそうだ。イスラエルでは早くもハマスがガザを占拠した07年に、今やガザと西岸が見事分裂した以上、できそうもない国家建設など諦めてヨルダン・オプションを再考すべし、との論議に沸いている。労働党案ではガザをエジプトに押し付ける一方、西岸を併合させた拡大ヨルダンをパレスチナ人国家とする案である。だがPLOを交渉相手と認めて以降、労働党はPLOとの交渉路線に転換する。

 他方正統派ユダヤ教や宗教政党、リクードや福音派キリスト教シオニストらは、地中海とヨルダン川の間の神に賜った土地からアラブ人を追放し「イスラエルの土地」全土の回復保持を宗教的・国家的使命とする大イスラエル主義を奉じてきた。「イスラエルの土地」を自ら放棄する分離政策は右派らしからぬ政策で、右派はアラブ人集住地域の分離には絶対反対だ。だが82年のレバノン侵攻で西岸とレバノンのパレスチナ人のヨルダンへの放逐(シャロンプラン)に失敗した後は、宗教的信奉者を除けば、リクード内現実派にとり大イスラエル主義も和平交渉回避のたんなる口実と化していた。だがネオコンにより装いも新たに再登場する。サダム打倒後現ヨルダン・ハシミテ家を親戚が統治していたイラク王室に移し変え、ヨルダンをパレスチナ人国家とするクリーン・ブレイク構想が、96年リチャード・バールやダグラス・ファイスらネオコンによりネタニヤフ首相に提言される。9・11後のイラク侵攻により前半部分はとうに実行済みだ。またソ連崩壊後のロシア系移民急増やオスロプロセス崩壊後の右傾化に伴い、リーバーマン現外相のように国家のユダヤ的特質保持のため追放政策を主張する国内勢力の伸張も著しい。

 一方パレスチナ側は、入植地ブロック等の接収された土地の交渉による回復が望めない中、長期的には人口動態上優位に立てる以上、一国家二民族共存なら多数派として南アフリカのように選挙で政権を獲り得るはず。従来、一国家二民族案はアラブ系イスラエル人の間で一定の支持を得てきたが、昨4月の住民調査では占領地でも支持が一昨年6月の20.6%に比べ33.8%と急増している。この案はユダヤ国家に関するシオニズムの考え方の否定でもあり、ユダヤ系イスラエル人の多数には受け入れ難い。だがオルメルトは警告する。「二国家解決策の失敗以降、南ア型の平等投票権闘争に直面すれば、ユダヤ人国家としてのイスラエルは終焉する……」(07年11月29日付けハーレツ紙)。ユダヤ系イスラエル人には南アの白人の二の舞にはならないとの意見も多いが、このままでは南アの過去がイスラエルの未来ともなり得る。さればこそリクード内シャロン・オルメルト派は、分離壁の建設継続やガザ分離撤退という人口動態を重視した分離政策をさらに押し進めるため、05年末右派リクードを出て中道カディマを結成。ガザに続いて西岸でも一方的撤退を行うことでアラブ人分離を先行させ、他方で分離したアラブ人の国家建設を拒否するシャロンはいっさい交渉せず、オルメルトは後に交渉に転じつつも、両者何とか一国家二民族共存でない形に辿り着こうと試みた。

 だがシャロンは一服盛られて(?)潰え、オルメルトもレバノン戦争で、バラク首相が2000年に「一方的撤退」をしたレバノン南部からミサイル攻撃を受けて西岸撤退反対に転じた世論のため西岸からの一方的撤退を封じられた。一方的撤退を封じ二国家解決策の早期実現を阻んだのは、オルメルトの訪米の度にレバノン戦争を唆したネオコンとも云える。つまりカディマ政権が左派の代わりに分離政策を押進め、ブッシュ政権の中東政策を乗っ取ったネオコンが右派リクード本来の政策を米中東政策として代行し、一方的撤退を潰したことになる。

<直接交渉に拘る欧米との攻防>

 二国家解決策は、オスロ体制の破綻を認めようとしない欧米ドナー国の金力と圧力でようやく生命維持されている。一方的承認問題で自治政府のオスロ合意違反を現在叫ぶネタニヤフ首相自身、02年「イスラエルラジオ」で「オスロ合意はすでに無効。履行義務はない」と実態と本音を語っている。今交渉はその断末魔のあがきに近い。米国は今後間接交渉の形での継続を目論んでいるが、凍結延長問題でネタニヤフ首相がもっとも合意困難な難民問題やイスラエルのユダヤ人国家としての承認という、最終地位協定にもなくアラブ系イスラエル人の追放にも繋がりかねない問題を交渉優先議題に持出したのを見て、すでにPLO側では現政権は和平交渉の相手と成り得ないと結論。また米国の交渉失敗宣言とアッバスの要請を受けての昨12月のアラブ連盟外相会議でも、もはや直接間接を問わず交渉は無意味として安保理等での独立国家宣言や入植地反対決議を求める声が大勢を占めた。

 とうにアッバスも覚悟を決め、今交渉で国家樹立合意ができなければ、とうに任期の切れた自治政府大統領を辞任し自治政府を解体、オスロ合意上のあらゆる行政治安責任の放棄、イスラエルまたは国連への全面統治委任、国連総会や安保理での国家承認等を検討する、と公言。そして米国の交渉失敗公式宣言後、PLO側は公言通り外交行為を禁じるオスロ合意に反し、国連の外でブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、ボリビア、エクアドル、チリ等ラテンアメリカ諸国から国家承認の宣言を取り付け始めた(2月のラテンアメリカ・アラブサミット迄にほとんどのラテンアメリカ諸国が国家承認する手はずとも云われる)。これに対し米国務省は「安保理での一方的国家承認や入植地非難決議には反対」と表明。さらにこれまで一方的承認に向う希望を表明していたEU外交代表までも、米中東特使との会談直後、一方的国家承認の否定を示唆する声明を出した。PLO側は米国の反応を親イスラエル的仲介として不信感を露わにし、今後はEUとロシアを和平の後援者とすると言い始めた。

 さらに今年1月になりPLO側は入植地活動の全面停止を要求する安保理決議を求めて行くことを正式表明する。また決議草案では今年11月までに全ての最終地位協定の解決を双方に求めるとしている。この安保理で米国が拒否権を行使すればアラブ社会やラテンアメリカ諸国はもちろん国際社会からも仲介者としての資格を疑われ、米国の望む交渉再開もいっそう困難となる。一方棄権すればイスラエルとシオニストはもちろん米ユダヤ人社会全体の反発を買い、オバマ再選の危機どころか現在の政権基盤すら危うくなる。今年夏にはブッシュ政権が自治政府に送り込んだファヤド首相の国家樹立宣言も予定されている。だが米国がイスラエル配慮優先を貫きファヤドの一方的国家樹立宣言にも反対すれば、二国家解決策の成就という目標に自ら止めを刺す事態ともなる。だが見ての通り二国家解決策を目標として来たはずのドナー国自身が、イスラエル配慮と中東での仲介者としての影響力保持のためにパレスチナ国家承認を拒むことで、二国家解決策自体をも葬りつつある。しかし今回の最後の交渉(?)の最終結果が出た時にこそ、欧米ドナー国はオスロ体制の崩壊を認めず延命させてきた代償についに直面することになるはずだ……。交渉による二国家解決策の破局という「最終的解決」に。