ODAとイラク戦争
――イラク戦争支持・支援政策の検証総括が先ではないのか


池住義憲
2009年10月

 国際協力機構(JICA)の緒方貞子理事長が10月10日、イラク戦争開戦後初めてバグダッドを訪問し、イサウィ副首相と会談しました。11日も、マリキ首相やゼバリ外相らと会談しています。会談のなかで緒方JICA理事長は、イラク中西部のアンバール県に火力発電所を新設する事業や、北部のクルド人自治区に水力発電所を整備する事業など、878億円に上る円借款(有償資金協力)による支援を行うと表明しました。

 今回緒方さんが表明した支援内容は、深刻な電力不足の解消にむけた電力施設基盤整備が中心です。しかも「円借款」という、有利子による資金の貸付。イラクは向こう20年、30年のなかで、利息をつけて日本に返済しなければなりません。支援内容も、インフラ整備に加えて、保健・医療、教育面での様々な「無償」の支援協力が喫緊な状況のなかでの表明です。イラクは、現在も、とくに米英軍が使用した劣化ウラン弾による被害・後遺症への対処が深刻な問題となっているのです。

 それ以上に大きな問題があります。私は、そもそも、国際法や国連憲章を無視して勝手にイラクを攻撃・破壊し尽くした米英軍らを日本政府は支援しておいて、その後に復興を支援しようという政府の姿勢に憤りを感じます。イラク復興支援を改めて組み立てるのであれば:

 1)イラク戦争を支持した当時の自公政権(小泉/福田/安倍/麻生政権)の判断の検証
 2)イラクへ5年にわたって自衛隊を派兵したことの検証・総括
 3)2004年から行った50億ドルの対イラクODAの評価総括

 少なくともこれら3つを、昨年4月17日名古屋高裁の「イラク派兵違憲判決」の観点・視点からすることが先です。その上で、徹底した「非軍事」による「民生」分野での協力を考えなければなりません。

国益と復興アピール

 2003年5月1日のブッシュ米大統領(当時)による主要戦闘終結宣言を受けて、日本政府(外務省幹部)はいち早く政府開発援助(ODA)供与の可能性を検討し始めました。日本政府は、同月中に発足が見込まれていた連合国暫定当局(CPA)をイラクの正統政府に相当するとして、イラク南部バスラの製油所改修事業をはじめ、テロ攻撃などで破壊されたイラク国内各地の原油や液化石油ガス(LPG)関連施設を復旧・改修するための事業を対象とする方向で調整に入りました。

 石油資源の9割近くを中東に依存する日本の“国益”にもなり、かつ“復興支援”で日本の存在感をアピールできるから、との考えからでした。

戦争開始後に巨額ODA

 それから5ヵ月後の同年10月に、スペイン・マドリッドで「イラク復興国際会議」が開催されます。この会議で日本政府は、「当面の支援」として15億ドルの無償資金供与、「中期的な支援」として最大35億ドルの有償資金協力(円借款)を行うと正式に表明しました。計50億ドルというと、当時の換算レートで約5500億円です。

 当時、日本のODA総額は1年あたり約1兆円規模でした。最大の被援助国インドネシアでさえ例年1000億円前後なので、いかに巨額であるかがわかります。2002年までの対イラクODAは数100億円でしたが、一躍トップにおどり出たのです。イラク復興のための拠出金は、米国と日本だけで総額の4分の3を占めることになりました。

 イラクへの巨額なODAは、ただでさえ大赤字を抱える米国の財政状況に加えて予想をはるかに上回る戦費・占領費で破綻状態に困り果てていたブッシュ米大統領(当時)にとって、“渡りに船”となるものでした。

自衛隊派兵と「車の両輪」

 ODA支援はイラク南部サマーワへの陸上自衛隊派兵とセットとなり、イラク復興支援の「車の両輪」と位置づけられました。2006年6月の政府によるサマーワからの陸自撤兵決定を機に、政府はODA支援を加速させます。石油、天然ガスなどエネルギー分野の開発事業を中心としたODAを軸に復興支援を実施する方針を固めました。埋蔵量が豊富なエネルギー資源に関する基盤整備を進め、“イラク経済復興促進”と銘打って日本にとっての将来の石油資源確保の足場を着々と築いていったのです。人道復興支援は建前で、本音は国益確保でした。

 現に、2009年1月には安倍元首相がバグダッド入りし、イラク首脳との間で「日本・イラクパートナーシップ宣言」に調印。同年3月には石油業界や12の商社役員ら約20人が「官民合同代表団」としてイラク戦争後初めてバグダッドを訪問しています。復興ビジネス・石油利権に一枚かもうという意図が形となって見えてきました。

 歴史的にみると日本のODAは、アジア向けに戦後賠償の一環として始まりました。経済復興と輸出市場の確保という目的に沿って実行されたこともあって、アジア重視と円借款によるインフラ整備中心という特徴を持っています。欧米諸国からは「自国の産業振興を図るための利己的な援助」と指摘、批判されています。

同時に進められた外資導入政策

 2004年6月の主権移譲までにCPAは、数々の命令を発しました。ほとんどが経済政策です。主たる内容は、関税や輸入税を撤廃したうえで、外国企業のイラク国内法の適用除外、国営企業の民営化、外資によるイラク企業の100パーセント所有を認める、外国企業へ40年間の営業権付与、などでした。いずれも、経済のグローバル化を推し進める基本原理である新自由主義政策そのものでした。

 イラク復興・再建というより、戦争終結後の商売(ビジネス)を最優先においた環境・状況づくりが行われたのです。日本の巨額ODAは、まさにこのための貴重な“事前投資”となりました。

「平和の構築」どころか…

 しかし、イラクへのODA供与の問題点は、これに止まりません。イラクへのODAはいずれも「平和の構築」の名の下に行われましたが、そこには大変重大かつ深刻な問題を含んでいます。

 国際社会に恒久的平和を導くためには国際法および国連憲章に基づいた国際的枠組みが不可欠です。にもかかわらず当時の自公政権は、ブッシュ米大統領(当時)の国際法違反・国連憲章違反のイラクへの軍事攻撃を支持・支援し続けました。今回の米英軍によるイラクへの軍事攻撃はなんの正当性もなく、ブッシュ大統領がその演説の中で他国(イラク)の政権転覆を目的としていることを表明するなど、あきらかに国連憲章違反行為であり国際的枠組みを著しく壊すものでした。日本のODAは、「平和の構築」どころか、自衛隊イラク派兵と絡み合わせての米国の「対テロ戦争支援」になってしまったことです。

ODAが武力の行使と一体化!?

 イラクへのODAに関する問題としてもう一つ指摘しなければならいのは、当初、パトカー60台(300億円)を提供するなどイラクの警察力や軍事部門との連携に繋がる内容を含んでいたことです。ODAが米国を中心とする有志連合軍(のちに多国籍軍)の行う武力の行使と一体化しているのではないかとの疑念が残っています。

 ODAによる人道支援は、本来、対象国の自主性、政治的中立性、平等・公平性、内政不干渉などを基本原則としており、とくに当時のイラクの状況下では特段慎重になるべきでした。

 このような状況になったのは、近年のODAに関する変化が影響しています。1992年のODA大綱では、国際人道主義や環境重視が謳われていました。しかし2003年8月のODA大綱の改定は、「国益」や「企業の利益」重視に、さらには米国の「対テロ戦争」支援重視へと転換します。

今後に向けて

 真の平和の回復と平和の定着は、武力や公権力・警察力ではなく、人々の間で、あるいは人々と政府との間での信頼回復と融和によってのみ達成されるものです。平和構築のためのODAは、恒久的な平和を構築するという視点に立って、こういった非暴力分野の強化を優先することが必要です。

 憲法前文に記されている平和的生存権と憲法九条の戦争放棄をODAの基本理念に据えて、もう一度、根本からODAのあり方を再検討、再構築することが重要です。そのためには、今回のイラクへのODA支援に対する厳しい評価、総括は欠かせません。今回のイラクへの自衛隊派兵とセットでなされたODAを「成功例」として既成事実化するなど、とんでもないことです。