本書はジョブ型雇用についての日本にある誤解を解き、欧米で一般的であるジョブ型雇用を分かり安く説明した著作です。同時に日本型雇用をメンバーシップ型と把握し、その有り様と矛盾から、賃金と出世、組合のあり方、労働時間、男女差別、外国人雇用、教育等を論じる本書は一種の日本社会論となっています。以下で内容を紹介します。

 ジョブ型雇用における賃金は、そのジョブ=職務ごとに、企業横断的な組合と関係する経営者団体との交渉によって職務の固定給が決まるので、一人一人については査定がないことが特徴です。当然成果を反映する賃金ではありません。査定があるのは一部の経営層に近い、エリート社員のみとなります。つまり欧米では一般の従業員には、日本にあるような一人一人の職務遂行能力を測る人事査定はありません。雇用は、ジョブに欠員がでれば補充するという形での採用のため、日本のような新規卒業者を4月に一括採用するということはありません。企業にジョブが無くなれば解雇は合法です(整理解雇)。またジョブごとの賃金は企業横断的な組合との交渉で賃上げされますが、高い賃金のジョブに就くことが出世であり、日本のように同一企業内で様々な部署を異動しながら年功的に賃金が上昇したり、内部から出世して部長や重役になることもありません。「生活給」として組合が戦後要求してきた賃金体系は、高齢者ほど高い賃金となる矛盾があり、経営者はこれを防ぐため、査定を導入し解雇や賃下げもくろむという奇妙な賃金政策が生まれました。ヨーロッパでは教育費が安く(学費は一部の国を除けば大学まで無償)、子ども手当も政府の支給なので生活給的に企業が家族手当を払うことはありません。家賃、住宅費補助も公的な支出です。逆に雇用側にこれを求めて労組が運動してきたことが、日本で社会保障としての子ども手当を実現できなかったことの要因としています。確かに政府がこうした手当を払うなら、シングルマザーの日本のような過酷な状況は生まれないだろうと思います。
 日本は世界に類例のないメンバーシップ型雇用で、自分の職務=ジョブが何であるかを決めずに就社することが特徴です。企業が社員に求める能力は一般的に素早くどんな仕事でも覚えて、他の社員や上司と協調的な関係を築ける力です。ですから理系や工学系は別にして大学や高校でも学びに実業的、ジョブ直結型の能力を身につけることを求めない傾向にあり、また教育界も実業軽視の思考が根強いことを本書は指摘しています。on- the- job trainingは先輩が素人の若手を鍛えるため、容易にパワハラの温床となり得ることも日本に独特です。
 しかし戦後、GHQの強い影響下に作られた労働法制はジョブ型であるため、労使の紛争ではメンバーシップ型雇用の現実が判例によって擁護されてきました。最近の労働契約法はこの判例を実定法に書き込もうとしてきましたが、もともとの労働法制と矛盾するという隘路に落ち込む日本独特の矛盾をみせています。
 日本の大企業で一般的な企業別組合では、労使協調で社員と経営者が一丸となって他の企業との競争を行う様相を高度成長期以後見せていますが、それまでは労使紛争の多い国でした。労働争議は一旦もめると家族内の争いのように泥沼化してきたと濱口氏は指摘しています。ヨーロッパでは社内の問題は従業員代表組織が解決を図り、賃金については企業横断的組合が交渉するという棲み分けになっています。こうした有り様を参考に濱口氏は日本にもこうした仕組みを導入すべきだとしています。
 労働時間の考え方も日本独特で、時間短縮で生活や健康を守るという意識が低く、法定の勤務時間は単にそこから残業代の支払いの始まる時点と把握されているだけだと指摘しています。この典型がホワイトカラーエグゼンプションの論争に見られました。労働者にとっても時間外手当が恒常的収入となっているため、組合を差別するために組合員に時間外労働を命じないということがおき、裁判所がこれを不当労働行為と認定しました。こうした恒常的残業は不況時には雇用維持の安全弁として機能するため、労働時間を短く規制することは労使慣行にそむくと考えられてきました。こうしたデフォルト化した長時間労働は育児・介護・家事を女子に負担させ、転勤を総合職の要件とする傾向とともに、既婚女性の活躍や出世を阻んでいます。

 歴史を遡り雇用をめぐる問題が多岐にわたり論じられ、これからのよりよい働き方を求め、社会運動を進める上でのヒントに満ちていますが、端的な解決法が本書に提示されているわけではありません。しかし問題解決の方向を定める上で、日本以外の雇用形態やその結果生まれる社会編成を背景に、日本社会の特質を理解することは、より平等で連帯の精神に満ちた社会をめざす私たちに大きな武器を提供してくれると感じました。報告当日も多くの貴重な議論が行われましたが、今回はそれを割愛します。