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「アトミックサンシャインの中へin沖縄」における検閲をめぐって
小倉利丸


沖縄県立博物館・美術館が主催する「アトミックサンシャインの中へin沖縄−日本国平和憲法第九条下における戦後美術」(4月11日から5月17日まで)に展示予定だった大浦信行の版画作品「遠近を抱えて」が、県教育委員会や県立博物館・美術館などから「教育的観点から配慮してほしい」という要請によって展示が中止された事件が起きた。

アトミックサンシャイン展は、ニューヨークのPuffin Roomで08年1月12日〜2月10日、東京の代官山ヒルサイドフォーラムで08年8月6〜24日に開催され、沖縄が3回目の開催地となる。キュレーターの渡辺真也は「展示コンセプト」を「戦後の国民・国家形成の根幹を担った平和憲法と、それに反応した日本の戦後美術を検証する試み」であるとして、さらに次のように説明している。

「憲法第九条は、戦後日本の復興と再形成に多大な影響を与えたのみならず、60年間他国との直接交戦の回避を可能にした。しかし、九条を持つことで日本は直接交戦から回避することに成功したが、日本の実質的戦争協力は、第九条が保持される限り、ねじれた状況を生み出し続ける。この日本の特異な磁場から、多くのアーティストたちは取り組むべき新たな課題を発見し、彼らの芸術に表現してきた。日本の戦後やアイデンティティ問題などをテーマとした美術作品の中には、戦後の問題、アイデンティティ問題、また憲法第九条や世界平和をテーマとしたものが少なくない。」(Atomic Sunshineのオフィシャルホームページ、http://spikyart.org/atomicsunshine/concept.html)

出品作家は、松澤宥やオノ・ヨーコといった60年代の現代美術家から森村泰昌や柳幸典といったポスト冷戦期に活躍しはじめた世代まで登場する。私自身はまだこの展覧会そのものを見る機会をモテていないので、上記のウエッブなどで得た印象でしか語れないが、憲法9条の意義を認めつつも、「平和憲法」が生み出した戦後日本の虚構としての平和への違和感、「ねじれた状況」がどの作家にも共通しているようにみえるし、そうした作品を渡辺はあえて揃えたともいえる。この意味で、9条の虚構と現実、まさに戦後日本のねじれを生きさるを得なかった沖縄が3番目の開催地に選ばれたのには、明確な意図があってのことだと思うし、沖縄での展覧会なしには完結はありえない企画であったと思われる。そうであるとすれば、沖縄での展覧会が意図されたとおりに実現できなかったということは、ニューヨークから始まったこの展覧会全体が、実は完成されないまま沖縄で宙吊りにされ、完結を阻止されてしまったということになる。

大浦の作品が企画からはずされた経緯について沖縄タイムスは次のように報じた。
「これまで米ニューヨークや東京でも開かれた「アトミックサンシャイン」展は昭和天皇の写真をコラージュにしたアーティストの大浦信行さんの作品が含まれていた。関係者によると、2008年11月ごろから、企画したインディペンデント・キュレーター(フリー学芸員)の渡辺真也さんと同館を運営する文化の杜が交渉していた。しかし大浦さんの作品について、同館や県教育委員会が問題視、2月上旬、最終的に作品を外した内容で開催に合意した。

牧野館長は、「(大浦作品は)県立美術館で、県の予算を使って展示するのは、総合的にみて、ふさわしくないと判断した。事前に交渉しており、先方が合意したから開催することになった。検閲ではない」と説明。判断基準は「総合的としか言えない」とした。牧野館長と協議し、決定した県教育委員会の金武正八郎教育長は「教育的観点から配慮をお願いした」とだけ述べた。

渡辺さんは「県が、固執するなら開催は認められないとしたため、やむなく出品を取りやめた。本意ではなかった」と説明した。作者の大浦さんは「日本全体が天皇表現に関してタブー視するようになったという体質そのものが大きな問題だ」と渡辺さんを通じてコメントを寄せた。」

また、琉球新報も牧野館長ら作品展示を拒否した側の言い分を次のように報じた。

「同展を企画した外部キュレーターの渡辺真也さんによると、1月末に主催者側から大浦さんの作品を取り下げてほしいと言われ、協議を重ねた結果、2月末に同作品の出品を取りやめることで開催合意に至ったという。
 同館の牧野浩隆館長は「作家の自由な活動を否定する立場にはないが、沖縄の教育施設であり、公正中立なものを扱うなどの観点から総合的に見て(展示は)適切でないと判断した」と説明。金武正八郎県教育長は「(主催者側には)教育的観点から配慮をお願いした」と述べ、具体的な理由については言及しなかった。」(4月14日づけ)

牧野館長らの言い分は、言い訳にもなっていない。展示しないという結論がまずあって、この結論に官僚特有の無意味な言い訳を付け足したといった類のものだ。美術館の館長の発言としては、作品にも展覧会にも何の関心もないことがはっきりしている。「公正中立」「教育」といったを持ち込むこと自体が検閲だということがこの人にはわかっていないし、大浦の作品以外のアトミック・サンシャインの作品が教育上好ましい公正中立な作品だといっているに等しい。言い換えれば、アトミックカフェの出品作品は、大浦の作品を除けば、毒にも薬にもならない「中立」的な作品だ、と言っているに等しいのだが、そんなことがありえようはずもない。とすれば、大浦に起きたことは誰にでも起きうることだということを館長は言っているのだということに気づく必要がある。この館長の発言に、出品者たちは激怒してしかるべきだろうし、大浦の作品への検閲は、自分たちの作品への検閲の可能性を潜在的に秘めている問題だということを深刻に受け止める必要がある。まずなによりも「公正中立」とか「教育」といった言い訳を撤回させなければアートミュージアムは成り立たないというアートのイロハから彼らに「教育」してやらねばなるまい。

この「遠近を抱えて」の作品については、1986年に富山県立近代美術館主催の「86富山の美術」においても、展示され購入されたものの、県議会の議員たちと右翼の抗議に屈して作品と図録の非公開、そして売却・焼却処分となったことがある。富山の場合は、美術館ばかりか県立図書館所蔵の図録まで非公開にされたのちに、いったん公開されたものの右翼による図録の破り捨て事件を経て最終的には廃棄処分にされている。この富山のケースでは、大浦と公開を求める鑑賞者たちが損害賠償などを求めて訴訟を提起し、一審では一部勝訴したが、その後控訴審では敗訴、最高裁への上告は棄却されるという経緯をたどった。一時は図録の公開から作品の公開へという可能性が見えた時期もあったが、公立美術館歴史上始まって以来の(世界でも類を見ない)図録残部全冊焼却、作品を匿名の個人に売却、図書館の図録も処分という最悪の結末で終わった。文字通りの焚書である。今回の沖縄のケースは二度目の検閲ということになるが、事前検閲は、こうした富山の事態をふまえてのことだろう。

こうした検閲事件に共通していることで、富山の事件で私自身が経験したことからも言えることだが、検閲する当事者は、「検閲」という批判を回避するために、キュレーターや作家の「同意」を求める。もし同意しなければ、展覧会自体を認めないなどの脅しや、別の作品なら認めるといった懐柔策を打ち出す。いったん当事者が「同意」すれば、一方的な措置ではないと言いふらして、キュレーターや作家も展示しないことで納得したとか、管理者側の「お願い」を理解してくれたなど、事実とは異なる解釈を加えて、メディアなどに展示しないことが一方的な措置ではないかのようにアピールする。こうしてキュレーターや作家は、管理者側の検閲を受け入れたという「物語」が作られ、「作家やキュレーターが受け入れたのだから仕方がない」といった雰囲気が作られ、結果として「なぜもっと闘わないのか」とか「こうした企画を公立美術館に持ち込んだのが間違いだった」など、キュレーターや作家側の対応を冷やかに評論する者たちも現れるに違いない。美術館は検閲をするものだという現状を変えることは、はなから諦められてしまう。現実が間違っているのに、現実を読み違えたことが批判されるという逆立ちした批評がまかり通る。また、県立美術館でできないのなら別のところでやればいい、という意見もあるが、県立美術館の検閲体質がこれで解決するわけではないから、別の場所で展示することは、別の問題である。

アートをめぐる検閲などで、マスメディアも含めて大きな誤解があるのは、当事者を問題となった作家、美術館、キュレーター(学芸員)に限定して理解しがちだということだ。当事者には作品を鑑賞する立場にいる多くの人々、同じ展覧会に出品した他の作家たちも含まれるべきなのだ。こうした人々がいなければ、展覧会そのものが成り立たないからだ。とすれば、鑑賞者や出品者たちがこの問題にどのように向き合うかは問題を議論する上で避けて通るべきではない問題である。いうまでもなく、出品作家が沈黙してしまえば、作家の本意はどうあれ、管理者側からは、検閲への暗黙の同意とみなされる。この意味で今回の検閲は、展覧会に出品した他の作家たちの姿勢も問われることになる。

今回の出来事は、私にとって二重の驚きだった。一つには、沖縄ですら、起きるのか、という私自身の中にある、ある種の「沖縄幻想」に基づく率直な驚き。いくらなんでも、富山のような保守的な土地とは比べ物にならない「革新」の伝統や基地と闘ってきた歴史があり、天皇の軍隊によって多数の犠牲を出した地域で、このようなことが起きるとは想像できなかった、ということだ。むしろ、大浦の作品は天皇への批評としては「甘い」という評価があってもいいくらいだろうと思っていた。沖縄の作家、目取真俊はブログで次のように書いている。

「沖縄への米軍基地集中は沖縄戦の結果であり、昭和天皇の戦争責任や「天皇メッセージ」の問題と切り離せない。沖縄において憲法九条を問うなら、沖縄戦ー米軍基地ー昭和天皇裕仁ー憲法九条は切り離せないものとしてある。むしろ、大浦氏の作品こそ沖縄でまっ先に展示すべきだろう。それを右翼の脅迫も何もない前から、自主規制という形で弾圧・排除している。それが「戦後日本の縮図である沖縄で起こったことが問題」なのであり、その問題はたんに美術関係者にとどまらず、沖縄県民に広く問われている。」
「大浦信行氏の作品を排除」、4月15日付)

沖縄については、2000年前後に、復帰前の沖縄の基地文化、言い換えれば反基地一辺倒ではないもうひとつの沖縄について調査していたことがあり、沖縄のなかにある保守主義的な傾向を知らないわけではなかった。今回の事態は「沖縄戦ー米軍基地ー昭和天皇裕仁ー憲法九条」という連鎖が否定と肯定の二つの文脈によって織り上げられた構図をむしろあからさまにしたともいえる。沖縄はもはや「沖縄」ではないのかもしれない。

もう一つの驚きは、昭和天皇へのタブーが未だに続いているのか、という驚きだ。「86富山の美術」の場合は昭和天皇の死去とも重なって、昭和天皇に対する世論の感じ方は今よりもかなり神経質だったことは確かだ。あれから四半世紀がたとうとしている今、それでもなお、昭和天皇はタブーの中にある。目取真は、右翼の脅迫がなかったなかでの自主規制であると述べているが、もしこれが本当ならば、問題は深刻だ。管理者側が内面化した天皇への価値観とこれを批判する表現への非寛容が教育委員会の場で起きていることから、これは美術館だけの問題ですますことのできない、教育の現場全体に影響の及ぶ問題だからだ。

この沖縄の事件は、現地のメディアが大きく取り上げ、沖縄ではそれなりの重大事件として受け止められている。地元の人々の関心も高い。目取真が述べているように、この問題は、「たんに美術関係者にとどまらず、沖縄県民に広く問われている」のだが、同時に、20年前の富山での事件が作品と図録の処分という事態にまま放置されてしまっているということでいえば、公開運動に関わってきた私もこの沖縄で起きた問題を他人事として済ますわけにはいかない。もし、富山での出来事が公開という方向で最終的な決着をつけることができていれば、沖縄で今回のような事態には至らなかったことは確実だからだ。この意味で、富山での私たちの敗北は大変に重たいこととして、あらためて富山の経緯の重大性を受け止めている。富山の事件の際に結成された「大浦作品を鑑賞する市民の会」は裁判の後、長い休眠状態にあるが、今回の事件について、なにがしかの発言はしなければならないと考えている。

本文で言及したもの以外で参照した関連サイト
天皇と9条から見る日本戦後美術〜大浦信行インタビュー
アトミック・サンシャインの中へ
Atomic Sunshine - 9条と日本展
中河伸俊「「天皇版画」をめぐる定義のポリティクス」
中河伸俊「天皇表現」をめぐる三者関係型過程
中河伸俊「ず・ぼん3●富山県立図書館問題その後 自主規制の増殖は図書館の自死に及ぶか」
小倉利丸「最近富山で起こった二つの『事件』について」『仁王立ち倶楽部』014(1986年12月発売)
小倉利丸「天皇の尊厳を押しつける自治体との闘い—富山県立近代美術館裁判一審判決をふまえて—」『aala』1999.2.20
小倉利丸「象徴天皇制再考」『支援連ニュース』1999.2.17

※この記事は小倉利丸氏のブログ「No More Capitalism」(2009年4月29日投稿)より転載しました。
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