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沖縄・ヤマト国家の対峙と
  米・日・沖関係としての安保構造


武藤一羊

2010年7月20日

◎「迷走」の鳩山から「抑圧感」まとう菅内閣へ

 昨年9月、総選挙での民主党の地滑り的勝利によって政権交代が実現し、鳩山内閣が出現したとき、多くの人が、50年にわたる自民党支配で閉塞した日本の政治に爽やかな風が吹き込まれ、何かが変わるかもしれないと感じたのは確かであろう。だがそれからわずか9カ月たらず、鳩山内閣は崩壊した。普天間基地問題での「迷走」と「政治とカネ」の問題で支持率が急落し、7月の参議院選挙での勝利が絶望的になったからだとされている。希望をかきたてた鳩山の首相としての最後は惨憺たるものであった。鳩山はその「迷走」を、彼の公約とは正反対のものである新たな日米共同声明、辺野古への「移設」を再確認するという最悪の選択で終わらせ、抗議する社民党は連立を離脱した。沖縄の民意も連立与党社民党も無視して、アメリカの意向を唯一至高のものとする決定を下したのである。すなわち日米関係においては、主権は在民でなく在米であると実証したのである。

 そしてその上に菅直人が率いる民主党政権が成立した。鳩山、小沢が同時に辞任することで、7月参院選挙を前に内閣支持率は一時回復したと世論調査は伝えた。だが政権交代のときにあった解放感、爽やかさはない。菅内閣は最初から陰々滅滅たる雰囲気をまとい、抑圧感を発散していると私には感じられる。

◎菅政権の「日米安保」観と基地問題のゆくえ

 菅政権の抑圧的雰囲気は、それが何かを解き放つのでなはく、何かを、いやすべてを抑え込もうとする姿勢から発せられるものである。鳩山友愛主義へのこの巻き返しは経済政策から福祉にいたる広い分野にわたるが、その核心には、「外交における現実主義」の名による「日米同盟」への忠誠の再確認が置かれている。菅首相は、普天間基地についての日米合意を守るといい、それを現実主義の外交と称する。そして昨年の民主党衆院選マニフェストの「米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で臨む」という文言は新マニフェストからあっさり削除された。

 この政権のキーマンたちの主張を聴くと、過去数十年間自民党政権から繰り返し聞かされてきた同じ脚本が別の役者に読み上げられている感にとらわれる。6月23日、沖縄戦慰霊の日に記者会見した仙谷官房長官は、50年前のその日に発効した日米安保条約について「この間東アジアでは戦争という悲惨事態がおこらなかった。アジアの平和の秩序のアンカーとして日米同盟が存在したのは、歴史的な事実として率直に評価しなければならない」といい「その上で、日本を含めたアジア諸国の経済成長の要素の一つに日米安保がある」と述べたと『沖縄タイムス』は伝えた。沖縄の読者はこれを何と読んだろうか。仙谷の発言にあるのは、自民党政権と米国政府の安保観そのものである。この安保観こそが沖縄を米国の戦争のための軍事拠点として恒久化し、沖縄の人びとにおびただしい犠牲と屈辱を強いてきた元凶ではなかったのか。沖縄と日本本土の米軍基地は朝鮮、ベトナム戦争の出撃、補給基地としてアジアにおける殺戮・「悲惨事態」の「アンカー」だったのではないか。

 菅政権の狙いは「沖縄と基地」の問題は決着済みとして焦点から消し去ることにある。総裁選立候補のさいの記者会見(6月3日)で菅は「普天間と政治とカネの問題」という「その二つの大きなある意味での重荷を鳩山総理には自らが辞めるということで取り除いていただいた」と語った。問題は取り除かれた、それはすでに中央政治の争点でもなくなり、あとは沖縄県にいやでも受け入れてもらうだけ、そういう状況をつくりたい、基地問題は沖縄県のローカル政治の位相に移ったと信じたい。それが新政権の政策であり希望である。しかしそう都合よくことは運ぶだろうか。

 いや、そうはならないであろう。鳩山政治は、「普天間基地、国外、県外移設」を唱えることで、自民党政権が半世紀にわたって、国家の全重量をかけて堅く閉ざしてきた「安保釜」の蓋に手をかけたのである。「県外、国外移設」といいつつ蓋の端っこをずらすことで、その隙間から噴き出した蒸気圧は沖縄の基地問題をいきなり全国政治の焦点に投げ入れることになった。沖縄は中央政府にとって単なる対処や対策の対象ではありえず、政権の命運を左右する中心的政治課題になった。そして事実、普天間問題は鳩山内閣の命取りになったのである。

 こうして、基地を沖縄に押し付けることによって本土政治からは都合よく消し去られていた日米安保というイッシュウは、沖縄の「県内移設」拒否によって、本土政治に投げ返された。菅政権は、新日米共同声明に忠実に、ボールを沖縄に投げ返そうとするだろう。だが沖縄はキャッチを拒否するだろう。アメリカ側とは8月末までに辺野古新基地の設計図や工法を決めると合意した。だが何を決めても名護市は受け入れないだろう。米国の意向を至上の判断基準とするようになった『朝日新聞』は「迷走で揺らいだ日米関係の再構築は差し迫った課題である」と新政権をせっつく。同時に「日米合意と、これに猛反発する沖縄の民意」、事態打開の戦略と陣立てを早急に固めないと、再び政権を揺るがす事態にも発展しかねない」と『朝日』は認める。(6・5社説)一件落着などにはなっていないし、なりようがないのだ。

◎沖縄の人々の抵抗――噴き出す怒り

 しかしそれはイッシュウとしての辺野古基地問題だけではない。過去8カ月のプロセスのなかで地表に姿を現したのは安保構造とでもいうべき巨大な存在、容易に一件落着などにはできない代物であった。

 基地と安保の問題を中央政治に突き入れたのは、沖縄の高まる抵抗と怒りであった。そこには17世紀初頭の薩摩による侵略にさかのぼり1879年の琉球処分以後のヤマト支配の苦難の歴史的記憶が込められていたであろう。それは沖縄戦の凄惨な経験と米軍一元支配への抵抗の中から練り上げられてきた抵抗思想の力量を示すものであった。直接には1995年、米兵による少女レイプ事件をきっかけに燃え上がった島ぐるみの反基地運動が今回のプロセスの発端となった。米国政府は、この反基地運動の爆発は沖縄における米軍基地の存在を根底から脅かすものと感じ、1996年、日本政府と結託して、この運動に土俵際でうっちゃりを食わせた。普天間基地という危険で非効率な老朽基地を閉鎖する代わりに、辺野古に新巨大基地を建設するという詐術的なSACO合意がそれであった。新基地獲得を「負担軽減」に見せかけることで居座りに成功した米国は、クリントン・橋本共同声明で、冷戦終結で正当化理由を失っていた1960年日米安保を米国のグローバル覇権を支えるパートナーシップ(世界の中の日米同盟)として再定義するというもぐりの条約改定で換骨奪胎させ生き残らせたのである。

 これらの取り決めはすべて当事者である沖縄のひとびとの頭越しに、また日本の国会の審議・承認なしに行われた。だが沖縄の人びとは、運動史上おそらく例をみない長期的な草の根からの抵抗で、辺野古基地の建設に立ちふさがり、14年にわたって阻みつづけてきたのである。その中で、沖縄からは、米軍基地の75%を押し付け続けた上にさらに新基地まで押し付けようとするヤマト政府とそれに無関心なヤマトの日本人に「新基地がそれほど必要なら県外につくれ、沖縄から持って帰れ!」という叫びがあげられたのである。普天間の「県外移設」の要求である。

◎鳩山政権「迷走」の功績

 鳩山の「国外、最低でも県外移設」の公約はその声をオウム返しにしたものであった。私は「移設」の論理を前提にしたこの公約は根本的に不毛であると指摘し、中央政府の役割は「県外移設」という沖縄の叫びを、SACO合意の見直し、再交渉による普天間の無条件閉鎖という政治の言葉に翻訳して行動しなければ実現できないと論じてきた。事実その通りになったのだが、にもかかわらず鳩山の「国外、県外移設」には戦後日本国家の対米関係を、僅かなりとも変更しようとする意図が働いていたことは確かであろう。

 鳩山民主党の衆院選「マニフェスト」は、日米同盟が基礎といいつつ、「緊密で対等な日米関係を築く」ことを謳い、「主体的な外交戦略を構築した上で、米国と役割を分担しながら日本の責任を積極的に果たす」とした上で「日米地位協定の改定を提起し、米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で臨む」と宣言していた。さらに社民党との連立合意では、「東アジア共同体の構築をめざし、アジア外交を強化する」として、アメリカを通じてアジアにかかわるという旧来の姿勢の修正を示唆していた。この党には、小沢一郎の「第七艦隊だけで十分」発言が片鱗を示したように沖縄から海兵隊を撤収させ、日米安保を有事駐留方式に変えるといった日米安保関係の変更への志向が一つの底流として存在していた。6月2日辞任を表明した民主党の両院議員総会で、鳩山は普天間を「何としても県外に」と奔走した動機を説明して「米国に依存し続ける安全保障をこれから50年、100年続けていいとは思いません」と述べたのである。これは辞任の弁としてではなく、就任の言葉として言われるべきであったが。

 この政権は、しかし、腰を据えて対米関係の変更をかち取る用意も意志も備えていなかった。外務、防衛大臣、官房長官は最初から辺野古が落とし所と構えていたようである。こうして鳩山内閣は、SACO合意の再交渉を申し入れることさえせず、「移設先探し」という失敗に運命づけられている愚行に時間をついやし、自爆した。にもかかわらず、私は鳩山の「迷走」によって、「安保」は中央政治において抹殺しえない存在になったと思うのだ。安保は、1960年以後50年にして、沖縄から突き返される形で中央政治に帰ってきた。

◎沖縄ピープルvs ヤマト国家

 重要なのは、このプロセスにおいて、イッシュウとしての沖縄の基地問題だけではなく、沖縄それ自身がヤマト政治の中心部に進出し、足場を築いたということである。基地問題をテコに日本国家にたいする自己決定の主体としての沖縄ピープルが舞台に登り、沖縄ピープルvsヤマト国家という対峙構造が出現したのである。力関係は対等からはほど遠い。しかし沖縄ピープルは資格において対等な存在として、国内植民地としての扱いを拒否しようとしているのだ。沖縄ピープルvsヤマト国家という関係にとって、基地は本質的な要素であるが、基地からこの関係が生じたわけではない。逆に、日本近代国家による沖縄の国内植民地支配の帰結として、今日の米軍基地問題が生まれてきたのである。この関係がいま直接に全面に出つつあるのだ。

 沖縄の基地問題が、抑止力だの安全保障だのの問題である以前に、むしろこの国内植民地支配の帰結として認識・把握される状況を出現させたことが「普天間迷走」プロセスのポジティブな帰結だと私は考えている。それは辺野古基地建設を許すかどうかという具体的なイッシュウと不可分であるとともに、それをはるかに越えた解決を要求する問題である。構図の変換はすでに始まっていた。太田知事を先頭とする1995〜56年の島ぐるみ闘争、2007年、「集団自決」についての教科書記述をめぐる沖縄の11万人の結集による爆発的な意思表示はそれを劇的に示していた。そして今回「県外移設」迷走のプロセスのなかで、沖縄がピープルとしてヤマトにたいして拒否権を発動する明確な姿が示された。鳩山首相のどたんばでの裏切りは、ヤマト対沖縄ピープルの対峙関係を新しい水準に押し上げたと私には見える。沖縄県議会での自民党から民主党を含む満場一致の県内移設反対決議、参院選で民主党は候補を擁立できなかった経過などは、沖縄が、もはや日本政治の縦割り帰属に服さない横のきずなでより強く結び付いてきたことを象徴的に示している。

 国内植民地としての沖縄、したがってその支配を打ち破ろうとする自己決定主体としての沖縄は、菅や仙谷や枝野がどんなに小手先や口先を弄しても消し去ることのできない日本政治の中心部における存在になったのである。

◎米・日・沖の奇怪な関係構造

だが重要なのは沖縄をめぐる関係がそこで終わらないことにある。国内植民地構造がヤマト・沖縄という二項関係ではなく、米国をも当事者――それも最強の当事者――として組み込んだ複合的な構造として存在しているということにある。ヤマト・沖縄の国内植民地支配の関係が米軍基地問題をめぐって展開する、逆に国内植民地状態からの解放という課題が日米関係の根本的改変を要求する特殊な関係構造が存在しているのである。それは「普天間移設」問題の経緯によってみごとに例証された。鳩山政権のもとで、地下から頭を覗かせ始めたのは、(1)米日関係、(2)米沖関係、(3)日沖関係の三本の軸が奇怪なねじくれたかたちで撚りあわされた安保構造であった。

 この奇怪な絡み合い構造は沖縄の置かれた位置を説明するだけではない。実はそれ自身が戦後日本国家の下半身構造なのである。占領期に骨格が形成された戦後日本国家は、アメリカ帝国への依存・従属をその「国体」(国家の本質)の太い柱として成立した。アメリカ帝国はこのとき以来今日まで、日本国家に原理としても実体としても内部化されていることを私はこれまで幾度となく指摘してきた。そしてこのアメリカ帝国は、軍事占領した沖縄を非合法に軍事植民地として準領土化し、最大の海外基地として確保した。戦後日本は、沖縄の無期限占領をマッカーサーに進言した天皇裕仁を先頭に、すすんでそれに支持・協力を申し出た。こうして、1952年、サンフランシスコ講和条約によって沖縄は日本から切り離され、国際法上正当化の根拠のないアメリカ軍支配領土となった。戦後日本(ヤマト)の平和憲法体制は、アメリカの沖縄軍事支配と背中合わせに(お互いの姿が見えぬ形で)結合されて出生したのである。

 1972年の沖縄返還は上述した3組の関係の中で、日・沖関係の比重を格段に高めた。だがアメリカ、とくに軍部にとって軍事植民地としての沖縄の地位は変更されなかった。施政権の返還は、この軍事植民地の管理、民衆の統治責任、支配のコスト支払いを日本政府に移管するものにすぎないと軍は理解していたし、それは米国政府全体の暗黙の前提でもあった。歴代自民党政府もこの前提を当然のように受け入れていた。すなわち沖縄は米軍の軍事植民地であり続けつつ日本国家の支配下に移管された別格の領土、すなわち、日本の国内植民地となった。沖縄は、1951年に日本国家から遺棄された(なぜならそれは国内植民地であったから)と同じ論理で1972年に日本国家に併合された(もともと国内植民地だったので米国の軍事植民地のままでかまわなかった)のである。沖縄はいまやこの関係全体を拒否している。米軍基地を拒否しているだけでなく、米軍基地の存在と一体のものである日本の国内植民地支配を拒否しているのである。

◎安保のタブーを破り、沖縄の基地を閉鎖し、アジアとの新しい関係を

 アメリカ帝国が歴史的衰退の時期に入った状況の中で、どのようにこの米日沖の関係を根本的に変えていくことができるか、また必要か――が地下から押し上げられてきた問題の性格であると私は考えている。この課題に立ち向かう上で、私は鳩山政権8カ月をムダにしてはならないと考えている。この時期に「日米同盟」とは一体なんだ、そもそも日米安保は必要か、といった素朴だが根本的な疑問が、公然と口に出せる雰囲気が社会の中に生まれているように思うのだ。こういう雰囲気にたいして「やはり抑止力が必要」などという俗論がそれほど「抑止力」を持たなくなったとも感じられる。日常の場で、職場で、学校で、街頭で、そしてマスコミの場でさえ、「安保」がタブーでない状態をつくり出すことは、菅政権の抑圧的姿勢にもかかわらず前より容易になったと思う。思いがけない人が、アメリカにゴマをする政治家の批判を口走る場面が増えている。この雰囲気を広げまくること、市民社会に政治的な議論を復活させることが、すべての前提であるし、それができる条件が生まれていると私は思う。「政権交代」はそのようなスペースを開いたのである。

 沖縄は、辺野古移設計画を拒否し続けている。菅政権が日米共同声明に固執するかぎり、沖縄基地は遠からず再び政治焦点にせりあがるだろう。それと連動しつつ、日米安保関係=軍事同盟を根本から見直し、沖縄の基地を閉鎖させ、日本全土で米軍の駐留を終わらせる運動をヤマトにおいて展開することが必要とされている。そして、そのなかで、アメリカから自立し、アメリカの戦略を通過しないアジアとの関係のつなぎ直しが可能になる。そして日本列島内外をつらぬく国家や企業の利益に還元できない民益を基盤にした関係への大きいうねりを呼び起こす。それは同時に、ヤマト社会の脱植民地化の過程、戦後国家と社会が、米軍基地を沖縄に押し付け、押し付けたことを忘れてきた事実とその意味を問い直す過程になるだろう。アジアとの関係の組み直しのためには、日本社会が民族差別を自覚し、乗り越え、戦後日本が都合よくバイパスしてきた戦後責任、植民地支配責任を果たすプロセスが不可欠である。

 そのような下からの力量を日本列島を縦断して生成させることができれば、私たちは議会政治のなかにそれと連動する新しい政治潮流の形成と自立をうながすことができよう。菅民主党は、民主党主導の下に中道右派的な「挙国一致」体制をつくり、それを自民党支配に代わる永続的支配構造にしたいと望んでいるかに見える。だがそれは幻であろう。下からの力はそれを許さず、原則にもとづく政治的な再結合を促進するにちがいないからである。状況は深部から動き始めているのである。

出典:「APLAレポート」3号(2010年8月1日号)、発行:NPO法人あぷら
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