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脱グローバル化って、なんかよさそう
(原題:The virtues of deglobalisation)

ワルデン・ベリョ(Walden Bello)

2009年9月3日

出典:「焦点の外交政策」(Foreign Policy in Focus [FPIF])ウェブサイト
http://www.fpif.org/articles/the_virtues_of_deglobalization

 70年前の大恐慌以来の世界的な不況は、グローバリゼーションに最後のとどめを刺した。世界の貧困や格差がますます広がり、もっとも貧しい国の状況が改善する気配がない。この2年間にグローバリゼーションは最後の信用も失った。金融や貿易の自由化で世界が1つになると言われてきたが、そのおかげで繁栄が広がったのではなく、経済危機が広がった。

<ひとつの時代の終わり>

 どの政府も口では「国際協調」を言っているが、実際には自分の国の市場を立て直すための景気刺激策に必死である。まだ貿易自由化の推進、WTOのドーハ・ラウンドの成功という念仏を唱えているが、その一方で、こっそりと輸出主導の成長という戦略を棚上げしている。

 もうアメリカの消費者の過剰な消費を頼りにした世界には戻らないだろう。アメリカでは破産が相次ぎ、だからといってアメリカの代わりをできる国もない。しかも、金融資本の活動にさまざまな規制が導入されるのは間違いない(国際的に一致して行われるか、各国の政府が一方的に行うかは別にして)。金融の自由化が現在の危機を招いたからである。

 ところが、専門家たちの議論にはまだ、新自由主義と決別する気配があまり感じられない。「貿易の自由化が大事」、「民間に任せる」、「小さな国家」という主張が、政府や政策審議会では今でも当たり前のように話されている。ジョセフ・スティグリッツやポール・クルーグマンのような有名な市場原理主義批判論者まで、景気刺激策の規模や、政府の介入の是非、救済した企業や銀行を再建後に民間に返すかどうかについての果てしない議論に巻き込まれている。

 もっと言えば、スティグリッツに代表される人々は依然として、グローバリゼーションの経済的効用なるものを疑わず、ただその社会的な悪影響を嘆いているのである。

 しかし、現実は急激に変化しており、新自由主義グローバリゼーションのイデオローグも批判論者もこの変化に対応できない。数年前には不可能だと考えられていたようなことが、奔流になりつつある。英国「エコノミスト」誌(2009年2月19日号)は「世界経済の統合化はほとんどの領域で後退に入っている」と題するレポートの中で、企業はいまだに世界的供給チェーンの効率性を信じているが、「チェーンの強さはその最も弱い環によって決まる。企業がこの生産体制が時代遅れになったとみなすようになれば、危機は一気に爆発する」と書いている。

 「エコノミスト」誌によると、「脱グローバル化」という用語は私が最初に使ったようだ。世界の自由市場イデオロギーを代表するこの雑誌は、脱グローバル化の動きを警戒している。だが私は、脱グローバル化はチャンスだと考えている。私と「フォーカス・オン・ザ・グローバル・サウス」の仲間が「脱グローバル化」を最初に提案したのは約10年前だった。当時、新自由主義グローバリゼーションによってもたらされる圧迫、歪み、矛盾が痛々しい現実となっており、脱グローバル化はそれに代わる全体的な構想として考えられた。

 脱グローバル化は主に発展途上国のためのオルタナティブ(代替案)として考えられたのだが、「先進」資本主義国にも有効でないわけではない。

<オルタナティブの11の柱>

 脱グローバル化の構想には、11の主要な柱がある:

1. 輸出向け生産よりも国内市場向け生産に重点を置く経済に戻そう。

2. 地域および国内での生産を奨励し、生産コストが障害になる場合には補助するという原則を確立して、地域社会を守ろう。

3. 輸入割当制と関税を軸にした貿易政策によって、国内経済を人為的な低価格の商品による破壊から守ろう。

4. 補助金、関税、貿易などの産業政策を活用して、製造部門を再生し、強化しよう。

5. 所得の公平な分配と土地の再分配(都市部における土地改革を含む)という長年の課題を実現しよう。これは国内市場を活性化し、経済を支え、国内投資のための資金をもたらす。

6. 成長重視をやめ、生活の質の向上を重視するように転換しよう。最大限の平等を実現することは、環境の安定にもつながる。

7. 農業と工業の両方で、環境指向の技術の開発と普及を促進しよう。

8. 重要な経済的決定を市場や専門家に任せない。民主主義的決定の範囲を拡大し、どの産業を発展させ、どの産業を縮小するか、予算の何%を農業に回すか等のすべての重要事項について民主主義的な議論と選択に委ねる。

9. 市民社会が民間企業や政府を常に監視し、監督することを制度化しよう。

10. 土地の管理を、地域の協同組合、民間企業、公営企業を含む混合的経済主体(超国籍企業は排除する)に移転しよう。

11. IMFや世界銀行などのグローバル機関を、自由貿易や資本移動の自由に基づくのではなく、「資本主義の論理を超越した経済協力」(チャベスはALBA[米州ボリバル代替構想]をそのように説明している)に基づく地域的機関に置き換えよう。

<効率性の神話から人のためになる経済へ>

 脱グローバリゼーションの構想の狙いは、偏狭な効率性の経済――生産コストの切り下げがものごとの基準となり、それによる社会や環境への影響を顧みない――を超えて進むことである。それはまた、生命の全活動を悪夢に変えてしまうような経済計算のシステムを超えて進むことである。

 人のためになる経済は、市場の活動を平等、公正、地域社会等の価値に従属させ、民主主義的意志決定の範囲を拡大することによって社会的連帯を強化する。ハンガリアの思想家、ポランニーの「大転換」によると、「脱グローバリゼーションとは、経済が社会を牽引するのではなく、経済をもう一度社会の中に組み込む」ことである。

 脱グローバリゼーションの構想はまた、新自由主義や集権的・官僚的社会主義のような画一的モデルはうまくいかず、社会を不安定にすると考える。代わりに、多様性が重視され、奨励される必要がある。自然がそうであるように。オルタナティブな経済のためのいくつかの原理はすでに共有されている。それはすでに、集権的な社会主義と資本主義に対する闘争と、それらのシステムの失敗に関する考察の中で、基本的な骨格を与えられている。

 しかし、そのような原理(そのもっとも重要な要素は、上に概略を示している)をどのように具体的に表現するかは、それぞれの社会の価値観、リズム、戦略的な選択によって異なるだろう。

<脱グローバリゼーションの起源>

 脱グローバリゼーションというと過激に聞こえるかも知れないが、実はこれは新しい考え方ではない。言いだしっぺの1人は、あのケインズだ。彼は大恐慌の真っ最中に、大胆にもこのように書いている。「われわれは自由放任の資本主義という原理に従って、どこかに落とし所を見出そうとしている人々の言うままになっていることはできない」。

 彼はさらに、次のように書いている。「広範な工業製品や農産物について、私は、必要なものを自国で生産するための経済的コストが、生産者と消費者を同じ国、経済、金融体制の中で結びつけていくことの利点よりも大きいとは思えなくなっている。多くの経験が示すところでは、もっとも近代的な大量生産システムは、どんな国でも、どんな自然環境でも、ほとんど同じぐらいの効率で実現できる」。

 ケインズの次の結語は、まるで今の状態を言い当てているように響く。「私は、国と国の間の経済的な関わりをできるだけ多くしようとする人々よりも、できるだけ少なくしようとする人々に共感する。思想、知識、芸術、もてなし、旅行……こういうものはもともと国際的なものであるべきだろう。しかし、商品は、合理的に可能である限り、できるだけ自国で生産する方がいい。とくに、金融は基本的に国内に限るべきだ」。

[翻訳:喜多幡佳秀]
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