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<民主党マニフェストを採点する>
【8】教育政策編


大内裕和

松山大学教員
2009年8月17日

 教育政策というものは他の領域(例えば家族政策や雇用政策)との関連を十分に考慮しなければ効果を十分に発揮することが出来ず、またそれを評価することも難しい。そのことは私がこれまで執筆してきた著作や論文で繰り返し論じてきたことである。しかし、今回の文章「民主党マニフェストを採点する」は、総選挙前の極めて短期間のうちに書かなければならないという事情があり、教育政策分野のみに限定して論じざるを得ない。その点を読者の皆さんには最初にお断りしなければならない。時間の関係でいくつかの政策のみに対象を絞らざるを得ず、全体として極めてラフなスケッチではあるが、可能な範囲で今回の民主党マニフェストの教育政策分野について考察・採点を行うこととする。

1 教育への公的助成の増額

(1)「子ども」手当て――子育て・教育の「構造改革=市場原理主義」からの転換
 今回の民主党マニフェストの全体としての特徴は、前原誠司代表時には、自民党以上に明確な市場原理主義政策をとっていた民主党が、そこからの明確な離脱を宣言しているということである。これは小沢一郎代表就任以後、とりわけ前回の参議院選挙前の2007年4月以降、「生活が第一」をスローガンに掲げ、憲法「改正」を当面棚上げし、民主党が構造改革と軍事大国化を批判する方向での路線転換を行い、それによって参議院選挙で与野党逆転を果たしたことによる影響の延長上にある。

 この2007年4月における民主党の路線転換の背景には、2003年以降全国に広がった教育基本法・憲法改悪への労働者・市民による反対運動、また構造改革の推進による「貧困」問題、「格差社会」問題の浮上とそれを批判する世論・運動の盛り上がりという二つの要因があったことは、しっかりと確認されるべきことであるだろう。

 今回の民主党マニフェストの目玉といえる、子ども一人当たり月2万6000円(年額31万2000円)の「子ども手当」は、教育政策というよりも「子育て支援」の性格が強いものであるが、広い意味での教育への公的助成と見ることが可能である。ここに約5・3兆円という現在の防衛費以上の予算を投入することが提案されたことは、民主党が「子育て・教育」への予算増額を今回のマニフェストの大きな柱としたことを明示している。

 月2万6000円という額の適切性については、他の教育予算との兼ね合いで、さらなる検討が必要であろう。しかし、子育て・教育への私費負担が多くの家計に重くのしかかり、そのことによって少子化が進み、出身階層による子育てや教育格差の再生産が深刻化している悲惨な現状に対して、「子ども手当」という政策を提案したことは高く評価することが出来る。

(2)高校教育の実質無償化
 教育政策の具体的な中身をさらに見ていこう。マニフェストで「高校は実質無償化」が挙げられている。具体的には公立高校生のいる世帯に対し、授業料相当額を助成する。そして私立高校生のいる世帯に対し、年額12万円(低所得世帯は24万円)の助成を行うことになっている。教育の機会均等、家庭の教育費負担の軽減をもたらすこの提案についても、基本的に評価することが出来る。

 ただしいくつかの点でさらなる改善が可能であろう。一つは「実質無償化」よりも「公立高校授業料」無償化の方が望ましいということである。「公立高校生のいる世帯に対し、授業料相当額を助成」と書かれているが、これが全国一律の額と設定された場合、現在は都道府県によって公立高校の授業料に格差が生じているので、一律無償化にはならない。これでは、無償化できる都道府県とそうでない都道府県との格差が生じることになる。都道府県ごとに支給額を変えるという手もあるが、それよりは全国の公立高校の授業料自体を無料にする方がベターである。

 内容からいっても「授業料相当額」を給付するのでは、それが実際には高校の授業料には使われずに他の目的のために使用され、形骸化するおそれがある。各家庭に給付するよりも学校機関に対して給付する。つまり公立高校授業料の無償化こそが望ましいだろう。

 二点目は私立高校の入学金に対する配慮がないということである。この点を考慮すれば私立高校生のいる世帯に対し、年額12万円という額は不十分である。私立高校の授業料の平均額は約32万円、入学金の平均は約33万円である。授業料プラス入学金で実際には初年度約65万円が必要となる。公立高校の入学金の平均は5650円であるのでそれほどの負担ではないが、私立高校の入学金平均約33万円は低い負担額ではない。

 つまり年額12万円(低所得世帯は24万円)では、私立高校の学費は実質無償化とはならない。高校進学率が97.7%に達し、高校教育が準義務化している点からも、私立高校進学者の多くが裕福な家庭の出身者であるとは言えない。むしろ全国的に見れば、公立高校よりも低階層の出身生徒が多く通っている私立高校は多数存在する。低階層出身の子どもの私立高校通学は困難を極めている。「高校教育の実質無償化」を唱えるのであれば、私立高校進学者のうち、少なくとも低所得世帯出身者への助成額をもっと増やすべきである。また私立高校そのものへの助成を増額して、入学金を実質的にゼロにするという方法もあるだろう。

(3)高等教育―奨学金制度の充実
 高等教育については「大学は奨学金を大幅に拡充する」という政策である。具体的には「大学生、専門学校生の希望者全員が受けられる奨学金制度を創設する」という政策が挙げられている。

 日本の奨学金制度が先進諸国のなかでもとりわけ貧困なことは有名である。例えば、現在日本の公的な奨学金の総額は2008年度予算で9305億円であり、アメリカの10分の1に過ぎない。その点から、「希望者全員が受けられる奨学金制度を創設する」という政策は高く評価することが出来る。しかし重要なのはその奨学金の中身である。奨学金の中身にまで民主党マニフェストは踏み込んでいない。

 現在、公的な奨学金としては独立行政法人日本学生支援機構による第一種奨学金と第二種奨学金がある。第一種は成績優秀で経済事情が特に苦しい学生を対象とする無利子の奨学金、第二種は成績優秀でなくても借りられるが、上限までの利子が付くというものである。

 第一の改善点としては利子のある第二種奨学金を即時廃止し、国の奨学金をすべて無利子に戻すことである。そもそも「利子のある」奨学金というのは、教育を受けることが経済的に困難な学習者を経済的にサポートするために存在する「奨学金」という理念そのものと矛盾しており、「奨学金」という名に値しない。

 第二の改善点としては無利子の奨学金についても、卒業後、本人の年収が一定年収になるまでは返済を免除する制度とするべきである。ワーキングプアやフリーターが増加している現状では必要不可欠な措置であるといえる。

 第三の改善点としては一定の世帯年収以下の学生については、貸与ではなく給付の奨学金制度を創設することである。高等教育の機会均等を本格的に進めるにはこれが重要である。すでに東京大学は「世帯年収400万円以下は授業料全員免除」という制度を導入した。給付の奨学金制度を導入するか、一定の世帯年収以下の学生について授業料は全面免除とする制度を導入しなければ、東京大学をはじめとする一部の財政的に豊かな大学とそれ以外の大学に通う学生との格差が拡大するであろう。

 民主党のマニフェストに欠けているのは、高等教育予算の大幅な拡充政策である。奨学金制度の充実だけでは、高等教育への教育機会の平等化は十分には進まない。日本の公的高等教育予算はGDP比で欧米諸国の約半分である。国立大学は法人化によって毎年運営費交付金が1%ずつ削減されており、また私立大学の経常費に対する補助費の割合は11%に低下している(かつてその割合は30%を超えており、補助比の割合を50%まで上昇させることが政策目標とされていた)。

 国立大学の運営費交付金のカットは、教員数の削減による教育条件の悪化や基礎研究の衰退をもたらしている。特に旧帝国大学をはじめとする一部の有力大学以外の、地方国立大学における研究・教育条件は年々悪化している。これは各地方における文化・産業の衰退にもつながる問題を生み出している

 私立大学への助成の減額は、大学財政における授業料への過度の依存と研究・教育の困難をもたらしている。特に18歳人口減少のなか、多くの私立大学においては、AO入試をはじめとする入試回数の度重なる増加や頻繁に行われる高校訪問、高校への出張講義など、大学での研究や教育以上に、入学者集めに教職員が奔走するという倒錯した事態が広がっている。

 国立大学への運営費交付金の年1%削減方針をただちにストップさせること、そして私立大学の経常費への公的補助費の割合を増加させる政策が必要である。

2 教員政策・教育行政について

(1)教員の質の向上について
 民主党マニフェスト政策各論には、教員に関わる政策と教育行政についての提案がある。政策目的としては、「学校の教育環境を整備し、教員の質と数を充実させる」となっている。この政策目的自体について異論はない。検討されるべきはその具体策である。まずは、教員の質の向上について検討する。

 「教員の資質向上のため、教員免許制度を抜本的に見直す。教員の養成課程は6年制(修士)とし、養成と研修の充実を図る」とある。「教員免許制度を抜本的に見直す」とあるが、近年このテーマで最大の議論となっているのは教員免許更新制である。
 
 「抜本的に見直す」というなかに、教員免許更新制度の廃止という政策が入っているのかどうかがはっきりしない。教員免許更新制は、教育行政による教員支配を強め、教員の資質向上にもつながらず、教育現場を多忙化させるだけの愚策である。日本共産党は「教員免許更新制の中止」、社民党は「教育3法を抜本的に改正」としている。この教員免許更新制について、民主党のマニフェストは「廃止」を明記せず曖昧である。教員免許更新制の廃止をただちに行うべきである。

 また教員の養成課程を6年制(修士)にすることが、それだけで「教員の質の向上」につながるのかどうかは明確ではない。私立大学の多くは教員養成課程の教員数が十分ではなく、6年制(修士)になった場合に、教員養成課程を維持することは困難である。18歳人口の減少によって、多くの私立大学は経営的に困難な状態となっている。この分野について私立大学への財政的サポートがなければ、多くの私立大学が教員養成から撤退することを余儀なくされる。そのことは教員免許を取得する学生を少なくすることにつながり、教員志望者の裾野を狭めることとなる。教員志望者の裾野を狭めるということは「教員の質の向上」にはつながらない。

 また奨学金の増額は主張されているものの、国立大学の授業料(現在平均約55万円、入学金を含めれば初年度納入金は平均80万円を超える)は1970年代以来上昇を続けており、それについての具体的な値下げ案は出されていない。これでは4年制から6年制への移行によって、低階層出身者の教員免許取得を困難にしてしまう。これも教員志望者の裾野を狭めてしまうだろう。国立大学の授業料の無償化または大幅な減額、あるいは給付奨学金の増額とセットでなければ、教員の養成課程を6年制(修士)にするという「教員の質の向上」政策の効果は、十分には上がらないであろう。

「研修の充実を図る」についても、これまでの初任者研修制度の導入以降進められてきた「官製研修の充実」が、「教員の質の向上」にどれだけつながったのかの十分な検証が必要である。「研修」によって教員が一層「多忙化」し、子どもと向き合う時間が奪われているとすれば、「教員が子どもと向き合う時間を確保する」という民主党のマニフェスト自体と矛盾をきたすことになる。教育現場の声に真摯に耳を傾け、「研修」の中身の精査、「研修」の精選や削減こそが重要ではないだろうか。

 私は教員の養成課程を6年制(修士)にすることに全面的に反対ではない。現代に要求される知識の高度化、知識基盤社会への移行、情報化社会の進展を考えれば、それは教員の「質の向上」のための一つの選択肢ではあるだろう。しかし教員の養成課程を6年制(修士)にする前に、緊急を要する政策がある。

「教員の質の向上」、それによる「教育の質の向上」をもたらすために最も優先されなければならないのは、教員の多くが直面している現在の劣悪な労働条件を改善することである。「月平均の残業時間が80時間以上」という過剰労働にストップをかけること、それによって教員が授業の準備や自らの教養を深めることに十分に時間を使うことが出来る「ゆとり」を生み出すことが、「教員の質の向上」や「教育の質の向上」にとって何よりも先決であると考える。

(2)教員の増員について
 教員の増員については、「教員が子どもと向き合う時間を確保するため、教員を増員し、授業に集中できる環境をつくる。」と提起されている。「教員の増員」は教育現場で現在最も求められている政策であり、これが明記されていることは評価出来る。

 しかしここでも重要なのは「教員の増員」の中身である。これまで各地方自治体で「30人学級」の実現が進んできた。現在、東京都(石原慎太郎知事)を除くすべての都道府県で「30人学級」が実施されている。「30人学級」の実現自体は望ましいことである。しかしその政策は「教育の充実」や「教育の質の向上」には十分につながっていない。

 なぜなら、「30人学級」実現のための「教員の増員」の多くは、「臨時講師」などの「正規雇用以外の教員」によって担われているからである。多くの地方自治体が、1人の正規雇用の教員を雇う代わりに、2人〜5人の賃金の安い正規雇用以外の教員を雇うことによって「30人学級」を実現させている。それは低賃金・不安定雇用教員の増加であり、教育の充実や教員の質の向上にはつながらない。

 重要なことは「教員の増員」が「正規雇用の教員の増員」でなければならないということである。そのためには行政改革推進法を凍結し、国家レベルでの教員数純減政策そのものの転換が必要である。

(3)教育行政について
 教育行政については「現在の教育委員会制度を抜本的に見直し、教育行政全体を厳格に監視する『教育監査委員会』を設置する」とある。この教育委員会の「抜本的に見直し」についても、具体的な中身がはっきりしない。現在の教育委員会における最大の問題点は、1956年の地方教育行政法「改正」によって、それまで公選制であった教育委員会が、知事・市長など首長の任命制に変えられたことにある。これによって行政・政治からの「教育の自律性」が奪われ、地域住民が教育行政に参加する道が閉ざされてしまった。

 教育委員会の「抜本的に見直し」には、以前に自由党が唱えていた「教育委員会廃止論」が準備されている危険性も存在する。教育委員会が廃止されれば、「教育の自律性」は現在以上になくなり、首長によるトップダウンの教育行政が可能となってしまう。これでは行政や政治による教育内容の直接支配という最悪の結果が生じる。「抜本的な見直し」としては、教育委員の公選制の復活こそが望ましい。

3 提案されるべき論点

(1)公的教育予算全体の増額

「民主党のマニフェスト」そのものを採点するという目的からすれば、少し欲張りかも知れないが、マニフェストに提案されるべき内容でありながら、提案されていない重要な論点を最後に述べておきたい。

 一つは公的教育予算全体の増額を明示することである。日本の公的教育予算はGDP比で約3.4%とOECD諸国のなかで最低である。この点での改善がなければ教育そのものの充実は図れない。民主党のマニフェストは、「子ども手当」をはじめ「教育を受ける側」である親や子どもに対する支援は手厚いが、「教育を行う側」である学校・教員への支援が不十分である。「教育を受ける側」と「教育を行う側」の両者にバランスよく財政的支援を行うことが「より良い」教育政策にとって重要である。

 OECD諸国の公的教育予算のGDP比は約5.4%である。少なくとも日本の公的教育予算のGDP比を5%にすることを提案すべきである。GDP比1.6%の増加によって教育予算は約7兆円〜8兆円増額となる。これによって、ここまで私が今回の民主党のマニフェストに対して注文したすべての提案が、財政的には実現可能となる。

(2)2006教育基本法に対する姿勢の明確化
 2006年12月15日に、自民党・公明党の強行採決によって「改正」された現在の教育基本法(以下、2006教育基本法と表記)に対してどのような姿勢でのぞむのか、という点である。「改正」される前の1947教育基本法は「教育の憲法」であり、戦後教育の根本理念を示したものである。2006教育基本法は自民党の「新憲法草案」との整合性を考慮して作成されており、現在の日本国憲法に違反する内容を多く含んでいる。2006教育基本法は教育の根本法の位置にあり、これをどうするかは今後の教育政策を行う上で避けては通れない課題である。 

 民主党は自民党・公明党の提出した2006教育基本法案に対して、日本国教育基本法案を提出した。その中身は、教育基本法「改正」問題について鋭い批判的考察を行ってきた高橋哲哉氏も指摘するように、2006教育基本法以上に国家主義的内容を含んでいる(大内裕和・高橋哲哉編『教育基本法「改正」を問う』(白澤社)を参照)。民主党は2006教育基本法に反対するのか否か、2006年に自らが提出した日本国教育基本法案への「改正」を現在でも目指しているのかどうか、あるいは別の選択肢を探っているのか。その点を有権者に明示する必要があるだろう。

教育基本法の新旧対照表はこちら(編集部)

※このシリーズ<民主党マニフェストを採点する>は衆議院選挙後の分析論文も加えてパンフレット『民主党政権を採点する』として発行しました。詳しくはこちらをご覧ください。
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