メニュー  >  『生きる場の思想と詩の日々』雑感
 この本と関係ないことを少し書きたくなった。1978年大学に行くことになり米子の近くの小さな村から出てきた。十条の環七沿いにある住み込みの日経新聞の店に来て、「祝・成田空港開港」という号外を新聞に折り込んで配ることになっていたのに、急遽中止になった。そこから6年間の学生生活が始まった。最初の2年は新聞少年として、ほぼ新聞を配ったり集金したりすることに追われていたような気がする。授業に出ても寝てばかりいた。勉強はしていなくても出席だけで単位はとれた。全部Cだったけど。3年生になった1980年の5月、光州での蜂起が始まった頃、(その後、悲惨な弾圧で終了するのだが)『光州蜂起連帯』とタテカンに書いていた仲間たちと出会った。それに共鳴して彼らに近づいたわけではなく、ただ偶然に。

 その5月に、誘われるまま、東京の土産話になればと思い、三里塚の集会に行き、6月には日比谷野音での反安保の集会に行って、たぶん、秋には、活動家風になっていたように思う。新聞配りは3年で入学金や授業料の借金がチャラになり、終了。その後6年目まで、バイトと学生運動という日々を続けていた、6年目の秋のある日、教授に呼ばれて部屋に行くと、「卒論さえ書けば、卒業できるから書いてみたらどうか」と言われた。(うるさいので出ていってほしいという意図もあったはず)。哲学科に居ながら、哲学の勉強などしていなかったぼくは、その時、読んでかなり感動していた『生きる場の哲学』(花崎皋平著)で卒論を書くことになった。これがぼくの花崎さんの本との出会いだ。しかし、な〜んにも勉強してなかったぼくは、50枚のノルマで最初の10枚に学生運動との出会いを書き、30枚分の本の要約を書き、最後の10枚に、今後も社会運動を続けるという決意表明を書いて、お茶を濁して大学を卒業したのだった。その間に組織の女性差別問題に直面し、加害者として糾弾を受け、それはいまのぼくを形成する大きな要素になっている。しかし、卒論の清書は当時つきあっていた彼女に頼んだ、というようなジェンダーセンシティビティは今も続いているかもしれない。その時、論文なのだから、せめてもう1冊読みなさいと言われて読んだのがカレル・コシークの『具体的なものの弁証法』、何が書いてあるかさっぱりわからなかった。21世紀が近づく頃、社会運動のシーンで花崎さんと出会い、繰り返し話を聞く機会が来ることになるとは想像もしていなかった。すべてとは言えないけれども、花崎さんの著書は読んできた。

 長い前置きを書いた。花崎さんの約60年間の日記に触発されて、そんな自分のことを書きたくなった。そして、やっとこの本の話になる。この日記(といくつかの詩)を中心にした本にも『力と理性』を紹介する形で『具体的なものの弁証法』の紹介がでてくる。でも、いまだに理解できない(笑)っていうか、こういう哲学用語に近づいてはいけないと無意識に感じてしまっている自分がいて、文字列を追うことから、知らず知らずに距離を置き、理解を諦める自分がいて笑える。とはいうものの、ぼくが読み始めた80年以降の花崎さんの本は(ぼくが読んだ限りでは)平易な言葉で書かれていて、ぼくにも読めた。

 622頁もあるこの本、1931年生まれの花崎さんが意識的に生きてきた戦後からの日記が軸になっている。そして、それに挟む形でいくつかの詩とわずかな文章が置かれている。日記は2008年末で終わっている。この本、東京で出版先を探したが、見つからなかったようだ。昨今の出版状況を考えると、本にしてもらえるところはなさそうというA氏の判断で、ピープルズ・プラン研究所(PP研)から自主出版のかたちで出すことになり準備していた。実はそのプロジェクトの実務担当がぼくで、組版は終わっていた。コロナ禍がなければ印刷していたかもしれないが、販売する場所がないとのことで印刷に踏み切れないでいた頃、小樽の印刷屋さんである藤田さんが立ち上げた『藤田印刷エクセレントブックス』から出版することになり、しっかりとした書籍として刊行されることになったのだった。PP研として出すはずの本の組版では、梶川彩さんには闘病中であるにもかかわらず、本当にお世話になった。彩さんの組版が形にならなかったのは残念だけど、こんな形で出版できたのは喜ばしいことだと思う。

 そう、哲学の難しい話も含まれた本ではあるが、ほとんどは日記なので、時代状況の中で、思想家・活動家としての花崎さんが何を考え、どのように行動してきたのか、という話はとても興味深い。ジェンダーとかフェミニズムに関する記載も少なくないが、花崎さん自身の恋愛や結婚、子育ての話はほとんど書かれていない(と感じたのだけど、ちゃんと全部読めたわけじゃないので、もし、読み落としていたら、ごめんなさい)。確か、別の詩集に、1970年前後の熱い恋愛の詩が含まれていたので、それに関する記述もあれば、ぼくにはもっと興味深かったのかもしれない。『生きる場』の思想としては、やはり、具体的な生活の場での、恋愛や『男性(おとこせい)』の話も読んでみたいと思いつつも、自分を顧みたら、やはりそういう話はとても書きにくい。今年で91歳の花崎さんの次回作を期待したいところ。

 ここらで、本の内容にちゃんと触れたいところだが、荷が重い。 興味深いエピソードはいくつもある。
ちょっとだけ挙げると・・。  
・花崎さんが上智と東大に合格し、神学のある上智に行きたかったが東大を選んだこと。
 ・原水禁とのかかわり。
 ・山本周五郎の『さぶ』における女性観。
 ・日本共産党主流派との明確な対立はありつつも、除籍されるまで党に残ることを選択したこと。

 80年代以降の話は、同時代の社会運動のシーンの中で見てきたことであり、花崎さんの著作をそれなりに読み、PP研でも、花崎さんの軌跡をたどる連続講座を開催し、その講座の運営にかかわってきたので、ぼくには既視感がある部分も多かったが、同時代の社会運動に関わっていたにもかかわらず、気付いていなかった興味深い話も多い。

 そして、それぞれの年代で1931年生まれの花崎さんは何歳だったのか、ということを重ねて読むと、さらに興味深い。若い花崎さんは成熟しているように感じ、高齢と言われるようになってからの花崎さんはとても若々しい。また、あの事件の頃、花崎さんは何を考えていたのだろうという興味にも応えてくれる。

 ぼくが花崎さんの著作から教えてもらったことは少なくない。いま気がついたのだけど、ぼくに『師』と呼べる人がいるとしたら、花崎さんかもしれない。こんな弟子はいらないと思うけど(笑)。

 この本では触れられていないが、2003年、札幌自由学校『遊』で発行した『どこへ行く』で花崎さんは
「世界に希望の光は見えません。気休めに過ぎない希望など語らず、現実をごまかさないで見つめるべきだと思っています」と書いた。そこから20年を経て、いまなお、世界に希望の光は見えず、気休めに過ぎないような希望が語られている。この文章について、花崎さんと交わしたやりとり(*)がいまでも残っている。いまでも気休めに過ぎない希望にすがりがちなぼくは時々思い返している。矛盾しているけど、ちゃんと絶望しながら、それでも、絶望の底から、一筋の光を探していきたいと思う。

(*)このブックレットが出版されたころの花崎さんとのやりとりの紹介が含まれているブログ。
https://tu-ta.at.webry.info/200607/article_32.html

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