メニュー  >  岸田流「新しい資本主義」とどう対抗するか
                  2022年1月  白川真澄


「新しい資本主義」とは何か
 岸田政権の看板は、「新しい資本主義」である。これを「破たんした新自由主義の継続そのもの」(「しんぶん赤旗」22年1月16日)と見なす人も少なくないが、あまりにも粗雑な見方である。岸田政権との対抗軸をきちんと立てる上で、その「新しい資本主義」の特徴を正確に捉える必要がある。
 岸田は、新自由主義によって資本主義の弊害が顕著になったという認識から出発する。「市場や競争に任せれば全てがうまくいくという……新自由主義の広がりとともに資本主義のグローバル化が進むに伴い、弊害も顕著になってきました。市場に依存しすぎたことで格差や貧困が拡大したこと、自然に負荷をかけ過ぎたことで気候変動問題が深刻化したことはその一例です」(1)。
 「新しい資本主義」は、資本主義の「さまざまの弊害を是正する仕組みを、成長戦略と分配戦略の両面から資本主義の中に埋め込み、資本主義がもたらす便益を最大化していく」(2)ものである。「貧困や格差拡大による国内での分断によって民主主義が危機に瀕する中で、国家資本主義によって勢いを増す権威主義的体制からの挑戦に対し、資本主義をバージョンアップすることで対応するしかありません」(1)。
 その特徴は、第1に、企業が株主だけでなく、「三方良し」の経営理念に立って従業員・顧客・取引業者・地域社会など多様なステークホルダーの利益を考慮する。第2に、「成長と分配の好循環」を実現する。すなわち、「成長戦略によって生産性を向上させ、その果実を働く人に賃金の形で分配することで、広く国民の所得水準を伸ばし、次の成長を実現していく」(3)。これを「単に市場や競争に任せるだけでなく」「官民連携で」実現する(1)。第3に、「人」=「人的資本」への投資を重視する。「新しい資本主義では、その鍵を『人』、すなわち人的資本に置くことにします」。デジタル化やグリーン化といった「大きな変革の……荒波の中で、創造性を発揮するためには、工場などの『物』よりも、相対的に『人』の重要性が大きくなり、『人』が価値の源泉にな」るからである(1)。
※引用文献
(1)岸田文雄「私が目指す『新しい資本主義』のグランドデザイン」、「文春」22年2月号
(2)岸田「施政方針演説」22年1月17日
(3)「新しい資本主義実現会議」の緊急提言、21年11月8日

「新しい資本主義」は何が新しいのか
 新自由主義の下で顕在化した「資本主義の弊害」についての岸田の認識は、その通りである。資本主義の陥っている危機が深刻であり、「弊害を是正する仕組みを埋め込んだ」資本主義への自己修正が迫られているとまで、自民党政権の首相が言うのは異例のことだ。岸田が感じている強い危機感や切迫感は、中国の国家資本主義と権威主義体制からの挑戦に対して、資本主義をバージョンアップすることで対応するしかないという文言に端的に表れている。
 こうした危機感は現在では、岸田だけのものではない。経団連会長の十倉雅和は、「世界的な資本主義、市場原理主義の潮流によって格差の拡大や固定化、気候変動問題や生態系の崩壊がもたらされた」、「課題を踏まえて行き過ぎた資本主義の路線を見直す時期に来ている」と主張している(日経21年12月24日)。また、日経新聞は今年の元旦の一面で、「資本主義を創り直す」ことを訴えている。資本主義は「過度な市場原理主義が富の偏在のひずみを生み、格差が広がる。格差は人々の不満を高め、それが民主主義の危機ともいわれる状況を生み出し……世界では中国を筆頭とする権威主義が台頭する」という「第3の危機」に直面しているからだ、と。
「新しい資本主義」は、こうした危機や弊害に新しく対応できるバージョンアップした資本主義の構築ということである。その意味で、岸田の提唱は、株主資本主義を超える「ステークホルダー資本主義」(ダボス会議宣言、2020年1月)や「最も重要な投資は工場建設などの物的投資から『人的投資』へと移行」する「非物質化資本主義」(諸富 徹『資本主義の新しい形』)といった最近の議論を寄せ集め=切り貼りしたもので、取り立てて目新しいものではない。
 しかし、それは、新自由主義とも経済成長優先(トリクルダウン)のアベノミクスとも明らかに異なる。たとえば、岸田の1月17日の施政方針演説では、昨年10月8日の所信表明演説ではまだ言われていた「最大の目標であるデフレからの脱却を成し遂げます。そして、大胆な金融緩和、機動的な財政政策、成長戦略の推進に努めます」というアベノミクスの公式が跡形もなく消えてしまっている。だから、安倍晋三は、「新自由主義を採らないと岸田さんは言っているが、成長から目を背けると捉えられないようにしないといけない」、「社会主義的になっているのではないかととられると市場も大変マイナスに反応する」(21年12月26日、BSテレビ東京「NIKKEI 日曜サロン」)と、強く横槍を入れているのだ。
 したがって、岸田の「新しい資本主義」を「新自由主義の継続」と規定するのは、まったく的外れである。とはいえ、次に見るように、その「分配」政策はあまりにも空っぽで、貧困や格差拡大の「弊害」を是正するような内容は提示されていない。門構えは立派だが、中に入ると家屋はひどく見すぼらしく穴だらけなのである。

「成長戦略」と「分配戦略」
 「新しい資本主義」を実現するための政策は、「成長戦略」と「分配戦略」とされる。
 「成長戦略」は、高い付加価値の創出をめざして官と民が連携して大胆な投資を行うというものである。「付加価値の高い製品やサービスを生み出し、高い売値を確保し、高いマークアップ率を獲得できる企業・産業構造を創らなければなりません」。「高い付加価値を生み出すため、先ずは国と民間が共に役割を果たし、科学技術、経済安全保障、デジタル、気候変動などの分野に大胆な投資を行うとともに、……人への投資を強化していきます」(1)。
 その柱の一つとして、革新的な製品やサービスを生み出すスタートアップ(新規事業を急成長させる新興企業)の創出、科学技術・イノベーションの推進のための大規模な研究開発投資が挙げられている。この投資には、5年間で政府の約30兆円、官民合わせて約120兆円が投入され、また10兆円の大学ファンドの創設と運用などが予定されている。
 もう一つは、デジタルを活用した地方の活性化(「デジタル田園都市国家構想」)、戦略物資の安定供給確保のためのサプライチェーンの強靭化(「経済安全保障」)、クリーンエネルギー分野への大胆な投資といった施策である。ここでは、5G、データセンター、光ファイバーなどのインフラ整備やデジタルサービスの実装を進める。TSMCとソニーによる熊本の半導体工場建設に4000億円の補助金を投入する。再エネの普及などのための2兆円のグリーン・イノベーション基金を創設・運用する、といったことが盛り込まれている。
 「分配戦略」の第1の柱は、「所得の向上につながる賃上げ」である(2)。実質賃金の伸びは1991年〜2019年の間に1.05倍しか増えていないが、賃上げによって国民の「可処分所得を増加させ、消費を増やして」経済成長につなげていく(1)、と。具体策は、賃上げ税制の拡充、公的価格の引き上げ(公共サービスを担うケア分野の労働者の収入の引き上げ)、最低賃金の時給1000円以上への見直しである。
「分配戦略」のもう1つの柱が「『人への投資』の抜本的強化」である。「モノからコトへと進む時代、付加価値の源泉は、創意工夫や、新しいアイデアを生み出す『人的資本』、『人』です。しかし、我が国の人への投資は、他国に比して大きく後塵を拝しています」(2)。そこで、スキル向上、再教育の充実、副業の活用といった人的資本への投資を増やし、政府は3年間で4千億円を投入する。
 職業訓練など人的資本への投資の拡充は、労働者がスキルアップして高い賃金を得られるようになる「分配戦略」でもあるが、むしろ生産性向上による経済成長をめざす「成長戦略」だと言える。岸田も、「分配戦略による人への投資こそが成長戦略でもある」(1)と述べている。明言されていないが、教育訓練投資によって労働者の能力を高めITなど高生産性・高賃金の部門への移動を促進することによって、経済成長と格差是正をめざすという「スウェーデン・モデル」あるいは「社会的投資戦略」が念頭にあると推測される。

「分配戦略」はあまりにもお粗末
 こうして見てみると、「成長戦略」には「デジタル」・「気候変動」・「経済安全保障」・「科学技術・イノベーション」、さらに「人的資本」への投資の拡大というメニューが盛り込まれている。だが、「分配戦略」の中身はスカスカだ。
 中心になるのは賃上げの促進だが、賃上げ税制の拡充がその具体策である。企業が労働者の給与を一定額以上増やせば、最大で増加額の30%(大企業)〜40%(中小企業)を法人税から控除するという措置で、控除率をこれまでより10%〜15%引き上げる。しかし、賃上げ税制はすでにアベノミクスの下で2013年から導入されていたが、大した効果を発揮できなかった。なぜなら、全企業の約6割が赤字で法人税を納めていない現状では、とくに大多数の中小企業にとって賃上げを行うモチベーションにならないからである。そもそも、企業が賃上げを行うのは、人材の確保や労働意欲の向上のためである。法人税の控除の恩恵を受けるためにわざわざ賃上げをする企業などないのだ。
 賃上げの実現のためには、労働組合の闘争力の再生が必要不可欠だが、(1)同一労働同一賃金を実現する(同じ仕事を行う正規と非正規、男と女の間の格差をなくす)、違反企業への制裁(企業名の公表など)、(2)最低賃金を時給1500円へ引き上げる(年収200万円以下のフルタイム労働者をなくす)、(3)医療・介護・保育などエッセンシャルワーカーの賃金を抜本的に引き上げる、といった政策の実行が必要である。しかし、岸田政権は、(1)については何も言わず、(2)については時給1000円への引き上げ(現在の水準から僅か70円アップ)の方針にとどまっている。
 賃上げ政策のなかで注目すべき唯一のものは、(3)に関わる「公的価格の引き上げ」、すなわち医療・介護・保育の労働者の賃金引き上げである。コロナ危機のなかで、ケアに従事するエッセンシャルワーカーがその社会的必要性の高さにふさわしい評価と処遇を受けていないことが明らかになった。したがって、彼ら/彼女らの仕事を正当に評価し、報酬を抜本的に引き上げることは、喫緊の課題である。
 しかし、岸田政権が行おうとする賃上げは3%、看護師は月1万2000円、介護職員と保育士は月9000円にすぎない。これでは、介護士と保育士は、全産業(労働者全体)平均の35.2万円に4.9〜4万円も及ばない。また、看護師は全体の平均を現状では4.2万円上回っているとはいえ、その8〜12%(3.1〜4.7万円)は夜勤手当である。したがって、1万2000円では大した引き上げにはならない。しかも、看護師の賃上げは、コロナ対応の医療機関の看護師約57万人(全看護師の4割弱)に限られている。
 ケア分野の労働者の賃上げを打ち出しながら、それが申し訳程度の低い水準に押し止められたのは、なぜか。税負担の増大を含む財源の拡充を棚上げしたことも、1つの理由である。だが根本的には、「新しい資本主義」は、ケアを中心にする経済・社会に本格的に転換する方向性を持たないからである。ケアなどエッセンシャルワーカーの抜本的な報酬の引き上げは、労働者全体の賃金水準を引き上げるテコとなるだけではない。経済・社会のあり方を《石油と自動車を中心にする成長・拡大型経済》から《ケアを中心にする脱成長・定常型経済》へ転轍するカギともなるのだ。
 そして、「新しい資本主義」の致命的な欠陥は、分配戦略の本命である《税と社会保障を通じる所得再分配》について、何も言っていないことである。これは驚くべきことだ。18歳以下の若者への一律10万円給付も、目的があいまいな一回限りの施策にすぎず、恒久的な若者支援の制度や政策は提示されていない。また、住民税非課税世帯への10万円給付金も、1兆4323億円を支出するが(21年度補正予算)、一回限りの施策、つまり参院選向けのバラマキにすぎない。そして、不公正税制の象徴である「1億円の壁」を是正する金融所得課税の強化は、早々と放棄された。法人税の強化(税率の再引き上げ、政策減税の縮小)にも手をつけていない。

「成長か、分配か」をめぐる論争
 岸田流「新しい資本主義」の柱の1つは、「成長と分配の好循環」である。このキーワードをめぐって、「成長なくして分配なし」か、「分配なくして成長なし」かという論争が起こっている。
岸田自身は、総裁選から首相に就くまで(10月4日の記者会見)は「分配なくして成長なし」を強調し、その目玉政策として「金融所得課税の強化」を掲げていた。ところが、その直後にこの政策をあっさり投げ捨て、さらに国会論戦で枝野が「好循環の出発点は適正な分配にある」と迫ると、「『成長も分配も』が基本スタンス。まず成長をめざすことがきわめて重要」(10月11日)と反論した。「まず成長」というアベノミクスの原点にまで戻ってしまったのだ。
 「成長と分配の好循環」は、安倍自身が2016年に入って言い出したもので、人びとの不満や批判の高まりを宥める必要から「経済の好循環」によるトリクルダウンという路線を軌道修正した。そして、「緊縮」政策(生活保護の生活費基準の切り下げなど)を採る一方で、リベラル・左派の政策主張を採り入れてひとり親世帯の児童扶養手当の増額、幼児教育の無償化や所得制限付きの大学教育の無償化を実施してきた。
とはいえ、アベノミクスの本筋はあくまでも「成長を優先する」である。岸田は、アベノミクスを表向きは否定しないが、しきりに「格差」の是正を強調することで「分配なくして成長なし」に軸足を移すことを匂わせる。しかし、実際には「分配戦略」の内容が乏しいため、「成長戦略」の施策だけが具体化される。こうしたことが、岸田の「新しい資本主義」の不明瞭さを生み出している。
昨秋の総選挙では、岸田の「成長と分配の好循環」に対して、立憲民主党は「分配なくして成長なし」を選挙公約のトップに掲げた。この立場は、「格差是正につながる分配政策こそが、国全体の経済力を高める成長戦略」である、と主張する(中野剛志「「『所得分配』政策こそが、成長戦略である“明白な理由”」、「AIAMOND online」21年11月16日)。なぜなら、消費性向の高い低所得者に所得を分配すると、消費需要が拡大し、経済を成長させるからである。また、教育にお金を回せない低所得者に所得を分配すれば、教育への投資・人的資本投資が増え、長期的な成長をもたらすからである、と。
 たしかに、日本経済の長期停滞やコロナ禍からの景気回復の遅れは、個人消費支出の停滞による需要の弱さが大きな要因となっている。それはまた、賃金が増えないことに起因する可処分所得の伸び悩みが主たる原因である。したがって、消費性向の高い低所得層の所得を増やす分配政策をとれば、消費支出の回復による需要の拡大がある程度可能になるだろう。また、コロナ感染の収束とともに、これまでの消費手控えによる過剰貯蓄30兆円分が一挙に消費支出に向かい、需要を力強く押し上げるという楽観的な予測もある。
しかし、賃金引き上げや低所得層への現金給付増大といった分配強化による個人の可処分所得の増大は、消費支出のめざましい増大を引き起こすかといえば、そこには大きな壁が立ちはだかっている。いま、人びとは所得が少し増えても消費支出に回さず、貯める傾向が強まっているからだ。事実、コロナ危機下の一律10万円給付のうち約7割は、消費に支出されずに預貯金に向かい、家計の貯蓄率が前年度より3.2%も上がった。社会保障の将来への不安やコロナ危機下の収入減・仕事喪失の辛い体験から、僅かでも預貯金を増やすという「自己責任」による生活防衛に走ってしまう。
 目先の所得引き上げの施策ではなく、人びとの生活不安をなくす長期的な社会ビジョンや社会保障政策を提示しなければ、消費支出が勢いよく回復することは難しいのである。

いまこそ、脱成長への転換が必要
「分配なくして成長なし」論は、「成長なくして分配なし」論に比べれば、相対的には正しい。だが、それは、《これからも経済成長が必要であり可能である》という大前提の上に立っている。「成長か、分配か」の論争自体が経済成長主義という枠組みのなかで行われているのである。しかし、いま、あらためて問われているのは、この大前提や枠組みそのものを問い直し、覆すことである。
《経済成長や景気回復(デフレ脱却)がなければ、労働者の賃金も上がらないし生活も豊かにならない》というのは、事実ではないし、幻想でもある。この2つの事柄は関連するが、別の事がらなのである。アベノミクス下では年平均で実質1%に満たない低成長であったが、企業の利益は1.47倍に、内部留保は1.45倍に増えた。つまり賃上げの条件は十分にあった。また、緩やかな景気回復の過程(13年→18年)で労働力不足が顕在化したにもかかわらず、賃金はまったく伸び悩んだ(名目賃金はわずか1.02倍の増加、実質賃金は4.4%も低下)。
 これから、少子高齢化にともなう労働人口の急激な減少に加えて、深刻な気候危機に対処するために経済のダウンサイジング(例えばCO2を大量排出するガソリン車の生産と運行の大胆な削減)が必要とされることを考慮すれば、経済は成長できなくなる。
したがって、私たちは、経済成長や景気回復がなくても賃金が上がったり生活が豊かになる道を探し出さなければならない。言い換えると、本格的な「分配」政策の実行を「成長」につなげるのではなく、「脱成長」の経済と生活の仕組みの創出につなげるのである。
 本格的な「分配」政策とは、正規労働者と非正規労働者の間の大きな賃金格差の解消、最低賃金の大幅な引き上げ、公共サービスを担うケアワーカーの報酬の抜本的な引き上げ、低所得層や若者の最低生活保障、ベーシックサービスの提供、低所得者への公的な住宅手当の支給などである。同時に、大企業と富裕層への課税強化、中間層以上の税負担の引き上げと社会保険料負担の引き下げによって安定財源を確保する。
 私たちがめざす脱成長の経済・社会とは、どのようなものか※。(1)ケアを中心にする/医療・介護・保育・教育などが経済・社会の中心になり、エネルギーと食の地域自給を実現する。利潤(金儲け)の最大化ではなく、人びとの社会的必要性(使用価値)を充たすことを最優先する経済に転換する。女性にケアを無償で担わせるジェンダー不平等の社会構造を覆す。(2)「コモン」を市民の手に取り戻す/水・森林・エネルギー・医療や介護・教育・知識や情報など「コモン」(誰もが必要とするが誰のものでもないもの)を、金儲けのための企業の手から取り戻し、市民が参加する自治体や協同組合の管理に移す。(3)連帯し支え合う/ベーシックサービスを実現する。人権としての住まいの権利を保障する。限定的なベーシックインカムを導入する。個人の預貯金の増大ではなく、「共同の財布」(財政)を「公正な税負担の増大」によって大きくする。
 脱成長型の経済・社会への転換を追求することは、利益の最大化と不断の経済成長をめざす資本主義とぶつからざるをえない。それは、利益の最大化に一定の制限を加えつつ成長をめざす岸田流「新しい資本主義」とは、真正面から対抗する関係に立つ。
これとは別に、「新しい資本主義」に対して、分配政策の本格化を成長につなげる「分配なくして成長なし」の路線、あるいはグリーン・ニューディールに本腰を入れて成長をめざす「グリーン成長」を対置する人もいる。たしかに、これらの代替策は、「新しい資本主義」の欠落部分を批判し埋め合わせる役割を果たす。しかし、経済成長という共通の土俵に立つかぎり、「新しい資本主義」と対抗し、これを乗り越えるオルタナティブたりえないだろう。

 ※白川「脱成長のポスト資本主義へ」(『季報 唯物論研究』第157号、21年11月)。
(2022年1月30日記)

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