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いま、ベーシックインカムの導入をどう考えるか                               白川真澄
 
新型コロナの影響による深刻な経済危機は、多くの人びとから仕事と収入を奪っている。そのなかで、ベーシックインカム(BI)の導入をめぐる論争が活発に行われている。以下は私の基本的な立場を述べたもので、「コロナ・ショックは世界をどう変えるか」(「テオリア」9月10日号)の「ベーシックインカムの導入は進むか」の部分である。BIを巡る論争についての立ち入った論評は、次の機会にしたい。

活発化するBI導入論
 コロナ経済危機は、大勢の人びとが仕事を失い収入を減らす深刻な事態に対して従来の社会保障や生活保障の仕組みでは十分に対応できないことを明るみに出しました。そこで、ベーシックインカム(BI)を導入するべきだという議論が高まっています。
 日本では、竹中平蔵、小林慶一郎、山崎元、井上智洋らがBI導入を主張している。
 「10万円の給付はうれしいが、1回では将来への不安も残るだろう。例えば、月に5万円を国民全員に差し上げたらどうか。その代わりマイナンバー[カード?]取得を義務付け、所得が一定以上の人には後で返してもらう。これはベーシックインカム(最低所得保障)といえる。実現すれば、生活保護や年金給付が必要なくなる」(竹中平蔵「教育や医療、規制緩和の議論を、デジタル化の遅れ挽回する好機」、「週刊エコノミスト」6月2日号)。
 「多様な働き方をする多くの人々が感染症対策の行動規制で収入を失ったのだから、現金給付で生活支援をすべきだ……。働き方の形態によらず、あらゆる人に対し政府が最低限の所得水準を保障する給付制度(ベーシックインカム)を導入することも現実的な選択肢となる」(小林慶一郎「産業構造変化や格差是正も」、日経4月15日)。
 最近では、「週刊エコノミスト」7月21日号が「ベーシックインカム入門」を特集している(小沢修司、原田 泰、雨宮処凛、阿部彩などが寄稿)。また『世界』9月号も「ベーシックインカム・序章」を特集。なかでも山森 亮論文は連帯経済とBIの関連を論じていて、興味深い視点を提示している。
竹中は、生活保護や年金をBIに置き換えるだけではなく、医療や介護の社会サービスの削減との抱き合わせを想定しているのではないかと思われます。BIは新自由主義の親玉のフリードマンの主張でもあったわけで、BI導入論への警戒や懐疑が強まっているのも当然と言えば当然です。

各国で現金給付
 この間、いくつかの国ではコロナ恐慌に対する生活支援のために、多くは所得制限付きとはいえ国民に一律の現金給付を行う政策が採られました。これが、BI導入論が盛り上がるきっかけとなった。
 米国では、大人1人1200ドル(約13万円)、子ども1人500ドル(約5・5万円)を、年収7万5000ドル(825万円)以下の世帯に対して現金給付。韓国は、全世帯のうち所得下位7割を占める1400万世帯に対して、1人世帯は40万ウォン(約3・6万円)、2人世帯は60万ウォン、3人世帯は80万ウォン,4人以上世帯は100万ウォン(約9万円)を支給。総額で9・1兆ウォン(約8000億円)になる。
 日本は当初、収入が半減した世帯だけに絞って30万円の給付を企画したが、これでは支給漏れになる人が続出するという批判が湧き上がった。そのため、外国人居住者を含む国民全員に1人10万円を一律に給付する政策に変えました。
 スペインでは、社会労働党とポデモスの左派連立政権が限定的なBIの導入を閣議決定しました(5月29日)。有期雇用の割合が25%もあり、失業率も14・8%(4月、ユーロ圏は7・3%)と際立って高く、雇用は危機的です。新たに導入される制度は、1人暮らしの成人には月462ユーロ(約5・5万円)、家族には月139ユーロ(約1・7万円)を給付するが、これは最低賃金月950ユーロの半分に当たる。世帯当たりの上限は1015ユーロ(約12万円)。これによって、どの世帯も年1万70ユーロ(約120万円)の最低所得が保障されることになります。
ただし、支給対象は低所得の人びとに限定され、約85万世帯、230万人。全国民を対象にしたBIではなく、貧困層を支援する限定的なBIです。費用は、年30億ユーロ(約3600億円)かかるとされています(AEFbbnews)。

BI導入の必要性
 いま、BI導入の必要性が主張されているのは、何といっても、コロナ危機がかつてない雇用の危機をもたらしているからです。
 日本ではコロナ危機によって収入が減った人は、4人に1人(24・4%)、非正規の労働者の場合は3人に1人(30・3%)に上ります。失業率は2・9%、失業者は197万人(5月)と悪化の度合いは緩やかだが、休業者が423万人もいて労働市場から退出した人も含めた潜在的な失業率は9・5%にもなる。なかでも非正規労働者は、3〜6月の4カ月で288万人もの人が女性を中心に仕事を失っている。
失業や休業がすさまじい勢いで広がると、「働いて所得を得る」機会が奪われることになります。言いかえると、「働かざる者、食うべからず」という近代社会の基本原則そのものが崩れてしまう。そうした社会になれば、所得を得ることを労働から切り離し、社会が所得を保障する仕組み、すなわちBIが必要になります。BIは、無条件に、つまり働いているか否か、働く意欲があるか否か、所得や資産があるか否かに関わりなく、すべての個人に一律の現金を給付する。
また、コロナ危機以前から日本では低所得層が増え続けてきました。年収300万円以下の低所得世帯は、この20年近くで全世帯の27・4%(00年)から33・5%(17年)へと6・1㌽も増えている。さらに、AIが人間の多くの労働を代替するようになれば、高賃金のIT技術者が増える一方で、ひじょうに低い賃金でしか雇われないサービス分野の労働者が大量に出現することが予想されます。いずれにしても、働いて生活できるだけの所得を稼ぐことが難しくなる。
BI導入の必要性が主張される第2の理由は、既存のセーフティネットが機能不全に陥っているからです。
 現代の資本主義は、失業や労働能力の喪失に対応する生活保障のセーフティネットの諸制度(失業手当や休業手当、生活保護など)をそれなりに備えてきています。しかし、これらの制度は失業や休業が一時的・短期的であること、公的扶助の受給者が少ないことを前提に組み立てられている。経済危機が長引いて大量の失業者や休業者が長期間にわたって発生したり、生活保護受給者が急増するならば、従来の制度では対応しきれなくなる。
 とりわけ、日本の諸制度は、コロナ経済危機のなかでその欠陥や限界をさらけ出しました。失業手当は給付日数が短く(平均90日)、給付額の上限も低い。雇用保険に加入しているのは就業者の65%であり、短時間パートやフリーランスなどは除外されている。コロナ危機で特例として給付日数が延長されたが、雇用保険の積立金にも限界がある(20年度は3・2兆円)。
 休業手当は、雇用保険に加入している正社員や一部のパートが支給対象で、多くの非正規労働者は受給できなかった。今回の危機に直面してパートやフリーランスにも拡大適用されることになりましたが、給与の6割の給付では低賃金の非正規労働者は生活できない。さらに、政府が後押しする雇用調整助成金の手続きが煩雑で、ドイツなら2週間で受給できるのに、支給まで2カ月もかかるためにスピーディーに機能していません。
 生活保護は最後のセーフティネットのはずですが、資産要件などが厳しく申請手続きが煩雑であったり、就労による自立が強制されることで受給者が極端に制限されてきました。最低生活費以下の所得しかない人のなかで実際に受給しているのは、約2割にすぎない。コロナ危機のなかで厚労省は資産要件の緩和を通知したが、いぜんとして自治体の窓口で申請を却下する「水際作戦」が続いている。
 このように、コロナ危機で収入を減らしたり仕事を失う人が急増したが、セーフティネットは有効に機能しなかった。そのため、全国民に対する一律の現金給付といったBI型の生活保障が必要になったわけです。今回の「全国民への一律10万円の現金給付」は、所得制限を付けると支援の網からこぼれ落ちる人が出ることを回避する応急措置でしたが、見方を変えればBI導入への大規模な実験でもあったと言えます。

財源をどうするか
 しかし、本格的なBI導入には多くの高い壁があります。その第1は、財源問題です。
 今回の「全国民への一律10万円の現金給付」は、一回きりの措置で約13兆円かかりました。危機が長引くにつれて、この措置を数回繰り返すことは何とか可能だとしても、税や社会保障のいまの仕組みをそのままにして恒常化することは不可能である。
 日本で暮らす全員を対象にした恒常的な制度としてBIを実現するためには、巨額の財源が必要です。月8万円を給付するBIにすると、年間115・2兆円が必要になる(20年度の政府当初予算は102・6兆円、2つの補正予算は57兆円)。
これだけ巨額の財源を赤字国債の発行によって賄うことは、持続不可能です。MMT派は、2%インフレになるまで財政赤字を膨らませても大丈夫であり、2%を超えるインフレになれば支出削減と増税に転じればよいと主張します。しかし、生存を保障するBIをインフレ抑制のために突然削減することはできません。BIの財源は、やはり税によって安定的に確保する必要がある。
財源を所得税によって賄うとすると、次のようになります。現在の所得税収は約19兆円で、これは個人所得総額281兆円(19年度)の6・8%にすぎない。実際の所得から給与所得控除・基礎控除・配偶者控除・扶養者控除・社会保険料などの控除を差し引いた課税所得金額144兆円に課税されているからです。そこで、社会保険料控除(約39兆円)を除く一連の所得控除をなくして242兆円の所得総額に47%の税率で課税すると、114兆円の税収が得られる(小沢修司は『週刊エコノミスト』の論文で、給与所得控除と社会保険控除を除外した所得に56%の課税をして、115兆円を調達するとしている)。同時に、支出面では基礎年金の税負担分、児童手当、生活保護給付などがなくなり、BIに置き換えられる。
所得税率10%以下の人が8割を占め最高税率が45%という所得税負担の現状からすれば、47%の課税はとうてい受け入れられない大増税ということになります。しかし、全員に年96万円のBIを給付すると、可処分所得はほとんど変わらないか、BIを受給したほうが増える。
このように、計算上は人びとの実質的な負担を増やすことなくBIの財源を安定的に調達することは可能なのです。

医療・介護・教育は無償で
 しかし、人びとの生活と生存を保障するのに、BIだけではまったく不十分です。ましてや新自由主義のBI論のように、現金を給付する代わりに医療・介護・子育て・教育などの公的サービスをなくし、市場から自己負担で買わせるという構想は、本末転倒です。BI導入に慎重あるいは批判的な人びとが指摘するのは、それが「誰もが必要とする」社会サービスを削減する結果になる危険性です。
 現金による最低所得保障と医療・介護・子育て・教育など現物サービスの無償提供とは、人びとの生存と生活を保障する両輪です。ところが、日本ではこれらの現物サービスを受け取るための自己負担が、いちじるしく重い。医療の窓口負担は3割、介護サービスの自己負担は1割、大学教育の家計負担は51%。そのため、お金がない人は、こうしたサービスを受けられない状態に置かれています。
 コロナ危機は、こうした社会サービスに資源(人材と資金)をより多く投入する必要のあることをあらためて教えました。医療体制を拡充する、介護サービス事業を財政的に支援する、大学の授業料を無償化してバイトがなくても勉強を続けられるようにする。
 したがって、医療・介護・子育て・教育、子育ての社会サービスを無償で提供すること、さらに住まいへの公的支援(家賃補助など)を行うことが、緊要の課題になっています。これらのサービスの自己負担分(現状では9・5兆円)をなくし、人材を増やしてより良い質のサービスを提供するためには、新たに20兆円が必要になる。さらに、高齢化の進展に伴って年金を除く医療・介護・子育てなどの社会保障費は、現在の65兆円から将来的には73兆円(25年度)、107兆円(40年度)に増大する見通しです。
 だから、BI導入のための財源をどう調達するかという狭い議論だけに終始してはならない。「誰もが必要とする」現物サービスの無償提供に必要な財源を合わせて、どれくらいの費用が必要になるのか、それをどのように公正に分かち合うのか、という議論をする必要があります。言いかえれば、公正な増税が避けがたく必要になります。
 全員を対象にしたBIの導入は、ただちには困難ですが、将来的には必要になります。そのためには、まずBI導入の社会的な合意形成に向けての議論が組織されねばなりません。それは、「自己責任」型社会へ向かうのか、「連帯・助け合い」型社会に向かうのかという議論です。そして、政治と政府に対する信頼回復が大前提になる。日本では「自己責任」イデオロギーが人びとを強く捉えてきている上に、政治と政府への不信が極限に達しているだけに、合意形成の議論は容易なことではありません。
 次に、BI導入の入り口になる制度改革を実現する必要があります。低所得層(失業者、休業者、非正規労働者、シングルマザー。低年金の高齢者など)を対象にして最低所得保障を実現する。具体的には、誰もが年収200万円に届くように公的な支援を行う。給付付き税額控除の導入、生活保護の適用の思い切った拡張、最低保障年金の導入といったことに着手すべきです。
 同時に、税、すなわち政府による現金給付と社会サービスに頼るだけではなく、市民や住民が自主的な「助け合い・支え合い」の活動(「連帯経済」)を広く創り出していく重要性を強調しておきたい。
※BIについては、白川「いま、なぜ、ベーシックインカムか」(テオリア18年9月10日、10月10日号)を参照。
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