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大乱の世界と日本の「安定」?
――2019年新春の新聞紙面を読む

白川真澄


 2019年の大手新聞の元旦社説を中心に新春の紙面から、今年の世界と日本が直面する論点を取り出してみたい。

◆世界は混乱と不安の時代へ
 世界は、先の見えない混乱と不安の時代に入りこんでいる。「読売」と「日経」の元旦社説は、危機感をもって書いている。「最も警戒すべきなのは、米国と中国の覇権争いによる混乱である」、「米国とソ連による冷戦の終結宣言から30年、『新たな冷戦』」を迎えている(「読売」)。「今後数十年の世界秩序の鍵を握る米中関係は、ハイテク覇権を巡り先鋭的に対立している」(「日経」)。
 米中貿易戦争は貿易戦争の次元を超えて、ハイテク分野の覇権争いという核心的部分を露わにし、軍事や国家安全保障と一つになった「新冷戦」が始まったかのようだ。「東京」1月1日は、「『新冷戦』米中覇権争い」と題して1ページ大の特集を載せた。もちろん米中間の覇権争いを米ソ冷戦に安易にアナロジーするのは不正確すぎるが、対立の激しさは「新冷戦」という呼び方を急速に定着させつつある。
 加えて、イギリスの「合意なき」EU離脱が現実のものとなる可能性も大きい。そして、米中貿易戦争は早くも世界経済に深刻な影響を及ぼし、世界同時好況を終わらせ景気後退を招く最大のリスク要因になろうとしている。中国での売上げ不振がアップルの業績を押し下げたことが年末の世界同時株暴落を引き起こしたことは、その不吉な兆しである。
 中国は「中国の特色ある社会主義」を吹聴し、「帝国」的振る舞いを強めている。だからといって、米国に代わって新しい覇権国にのし上がるだけの力も意思も持ち合わせていない(人民元は基軸通貨たりえず、普遍性のあるイデロギーも欠如している)。対して、米国は、中国にハイテクや軍事の優位を脅かされることを恐れて「新冷戦」を仕掛けている。しかし、「自国第一主義」を振りかざすだけで覇権国の地位を復活させる意思も試みもない。となれば、覇権国なき混沌の世界が到来するしかないだろう。

◆日本が主導する多国間協調の再生という幻想
 この状況にどう対応すべきか。「読売」は「最優先の課題は、米国を軸にした多国間協調の再生である」と主張し、「日本は……G20などの会議で米中対立を緩和させるための議論を主導すべきである」(前掲)と提言する。「日経」も、「主導役なき世界が現実のものとなりつつある」現在、「日本も有力な有志国として、米欧や中ロなど主要国にグローバルな協調体制の再構築を働きかけていく必要がある」(1月7日社説)と主張する。実に子どもじみた夢想である。
 2000年代に入って米国の覇権の凋落は、イラク戦争の泥沼化と撤兵、米国発の金融危機であるリーマン・ショックの勃発と目に見える姿で進行した。リーマン・ショックは「100年に1度の危機」と言われた深刻さゆえに、新しい国際協調の枠組みを創り出すきっかけになった。先進国だけでは手におえず、中国を新たな主役として招き入れるのが眼目であった。危機直後にサミットに格上げされたG20は、その象徴であった。中国は期待に応え、4兆元の財政出動によって世界の景気回復を牽引した。資本主義世界は予想外の早さで危機から立ち直り、1930年代のようなマイナス成長に長く陥ることを回避できた。これは、米中間の協力と競争を軸とする新しい国際協調体制のおかげだと言ってよい。それはまた、地球温暖化対策のためのパリ協定も成立させた。
 多国間の協調体制はグローバル化と統合を推進してきたが、2016年を境目にして亀裂や断絶が走り機能マヒに見舞われてきた。「米国第一」を掲げたトランプの登場、イギリスの国民投票でのEU離脱決定、パリ協定からの米国の離脱が相次ぎ、ついに米中貿易戦争が始まった。米中首脳が顔を合わせた昨年のAPECが共同声明を出せず、G20も「保護主義とたたかう」との文言を削らざるをえなかった。G20の機能停止は、リーマン・ショック後の国際協調体制が崩れたことを告げている。
 その理由は、第1に、中国が大国としての力を急速に身につけ、米国の覇権を脅かす存在にまでなったことである。
 第2に、グローバル化が各国の社会内部に産み落とした格差と分断がますます大きくなり、人びとの不満と批判をかき立てていることである。グローバル化のなかでの「競争は……先進国に構造的経済格差を生んだ」(「東京」元旦社説)。この格差と分断に根ざす不満や怒りは、グローバル化や統合を拒否する政治力学を呼び起こし、国際協調体制を引き裂いた。自国第一主義、ナショナリズムの激しい勢いでの台頭である。
 
◆中道政治勢力の退潮、ポピュリズムの台頭
中国をはじめとする新興国では多くの場合、一党独裁政権がグローバル化と統合を推進してきた。だが、中国は近年、一方でグローバル化や自由貿易の推進を口にしながら、他方では「中華民族の偉大な復興」、「中国の特色ある社会主義」を力説するようになっている。ナショナリズムの強調は、中国社会内部の格差拡大に対して強まる不満を吸い上げることが重要な要因なのであろう。
先進国では、グローバル化・統合・国際協調を推進してきたのは、新自由主義に親和的な中道政治勢力である。自国第一主義・ナショナリズムの台頭は、この中道政治勢力が支持を大きく失い退潮に向かっていることを意味する。メルケルを党首辞任に追い込んだCDUとSPDの地方選挙での大敗は、その典型である。
代わって、排外主義の右翼ポピュリズムが欧米の政治を席巻してきた。この勢力は、格差・貧困と分断に不満を抱きながら中道勢力に「置き去りにされた」人びとを代弁している。トランプの勝利、欧州議会選挙での極右政党の躍進は、ドイツでのAfDの国政での第3党への躍進、そしてイタリアでの「同盟」と「五つ星運動」の連立政権樹立にまで至った。今年5月の欧州議会選挙では、右翼ポピュリズム政党のいっそうの進出が予想されている。
右翼ポピュリズムにだけ注目が行きがちだが、左派勢力も活性化している。ドイツの地方選挙ではAfDだけではなく、緑の党も支持を急増させた。米国の中間選挙では、コルテスに代表される民主党左派の躍進が目立った。フィナンシャル・タイムス紙(1月8日)でギデオン・ラックマンは、「ポピュリズムには右派と左派があり、……左派に傾倒したポピュリズムが勢力を強める可能性がある」と予測している。
中道左派の凋落と新しい左派の活性化の根底には、巨大格差をもたらす資本主義を拒む批判意識の確実な広がりがある。ギャロップ社の世論調査(18年8月)では、若者(18〜29歳)のなかでは「資本主義を好ましい」が45%に対して、「社会主義を好ましい」が51%であった。そして、貧富の格差とそれをもたらす体制を問う社会運動が、2011年のオキュパイ運動を起点に活力をもち持続している(『世界』18年12月号の森千賀子、宮前ゆかりの論稿が参考になる)。

◆日本社会の例外的「安定」
 先進国のなかで日本だけは、例外的に「安定」を保っているように見える。「日本は幸いにも、社会の極端な分断、極右・極左勢力の台頭、深刻な格差といった、欧米に見られる混乱を免れている」(「読売」元旦社説)。「日本には他の先進国にない強みがあることを忘れてはならない。中間層が分厚く、米欧で見られるような世論の分断がさほどでもないことだ。日本の社会的、政治的安定は突出した存在だ」(「日経」元旦社説)。
 両社説が誇る「安定」とは、政治的には安倍一強政治の継続である。欧米の政権が相次いで不安定化しているのと対照的に、安倍政権は森友・加計問題の大スキャンダルにもかかわらず、40%前後の支持率をキープして戦後最長の政権になっている。もちろん安倍一強政治が民主主義の危機を招いていることへの危機感は、強い。「官邸の下請け機関化、翼賛化、空洞化――昨今の国会の惨状……ここに政治改革を通じた権力集中の負の側面が如実にあらわれている」(「朝日」元旦社説)。「多数派の独走」、「日本でも目下最大のテーマは民主主義、デモクラシーの危機です」(「東京」元旦社説)。
日本では、極右政党が登場する代わりに安倍に代表される極右の政治家が権力を握った。しかし、その政権は「自国第一主義」のナショナリズム・排外主義に走るのではなく、グローバル化と統合を推進する中道政治を展開してきた。戦前復古志向の抑制や移民国家への転換に対する右翼・保守層の不満は強いが、これを巧みに吸収してきた。対米協調と改憲志向は突出しているが、トリックルダウンが上手くいかず格差拡大への不満が高まると見るや、リベラル・左派の主張を採りいれるケインズ主義的再分配政策で対応してきた。
安倍が右翼であるアイデンティティは「戦後レジームからの脱却」であり、改憲への強烈な固執にある。ところが、「読売」と「産経」の元旦社説には、安倍改憲を援護射撃する文言が一切ない。「朝日」や「東京」も安倍改憲への批判的言及が見当たらない。夏の参院選をはじめ改憲をめぐる攻防が、政治的安定を突き崩す最大の争点となるはずなのに、奇異な感じがする。安倍改憲への批判的言説の構築が急がれねばならない。

◆経済的・社会的安定の秘密
 企業の利益は史上最高を更新し、株高と景気拡大が続いてきた。失業率は2.5%にまで下がり、新卒大学生の就職率は18年春には98.0%と過去最高になった。これは、安倍政権が若者の支持を調達する大きな要因になっている。深刻な人手不足のせいで、名目賃金もゆるやかであれ上昇している。
 にもかかわらず、8割以上の人が「景気回復を実感していない」と答える状況は、ここ数年変わっていない。賃金は少し上がっても、社会保険料の引き上げなどによって可処分所得は10年前よりも1万円近く(8362円)減っている現実がある。しかも、その中から消費支出を切り詰めて貯蓄に回す傾向が40代以下の世代には見られる。社会保障の将来への不安が個人消費を足踏みさせているのである。
 アベノミクスに対する人びとの評価は、拮抗している。「朝日」の世論調査(18年8月7日)では、「評価する」40%に対して「評価しない」44%となっている。アベノミクスは行き詰まり賞味期限切れになっているのだが、目に見える痛みをともなう破綻としては現われていない。雇用のいちじるしい改善に加えて、2つの理由が挙げられる。
 1つは、大規模な金融緩和にもかかわらずインフレが進行せず、物価が安定していることである。アベノミクス6年間の物価は円安の下でゆるやかに上がっているが、上昇率は年平均0.9%にすぎない。生活が壊されるような上がり方ではない。皮肉にも、大規模金融緩和による2%のインフレ目標の達成に失敗した結果である。アベノミクスの失敗が「安定」を生んだのである。
 もう1つは、政府の債務残高が増え続けているが、ゼロ金利の下で利払いが毎年約8兆円(12〜17年度)と横ばいのままで、増えていないことである。そのため、債務の膨張が利払いを増大させて社会保障費や教育費の支出を圧迫するような痛みを人びとに感じさせずに済んでいる。日銀が新規発行分の国債をすべて買い入れ全体の4割以上を保有する異常な事態に至っているが、超低金利はそのリスクの顕在化を抑え込んでいる。
この超低金利は大規模金融緩和の効果もあるが、日本経済が低成長から脱却できていないことの反映である。アベノミクスの望むような経済成長が復活できず低金利を伴う低成長を続けていることが、国債発行のハードルを低くし債務の膨張を許容しているのだ。
低成長・低インフレ・低金利は「安定」を生んでいるが、「産経」元旦社説はこの低成長経済に対する憤りをぶつけていて面白い。日本のGDPは世界比15%から6%にまで落ちてしまった。「数字は平成日本の『敗北』を冷静に物語っている」と。

◆格差と貧困の問題は消えたのか
 では、日本では、社会的安定を脅かす格差と貧困の問題は解消されたのか。
 相対的貧困率は3年前から0.5㌽下がったが、15.6%(16年)といまなお高い水準にある。とくに1人親世帯の貧困率は、50.8%と際立って高い。年収200万円以下の低賃金労働者は1085万人と、全体の23.3%にも上る(17年)。また年収300万円以下の低所得世帯が全体に占める比率は31.2%(16年)であり、4年前からやや低下したが、21世紀初頭(00年)に比べると3.8ポイントも高い。つまり、低所得世帯の割合が増えているのである。さらに、株高もあって年1億円以上の所得を得る人が5年間で6割も増えた一方で、まったく金融資産がない人は31.2%(17年、2人世帯)もいる。資産格差はむしろ拡大している。格差と貧困が解消されたとはとても言えない。
 ところが、社会のどの階層に属するか(「お宅の生活の程度」)を聞くと、「下」に属すると思う人は4.2%にすぎない。「中の下」が21.1%で、「中の中」が58.0%と多数を占める(内閣府「国民生活に関する世論調査」)。この割合は、ここ20年間近く変わっていない。年収300万円以下が31.2%、200万円以下が19.8%と、中間層からすべり落ちている世帯が増えているのに、意識の上では「中」に帰属していると思っている(あるいは思い込みたがる)人が大多数なのである。
 言いかえると、格差と貧困を直視し問題にする社会意識がひじょうに希薄である。失業率が低下している米国でも、貧富の格差を問題にする社会意識が高まっているのと対照的である。富裕層や巨大企業による富の独占への怒りよりも、自分が努力したか否かを問題にする「自己責任」イデオロギーに分厚く覆われているように思える。
 しかし、多くの人びとのなかで、現状に満足している日常意識の足元から将来の生活についての強い不安がじわじわ湧き上ってきている。「朝日」の世論調査(1月13日公表)では、「いまの生活に満足」が60%に対して「満足していない」が39%だが、「将来の生活について不安の方が大きい」80%に対して「期待の方が大きい」が14%である。人口減少と高齢化の急速な進行のなかで、医療や介護などの社会保障や地域社会の支え合いが崩れてしまうのではないかという不安が高まるのは、当然である。
 アベノミクスは、政権維持のためには何でもありの経済政策である。だから、格差と貧困については公明党と組んで、選挙対策としてつまみ食い的にさまざまの低所得者対策を打ち出してくる(低所得世帯向けの大学教育無償化、消費増税対策としての「プレミアム商品券」の発行、低年金の高齢者向け支援金、未婚の1人親への支援など)。これには、格差と貧困の問題を覆い隠すそれなりの効果があるだろう。
しかし、アベノミクスは、人口減少時代にふさわしい社会のあり方については、長期的で体系性のある構想や政策を提示できない。せいぜい経済成長への期待や幻想を振りまいたり、労働力不足をカバーする対策(女性や高齢者を含む「1億総活躍」、外国人労働者の受け入れ拡大)を打ち出すだけである。
「経済の成長は人々が幸せに暮らすために必要だ」と思う人が、いまだ多数である。「朝日」の先の世論調査では、経済成長が「必要だ」が67%、「必要ではない」30%である。しかし、「日本の経済がこれから成長することを期待できない」人は70%と、「期待できる」人の23%を大きく上回っている。低成長が常態化することへの予感は、不安を伴いながら人びとのなかで急速に広がりつつある。
 (1)格差と貧困をめぐる対抗関係を争点として再浮上させる、(2)人口減少が進み経済成長しない時代にふさわしい社会(経済、税制、社会保障、地域社会)のビジョンをめぐる対決を提示する。この2つの課題をどのように結びつけて言説と運動を組み立てていくのか。喫緊の課題として問われている。
(2019年1月14日)
 
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