「マコ」婚約(延期)騒ぎと世襲の〈象徴君主〉一族 ――マスコミの中の「生前退位」論議

天野恵一(PP研運営委員・反天皇制運動連絡会)


今、天皇の最初の孫であった「秋篠宮家の真子さま」なる人物の、婚約とその先例なき「延期」(2月6日)をめぐって、全マスコミは大騒ぎである。去年の両人記者会見(5月)をピークに、「日本列島をおおう」祝福ムードの大演出にこれつとめ、平成天皇代替りの政治プロセスに、皇室おめでた(万歳)フィーバーを、もう一つプラスする契機として政治活用すべく、結婚の日取りまで公表」した直後のことである。

「王子さま」とヨイショし続けて、かつての自分達の報道などスッカリ忘れたような、借金家族の「王子」バッシングは続き、そこには天皇夫妻・秋篠宮夫妻は、一度出したOKを撤回し、無期延期の可能性をひめた「代替り儀礼」完了後への「延期」へマコを説得したという物語が、まことしやかに語られ出している。天皇による「裁可」などという言葉すら、そこには浮上している。

 戦後憲法24条にはこうある。

 「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により維持されなければならない」。(傍点引用者)

 これは、民主主義・人権尊重原理に立つ憲法が〈個人の尊厳と両性の本質的平等の原則〉を具体的に述べたものである。それは「戸主の同意」なしでは「家族の婚姻」は成立しなかった旧憲法(旧民法)の思想をすべて廃止したことの宣言でもあった。ところが、あの問題だらけの戦後の「皇室典範」ですら、天皇一族の娘の結婚だからといって、天皇の「勅許」は不要とされ、「皇室会議」も開かれる必要ナシとなっているのに、本人たちの意思などもみくちゃにしてあたりまえといった前提のかつての「典範」や民法が生きかえっているかのごとき主張がマスコミにあふれかえっているのは何故か? 生前退位→新元号・新天皇即位という国を上げての祝賀ムードの演出にくみこめるどころか、スキャンダルまみれの結婚ならジャマだから関係ない時期へ、「延期」か「やめてしまえ」という政治的プレッシャーは当然というトーンがマスコミの世界をも支配している。

 天皇家賛美は無条件の前提で、婚約祝賀一色から、相手の母(家)バッシングに転じて、天皇家の娘が入るには、ふさわしくない家柄といった差別キャンペーンにこぞって転じた女性週刊誌などのマスコミ。その中に、それでも、「両性の合意のみ」の決定という、あたりまえの人権(民主主義)感覚に支えられた記事ぐらい、あるのではないかと期待して、『週刊朝日』(2/23号)を手にして、あきれた。「真子さまに結婚延期の全内幕—小室さんに提案する“母の借金の返済計画”」は、こう論じている。

 「皇族女性の結婚相手とされる人物が、こうしたトラブルに巻き込まれた事例はそうないだろう『なぜ事前に、トラブルを抱えていないかなど “身体検査”をしなかったのか』という声も世間にはある」。

 こういう記事(主張)で、家柄検査はあたりまえという下劣な世間の声を煽っているだけである。その上で、400万の母の借金の返済のための、今の仕事にプラス、新聞配達、コンビニ店員‥‥‥などの節約とアルバイト生活の提案をあれこれ示す。

 その上で、「母親に代わってしっかりお返しされてはどうか。あなたがなりふり構わず働く姿を見せれば、きっと多くの人が共感してくれるだろう」と論じ、「Let it be (どうにかなるさ)、では国民も納得しないだろう」と全体を結んだ記事だ。どうかしてないか。

 母親は「借金」ではないと主張している、いや「借金」だとして、それが何の関係があるというのだ。

 テレビのコメンテータが言っていた。「国民が安心できる結婚というかたちにすべきだ」。

 「国民の安心・納得」のために二人が結婚するわけがあるまい。本当にいらぬおせっかいではないか。プライベートの世界に、ドカドカ踏みこんでマスコミが、ここまであれこれ言う権利が、どこにあるというのだ。

 天皇一族の結婚は「国事」だから、あるべきスタイルを強制して当然という論理とムードがマスコミを支配している。この記事も、ひたすらそれに加担しているだけのものであった。

 天皇家の家長が決定する。それがあたりまえとマスコミが煽る。「世襲(血の原理)」の〈象徴君主制〉は、憲法の内側から民主主義・人権尊重原理を破壊し続けている。今、あらためてその事実が見えやすく露呈しているのだ。しかし天皇翼賛マスコミはそのグロテスクな実態に、さらなるきらびやかな差別のベールをかぶせて見えにくくさせているのみなのだ。

 世襲「皇位」の「安定的継承」のための「生前退位」など不要。こんな反民主主義・反人権的制度など「継承」する必要など、どこにある。