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敗戦70年を越えて:安倍極右政権を倒すとは何を意味するか、その先に何が開けるのか――国家の正統化原理の角度からの考察(2)


武藤一羊
(PP研運営委員)
2015年8月1日記


レジーム・チェンジへの内発的根拠


 「戦後レジームからの脱却」というスローガンはすでに二〇〇六年の第一次安倍政権においてかかげられ、二〇一二年、民主党政権を倒した総選挙ではそれに「日本をとりもどす」というスローガンが付け加えられた。「レジーム」とは体制である。国家体制を変えること、日本国家の根本を変えること、そのために憲法を根本的に変えることを意味する。安倍政権は自民党政権であり、その自民党は結党以来、自主憲法の制定を綱領に掲げていたことは確かであるが、事実上は、戦後期のほぼすべてにわたって「戦後レジーム」の内部で、それに拠って政権を維持し、統治してきたのである。一九八〇年代、中曽根政権は、「戦後政治の総決算」を口にしたけれど、それはレトリックにとどまった。安倍政権は、短命に終わった第一次政権から、戦後国家の取り壊しとしての改憲を政治日程として正面にかかげたことで、それまでの自民党政権とは異質の存在として登場したのである。二〇一二年一二月衆院選で、民主党政権の無原則と迷走の三年に愛想をつかして自民党支持に回帰した有権者の多数は昔の自民党と考えて票を投じたに違いない。だがその党はすでに別物であり、憲法を無視し、政治的無法行為をためらわない極右イデオロギー集団になっていた。

 なぜいまこのような政権が生まれ、急速な軍事大国化を推進するにいたったのか。

 それを主として国際環境の変化から説明することはできない。安倍政権はその憲法無視の軍事への傾斜を「安全保障環境の変化」に対応するためとしているが、それは話が逆である。確かに中国の急速な経済的、軍事的膨張は新しい環境である。だが、それにたいして、靖国参拝のような国交の前提を覆す行為をあえてし、尖閣をめぐる領土紛争では交渉を拒否し、中国包囲網「自由と繁栄の弧」戦略で国際的に封じ込めを図り、米国の太平洋覇権保持戦略に割り込み加担することで軍事的に対抗するといった系統的な行為が、日本の安全を高めることになるであろうか。それはむしろ隣国との緊張を高め、みずから安全保障環境を悪化させ、安全を掘り崩すことに資するだけであろう。変化しつつある国際環境に対処するという立場からすれば、展開すべき有効な政策はまったく別のものであるはずである。

 他方、日本の軍事的協力・参加へのアメリカの要求の強まりを主要な理由として安倍の政策と行動を説明することができるだろうか。確かに米国は、覇権国としての力の衰退と太平洋における中国の海洋支配への進出に直面して、米国の指揮下の常設多国籍軍への日本自衛隊とくに陸上自衛隊の統合と海兵隊化を推進し、グローバルな米軍作戦への自衛隊の参加を可能にするため日本が「集団的自衛権」の行使容認に踏み切るよう一貫して圧力をかけてきた。しかし、米国は、安倍が、それを歴史修正主義による改憲によって実現することには強い警戒を抱いてきた。安倍は、米国の不興と疑惑を押して、彼の改憲路線を推進しているのである。それが、逆に、「わが軍」をアメリカの戦争のために、アメリカの必要のままに使いまくれるような状況を生み出すのである。安倍の歴史修正主義を人質にとることで、アメリカは思うがままに日本への軍事的要求と対米忠誠の水準を釣り上げることができる、そういう関係が一気に展開したのである。

 したがって、今日の安倍政権のレジーム・チェンジと一体の軍事大国化路線を主要に外から迫られた選択と見ることはできないのである。外の要素が内発的プロセスの促進もしくは抑制の因子として働いていることは否定すべきではないが、今日の事態は内発的な根拠をもつ展開であると押さえておくべきである。そうだとすればそれはどのような内発的根拠であろうか。


「ネオリベ競争大国化」論


 実践に深くかかわる政治学者、渡辺治はこの問いには安倍政権を突き動かしているのは「グローバル競争大国」化であると答えている。日本の政治プロセスと経済社会を変革的実践の立場から鋭く分析し、方針提起を行ってきた渡辺の政権評価を、私はいつも日本の状況を考えるときの参照点としてきた。その渡辺は、二〇一四年一〇月発行の共著のなかで、安倍が追求する「グローバル競争大国」の最大の特徴は「自国の多国籍企業の利益を擁護し、その発展で国家の繁栄を確保しようとする」ところにあるという。(渡辺治他、「〈大国〉への執念 安倍政権と日本の危機」、大月書店p14)グローバル企業がもっとも活動しやすい世界秩序はアメリカ中心の自由な市場秩序なので、その維持のため強大な軍事力を保持、使用する必要が生まれるが、安倍の「軍事大国化」は、「戦前の日本や中国のような単独の軍事力拡大ではなく、日米同盟を強化しアメリカの戦争に協力する集団的自衛権として現れる」(p15)しかないと渡辺は言う。ここまでの渡辺の議論に私は一般的には同意する。

 今回の渡辺論文で私が注目したのは、渡辺が、「安倍のめざす大国がグローバル競争大国であるにもかかわらず、安倍が現代の大国の正当性を戦前日本の大国の伝統と結びつけようとしている」のはなぜか、と問いを発したことだ。これは問われなければならない問いである。これまで渡辺は、日本国家・社会の動向を圧倒的に新自由主義=ネオリベへの傾斜で説明し、靖国派的傾向を、ネオリベがもたらす国民統合の解体をナショナリズムで補完する要素として片付けていた。いわばネオリベの影と見て、ことさら独立の説明を要するものとはみなしてこなかった。私は渡辺の議論のこの部分にいつもに不安と不満を感じていた。今回渡辺が「戦前日本の大国の伝統」に立つ「グローバル大国化」を安倍政権が追求する独立した目標として取り出したことを私は歓迎する。とくに渡辺が、日本がドイツ型の過去の積極的否定の上に大国化を推進する可能性に触れて、安倍がそれを取らないのはなぜか、と問題を投げかけたことは大事である。「ネオリベ大国」化は、帝国の過去を清算することによってかえって容易になりうるだろうからである。現にそう主張する潮流も存在し、外務省内には、「歴史を直視」しつつ米国の自衛隊の海外での武力行使要求に応えて米国との同盟の枠内での「対等」化を主軸に軍事大国化を図るべしとする谷内正太郎ら「新主流派」が生まれているとする。だがいまこのグループは安倍を支持し、安倍の「地球儀外交」を担っており、谷内はいま国家安全保障局長として安倍内閣の中核に座って安倍路線を推進している。このなかでなぜ安倍は「戦前帝国の伝統」との結びつきに彼の路線の正当性を求めようとするのか。今回渡辺は初めてそれに「ネオリベの影」以上の説明を与える必要を感じたようである。

 渡辺によれば、安倍の選択には三つの理由がある。第一は、自国のグローバル企業の利益を「国益」として擁護するためにはナショナリズム=伝統の喚起が必要であり、日本の場合はそれは強い国家であった大日本帝国の伝統に訴えるしかないこと。第二は、日本の場合は、ドイツと比べて戦前との断絶が少ない、とくに大日本帝国を率いた同一の天皇が戦後日本国家の象徴であったので、戦時期を例外として排除できなかったこと。第三に、現代の大国化をすすめるために、戦後日本の国家を否定する必要があること。

 渡辺は、第三の戦後日本の否定が特に大事な契機だと見ているようである。戦後日本は軍事力の保持だけでなく、そもそも「大国になることを否定する国民の心情を認めるかたちで支配してきた」ので、大国化のためには何より「この戦後国家とその支配理念」を否定しなければならず、それには「日本が積極的に海外に打って出た戦前を称揚しなければならない」とするのである。

 私は、渡辺が安倍路線の大日本帝国との接続志向に注意を向けたことを多とするが、この説明には納得できない。説明はやはり旧来の土俵に留まっていると見えるからである。すなわちそれをネオリベ大国化への道具と位置付けているからである。

 私はナショナリズムの利用という点で、渡辺の議論が国内的には妥当する場面があることは認めるが、安倍の帝国継承路線が、国際的にはネオリベ競争大国化にプラスに働くとは思われない。ネオリベ大国としては、中国との間に良好なネオリベ的関係を発展させ、中国市場で圧倒的な強みを確立する方が有利であることは明らかであろう。大国化のゴールは国連安保理常任理事国に加わることであるが、帝国継承路線は、第二次大戦後の戦後処理自身に異を唱える歴史修正主義であるので、それを唱えつつ国連の常任理事国の座を獲得することは考えられない。米国は、軍事的には日本の軍とカネを自国の戦略に動員するため集団的自衛権合憲解釈と引き換えに、安倍を受け入れ、一〇〇%利用することに決めたものの、安倍の歴史修正主義には明確に拒否を表明し、そのため日米関係は基礎の部分で不安定化している。安倍の日本が旧日本帝国正当化の主張をかかげながら「世界の中心で輝く国」になることなど望むべくもない。今日の国際社会が安倍集団の歴史認識を受け入れる可能性がゼロに等しいなかで、なお歴史修正主義を貫徹しようとする動因はどこにあるのか。

 軍事大国への衝動がなぜいま、二一世紀になって、歴史修正主義のイデオロギーに先導されて出現したのかという問いに以上の二説、国際環境の変化説とネオリベ大国道具説、は十全の説明を与えてくれない。それは日本国家という歴史的構成物の固有の性格、その内的論理をくぐらせず、外在的理由で説明しようとするからである。私は現状を戦後日本国家の成り立ちのところで、具体的にはその正統化原理の次元で捉えることが必要だと、この間一貫して主張してきた。日本戦後国家という歴史的構成物を対象化することで、日本内主体としてわれわれは、この政権を倒すとは何を意味するのか、何をもって倒すのか、その先いかなる展望を開くのかをひとつながりのものとして掴むことができ、現実との実践的切り口を確保することができると私は考えている。安倍の暴走は、戦後における日本国家の形成のプロセスに孕まれていた根本的な矛盾――国家の正統化原理次元の矛盾――の最悪の形での展開とみるべきだからである。そう見ることによってはじめて、それに対抗し、打ち倒す手がかりを過去から現在に展開してきた現実の中に確認し、取り出すことができるからである。安倍政権をファシズムと呼んだり、一九三〇年代との類似――それは明確に存在するが――を指摘したりするだけでは、今日の動向を弾劾することはできても、プロセスの外からの非難に終わり、プロセスそのものに内在してそれを覆すことはできないであろう。

 私は、安倍政権が、戦後国家=戦後レジームを彼らの目標に向かって解体したいのであれば、それに抵抗するわれわれは、戦後レジームを擁護するのか、それともわれわれの目標に向かって解体するのかについて明確に語ることが必要だと考える。そのためにはまず戦後レジームとは何か、何だったのかを、突き放した目で見直す(対象化する)ことが必要である。


戦後国家の対象化への試み――一九九五年前と後


 その意味で、社会思想史の若い研究者白井聡が世に問うた「永続敗戦」についての著書が多くの人々の考えに刺激を与え、広く読まれていることが注目される。それは戦後国家を全体として対象化する必要性が強く感じられ始めたことの表れであろう。その内部にわれわれが位置している「戦後日本」という国家体制がゆらぎ、その姿が可視的になる。一体この体制は何なのかという問いが生まれる。七〇年にわたって持続してきたこの構成物はいったい何だったのか、いま何であるのか。そういう問いが生じる時期にわれわれは急速に入り込んだのである。白井の「永続敗戦国家」の斬新なネーミングはこの感覚に呼びかけるものがあったのであろう。

 とはいえ戦後日本国家についてのこの問い、あるいは疑義は今回初めて出現したわけではない。それは戦後とともに古い。それは一九四五年の日本帝国の連合国への降伏プロセスのなかで「国体」護持をめぐる日本国家のアイデンティティ問題として発生し、戦前日本と戦後日本の断絶と継承をめぐるいくたの論争を生んできた問題である。それは法学、政治学、歴史学、思想史、文学など知的分野における論争を生み出したばかりでなく、社会変革の運動の立場や方針に深くかかわる生きたテーマであった。この思想史、運動史的テーマを概観する余裕も能力もいま私は持たないが、戦後国家が解体過程にはいったいま、この論争を再総括することは新しい重要性を帯びていると感じられる。

 さてここでいきなり一九九〇年代半ばに飛ぼう。今日の「レジーム・チェンジ」の直接の序幕をなす時期だったからである。この時期、逆方向に向かう二つの潮流が交差した。一九九四年自民党一党支配を破って出現した非自民連立政権の細川護煕首相は、「先の大戦」は「侵略戦争であった」と記者会見で述べた。日本軍慰安婦とされた金学順のカミングアウトと日本政府への提訴を機に、軍慰安婦問題をはじめ戦後補償を求める運動とが急速に発展したのはこの時期である。日本の侵略戦争、植民地化をわびる村山談話はこの流れの中で生み出された。

 しかし、これが帝国の過去を公式に清算する方向への時代の動きとすれば、それと真逆な動きがこの同じとき大規模に姿を現したのである。この年六月、戦後五〇年を期して、侵略・植民地化の反省を両院満場一致の国会決議として行おうという動きは、多くの自民党議員たちの猛烈な反対と妨害によって惨めな結果に終わった。細川発言に反発して自民党に「歴史・検討委員会」が設けられ、大東亜戦争はアジア解放戦、自衛戦とし、「南京事件」は虚構、国共合作による抗日戦争はスターリンの陰謀、等々のスタンダードな右翼の見解を盛った報告書「大東亜戦争の総括」が発表されたのはこのときである。一九九七年には、右翼が大同団結し「日本会議」が組織され、国会の中にその出先として超党派の右翼議員の連合が形成される。「新しい教科書つくる会」が結成され、全国的な教科書キャンペーンが開始されたのもこの時期である。

 一九九五年は、阪神大震災、オウム事件が発生した年である。何より、この年九月には、沖縄で米兵による少女レイプ事件が起こり、これを引き金に沖縄の島ぐるみの反基地の大抗議運動が湧き起こり、米日政府を追い詰めたのである。これが米日植民地支配への沖縄の抵抗運動の今日にいたる波の起点であった。

 一九九五年を前後する九〇年代半ばは、こうして戦後国家というものが社会の意識に上る、すなわち対象化される歴史的季節となった。世界的にも戦後的構造に歴史的変化が起こった時期であった。冷戦が終わり、ソ連が解体し、共産主義が思想的敗北を喫するなかで、米国も「反共」という覇権を支える大義名分を失い、世界戦略の立て直しを迫られる時期でもあった。本来はここで、戦後「革新勢力」の側が主導して、日米安保を基軸として組み立てられてきた戦後日本のありかたを再検討し、憲法平和主義に基づく内外関係を全面的に展開し始めるべきときであった。だがそれをなすべき政治勢力――その主力は社会党・総評ブロックと呼ばれる戦後革新勢力であった――は、八〇年代からの資本と権力の行政改革・民営化攻勢によって解体の危機に追い込まれていた。社会党はその組織的実体であった総評の右派民間労組主体の連合への吸収解体によって、基盤を失っていた。この時代的な折り目の時期を決起に利用したのは戦後期に抑え込まれてきた(と感じていた)右翼勢力であった。一〇年後に第一次安倍政権の成立に導く右翼勢力の全面攻勢はこの時期に開始された。

 この時期に戦後日本とは何だったか、何であるかという問いが浮上した。それは戦争総括、歴史総括を核心とする問いであった。評論家加藤典洋は、戦後日本は、戦争責任についてアジアに対して謝罪するジーキルと国内向けには開き直るハイドへの人格分裂(ねじれ)を抱えているとし、それを癒して日本人が統一された国民として立ち上がるためには、「日本の侵略戦争がもたらした二〇〇〇万のアジアの死者への哀悼」に先立ってまず「自国の間違った戦争のもとで無意味に死んだ」三〇〇万人の日本の死者たちへの哀悼が必要であると論じて、大きい波紋を呼んだのである。植民地化と侵略について政府が公式に謝罪すると、すぐその後から同じ政府の閣僚の口からそれを否定する発言が飛び出す。これは教科書問題などをめぐって常態と化した現実であった。加藤はそれを指摘して、一体、日本の本心はどこにあるのかと問うた。それが不明な以上、日本は人格分裂をきたしている。アジアに謝罪するためにはまず日本のアイデンティティを確立するべきで、そのためには戦争で発生した三〇〇万の日本人の死者にまず哀悼を表すべきだという考えである。この加藤の論に、高橋哲哉は「まず「われわれ日本人」を立ち上げないとアジアの死者に向き合えないと言うべきではない。まずアジアの死者に向き合わなければ「われわれ日本人」を立ち上げることもできない、と言うべき」だと真っ向から反論し、加藤の論が当時藤岡信勝らが唱えた歴史修正主義である「自由主義史観」に通じるとして激しく批判した。朝日新聞の西嶋定生はこの論争を「歴史主体論争」と名付けた。

 加藤はここで戦後日本を人格分裂した国民と捉えたのである。私は加藤が「ねじれ」としてそれを捉えたことは積極的にとらえた。当時私は「「ねじれ」を解く――戦後国家をどう越えるか」という一文を書き、加藤が「ねじれ」に注目したことを評価しつつ、この「ねじれ」が戦後日本国家の成り立ちに根ざしたものであるので、死者への哀悼の順序を変えることで日本を一つの国民主体として立ち上げようとする加藤の解法は、決して問題を解けない解法だと論じた。私はこの文章を含むエッセイを「〈戦後日本国家〉という問題――この蛹からどんな蛾が飛び立つのか」と題する書物として上梓した。その蛾は遂に羽化し、いま安倍政権という新種の毒蛾として羽ばたいているのだが。


「永続敗戦論」のつまずき


 さて、この辺でそれから二〇年後の白井の議論に移ろう。白井もまた戦後日本につきまとう逆説、もしくは自家撞着に着目するのである。白井は、加藤典洋が「ねじれ」と表現したものの占める位置に、「永続敗戦」という概念を置く。戦後日本を全体として把握する概念装置としてである。一九四五年、ポツダム宣言を受け入れて連合国に降伏した日本は、この敗戦を〈敗戦〉とは呼ばず〈終戦〉と表現することで戦後日本として自己形成したことに問題の発端がある、と白井は考えているようである。「ここにすべてがある。純然たる「敗戦」を「終戦」と呼び換えるという欺瞞によって戦後日本のレジームの根本が成り立っていると言っても過言ではない」(p37)。〈終戦〉という現実把握は無条件降伏による敗戦を否認することであるが、それによってかえって〈敗戦〉は「決して過ぎ去らない」ものとなる。したがって「敗戦後」なるものも存在しない。それはどういうことか。「二重の意味において」だと言う。「敗戦の帰結としての政治・経済・軍事的な意味での直接的な対米従属が永続化される一方で、敗戦そのものを認識において巧みに隠蔽する(=それを否認する)という日本人の大部分の歴史認識・歴史的意識の構造が変化していない、という意味で敗戦は二重化された構造をなしつつ継続している」と言うのである。そして「敗戦を否認しているがゆえに、際限のない対米従属をつづけなければならず、深い対米従属を続けている限り、敗戦を否認し続けることができる」。

 「かかる状況を私は「永続敗戦」と呼ぶ」と白井はこの概念を定義し、続いてこの「永続敗戦の構造」が「「戦後」の根本レジームとなった」と述べる。レジームの定義としてはこれはそうとう大胆なものだ。白井は「戦前のレジームの根幹が天皇制であったとすれば、戦後レジームの根幹は永続敗戦である。永続敗戦とは「戦後の国体」であると言ってもよい」とさえ言い切る。

 私は白井の永続敗戦論にどちらかというと好意を持つ。戦後日本の体制に奇異な二律背反を見るこの感覚は共感しうる。大方の論者がこの奇異の感覚なしに日本を論じているとき、白井は、この体制への怒りに駆動されつつ、「永続敗戦」という刀一本を身に帯びて、戦後国家の対象化、その国家内存在としての〈われわれ〉の対象化という領域に切り込みをかけたのである。その意義を認めた上で、しかし、白井の議論そのものには相当な無理があることを見逃すわけにはいかない。

 まず彼のキイ概念である「永続敗戦」とはどういう性格の概念なのか。白井の「永続敗戦」における「敗戦」は一方では対米従属関係そのものとして用いられている。対米従属関係は構造である。だが「永続敗戦」とは構造としての対米従属関係がずっと続いているということと同義ではない。それが「永続」するとされるのは、敗戦の「否認」が継続しているからなのである。すなわち敗戦の「終戦」への言い換えによって、敗戦そのものを認識において「巧みに隠蔽するという日本人の大部分の歴史認識・歴史意識」がそれに組み合わされるからである。精神分析から「否認」概念が導入される。一方は構造、他方は意識である。白井は、構造とそれを把握する意識を一体として捉え、それをレジームと呼ぶわけであるが、その方法自身はグラムシの構造と上部構造の統一としての「歴史的ブロック」という把握の仕方に近いかもしれない。

 ここでの白井の問題は、戦後レジームを問題にしながら、そのレジームの構造部分を「敗戦」のタームで代表される対米従属構造に事実上解消している点である。そしてこの従属構造を隠ぺいし、直視しない意識として敗戦の「否認」の意識を取り出し、その意識のゆえに従属構造=「敗戦」は永続するとする。「戦後レジーム」はこの構造と意識の統一体として提示され、「永続敗戦」は戦後日本の「国体」となる。

 だが戦後レジームの構造部分を対米従属に解消することは過度の単純化である。戦後日本資本主義はそれ自身の展開の論理をもつ構造であった。それを構造として取り出し、分析することなしに、戦後を理解したことにならないのは自明であろう。白井の戦後分析では、対米従属以外の構造部分はほとんど姿をあらわさない。戦後七〇年を「永続敗戦レジーム」で塗りつぶすことで失われる具体性はあまりにも大きい。

 白井の議論への私の疑問は二つである。
 
 第一にこの議論から「永続敗戦レジーム」を打倒する展望はどうやって開けるのか、この議論のなかにその手がかりが与えられているか、という疑問である。敗戦の「否認」が日本本土社会の過去七〇年近く続く底流であったにしても、それを突き破り、別の軸を立てようとする社会的力が存在し、社会・政治運動として展開し、体制にたいしてその時々の力関係を創りあげてきたことを私は軽くみない。その関連で憲法平和主義も軽く見ない。白井はそれらをどう位置づけるのか。戦後の民衆運動が大きい弱点を抱えていたこと、それは白井の「否認」との関連を有していたことは明らかだ。だがそれにたいする白井の扱いはあまりにも軽く、ぞんざいであり、結局「永続敗戦」の枠組みから逃れられなかったとの確認で終わっているように見える。そう確認する彼はそれではどこに立つのか。過去の運動に負性しか見られないとすれば、彼はこの「永続敗戦レジーム」をどこに立脚して、何に向かって、乗り越えようとするのか。白井の語りからその手がかりを得ることはむずかしい。

 第二に、「永続敗戦レジーム」はいまどういう状態にあると白井は判断しているのか。安倍政権が壊そうとかかっている「戦後レジーム」は白井の「永続敗戦レジーム」なのか、そうでないのか。安倍は「永続敗戦レジーム」の完成者なのか破壊者なのか。この肝心の点があいまいである。いやあいまいではない。白井は安倍こそは「永続敗戦レジーム」の完成者であると見ているようなのである。第二次安倍内閣は「永続敗戦レジームを純化させるものとして現れた」(「週刊金曜日」2014・12・5)とさえ白井は言う。白井のこの文章は辺野古への安倍政権の強権的基地押しつけを論じたもので「永続敗戦レジームと闘う沖縄の政治」と題されている。では一体、安倍の唱える「戦後レジーム」からの脱却とは何のことだろうか。安倍が破壊をめざし、現に破壊しつつある「レジーム」は何であると白井は考えているのか。

 何か一本、大事なものが抜けている。一九四五年八月「敗戦」の「終戦」への言い換えを起点に過去七〇年を一筆書きにする試みにはやはり無理があるのだ。
                          (続く)

※次回アップロードは、8月17日(月)を予定しています。
※なお、本論説は、武藤さんが準備中の論文集の書下ろし原稿の一部になります(8月8日追記)。
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