メニュー  >  書評:金井淑子著『倫理学とフェミニズム――ジェンダー、身体、他者をめぐるジレンマ』(金子章予)
【書評】

金井淑子著『倫理学とフェミニズム―ジェンダー、身体、他者をめぐるジレンマ』
ナカニシヤ出版、2013年6月発行、350頁.

Ethics and Feminism―Dilemmas concerning Gender, Bodies and Others
By KANAI, Yoshiko


金子章予
(PP研会員/西武文理大学教員)











四六判・368ページ
税込定価 2415円
ISBN978-4-7795-0741-0
2013年6月
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 生命の誕生の様式、家族や対人関係の形式、近代科学との関係等々において、「いのちの係留点」である女性の身体と性は、現代倫理のアリーナ(闘技場)と化している (pp.61-62)。そこにおいては、多様な当事者たちが、さまざまな問題のそれぞれにおいて異なる共闘関係を築くという数多くのよじれ現象を生み出しながら、生と性の様式にたいする「承認の政治」を巡って闘っている。―本書は、倫理学とフェミニズムとの二つの立場の間で引き裂かれながら、しばしば立ち往生・判断停止の状態としてのジレンマに陥らざるを得なかった著者 (はじめに, v.) による、そのアリーナへの果敢なる参戦であり、読者への共戦の誘(いざな)いでもある。

 著者のそのような切り裂かれた自己を生きる姿は、今を生きる私たちの姿でもある。なぜなら、近代的価値が崩壊しつつある時代に私たちは生きており、私たち自身が近代と新しい時代との裂け目に生きているからである。制度や規範で絡め取られた自己と、その制度や規範の中に留まりきれない自己との間で私たちは絶えず葛藤を繰り返している。あるいは社会の集合的意識としての規範という大きな物語と私たちの個別性のある小さな物語との間のずれが日々広がりつつある時代に、私たちは生きている。その時代の綻びにたいしていち早く声を挙げた人たちがトランスジェンダー、トランスセクシュアルの人々だ。彼ら・彼女らは、近代という時代の裂け目を象徴している先駆者たちである。彼ら・彼女たちは、他者や自己が付与する「アイデンティティ」あるいは「女性/男性」というカテゴリーが実は極めて偶然的・可変的であるかを示している。

 そのような時代においては、今や、生や性にまつわる言説のおよそ全てのものが虚構のようにさえ感じられる。「男」 (Male)「女」(Female) あるいは「男性」(Man)「女性」(Woman) という概念―それらが生物的な性差を意味しているか、ジェンダー的な性差を意味しているかに拘わらず、これらは近代において一つの制度あるいは犠牲 (フェイク) であるに過ぎない―でさえ、今や、制度疲労を来たしている。著者は、ジェンダーを纏って「自己ではないもの」を生きている「両義性」から自由ではない現代の女性の「女性性」(Femininity) の現実を模索し、その希求を「制度化された母性から母の領域へ」(p.79) というフレーズに託している。「フェミニズムの構築主義的言説が棚上げしてきた感の否めないフェミニニティ(女性性)と母の領域への問いを、「倫理への意志の立ち上がる場」へと編成したい」(p.79) と著者が願望するからである。本書は、このような著者の願望によって立ち上がらせた新しいフェミニンの臨床哲学―新たな倫理的価値軸と主体像―への誘いでもある。

 そのような意図のもと、本書は4部構成となっている。最初の第1部は、著者自身の立場の両義性からこの構想に至るまでの、著者が辿った道程を示す。そこで著者は、個人が望む生き方を尊重するリベラリズムと自己の庇護の下に他者を置こうとするパターナリズムのあわいで生きる自らの倫理的判断を問う。第2部以降は、このような近代リベラリズムの倫理とパターナリズムの倫理がせめぎあう隘路を超えて、倫理の新たな地平を拓くための挑戦である。第2部は、ジェンダー概念の複数性を照射し、触発する知としてのジェンダー概念の生成的・拡張的な展開へと読者を導く。第3部は、トランスジェンダー、トランスセクシュアルからの、フェミニズムと倫理学への攪乱的・挑発的な問い(これは、まさしく著者自身への挑発でもある。)から、ジェンダー規範あるいはジェンダー秩序に対する異議申し立てとしての主体としてのクイアの地平へと導く。第4部は、フェミニズムにおける他者性を問い、「哲学としてのフェミニズム」への回路としての「フェミニンの哲学」と「他者を内在化させた女/母〈わたし〉という一人称」を立ち上がらせる。

 私小説を読んでいるような興奮を覚える。それは、主として二つの大きな理由があるだろう。一つ目は、著者が自己開示しながら誠実に問題と対峙していること、そして、著者が格闘している問題がまさに今を生きる私たちの、あるいは自分自身の、問題と重なること、であろう。同著者による前著『依存と自立の論理』(2011) 同様、本書を読むことにより、女性の身体と性を巡る現代倫理学のアリーナへ読者自身も参戦することが可能となろう。

 ただ、「女性」というカテゴリーが従属的に構築されていく多様な形態を解明することを契機とし、「女性性」と呼ぼうが「女/母〈わたし〉」と呼ぼうが、「女性」というカテゴリーだけではなくさまざまなカテゴリーが「女性」が置かれていた地位と代替させられうることに私たちは敏感でなければならない、と私は思う。そして、固定的な主体像を付与しようとする如何なる試みも、多様な人間関係の中で現れ出る生身の人間を排除する一つの形態であることに自覚的となり、現実の社会に存在する従属・抑圧・排除・暴力のあらゆる形態に対し、私たちは闘い続けなければならないだろう。私たちが連帯すべきものは、女性たちでも女たちではなく、全ての権力の根源である、全ての人格である。また、私たちがまなざしを向け、声を聴き、救い出し、ケアすべきものは、女性そのものではなく、従属・抑圧・排除・暴力のあらゆる形態にたいして傷つきやすい人々全てである。ヒロシマ、水俣、フクシマ後を生きる私たちの性と生のあり方に、著者の次なる挑戦である 「フェミニンの哲学」が希望をもたらしてくれることを期待する。
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