メニュー  >  【つるたまさひで読書メモ】 『社会を変えるには』小熊英二著 第1回
【つるたまさひで読書メモ】
『社会を変えるには』小熊英二著
第1回


新書なのに517p。紙が薄いので、その割に本は薄い。2月から3月にかけて読んだのだと思う。もしかしたら、2月に読み終わっていたかもしれない。ちょっと興味深かったので読んだ後にネットで古本購入。

読み終わったあと、すぐにメモを書き始めた。でもその途中で別の本を2冊読んで、1冊はそのメモを書き終えたりした。だから、メモの後半部分では読後感はかなり薄くなっている。ということで、後半のメモは、ただ付箋をなぞって、そこについて考えるという形で書いている。

どうして、こんなことになってしまったかといえば、読書メモを書き終える前に図書館に本を返し、購入してしまったからだ。そうすると、いつでも書けるという気分になって、通常はそこでそのまま放置することになる。数人いる出版社の友人には悪いけど、本は借りるに限るなぁ。あっ、でも、みなさん、ちゃんと買ってください。本が出なくなって読めなくなると困ります。

で、今回、これを終わらせることができたのはこの本をとりあげる某研究会があったから。

この「はじめに」でこの本の小熊さん本人による紹介などが記されているので、ネットで誰かがタイプしてないか探した。

その目的から外れたけど、そのとき見つけた

山形浩生さんがブログ「経済のトリセツ」ここで二度にわたって、この本を取り上げている。

二度目にに掲載されたのが、
2012-10-26 『社会を変えるには』評への批判を受けて
http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20121026/1351245018
これを読むと、これまでの山形さんの書評のスタンスがわかる。このスタンスは嫌いじゃない。

だけど、その前に山形さんが書いてる[書評]小熊『社会をかえるには』:大風呂敷広げといて結論は小学校レベル。http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20120902/1346588118 は好きじゃない。

この二つの文章の間には彼の変節があるんじゃないかとさえ思えてしまう。ま、そんなに違うことを言っているわけでもないのだろうが、切り口でこんなに印象が変わるという好例ともいえるかもしれない。

この本の全体的な内容については、きれいに整理してくれてる人がいるので、概要を知りたい人は
http://saya.txt-nifty.com/syohyou/2012/10/post-eda4.html で。こんな風に要約されている

7章に分かれたこの本で、小熊はまず現在の日本をどのように捉えればいいかを考え(第1章)、社会を変えようとしたかつての社会運動の歴史、特に全共闘運動が残した弊害を述べ(第2〜3章)、そもそも古代ギリシャの民主主義とは何であり(第4章)、その展開である近代の代議制民主主義がどんな限界を持つかを考え(第5章)、「合理的」な近代科学を疑い始めた相対性理論や不確定性原理を踏まえて(第6章)、運動のツールとして使える新しい学問や哲学の方法を紹介(第7章)している。

というようなことはここまでにして、以下、自分用読書メモ

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「はじめに」に書かれている小熊さんがこの本の紹介は以下

いまの社会を変えたい気持ちはある。政治家にまかせておけばいいとは思っていない。だけど政治にかかわっても変わらないと思うから参加しない。しかし一方で、デモがおきているのをみると、もしかしたら変わるのかもしれないと思う。こういう気分であるということが、何となくうかがえます(引用者注:このすぐ前で紹介されている朝日新聞の世論調査から)。この状況をどうとらえることができるでしょうか。社会は変わるのでしょうか。変えるにはどうしたらいいでしょうか。本書ではそうしたことをお話しします。(中略) いま日本でおきていることがどういうことなのか。社会を変えるというのはどういうことなのか。歴史的、社会構造的、あるいは思想的に考えてみようというのが、本書全体の趣旨です。4-5p

本当にこの趣旨にそっているかどうか、読み終わって、確かにそこを意識して書かれたのだろうなぁとは思う。それが成功しているかどうかの判断はできたら最後に書こう。

原発問題は運動によっ変えられる見込みが高いテーマだと小熊さんは書く。そして、

「原発をテーマとした動きをきっかけに社会を変える手ごたえを体験した人びと、臆することなく声を上げる習慣が身についた人びとが増えれば、それは日本社会にとっていいこと」

だと。57p

「変えられる見込み」と社会運動の関係をどう考えるか。見込みがあるかないかは重要な要素ではあるが、変えられる見込みがなくても、というか非常に厳しく、とても長い時間がかかりそうな課題でも運動が必要な場面はある。しかし、そこに参加できるのは好き者だけってことはあるだろうと思う

確かに実際に社会運動に関わって社会が変わった経験が力になるというのはよくわかる。それが

「原発の問題に関して、何らかの行動に参加する人の増加。その参加で社会が動くという経験をする人が増えることで社会が変わる」57p

という部分につながるのだろう。ここで問われるのは「参加で社会が動くという経験」とはどのような経験かということとだ。それは単に課題としていた社会運動の目標が達成できたかどうかということではないように思う。達成できなくてもその可能性を経験することもできるだろうし、逆に当初の目標が達成しても、場合によってはそれがエンパワメントにつながらないこともあるかもしれない。

また、「変わる見込みが高い」理由として、その仕組みから利益を得ている人が少ないからというのが、その直前に書かれている。56p

原発問題以上に目標が達成しやすい社会運動はいくつもあるだろう。しかし、それが与えるインパクトを考えると、なかなかそれに匹敵するものはないと思う。

とりあえず、第1章の読書メモここまで。
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