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2012年:民衆の拒否力で「保守コンセンサス」を解体し
原則的な対峙の戦線を開くときがきている


武藤一羊

2011年12月31日記

 いま私たちはどこにいるのか。

 2009年、半世紀にわたる自民党政権がつぶれて民主党政権が登場したとき、私はこの政権交代は二大政党制の成立を示すものではなく、自民党体制という戦後国家体制の自壊を表すものだと指摘した。自民党とはいくつかある政党の一つというより、戦後日本国家に作りつけの装置だったからである。その国家体制が自壊したのである。

 政権交代を自己目的として成立していた民主党は、すでに壊れてしまった国家装置を相続した。破綻した国家財政だけでなく、沖縄民衆の抵抗による米日軍事植民地的支配の危機、小泉政権の新自由主義改革による社会の解体、安倍政権による日本帝国の栄光の復権路線の敗北など、末期自民党国家が残したマイナス遺産をすべて引き継いだのである。相続権放棄もできたはずである。だがそうしなかったし、できなかった。廃墟は壊して建て直すしかないのに、民主党には設計図も建設技術も存在しなかった。政権交代を自己目的に結成された民主党は、あらゆる異質な潮流の寄せ集めであり、一貫した理念も原則も政策体系ももちえなかったのである。当時私は、民主党は過渡的政党であり、民主党政権は過渡的政権だとしたが、それはそのためであった。

 それにしても、政権につくためには、自民党との差異化が必要であった。マニフェストにおいて、「国民の生活が第一」を掲げ、新自由主義批判のスタンスと格差社会是正を打ち出し、「コンクリートより人間」と開発路線を批判した。対米関係の対等化、東アジア共同体をかかげることで、対米一辺倒の修正を匂わせた。選挙では鳩山党首は普天間基地の「国外、最低でも県外」移設を公約した。有権者はそこに変化の期待を込めた。

 しかしこれらの政策はどれも原則から発するものではなかったので、党として貫徹する意志は欠けていた。すなわち出し入れ可能な次元のものであった。対米関係においてそれはもっとも顕著だった。鳩山の移設「迷走」の失敗は、対米交渉における壁に跳ね返されたわけではなく(対米交渉などは行われなかった)、もっぱら彼の閣僚と官僚のサボタージュの結果であった。むろんその背後には鳩山・小沢路線への切り替えを許さないとする米国の隠然たる力が働いていた。追いつめられた鳩山は辺野古基地建設を約束する日米共同声明を出して、2010年6月辞任し、暗いイメージの菅内閣が誕生した。この時点で、初期の改革への推力はほとんど失われた。菅内閣は自民党と変わらぬ安保観にもどり、財界の抵抗する派遣労働規制などの改革は停滞し、経済成長至上主義とTPP参加という新自由主義路線が復活した。

 * * *

 そこを3・11の地震津波災害と東電福島原発破局が襲った。破壊の規模とそれに重なった原発破局とは、戦後日本社会の制度や常識――いや近代日本そのものの在り方――の根本からの見直しを要求するものであった。菅政権、というより日本国家機構全体がこの危機になすすべを知らず、住民の命を守るという本来の任務を放棄し、真実の隠ぺいと情報隠しに走った。御用学者を動員して住民に被曝を事実上強制し、マスコミは全面的にそれに加担した。米国は「ともだち作戦」を発動し、福島沖に原子力空母を貼り付けて、全面的に事態に介入した。菅首相は、住民への非情・無責任はそのままに、「脱原発」(後に脱原発依存)を宣言し、浜岡原発を停止させ、再稼働への条件をつけた。それを機に、政官財学を横断して堅固に構築されている原子力村の原発維持・推進への反撃が開始された。不可解な菅下ろしの「政局」のなか、菅は辞任に追い込まれ、野田政権が登場した。

 わずか2年半で3人目の首相が誕生する中で、舞台は一巡、政権交代の意味はすべてつぶれた。「国民生活が第一」も「コンクリートから人へ」も「対等な日米関係」も消え失せた。菅政権の脱原発政策も棚上げにされ、原発再稼働、原発輸出が推進されはじめた。

 こうして野田政権は何にもどったか。自民党政治にか。イエスであり、ノーである。イエスに見えるが、そもそも自民党政治が廃墟と化したところに政権交代があったので、戻れるはずはないのである。そこで日本政治に起こったことは、「保守コンセンサス」とでもいうべきものへのなりゆき的依存である。自民・民主の間に原則上の相違がなくなった状況で、このコンセンサスが救命の浮き輪として浮上し、民主党とともに自民党もそれにしがみついている。コンセンサスの中身は、原子力産業の死守、沖縄基地問題での米国への忠誠、TPPへの参加など米国への無条件の屈従、財界・大企業の利益の保護と保証、憲法9条に発する平和原則の改変、右翼のターゲットとなっているテーマ――外国人参政権、戦後補償、夫婦別姓などジェンダー平等の案件など――の議題外しなどである。この党派を超えた「保守コンセンサス」の存在が、党内の諸潮流を統合する力をも失ってしまった野田政権の拠り所となっているのである。政権がそれに依拠しているかぎり、最大野党自民党は原理的な反対の根拠を持てないのだ。

 * * *

 なぜ「保守コンセンサス」などと耳慣れない表現をつかうのか。それは今日の政権が民主・自民による正式の大連立によらない独特の協力・抗争構造によって支えられているからである。「保守コンセンサス」は基本的な政治的方向の一致のことであるから、むろん両者の協力を表しているが、それは同時に政権与党と政権を追われた野党との権力をめぐる抗争によっても支えられている。民自大連立なら二つの党は政策協議をおこない、政策協定を結ぶ必要がある。それが政権の基礎となるからには、その協定に公的に縛られることになる。だが「保守コンセンサス」は成り行き的な事実上の関係であり、それゆえそこには公的な縛りは存在しない。したがってこの政権の指導部は、このコンセンサスの指さす方向にであれば、どのような突出した決定を勝手におこなっても咎められることがない。いや突出すればするほど、野党の鼻をあかし、対野党関係で有利な立場に立ちうる。政権がこの「保守コンセンサス」に拠るかぎり、それに沿う政策は、党内を制すれば、いくらでも無責任に恣意的に実施しうる。いま起こっているのはそのような事態である。かつて自民党政権が、相対的に左に位置する野党(共・社だけでなく野党当時の民主党)を抱えるなかで、望んでもなしえなかったアメリカ寄り、財界寄りの政策を、三代目民主党政権は次々に決定し、実行しようとしているのだ。

 だが野田政権はそのために、2009年選挙における選挙民への公約、すなわちマニフェストの目玉政策をことごとく投げ捨てた。右翼からリベラルまであらゆる雑多な政治潮流の集合体である民主党は、どこまで党として一致してこの180度の転換――有権者への裏切り――を許容し、推進することができるだろうか。

 これまでのところそれを可能にしてきたのは、この党が権力を取ること、取ったからには維持することを至上目的として成立したという事情である。参院で過半数を欠く状況で権力維持を最優先課題として守るには、自民党との共通基盤――「保守コンセンサス」――に訴えるほかない。それはマニフェストにこだわる党内勢力の許容しがたいことであろう。これらの分子には、権力維持が党の原点であり、マニフェストなどは奪権のための便宜的な手段であって、原点などではないと思い知らせなければならない。権力は「保守コンセンサス」のおかげでかろうじて維持されているのではないか。そう恫喝することでこの党はかろうじて一つの党として存在しているのである。

 だが「保守コンセンサス」の浮き輪は腐っている。それにすがって成り立つ政治は極端に不健全である。

 * * *

 この腐った「保守コンセンサス」を解体することが2012年にかけられている最大の課題の一つである。民主党は奪権への乗り物としての過渡的政党なので、政権についてしまえば次は、政治傾向に沿って内紛分裂に見舞われることは明白であり、当然であると私は主張してきた。それは「保守コンセンサス」解体プロセスの引き金になりうるだろう。

 大震災・原発危機のなかで、2011年末すでに分裂への動きは始っている。民主党だけでなく、主要議会政党が新たな離合集散のプロセスに入るであろう。「保守コンセンサス」の解体はそのようなプロセスを伴って進行するだろう。だがそれが数合わせの野合ではなく、曲がりなりにも原則に沿った議会政治勢力の解体再編にゆきつくかどうかが、カギである。沖縄、原発、対米関係、アジア関係、TPP、格差などの基本争点をめぐって諸勢力が解体、再結集をとげられるかどうか。それが「保守コンセンサス」の解体を通じて、当然あるべき新しい政治的対峙線を生み出す条件である。

 原則による再編をもたらす力は民衆の圧力である。日本社会はいま、フクシマ危機に迫られて大きい思想的流動と生活のさなかからの草の根アクティビズムの復興――戦後何回目かの横に広がる活動群の出現――を目撃している。この動きが社会的な拒否権をもつ存在になるとき、保守コンセンサスの破綻は、その力に従うか敵対するかを基準とする原則的再編に導かれるだろう(社会的な拒否権はすでに沖縄の民衆によって発動されている)。しかし他方、広がる既成政治不信は、人びとを何であれ「強いリーダーシップ」による上からの「改革」を売り物にするカリスマ的個人に引きつけさせてもいる。大阪の「ハシズム」はその先端部分であろう。下からのアクティビズムが上からのポピュリズムを乗り越えることができるかどうか、デマゴーグの空虚さをあばき、信用を失墜させることができるかどうか、それが原則的な政治再編にとってもう一つの課題であろう。

 政治と社会の揺れ幅が次第に大きくなるなかで2012年に突入する。それは下からの動きが状況全体を変える条件の生成を意味する。2011年のアラブ世界が示したように、「オキュペーション」の行動があっという間に世界を一巡したように、一波が万波を呼ぶ世界と時代に私たちはいる。
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